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葛飾、最後のピース 作者:ぐろわ姉妹

一英編(時:2010年)

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第43話 君はグレイトサマナー

 辺りはだいぶ薄暗くなり、太陽の息吹が途絶えるのも時間の問題となっていた。

 すべてが藤色に染まる中、ミニバンを降りたと同時に一英の携帯が着信に震える。

手に取れば、メール受信を伝える画面が示すのは、アドレスに入れた覚えのない男からのそれだった。

 知らぬ間にそいつを受け入れていた携帯を驚き半分、呆れ半分、それに戸惑いを掛け合わせた気持ちで開いた一英は、メールの内容に目を走らせ眉をひそめる。

「おっ、兄ちゃんお帰り! 
今朝、ナビなしで出てったから心配したよ。
ジャスティーには会えたんでしょ?」

 声のしたほうを見上げると、実家の玄関先にいた裕貴が、鉄階段から身を乗り出しこちらを覗き込んでいた。

「会えたけど、
明日からはナビしないってよ」

「え? どうして?」

「姉ちゃんと行けってさ」

 一英は、階段の上からでは携帯の画面など見えないと知りつつ、まだメール本文の映る画面をかざして見せる。

一英が携帯をしまおうとすると、慌てて駆け降りてきた裕貴がそれを奪い、ジャスティーからのメールを覗いた。

 そこに件名はなかった。


  ==

一昨日は無理に工場に引きずりいれたりして、すみませんでした。

あなたが苦しむ姿を見るのが辛かっただけなのに、あなたを一番苦しませてるのは僕だって、絵梨香に散々怒られました。

確かにそうですよね。

絵梨香の言う通りだと、反省しています。


この二週間、本当にすみませんでした。

突然現れた訳の解んない不審者が、訳の解んないことばっかして、騒いで。

穏便に暮らしてたあなたには、たいそう迷惑をかけてしまったと思います。


僕はもうあなたの前には現れません。

だから安心して、明日からは美洋さんと配達してください。


あなたには嫌な思いをさせてしまったけど、僕は憧れのあなたと面と向かって話すことができて楽しい二週間でした。


実は今、一昨日の盗撮犯が目の前にいるんです。

幸か不幸か、また犯人が現れたのだから、今度こそ逃がしません。


ヒーローさんがいなくても、僕がこの街を守っていくのでご心配なく。

横浜でお幸せに。


  ==

 裕貴がUFOや宇宙人でも目撃したかのように、長すぎる瞬きをしてから、もう一度メールを確認する。

「え? 
なにこのテンション、え、真面目?」

 何度も上へ下へとスクロールして本文を読み直す裕貴が、最後に添付されていた画像も、眉間に皺を寄せ食い入るように見つめる。

それはかなりの至近距離で撮ったと思われる、冴えない中年男の写真だった。

 裕貴には当然どこの誰だか解らないようだったが、一英はその目尻の切れ上がった悪人面をひと目見ただけで、あの時、たつみ橋交差点で遭遇した盗撮犯に違いないことが解っていた。

「何があったの、兄ちゃんたち。
工場に引きずりいれたってなに? 
盗撮犯ってなに?」

 ジャスティーという男は、自分だけは裕貴から色々と聞いているくせに、裕貴のほうへは何も話していないのか、裕貴は滑稽なほどこの状況に困惑し、見たって何があるわけでもないのに携帯の裏側まで引っくり返して見ている。

