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葛飾、最後のピース 作者:ぐろわ姉妹

一英編(時:2010年)

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第40話 本心

 しばらくすると緊急招集された職人たちがやってきて、井梶プレスはいつも以上の活気に沸いていた。

 一英は開け放たれたシャッターの外でベンチに腰かけ、プレス機に向かう父の姿を眺める。

十日程度の入院とはいえ少し痩せたように見える父は、右手の具合もまだ完全ではないようだった。

だがさすが、仕事の腕は落ちていない。

 一定のリズムで繰り返される父のプレスを聞くうち、誰かの鼓動を間近で聞くような、そんな懐かしさが一英の胸にこみ上げる。

 思えばそれは、小さなころ毎日のように見ていたのと、変らぬ光景だった。

寸分の違いなく舞い戻ったその景色は、小さかった自分がよくこの場所から、同じ体勢で父の仕事を見ていたこと物語る。

 午後になり、トタン壁に太陽の直撃を受ける工場の中、砂色の作業着でプレスを動かす父は汗を垂れ流していた。

 一英の座るベンチとは工場の外壁を隔てたすぐ横で、裕貴から突然の悲鳴が上がった。

「ミクロ部品、超ムカツク! 
バリ取り、激ムズなんですけど!」

 極小部品用の作業台にいる裕貴は、細かな手作業に焦れ、かんしゃくを起こしているようだった。

隣にいた小さな職人のじいさんがなじり笑う。

「なんだなんだ、
もう根を上げてんのか、根性なしだな」

「だから俺、細かいのダメなんだってば! 
なんで父さん、手作業のバリ取りにこだわんのよ。
機械入れりゃいいのにさぁ!」

 一英は聞こえてきたそんな会話にふと笑い、子供の頃から食玩のミニプラでさえ根を上げていた裕貴を、搬入出口から顔だけ出して覗き込む。

すると職人のじいさんは、一気に消耗した裕貴が灰となるのを横目に、至極当然のように一英を手招いた。

「教えっから、カズちゃんがやんな。
ヒロちゃんは、だめだこりゃ」

「え、俺? ムリムリ!」

「だいじょぶだ、
素人でもできっから」

「嘘だ!」

 尻込みする一英がぶんぶんと首を横に振る。

だが、昔からこの工場で働くじいさんは見かけこそよぼついて近寄ってくると、じいさんとは思えない力で一英を強引に引っ張り、作業台の前に座らせてしまう。

そしてやすりやサンドペーパーなどでできる、安全なバリ取りの手作業を一英に指南し始めた。

 作業中だった他の職人たちもその光景を物珍しそうに寄ってきて、断れる状況じゃなくなった一英は、見よう見まねでやすりをかけてみる。

冷や汗をかき、びびりながらも作業を繰り返すうち、じいさんの言う通りこれは思いのほか難しくない作業なのだと気づく。

裕貴ほど絶望的に手先が不器用でない限り、誰だって何とかなりそうな気もした。

 そのままやすりがけに没頭していく一英を、じいさん職人は笑顔で見守り、他の野次馬職人たちもニヤニヤしながら持ち場へと戻っていく。

黙々としたこの地味な作業は案外と無になれ、配達なんかよりは自分向きかもしれないと一英は思い始めていた。

 その作業台から遠い場所で、背を向けていた英博が振り向く。

 突然バリ取りする一英が視界に飛び込み、英博はコントのお手本みたいな二度見をした。

動揺したその手から金属製のトレイがガッシャーンと落ち、豪快に散らばった完成済みの品に、若手職人が半泣きで駆けよる。

「ちょ、社長ォ! 
ッだー! 折れてる! 
作り直しじゃないっすかぁ!」

 その騒ぎにも気づかず作業に集中していた一英のもとへ、いつの間にかバリ取りから逃げどこかへ行っていた裕貴が、「面白いの見っけた!」と笑いながらやってきた。

その手が特注で入ってたという注文書を差し出してくる。

「なにそれ?」

「大昔のブリキのおもちゃを、
一体分生産してくれっていう注文!」

 それを聞いた辺りの職人たちが、げらげらと笑う。

「おいおい、どこのジジイだ!」

「どさくさに紛れて、趣味のモン作らせる気か! 
ったくよう!」

 注文書には、その大昔のおもちゃの金型がまだ井梶プレスのどこかにあるはずだと書いてあった。

頭の禿げあがった職人が、ひげ周りを擦って唸る。

「あぁ、そりゃ俺が作ったやつだ! 
まだ倉庫の奥にあったかもなぁ」

 懐かしい時代を思い出したのか、彼はどれどれと軽快な足取りで倉庫へと向かっていった。

その後ろを楽しそうな裕貴がついていく。

 今日の井梶プレスは終始こんな調子だった。

従業員たちが工場のたたまれることをまだ知らないからか、注文が殺到している割に和やかなムードで生産攻めの一日が過ぎていく。

普段から残業はしない井梶プレスの職人たちは、納期が明日の注文を確実に定時で生産終了し、終業していった。

 ◇

 次の日の朝、井梶家の食卓には約六年ぶりの光景があった。

家族全員が揃って食事するのを誰よりも感慨深そうに眺めているのは裕貴で、不注意にもつまみ損ねた漬け物をこんころとテーブルに転げさせる。

 朝はニュース番組と決まっているリビングからは落ち着いた調子の声が流れていたが、洋子が漬け物を拾い代わりに食べるぽりぽりという咀嚼音や、美洋がそれの転げたあたりを布巾で拭うサッという音などが、リズミカルに食卓を彩る。

