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葛飾、最後のピース 作者:ぐろわ姉妹

一英編(時:2010年)

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第33話 不意打ち彼女

 八月も二十日を迎え、井梶プレスには静かな朝が明けていた。

 玄関から出た美洋が階下の駐車場を見下ろすと、一英と裕貴がミニバンに積荷しているところだった。

控えめな足音で下りてきた美洋を一英が見上げる。

美洋は、裕貴が工場から抱えて出てきた納品箱に寂しげな目を向けた。

「とうとう最後の配達ね……」

 美洋の視線につられるように、一英と裕貴も工場の中に目をやる。

 父が自分の退院まで新しい注文は受けるなと言い、その通りにした工場は昨日で生産するものを失った。

従業員も今日は平日だが全員臨時休暇となり、数ある機械たちも静寂を保っている。

 今ミニバンに積んだ製品を運ぶべき場所に運んだら、工場はとりあえず一時休業という形をとる。

その後、本当に工場がたたまれるかどうかは明日退院してくる父の言動にゆだねられていたが、目の前の光景には言いえぬ終焉が感じられた。

 高く積まれていた資材がなくなったせいで工場の中はやけにがらんとして、裕貴が在庫チェックなんかすぐに終わっちゃいそうだねと苦笑する。

一英に工場のことなど気にするなと言っていた美洋が、一番心配そうな顔で溜め息をついた。

「今日はうちら二人で在庫チェックして、
それ終わったら父さんとこに洗濯物とか取りに行ってくるわ。

二人で出かけるけど夕飯は買って帰るから、カズも今日はまっすぐ帰っておいでよ」

 静かに頷いた一英は眼鏡を押し上げてミニバンに乗り込み、井梶プレスの憂いなど関係なく照りつける朝日の中、走り出していく。

 工場がバックミラーに映らなくなりしばらく行くと、先日美洋が坂道発進に失敗していた信号でミニバンはストップした。

信号待ちの助手席がノックもなく開けられ、ジャスティーが乗り込んでくる。

 一英がちらりと見ると、ジャスティーは顔が半分以上隠れてしまうような、トンボにしか見えない野暮ったいサングラスをかけ、頭には帽子ではなく、一見して解る真っ白なメロンの保護ネットを乗っけていた。

当然メロンサイズでは小さすぎるからだろう、ネットはご丁寧にも飾り紐の編み込みで繋ぎ合わされ、ジャストフィットに仕立てられている。

「面接どうでした?」

 文字通り開口一番そう言ったジャスティーに、一英は素っ気なく「上手くいったよ」とだけ返す。

もはや、予想外の場所でいきなり乗車されることも、その人物がツッコミ甲斐のある出で立ちであることも、いちいち食いつくべきことではなくなっていた。

「そういえば昨夜、公彦さんが来たとか。
ヒーローさんが思っていた以上にお元気だったそうですね」

 どうせ裕貴に聞いたのだろうと思いつつ、アクセルを踏んだ一英はまぁねと答える。

「どんなこと話したんですか? 
公彦さんと話すことで、なんかこう、
胸のつかえが取れたとか、目の前が明るくなったとか、
そういうのなかったんですか? 
失踪以来、長いこと会ってなかったわけでしょう?」

 先日盛の熊さんで公彦のことをべらべらと喋ってしまったのは自分だが、それを聞いてなさそうでしっかり覚えていて、裕貴に近況チェックまでしただろうあたりに、ジャスティーのハイレベルなストーカー気質がうかがえる。

不気味さなどとうに通り越し、一英は呆れた溜め息混じりに口角を下げた。

「失踪以来、
おじがどこで何してたのかは解ったよ。
でもそれも含めて、おじの言ってたことは全部嘘かもしれないから」

「嘘……?」

「昨日のおじは異常に幸せそうで、
事故のことも完全に吹っ切れてた。
おじは優しい人だから、
頼まれればそれくらいの演技も俺のためだと思ってしてくれるんじゃないかな。
それをさせてるのが自分だと思うと、ますます自分が嫌いになるけど」