 今の質問すべてに答えるのも面倒だと思った一英が、手っ取り早く、盗撮犯の写る画像を指して言う。

「それより、
これ、どこだと思う?」

「どこって……
さぁ……周りほとんど写ってないし」

 二人は頭を寄せ合い、改めて画像を見つめる。

光る画面は、盗撮犯の胸から上がそのほとんどを占め、撮影場所を特定できそうなものは何ひとつ写っていない。

 だが一英は、唯一画像の隅に写っている、盗撮犯以外のものに気づき、裕貴を押しのけるようにしてそれを凝視した。

よくよく見れば、盗撮犯の頭上にちらりと写っているそれは、色や形からして裸電球のように見えてくる。

 目をつむり、しばらく記憶を手繰るように眉を寄せていた一英が、ハッとして顔を上げる。

「今日、
この辺で盆踊りないか?」

「盆踊りぃ?」

 そんなの知らねぇしと裕貴が言い終わるより早く、一英は携帯をジーンズのポケットにねじ込み、羽織っていた作業着を脱いだ。

そしてそれを裕貴に押し付けると、駐車場にあった自転車にまたがってどこかへと漕ぎ出していく。

「ちょ、兄ちゃん!」

 状況がまったく解らない裕貴に、一英は「焼きそば買ってきてやるよ」と言い残し、スピードを上げる。

 狭い車道を徐行する車を追い越し、家路を急ぐ歩行者をかわし、盗撮犯を目撃したたつみ橋交差点へと猛スピードで走ってきた一英は、信号待ちをする人だかりの後ろで自転車を止めた。