 空になった茶碗の上に箸を置き麦茶を飲み干した英博は、行くぞと言って立ち上がり、日曜だというのに作業着姿で玄関へ向かう。

裕貴も慌ただしく、ごちそうさんと作業着を羽織った。

 玄関まで見送りに出た洋子の、「無理しないでくださいよ」という念押しがリビングにまで聞こえ、男二人が外階段を下りていくのが解る。

一英が空いた食器を手にキッチンへ向かうと、玄関から戻ってきた洋子がにこやかに笑った。

「あんた昨日、バリ取りしたんだって? 
父さん、嬉しかったみたいだよ、
工場たたむ前に一度でもそんな姿が見られて」

 母から飛び出した意外な言葉に、洗い物をしていた美洋も「えー、ほんとなの、カズ?」と嬉しそうに声を高める。

姉のしつこい冷やかしに、一英は「もう行くよ」などと誤魔化しながら食器を洗い桶の中に入れ、その場から逃げ出した。

玄関でそそくさと身支度を整える一英に、廊下へと続くドアを後ろ手に閉めた洋子が言う。

「あんたも無理してくれたんだよね、ありがとう」

「なに、母さん、急に」

「工場継いでくれなんて無茶言ったこと、許してね。
入院中に父さんの気持ちを何度も聞いたけど、やっぱり工場なくす気持ちは固いみたいだわ。
工場のみんなには、週明けに話すって」

「……そう」

 母に曖昧な笑みを返し、一英は玄関を出ると引き戸を静かに閉める。

そして思い切るようにふうと息したあと、鉄階段を下りていった。

 駐車場へと降り立ち半分だけ開いたシャッターの中に目をやると、一昨日下着を巻き込んだはずの旋盤は、昨日も点検を経て異常なく稼働し、今日もまた素知らぬ顔で父の点検を受けていた。

父から異常なしと判断された旋盤に一英がほっとしていると、ミニバンへと荷物を積んでいた裕貴が「あのさァ」と声をかけてきた。

「公彦おじさんがハワイに渡ったの、二〇〇四年なんだって。
知ってた?」

「知るかよ、ハワイにいたことも知らなかったのに。
二〇〇四年っつったら、俺が横浜に引っ越した年だ」

「そう、その年。
おじさん、それまでは船橋にいたんだけど、
兄ちゃんがこの街出たって聞いて、いてもたってもいられなかったって。
誰にも言わずにハワイに逃げたんだって言ってた。
本当はやっぱ失踪してたんだって」

「逃げた……ってどういうことだよ」

 裕貴は公彦を空港へと送りに行く車中で、その話を聞いたという。

「俺も自責連鎖の一部だったからさ」

 その頃を振り返った当の公彦は自らそう切り出し、自分が連鎖の一部であることをやめれば、きっと次につながる誰かもそれをやめられるに違いない、絵描きになってみて初めてそう思えたのだ、と笑った。

