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葛飾、最後のピース 作者:ぐろわ姉妹

一英編(時:2010年)

34/75

第34話 空回り彼氏

「なんかこわい……
カズくんじゃないみたい」

 走るミニバンの中で、瑠奈はひどく非難めいた視線を一英に送ってきた。

ジャスティーに対して自然と放っていた乱暴な口調だが、そんなもの今まで瑠奈に見せたことなどなかったし、見せるほどの状況に陥ったこともなかった。

 しまったなと思う一英は内心焦りながらも眼鏡を押し上げ、あいつとはケンカ友達なんだと誤魔化し、驚かせてしまったことを詫びる。

だが瑠奈は気分を害したように溜め息しただけで、つまらなそうに背もたれへ身を預けてしまった。

 会話を失ったミニバンは、先ほど行き損ねた今日一件目の配達先へと向かい、平和橋通りを再び北上していく。

ナビがいないことに不安を覚えながらも、一英は間違えないよう慎重に小菅を目指した。

 あまりにもしんとする車内で瑠奈の沈黙にそわつく一英が、一緒に見に行こうと約束していた映画や花火大会の話を振ってみる。

しかし、こちらを向こうともしない妖精からは、素っ気ない生返事しか戻ってこなかった。

 それでも静寂よりはましだと、一英は浮かんだ言葉をどんどん口にする。

「ごめんね、
瑠奈の好きそうなショップとかなくってさぁ。
葛飾って何にもないから、ホントつまんないよね。
どっか遊べるとこでもあれば瑠奈のこと連れてってあげられるんだけど……
あ、でも葛飾の真ん中にはさ、シンフォニーヒルズってホールがあるんだ、
あそこなら結構コンサートとかやってるよ。
今度クラッシックとか聴きに行ってみる?」