 あたりをぐるりと見渡すが、ジャスティーも、それらしい中年男もいない。

「こんなところにいるわけないのは解ってんだよ……」

 ひとり呟く一英を、信号待ちの数人が怪しんで盗み見る。

 そこへ吹いてきた風に、一英は思わず鼻を鳴らした。

大量の排気ガスを吸い込んでしまいゲホゲホとむせ返るが、それに交じってほんの微かに懐かしい香りがやってくる。

本当に微かだが、食欲をそそるチープで香ばしいにおい。

 それがソース焼きそばだと確信した瞬間、一英は迷わずそちらに前輪を差し向けた。

 ◇

 すっかり夜となった街に太鼓の音が鳴り響く中、ジャスティーは永原とともに大きな木の陰に隠れていた。

永原は並ぶ屋台にカメラを向け、戦場カメラマンのごとき緊張感でシャッターを切っている。

撮ったばかりの写真をディスプレイに表示すると、そこには例の盗撮犯がアップで映っていた。

それをジャスティーに差し出す。

「ほら、もう一度よく見て。
本当に間違いないのかい?」

 だがジャスティーは画面を見ずに、屋台の向こうにいる盗撮犯を睨んだまま、

「間違えるわけないです」

とだけ答えた。

 身じろぎもしないのに噴き出す汗は、ジャスティーの揉み上げをつたい、首筋に溜まっていく。

じっとりべとつく不快感と、怒りに揺れるブレスレットを抑えるように、ジャスティーは自分の左手首を強く握りしめた。

 見るからに力のこもっているそれを、永原が心配そうに見つめる。

「そのブレスレット……
お守りだって言ってたよね、
暴力を振るわないための」

 ソースの香りを追いかけてきた一英は、途中から耳が捉えた太鼓の音を頼りに自転車を走らせていた。

次第に親子連れや中学生の人波が向かうほうへと合流していけば、夜なのにやたら騒がしく輝いている公園へと辿り着く。

 一英は自転車をゆっくり走らせながら、公園の外から会場を覗き、やぐらやその周りを練り踊る人々ではなく、輪の外で立ち並ぶ屋台にのみ目を凝らしていく。

発電機のエンジン音と裸電球の眩しさに眉間を歪めるが、その目はすぐに、人混みの中、見慣れた猫背を見つけた。

 そいつのスカート姿は嫌でも目立って目に入り、隣にはカメラを携えたオッサンもいて、一英はキュッとブレーキを握る。

「またここかよ……」

 屋台以外に視線を移した一英は、そこがあの痴漢公園であることに気づき、呆れたように首を振った。

 自転車を降りると町会のはっぴを着たじいさんが近寄り、「はい、自転車こっち止めてねー」とすぐさま赤い誘導灯を振り回される。

「今度こそ逃がしたくない。
どうしたらいい……」

 夏休みの夜を彩る賑やかな盆踊り会場で、ジャスティーは唇を噛んで盗撮犯を見つめる。

隣でジャスティーと盗撮犯とを交互に見ていた永原が、突然の閃きに手を打った。

「そうだ! 
警察、呼ぼうか!」

 物凄くいいアイディアを思いついたような永原は真剣にそう提案したが、ジャスティーは相変わらず盗撮犯を見張ったまま、黙って首を横に振る。

頭上を這う提灯行列の下、ふうと永原が肩を落とした。

「でもねぇ、ジャスティーくん。
盆踊りをぶち壊さないように、非暴力で懲らしめる、ってのは……
なかなか無理なんじゃないかなぁ?」

「できるよ。
ほんとのヒーローなら」

 ジャスティーはハッキリとそう言い切るが、その方法が浮かばない以上、彼がそれに値しない人間だということは証明されていた。

 義憤に圧される拳にはただただ力が入り、悪人を今すぐ打ちのめしに行けと猛る。

それなのに、子供たちの無邪気な笑顔と華やかな太鼓の音色がそれを邪魔し、踏み込むことを躊躇わせる。

 それでもなんとか良い手立てを考えなければと、ジャスティーは自らを急き立て、永原はその表情をカメラに収めていた。

 公園の正面入り口に設置された門は、紅白に塗られた木材で組み立てられ、飾りの提灯を風に揺らす。

門からはやぐらへ向かう道がまっすぐに伸び、屋台はその両脇に並んでいた。

一英は公園へ踏み入ると、その道は通らずに屋台の裏側へと人波をすり抜ける。

 お面に綿飴、焼きそばに金魚すくい、ヨーヨー釣りにかき氷、この辺の盆踊りはどこも似たような雰囲気で、屋台の種類も子供だった頃と何も変わってないように見えた。

大きな縁日で見るような多国籍な屋台は一切なく、昔ながらの屋台を切り盛りする男たちは、決まってやくざな雰囲気で話が上手い。

 一英は、不審なカメラマンとスカート男の背後から近づき、数メートル後ろから二人の睨んでいる先をそっと窺う。

するとそこには、ビールケースの上に薄いベニヤ板が乗せられただけの簡素な屋台に、射幸心満々の子供たちが群がる光景があった。

 古臭すぎるこのローカルな風情のカタヌキ屋台は、横浜では絶対に見ることがないものだ。

そしてその店主こそが、あの盗撮犯だった。

 決して見間違いではない相手を見据え、一英はひと息つく。

 ジャスティーの後ろ姿からは、今にも店主のもとへと飛び出していきそうな雰囲気が滲み出ていた。

「馬鹿なこと考えんじゃねぇぞ……」

 一英はジャスティーになのか自らになのか解らないがそう呟き、今すぐジャスティーを止めるため一歩踏み出す。

――なにやってんですか! あなたはヒーローなんですよ!