「一連のつながりはどこかが欠ければ、自ずと崩壊する。
いずれはな」

 それを聞き、一英は黙り込んだ。

兄の深刻そうな顔を見て、裕貴がところでとにやける。

「おじさんの連絡先、
家族みんなが知らなかったのに、なんで俺だけが知ってたか知りたい?」

 一英が生返事で応えると、裕貴は何年か前にジャスティーが教えてくれたのだと言った。

あの不審者はそんなことまで調べられるのかと、一英が不気味さに呆れる。

 笑った裕貴が携帯を取り出し、

「おじさん、嘘なんかついてないよ。
ほんとに今でもハワイに住んでるし、ほんとにセクシーな彼女いる」

と言って、画面を一英に差し出した。

 そこに映された公彦と、その隣にいる強烈セクシーなポーズのハワイアン美人を見て、一英が思わず荒い鼻息を上げる。

「だから、兄ちゃんを怒鳴ったことも、
本当に覚えてないんじゃないかな。
気を遣ってなんかいないと思うよ」

 裕貴の言葉に苦笑いした一英は、「覚えてないならそのほうがいいや」と画面を閉じる。

携帯を返された裕貴は不思議そうな顔をしていたが、兄の発言を掘り下げることもなく、今日の配達先を書き出したメモを渡してきた。

「これ住所、全部書いたけど」

「サンキュー」

 納品箱はどれも小さく、きちんと荷台に納まってはいるものの、かなりの数があった。

あの箱の山を見れば、メモを開く前から相当件数が書かれているのが予測できる。

一英は受け取った紙切れを開いた。

 裕貴が腕時計に目を落としてから、辺りの街並みを見渡す。

「なんかねぇ、ジャスティーに連絡取れないんだ。
返信来るまで、まだ行かなくていいよ」

 何も知らぬ裕貴は困ったように言うが、一昨日あれだけ怒鳴りあったのだから返信など来るわけがないと、一英は開きっぱなしのハッチを覗き込みながら秘かに思う。

出ていけとまで言った手前、今日ばかりは配達先の詳細な住所がないと無理だろうと思い、裕貴に書かせたのだ。

 工場に戻りかけた裕貴が、その足を止めて一英の後ろ姿を振り返る。

 珍しく真顔な裕貴は、納品箱を確認している兄に声をかけようとして一瞬ためらい、今一度工場へ戻ろうとする。

が、やはり振り返り、結局は声をかけた。

「ねぇ兄ちゃん」

「うん?」

「俺、本気で言うんだけどさ。
やっぱり帰ってきて、工場継いでよ」

「またその話かよ。俺は――」

「父さんあんな風に言ってるけど、
心底工場をたたみたいとは思ってないはずだよ」

 いつもの軽い調子でねだっているだけだと思っていた一英は、その真剣な声色に、張り付いていた荷台から身を起こす。

「俺には無理だって」

 改めて真面目にそう答えるが、裕貴は説得するのは今しかないとでも思っているのか、ずいと歩み寄ってくる。

だが反対に、その声は静かにトーンを落とした。

「急に無職になって路頭に迷うことの不安、解るんでしょ? 
兄ちゃんはすぐに彼女が紹介してくれたからいいかもしれない、
でもここの職人たちどうなる? 
俺、みんなを助けてやりたいけど、父さん、俺じゃダメなんだってよ。
兄ちゃんが継いでくれるなら、俺は兄ちゃんのこと全力でサポートする」

「……」

 答えに詰まる一英を見て、裕貴は工場の中を気にするようになお声を潜めて、顔を近づける。

「……父さん、前に言ってたんだ。
堀田を警察に届けなかったこと、本当にあれでよかったのかって。
兄ちゃんやおじさんのこと考えると、
二人を犠牲にしたこと今でも後悔するって。
本当は父さんだって堀田をぎゃふんと言わせたかったんだよ」

「父さんが堀田を?」

 にわかには信じられないといった目で見つめた一英に、裕貴ははっきりと頷く。

 一英は今まで、堀田の罪を知っても父が警察に届けなかった理由は、長年の付き合いがある堀田をかばったためだと思っていた。

それは一英にとって、堀田のしたことよりも自分と公彦のしたことのほうが咎められるべきことなのだと、父から通告されたようなものだった。

 だが今になって、幼い頃、本人からは聞かされなかった父の本当の想いが、弟の口から流れ出る。

「堀田が捕まれば、その噂がもとで堀田金属は潰れる。
堀田金属で真面目に働いてる職人たちのこと考えると、それはできなかったって。
自分のところで全員面倒見れるほどでもなかったし、
バブルも弾けたあとで、どこも大変だったんだって」

 父が守ろうとしたのは堀田との付き合いではなく、その下にいる弱き立場の者たちだった。

そう言われ、一英はまたも悲しい誤解をしていた自分を知る。

だがそれが本当の理由なら、すべてが腑に落ちるようだった。

確かにそのほうが、同業者からも慕われる父らしいのだろう。

 予告のない失職で、罪もない者が路頭に迷う。

その憤りと不安は、突然の倒産で自分が無職になってみて初めて、味わうものだった。

そんな非情なこと、父なら許さないだろう。

そしてきっと、あのおじならそれに賛同する。

「……そうだったんだ。
知らなかった」

 父は、大人の事情など子供は知らなくていいという理由で話さなかったらしいが、それでも今の今まで気づきもしなかったなんて、やはり俺は子供で馬鹿だったんだなと、一英が思う。

裕貴が、それも含めて父さんらしいよねと、少し笑った。

「なのに今、
このリーマンショックで大変な時に、突然工場閉じようとしてるんだ。
どう思う?」

 裕貴に覗きこまれ、しばし考えた一英は、唯一胸に浮かんだ理由を口にする。

「昔できなかった選択を……、
今しようとしてる……とか」

 すると裕貴が確信を強めたように、やっぱりそうだよねと何度も頷く。

だがその表情は曇ったまま、溜め息した。

「でも、ほんとにそれでいいのかな」

 父が今、選ぼうとしているのは、他人より家族を守るという選択だった。

 それがどんな結果をもたらすのか。

 想像しかけて、それ以上、一英は考えるのをやめた。

俺には解んねぇよと肩をすくめ、大人しくハッチに手をかける。

「俺にできるのは配達だけだから。
とりあえず行ってくる」

 ハッチをバンと閉めた一英は、ジャスティーがいないままのミニバンに乗り込み、出発していった。



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