「クラッシックなんて眠くなるに決まってるよ~」

「あー、だよねー……
じゃあ、プラネタリウムは? 
郷土と天文の博物館ってところに――」

「それも眠くなるよぉ」

「ハハ、だよね……」

 思わず漏れそうになる溜め息を噛みしめ、一英は乾いた笑いをむなしく響かせた。

と、急に瑠奈が甲高い悲鳴を上げ、その声にうわっと一英も身を跳ね上げる。

「カズくん、
その手どうしたの!」

 瑠奈がシフトレバーに置かれていた一英の手を恐る恐る指し、一英がどうもしていないはずだがと、広げた手を何度も引っくり返して確かめる。

すると瑠奈の指は、あちこちについた黒い汚れを追いかけてきた。

「あぁ、これか……」

 それは連日納品箱を運んでいる間に染みついた機械油であり、風呂に入ったくらいでは簡単に落ちない汚れだった。

実家について正直に伝えるのはまだ先にしたいと願う一英は、なんとか『工場』という要素から遠ざかれないかとたどたどしく口ごもる。

「これはその……
そう、車! 
さっきこの車のボンネット開けて、中いじってたから。
これエンジンオイルなんだよ。
ちゃんと洗ってきたんだけどな」

 爪の間に入り込んだ黒ずみを見て身震いした瑠奈が、いもむしでも踏んづけたような顔をして一英を見つめる。

「ちゃんと落ちるの?」

「うん、そのうち」

「ならいいけど。
今日はカズくんと手つなぐのイヤ」

「うん。……ごめん」

 車の中を改めて瑠奈が見渡し始め、一英は運転中だというのに更に落ち着きを失う。

 機械油で汚れた床や、三列目のシートを取っ払って設置されている棚や、そこに整然と置かれている工具箱の類は、素人が見ても職人仕様の作業車であることが明白だった。

間違ってもアパレル関連とは思わないだろう。

 はらはらしながら瑠奈を見ると、納品箱にまでその視線が注がれていて、一英はどうか彼女が箱の側面に書かれている実家の屋号に気づきませんようにと祈る。

「ねぇ瑠奈! 
配達終わったらどこ行こうか? 
また赤レンガで食事する?」

 なんとか注意をそらそうと話題を変えてみるが、努力もむなしく、瑠奈の口からはとうとう核心をつく質問が飛び出した。

「……カズくんの実家って、
なんのお仕事なの?」

 瑠奈の大きな目は強く輝き、一英が答えることを疑わずに覗き込んでくる。

隠し通してきたことを告白するには最悪のタイミングだと、一英は唇を噛んだ。

 それにしても、今日の瑠奈はなにかがおかしい。

 地元嫌いを容認していて、今までその事については触れないでくれていたのに、なぜか今日に限って繊細な一線を越えてくる。

新小岩にまで突然やってきたのも、これまでの瑠奈からすればおかしなことだった。

 しかし、考えてみれば無理もないことなのかもしれない。

普通なら、素性の知れない男と結婚するなんて有り得ない話だろう。

普段、気にしないよと言ってくれていた瑠奈の態度に、自分のほうが甘えていたのだ。

(瑠奈だって、結婚する前にそろそろ教えて欲しいよな。
その上無職なのもバレたし、不安になって当然だ……)

 道路標識を確認するふりをして相槌だけを返した一英に、ねぇと瑠奈はもう一度強めの声をかけた。

 今ここで答えをはぐらかせば、きっと瑠奈は怒るのだろう。

過去に付き合っていた恋人が似た質問をしてきたが、その時の彼女と同じように、私の事、愛してないのと言って泣くかもしれない。

そしてはっきり答えるまで問い詰めてくるに違いなかった。

 一英はそんな事態を避けるため、仕方なく一応の答えを出す。

「うちは……
……町工場、かな。
金属プレスの」

 きっと瑠奈は町工場なんて嫌いだろうが、どうせ継がないのだしこの先も横浜に住むのだから、二人にとっては関係のないことだ。

だから正直、ここまでは言ってもいい。

ただこのまま会話が深まって工場に入れないことを知られれば、どうして入れないのとか、どうして地元が嫌いなのという質問が飛び出すだろう。

一英はそれが恐ろしかった。

 公彦の事故を瑠奈に語ったとして、それを聞いた彼女が今までと同じように接してくれる確証はない。

誰だって、自分の婚約者が馬鹿なことをするような男だとは知りたくないはずだ。

 そっと瑠奈をうかがえば、いもむしを踏み続けたまま変わらない、それどころか一層ひどくなった表情で車内を見回していた。

再び会話が途切れ、重苦しい空気になる。

 きっと明るい話で笑わせれば、瑠奈の興味も工場から離れるし機嫌も直るはずだ。

そう思った一英は、これ以上何も質問しないでくれよと願いながら、瑠奈の喜びそうな話題を探す。

だがこんな時に限って、気の利いた事は何も思い浮かばなかった。

 焦った視線は辺りの風景に話のタネを探し、看板にあったお花茶屋という地名に目が留まる。

一英は振り絞るようにして笑顔を作り、瑠奈に爽やかな声をかけた。

「そうそう! 
昔この辺は、将軍吉宗公の猟場だったんだって! 
柴又とか亀有にはキツネがたくさんいてさ、昔話なんかもたくさんあるの」

「昔話って言えば、
高砂っていうところにけなし池ってのがあってね、
落ちても怪我しないから怪我なし池で、けなし池、
なんつってさ、ダジャレかっつの。ハハ」

「あー、あとあれだ、
新宿にいじゅくってとこにガチで龍神が現れたことがあんだって、
これはそんな昔の話じゃないよ、
三、四十年前くらい。
結構、龍神見た人いたみたいよ。
すごくない? 
なかなかファンタジーでしょ、葛飾って」