 一英が自らを見下して笑うと、ジャスティーはそうですかと寂しげに呟いたきり、ぱったりと喋らなくなった。

無言のまま十分ほど経っても、シートの上で体育座りをしたまま膝に頬杖を突き、窓の外を物憂げな表情で眺めている。

それでも、右、左、と味気ないナビだけはする様子がやたらと気持ち悪く、不審に思う一英は右左折やミラー確認の合間に、チラチラとその横顔を見てしまっていた。

 抜け殻のようにずっと微動だにしなかったジャスティーが、窓の外を眺めたまま口を開く。

「なんですか、さっきから。
トイレですか?」

「いや別に……
なんか静かだなと思って」

「最後の配達ですから。
感慨深くなってるだけです」

 しみじみした言葉とは裏腹に、ジャスティーからはピリピリした気配が感じられた。

頬杖も外さず眉根を寄せているその横顔を、またちらりと見てしまった一英は、永原が横浜で撮ったという写真を思い出し、またしてもあれに雰囲気が似ていると気づく。

 ふと、永原の言った、「二人には互いにしか解らない何かがある」という言葉が蘇った。

 だがジャスティーは再び無言になってしまうし、こっちだってそんなものに心当たりはない。

こいつのことなど解りっこないだろと胸中で呟き、一英は小さくかぶりを振った。

 ◇

 ジャスティーのナビに従いながら踏切を越え四つ木のヨーカドーあたりを走っていると、カーステレオ近くのドリンクホルダーに突っ込んでいた一英の携帯が震えた。

そのバイブ音に驚いたのか、ジャスティーがハッとして振り向く。

鋭く尖った視線が一瞬で狙いを定め、携帯の背面ディスプレイに這った。

 運転中の一英がメールの着信だから次の信号で確認しようと手を伸ばさずにいると、素早く身を起こしたジャスティーが携帯をかすめ取り、我が物顔で新着をチェックし始める。

「てめ、なにやってんだ!」

 片手運転で携帯を取り戻そうとする一英だったが、「前のバス、停まりますよ」というジャスティーの指摘に慌ててハンドルを切る。

「えっと、
『瑠奈』さんからのメールです。
『今秋葉原駅。会いたくて新小岩駅に向かってマース』
だって。
誰です? キャバ嬢?」

 その言葉に、一英は脳内でバラッとカレンダーを浮かばせ、今日が金曜日だったことにどっと冷や汗をかく。

瑠奈が研修から返ってくる金曜にはデートをしようと約束していたのに、すっかり忘れていた。

 昨夜は公彦が来たことで頭がいっぱいになってしまい、瑠奈への電話もメールもしないまま床に就いてしまったことを思い出す。

朝起きて携帯を確認した時にも瑠奈からの着信履歴などなかったから、当然寝る前の電話はしたものだと思い込んでいた。

 だが、瑠奈のほうから連絡を寄越さなかったということは、こちらからの連絡をずっと待っていたということであり、今はきっとそれなりに御立腹だということだ。

 動揺した一英は、「彼女だ、返せ!」と叫ぶと、ミニバンをふらつかせながらもジャスティーの手から携帯をもぎ取った。

 デートはいつも通り横浜でするものと思っていたから、突然こっちに来ると言われても困る。

だいたい帰ってくるのは夜だと言っていたはずなのに、どうしてこんな朝早くにこっちに来られるのだろう。

