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葛飾、最後のピース 作者:ぐろわ姉妹

一英編(時:2010年)

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第30話 ルーツ

 翌朝、一英が目くらましのごとき日光に眉を寄せ、工場の前に積まれた納品箱を確認しながらミニバンに積んでいると、今日もまた来ないかもしれないと思っていたジャスティーがやって来て、キラッとした笑みでボンネットの前に立ちはだかった。

「おはようございます!」

 見れば今日の出で立ちはインディアンの羽根つき帽、それも結構本格的なウォーボンネットを被っていて、小柄な体とのアンバランスが物凄い勢いでジャミロクワイを彷彿とさせていた。

鮮やかなターコイズに染められた羽根と真っ赤な房が目に痛い。

 永原の話から、昨日は横浜にいたことは知っている。

だが写真に写っていた浮かない表情を思い出すと、その事は何も聞かないほうが無難に思えた。

かと言ってインディアンの話も振りたくはない。

 無表情に一瞥しただけで荷積みを続ける一英に、ジャスティーがアワワワワと口先を叩きながら奇声を発して寄ってくる。

「昨日はどうでした?」

「どうって?」

「『僕がいなくて寂しかったですか作戦』だったんですけど」

「別に。
なんの支障もなく配達終えたけど?」

「あ、ごめんなさい、
通りがかったダンプの音がうるさくてなんて言ったのかちょっと」

 すっとぼけたジャスティーはダンプカーなど横切りもしないのに耳に手を添え、どこかへ消えたらしい一英の声を探してみせる。

呆れた一英が顔を大袈裟にしかめて運転席に座ると、ジャスティーは今日も当然のように助手席に乗り込んできた。

「出発進行ー!」

 ジャスティーが張り切って前方を指差し、エンジンを唸らせたミニバンが走り出していく。

 車内でのウォーボンネットは暑苦しく邪魔以外の何物でもなかったが、ジャスティーは一英のほうまで届きそうな羽根を揺らしながら、ご機嫌に鼻歌なんかを歌っている。

 氷河を思わせるフロスティーブルーのポロシャツは、カウボーイジャケットか往年スターの袖についているようなシャラシャラのフリンジが胸辺りにあしらわれ、ウォッシュデニムの色合いを真似た江戸小紋のスカートに至っては、ティナ・ターナーレベルのそれが全体を覆っている。

 そこまではインディアン縛りのファッションなのだろうと納得はできても、足元が瓶覗色の江戸小紋鼻緒な草履なので、単なる青緑系寒色縛りかよと一英は静かに胸中で突っ込む。

 配達の途中にはまってしまった渋滞では、横浜のことを避けていた話題は葛飾レンジャーに及んでいた。

観測史上一位の猛暑と囁かれ始めた気温のせいなのか、スピードの上がらない車内はクーラーの効きが悪く、ジャスティーは持参のうちわで自分と一英を交互に煽ぎ、楽しそうに笑う。

「だからあなたがブラックレンジャーで、
僕がグリーンレンジャーです」

「はぁ? なんでブラック? なんでグリーン? 
お凛さんが四つ木担当でレッド、
恵ちゃんが高砂でピンク、
絵梨香が金町でゴールドなんだろ? 
イエローとブルーどこいった。
定番いねぇじゃねぇか」

「います。
ブルーは亀有担当両津さん。
イエローは柴又担当寅さんです」

 一英がいい具合に色合わせてきやがってという意味を込めてケッと言うと、ジャスティーは得意げにピースサインを突き出し、青戸在住である大将が青戸担当のシルバーレンジャーで、ムハンマドは水元担当のホワイトレンジャーなのだと続けた。

いきなり色合わせが雑になったなと、牛歩運転していた一英が口をへの字にする。

「ムハンマドがホワイトって乱暴すぎるだろ、
白髪でも色白でもねえし。
あんたそんな得意そうに言ってるけど、
あの店の常連ってあと何人もいないだろ。
他の地域、人足りてないんですけど」

「大丈夫です、よく聞いてください。
まず立石はスカイブルーレンジャーの翼くんがいるので担当要らず。
宝町はお宝が眠ってる町なので結界が張られていて、これまた担当要らず。
お花茶屋はお花の霊魂が守ってるので、ここも担当要らず。
堀切はパワースポットなんで以下略。
新宿は龍が守って以下略。
小菅はみんなご存知、法が守ってます。
細田と鎌倉は比較的平和なんで、ブラウンレンジャーがの永原さんが一人で担当してます。
で、白鳥は、ホワイトスワン(76)が担当してます」