 なんとか瑠奈を楽しませようとあれこれ話し続ける一英だったが、それは悲しいほどなんの効果も現さなかった。

普段から気分屋のところがある瑠奈のつまらなそうな顔には慣れていたし、その扱いにも慣れているはずなのだが、なぜか今日は上手くいかない。

「あっ、そうだ! 水元公園行く? 
かなりの大自然で和むよ、
カピバラ……
…………みたいな、
でっかいネズミがいるし」

 生返事すら返ってこなくなった車内には、一英の声だけが虚しく流れていた。

最後には、カピバラと口にしながら瑠奈の氷のような無表情を目にしてしまった一英は、そこから押し黙り口を開かなくなる。

 気づけばジャスティーから聞かされていた葛飾ネタばかりを紹介していた自分に苛立ち、瑠奈を笑わせられないことにも焦りが増していた。

 再び赤信号に引っかかり、とうとう瑠奈が携帯を開いてしまう。

それを見た一英がハンドルをイライラと指で叩く音と、瑠奈の長い爪が素早くキーを打つ音が、静かな車内で不協和音を奏でる。

「なんかもう帰りたぁい」

 つまらなそうに大きな溜め息をついた瑠奈が、そのファッションがとにかく気に入らないのよねとでも言うように、一英の作業着姿をなじるように見つめる。

 すると彼女の手の中で、開きっぱなしになっていた携帯が鳴った。

物凄い速さで通話ボタンを押した瑠奈が、電話口の友人に向かって歓声を上げる。

「きゃ~、何してんのぉ? 
ほんと? いいな~。
うんそうそう、いま葛飾区! 
それが来てみたら、新小岩って超くさぁいのぉ! 
あはっ、下北? 
全然ぽくないよぉ! 
え~なんかさぁ、駅前に普通にホームレスいたりするし、
高い声で叫びながら走ってる人いるし、
変なおじさんがわざとぶつかってきてなのにこっちが怒られるし、
超コワイことばっかり。
建物もみんなダサ古い感じで、戦後みたいだよぉ?」

 遠慮なく溢れかえった瑠奈の苦情に、一英は脱力した頭を運転席の窓にもたれた。

小さく抑えた溜め息をし、「だから言ったでしょ、治安良くないって」と口の中で呟く。

 やけに長く思える信号待ちで、一英は眼鏡のフレームがずれるほどガラスにこめかみをくっつけたまま、窓の外なんかに目をそらす。

とりあえずは瑠奈の興味が工場から遠のいただけで、ホッとしていた。

「カズくんいなかったら無理だって~。
だってさぁ、カズくんの車の中にも変な人いたんだよ~? 
なんか超おっきいサングラスしてて、男なのにスカート履いてんの! 
そう、もーキモいし意味わかんなぁい! 
あ~ないよね、そういうのは、ジャスコもないもん。
来たらほんとビックリする!」

 携帯を耳に当てる瑠奈の笑い声を聞いているうち、湧いてきた苛立ちを隠すように一英は口元を撫でた。

眉間のしわが深く刻まれていくのが、鏡を見なくても解る。

 真実、瑠奈の言う通りなのだ。

 変なスカート男が意味不明に同乗してるわ、ろくなデパートもないわ、洒落た建物もなけりゃ、やばい奴ばっか横行してて、超くさい。

それが葛飾新小岩。

 自分でも散々言い散らかしているような内容なのに、それが改めて瑠奈の口から出た途端、本当にどうしようもない街なのだということを確認させられる。

矢継ぎ早に瑠奈に紹介した葛飾ネタの中にさえ、新小岩の話は一つも入っていないのだ。

そう言えば、ジャスティーから聞かされた覚えもない。

 報道番組で葛飾の名が出るときはだいたい、強盗や殺人、暴行といったテロップがセットで躍っているが、新小岩に至っては、電車に身投げという人身事故が定番だ。

以前、動画サイトで何の気なしに『新小岩』と検索してみて、そのあんまりな検索結果に萎えたことが思い出された。

 人に自慢できるような特色が一つもないなんて、どうしようもないにも程がある。

 新小岩の救いようのなさに、言いようのない嫌気がこみ上げてきたことを一英はむかつく胸中で認めていた。

故郷を誇りに思ったことなど一度もないと、思わず腐った溜め息が漏れる。

「ねぇカズくん、
はやく配達終わらせて横浜戻ろうよ~。
あっやだ、スカート汚れてる~!」

 瑠奈のクレームに頷き、一英は眼鏡を正すと青信号を滑り出していった。



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