 瑠奈の怒りをどういなそうかと刹那に怒涛の考えを巡らせていた一英は、そこまで考えて根本的な怪奇に気づく。

「ってか、ちょっと待てよ、
なんで新小岩って知ってんだ!?」

 とにかく急いで路肩に停車した一英は、「配達遅れますよ」と言うジャスティーを無視し、だかだかとキーを連打し始める。

何がどうなっているのか訳が分からないが、とりあえず「いま実家の仕事手伝い中なんだ、それ終えてから横浜でデートしよう」と速打ちして瑠奈を誘う。

だが瑠奈は送信後二秒で、「やだ。そろそろ着くもん。新小岩でデートする」と言い張るメールを返してきた。

「どうしよう、やばい!」

 焦りを色濃く顔に出す一英の手元を覗き込み、ジャスティーはサングラスに隠れた冷めた目で、瑠奈の寄越した文面をなぞる。

「そんなに葛飾デートがいいなら、駅で拾って、
配達に一緒に連れてけばいいじゃないですか」

「無茶言うな! 
瑠奈には実家が町工場だってことは言ってないし、
こんな格好でこんな車で配達してるなんてことも言ってないんだよ!」

「問題あるんですかァ?」

「だって、
こんな格好……」

 一英は着ている作業着の胸元を握りしめ、眼鏡の奥を戸惑いに泳がせる。

こんな下町全開な作業着で瑠奈に会うなど、考えるだけで有り得なかった。

 だがジャスティーは容赦なく、当然の問題を突きつけてくる。

「それじゃなんて言って断るつもりですか? 
そこまで来てんだから、
ここで断ったらどうしたってケンカになると思いますけど?」

 ハザードランプがカチカチと打つ中、しばし悩んだ一英は意を決し、「わかった。南口で待ってるから」と返信する。

携帯をジーンズのポケットにしまいこみアクセルを踏んでUターンすると、ジャスティーは「彼女思いですね」と冷やかし、ヒューヒューと奇声を上げた。

 混雑している平和橋通りを南下し、新小岩へと戻る景色の遅さにイライラしながら、一英は腕時計を見る。

数台分進んではまたすぐに止まる車列に、ジャスティーは

「この時間って混むんですよね~」

と、隣でにたにたしていた。

一英は癇に障るにたり顔を完全無視し、やっと目の前まで来たというのになかなか上がらない遮断機を睨む。

 踏切を越えたあと鬼のようにすっ飛ばしたミニバンが新小岩駅南口のロータリーに着くと、ちょうど瑠奈が改札を出てくるところだった。

 ナチュラル素材のひらひらレースで飾られた薄いオリーブグリーンのワンピースに、生成り色をしたレース編みの長いストール、小ぶりな籠バッグと、ルーズにまとめ上げた柔らかそうなロングヘア。

瑠奈はぱっちりした夢見がちな目と、しとやかに閉じられた小さい口が印象的な、森の妖精であった。

「あーあー、思った通り、
大変なことになってるよ……」

 ワンピースと色を合わせたレース付きの日傘を開く森の妖精は、なんとも周囲から浮きすぎていてひどく注目を浴びていた。

 一英はいつも通りに可愛らしいだけの瑠奈が、新小岩という下品な風景のせいでジャスティーとはまた違った角度で浮きまくりとなっていることを不憫に思い、すぐさま合図のクラクションを軽く鳴らす。