 たつみ橋交差点でみすみす盗撮犯を逃がしたあの時、ジャスティーはダッシュボードを強く叩いて一英をなじった。

 いや、俺はヒーローじゃない、と一英は改めて噛みしめる。

ヒーローではないのだから、盗撮をするようなやつに関わるべきじゃないし、ましてや懲らしめるなんてこと、考えるほうが馬鹿なのだ。

 一歩一歩踏みしめる地面が、わずかな砂利を鳴らす。

 見れば、カタヌキ屋の店主は「できた!」と叫ぶ子供たちからカタを受け取り、その出来を鑑定していた。

ふてぶてしい態度で子供の抜いたカタを一瞥しては、これじゃだめだと厳しく薄情な判定を下す。

子供たちは一様に悔しがり、よしもう一回と挑戦を始める子もいれば、次の屋台へと向かう子もいた。

それを見る一英の胸が、チリチリと小さく焦げついていく。

 店主に固定された焦点は、一切ずれることがなく、外そうとしても外すことができなかった。

 焦げついた胸は次第にその壁に穴を開け、丸く燃え広がろうとする。

必死でその火を踏みつけ、揉み消そうとするが、あちこちで焦げ始める何かが一英に切迫感を訴えかける。

 焦りにも似たこの胸の痛みはなんなのだろう。

 そんな疑問がかすめるが、一英は店主から目をそらせないまま進み続ける。

ジャスティーの真後ろに着いたところで、その足はゆっくりと止まった。

 だがその瞬間、ジャスティーがついに決意し、抑えていた手首を放す。

 絡まりつくブレスレットが揺れ、その鋭い目には非暴力への諦めが明らかに浮かび上がっていた。

 木陰から飛び出そうとした肩を強く掴まれ、振り向いたジャスティーが驚いて声を上げる。

「……ヒーローさん……!」

 一英はカタヌキ屋から目を離さないまま、二秒前までは自分でも言うわけないと思っていた驚くべき挨拶を口にした。

「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン」

 ぽかんと口を開いてジャスティーと永原が見つめてくるが、一英は衝動的に口をついた馬鹿さ加減と、どうしてもカタヌキ屋から目を離せない自分自身に、懐かしい爽快感を覚える。

「良い子のギャンブル、カタヌキじゃねぇか。
俺、ああいうの見てるだけで腹が立つんだよね。
ほんと、ぎゃふんと言わせてやりたいって思うんだ」

 ジャスティーのほうへと向いたその目は色とりどりの提灯を映し、きらめきを素直に照り返していく。

 一英がいたずらっぽくにんっと笑ってみせると、昔この公園で痴漢を倒した時の彼が重なって見え、ジャスティーは息をのんだ。

一英自身も既視感が表情筋を通して流れたのを感じる。

 一英の笑みは自己中な雰囲気を醸し、あからさまな邪気を漂わせながらも、叱るに叱れない根源的な無邪気さが漂っていた。

「いっちょやるか」

 永原のシャッターを受けながら百円硬貨をちらつかせてそう言った一英は、颯爽とカタヌキ屋台に向かおうとする。

すると、絶句していたジャスティーの目にみるみる涙が滲んでいき、それを二度見した一英は思わず「うわっ」とおののいた。

「なに泣いてんだ!」

「泣いてない!」

 擬音で言うなら「えぐえぐ」でしかない幼稚な泣きっぷりで、ジャスティーはくしゃくしゃの顔を両手で覆う。

否定しようのない泣きざまを、一英と永原から声を揃えて指摘されると、ジャスティーは「撮るなッ!」と永原のカメラに食ってかかった。

一英が半笑いで「きもっ」と遠巻くと、「うっせぇ、あんただって泣いたろ!」と叫び、今度はこちらへ飛びかかってくる。

「いつ、俺が」

「工場で!」

「知らねぇよー。超キモーイ」

 ジャスティーがその涙を否定する以上、自分だって認めるわけにはいかないとでも言うように、一英は笑いながらカタヌキ屋に向かっていく。

その肩にとぼけるほうがキモイんだよなどと言い返し、ジャスティーが後ろからのしのしとついていく。

 これから悪を懲らしめに行くにしては拍子抜けな二人の会話に微笑み、永原は彼らの背にカメラを構えた。

 その瞬間、会場中に大音量の『ダンシング・ヒーロー』が流れ出し、驚いた三人がやぐらにくくりつけられたスピーカーを見上げる。

 さっきまでお馴染みの炭坑節や東京音頭を延々流していたそいつが絶妙なタイミングでヒーロー選曲をしたことに、顔を見合わせたジャスティーと永原が揃って吹き出す。

 だが一英はこの曲で盆踊るということのほうがカルチャーショックで、やぐらの周りで輪を成すばあさんたちがアップテンポにノリ始める様を、唖然として見渡した。

「俺のいない間にずいぶん攻めやがったな……新小岩……」

 立ち止まったまま妙に感服している一英の腕を掴むと、ジャスティーは軽快なステップを強要するアップテンポに乗りながら彼を引きずり、カタヌキ屋を目指していく。

永原が二人にカメラを向けると、ジャスティーだけが振り向き、まだ濡れたまつ毛を隠すようにピースサインを突き出した。



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