こちらを見た彼女に手を上げて、ミニバンを降りる。

「瑠奈、ごめん、なんの連絡もできなくて! 
ここんとこちょっと色々あって……
怒ってるよね?」

「怒ってないよぉ?」

 こちらに後ろめたさがあるせいか、ただにっこり笑って小首を傾げた姿が、その言葉を逆の意味に捉えさせる。

一英は落ち着きのない様子で笑いながら、まさか瑠奈が来るなんて思ってなかったからさ、と鼻のあたりをかいた。

 そして、努めて何気なさを装い、

「帰ってくるの今日の夜じゃなかったっけ? 
ってか、なんで俺の地元知ってんの?」

と聞いてみる。

すると瑠奈は、「朔田さんが教えてくれたの」と言って、またにこっと笑った。

 なんで朔田さんが俺の地元知ってんの、という言葉が喉まで出かかるが、瑠奈に聞くのはやぶ蛇になる予感がして、ぐっと飲み込む。

 瑠奈は、一英が連絡してくれないため寂しくなり、どうしても会いたくて研修なんか仮病で早退してきたのだと、悪びれもなく肩をすくめた。

そして、今日は一英の地元である新小岩を見学したいなどと言い出す。

 慌てまくる一英のたどたどしい様子と、しれっとした顔で新小岩に偵察しにきた瑠奈を、そうなるよう仕組んだジャスティーが車中から冷ややかに眺めていた。

「ところでカズくん、
どうしたのそのカッコ」

 そう言った瑠奈が嫌そうに顔をしかめ、ハッと己の身なりを思い出した一英は、恐れていた指摘が恐れていた速度でやってきたことに深呼吸する。

「……これ、実家の作業着。
今、配達中だからさ」

「配達?」

 と、ミニバンから短いクラクションが鳴り、振り向いた一英に窓越しのジャスティーが自らの手首を指さして見せた。

それは、つけてこそいないが、腕時計を示す仕草であった。

 とりあえず来てと足早に瑠奈を連れた一英は、ミニバンの助手席を開け、ジャスティーを後部座席に追い払って彼女を座らせる。

そして、「てめぇ、余計な事すんじゃねぇぞ」という念のこもった視線をジャスティーに送り、自分もそそくさと運転席に乗り込んだ。

 シートベルトをかけながら、一英は申し訳なさそうな表情で瑠奈を覗き込む。

「本当に悪いんだけど、
配達、付き合ってくれるかな。
これ終わったらどっか行こう、ね?」

「実家の手伝いって……
これなの……?」

 ほわっとした甘い香りの漂う瑠奈は、表情を固くしながら油臭い車内を見回す。

そして、鼻にかかる猫声でのたもうた。

「配達の途中に、
洒落たカフェとか可愛い雑貨屋さん……ある?」

 新小岩においては禁句に近いその分野を指定してくるとはさすが横浜育ちだと、一英は心の中で背骨の折れそうなほどにのけ反っておののいた。

 冷や汗を滲ませながら瞬時に脳内のメモリをフル検索するが、学生時代お世話になった非チェーン店のつけ麺屋や、小学生の時によく使った、自転車で行くくせにまたそこで自転車を借りて遊ぶという、奥戸の交通公園くらいしか思い浮かばない。

 言葉に詰まった一英が「困った」を顔中から溢れさせていると、後部座席に追いやられたジャスティーが、

「コーヒーラーメン出す喫茶店とか、
ドンキ以上にカオスな金物屋ならありますけど?」

と口を挟んできた。

前の座席から振り向いた二人に、ジャスティーはでかいサングラス越しの笑顔を、にっと返す。

 瑠奈が目だけをじとっと一英に向け、何も呑み込めていないと訴えるようにささめく。

「……さっきから気になってるんだけど、
この人、なに? 
なんでスカート履いてるの……?」

 改めて見てみると、ジャスティーはメロンネットとトンボサングラスだけでなく、でれっとしたグレーのノースリーブパーカから細い二の腕を晒し、下半身にはたで模様が刻まれた薄紅色の江戸小紋スカート、その足元には紫色の造花を鼻緒にデコった草履を履くという、実に気色悪い出で立ちだった。

 不気味なものを警戒する目つきでジャスティーを見る瑠奈に、一英が今更ながら慌てる。

毛浅いとはいえスネ毛も露わなスカート男が、後部座席の中央で納品箱に囲まれて座っているのだ。

不気味に決まっている。

こんなやつに慣れているこちらが悪いのだから、弁明のしようもなかった。

「そうだよね! 変だよね! 
変なんだこの人!」

 と一英は素早く車外に出て、後部座席のドアを開ける。

そして無理やりジャスティーを引きずり出すと、その頭からメロンネットを奪い取り、胸元へと乱暴に投げ返した。

「着替えてこい、
まともな服に、
スカート以外の」

 突然の通告に驚きと不服が混ざった声をジャスティーが上げるが、一英はその口が文句を言う前に人差し指を突きつける。

「俺は先に出発するから、いつもみたいに途中で合流してこい。
あんたいないと迷うんだから早くしろよ。
いいな」

「着替えに帰ってから、
どこ走ってるかも解らない車に途中合流しろと? 
ひどい! 無茶ブリです!」

「あんたならできるだろ。
怪しい能力あるんだから」

 そう吐き捨てると、一英はジャスティーを置いて車に戻り、アクセルを踏み込む。

置き去りにされたジャスティーはバックミラーの中で小さくなりながら、手足を振り回して不平不満を叫んでいるようだった。

 駅前のロータリーをミニバンは躊躇なく抜け出ていく。

 それを一人、身勝手だなんだと文句たらたらに見送っていたジャスティーだが、車の影が見えなくなると不満げだった表情をするりと変え、ネット帽の網目に指を引っかけて回しながら得意顔でにやりとした。



補足
本日のジャスティー服にはこんなゲンが担がれてます。

・メロンネット(網)…福を「からめとる」「すくいとる」
・トンボ…勝ち虫
たで…変な虫がつかないように
・紫の花(茄子の花)…ことを成す

っていう、説明ししなきゃ気づいてもらえないだろうゲンが。
江戸小紋でよく使われる縁起物ばかりです。
+注意+
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