 その適当過ぎる割り振りに一英が呆れて笑う。

ブラウンこそムハンマドに当ててやれとか、ホワイトに至っては二人出てきてるし年齢的にも喜寿目前のほうは引退させてやれとか、なんの実りもないことばかりを口にする。

 ジャスティーとの無駄な会話は、横浜で撮られた写真を思い出す隙など与えないような気がして、このまま非生産的なことだけを話していたいと思えた。

 今日も五件ほどしかなかったが、ナビのいる順調な配達は、十四時を過ぎた頃には早くも最後の納品を終えていた。

ゆっくりと走る車窓に、親水公園で水遊びに興じる子供の大群が騒いでいる。

 それを眩しそうに眺めたジャスティーは、葛飾のあちこちにある親水公園は、その場所に田んぼの用水路があった名残なのだと言った。

続けてその指が次の交差点を指す。

「そこの角、左です」

「ここ?」

「近道なんで」

「ふうん」

 新小岩に帰るだけとなったミニバンは、道すがら古めかしい駄菓子屋の前を通りかかる。

甘く見積もっても築六十年は経っているだろうその木造一階建ては、台風でも来たら吹っ飛びそうな昭和な佇まいを惜しげもなく披露していた。

 しょうもないハズレしか出なそうなガチャガチャを軒下に並べ、天井からは色とりどりのゴムまりやプラスチックバット、くじの景品なんかを吊り下げ、子供の目の高さにある陳列棚には雑多な菓子を丸い蓋つきのケースに入れ、雑然かつ整然と並べている。

 子供のころお世話になった光景に猛烈な郷愁を覚えた一英が、店先で冷やされているディスプレイのラムネを見つけ思わずブレーキに足をかける。

その横顔を見てほくそ笑んだジャスティーが女子並みに声を高めた。

「あ、ラムネだぁ! 
飲んでいきません?」

「いいね」

 一英は路肩にミニバンを停め駄菓子屋に駆け寄ると、早速氷水の張られたタライの中からガラス製のラムネ瓶を二本選んで店内に声をかけた。

「すいませーん、
飲んでっていいですかー?」

 張りのある一英の声に顔を出したのは、七十歳ほどのじいさんだった。

老いてもまだ斜に構え、悪ぶった雰囲気の漂うじいさんが低く笑う。

「おう兄ちゃん、地元だな?」

 またも身元がバレたのかと一英がぎょっとする。

じいさんは派手な羽根帽子のインディアンに気づくと更に笑った。

「なんだ、ジャスティーじゃねぇか。

ダチ連れてきやがったか、久々だな」

「うん、おっちゃんこそ、元気だった?」

「どうだかな、そろそろ死ぬんじゃねぇか。
飲んでいくなら二本で二百円」

 しゃがれた声のじいさんがラムネを開栓する間に、一英は百円二枚を渡す。

振り向くと小学生の男子が何人か、ジャスティーの出で立ちに魅了され近寄ってきていた。

 一英はその場にあったベンチに座り、ジャスティーは脱いだウォーボンネットを小学生に貸してやる。

順番でインディアンに扮する小学生たちを眺めながら、二人は真夏の暑さを冷えたラムネで飲み干していく。

 ぷはぁと息をついた一英が、くわえタバコで店先のほおずきに水をやっているじいさんを見上げた。

「あの……
なんで地元だって解るんですか?」

 するとじいさんは紫煙に目を細めながら、しゃがれ声でまた笑う。

「古いラムネ瓶を選んで、
なおかつそれをここで飲もうってのは地元っ子よ」

「古い?」

 まだ泡の踊る液体が入った瓶を太陽にかざし、一英が小首を傾げる。

じいさんはヤニで黄色くなった歯を見せつけるように口元を引き上げ、瓶を指した。

「ガラス口の味が解るのは地元に多い。
そんで地元のやつはみんな瓶を返してくれる。
反対に遠いとこのやつぁ駄目だ、
コレクションだかなんだか知らねぇがホイホイ持って帰りやがる。
迷惑な話だぜ」

 言われて初めて気づいた一英が改めてタライを見ると、そこには飲み口が逆ネジ式プラ製の瓶や、全プラの製品が混在していた。

水面に揺れるそれらをじいさんが無骨な指先で弾く。

「こんなプラだの樹脂キャップだのじゃあ、
ガス量が低くてうまいわけねぇんだ。
ラムネはよう、
持ったときに重くて、
栓開けたら中身が溢れて、
口つけたときに冷た~く滑らかで、
くぼみに引っ掛けた玉が落ちたときの音が透き通ってねぇと駄目だ。
だからどんなに古くても、ラムネはこの大正瓶が一番いい」

 汗に湿気った髪をかき上げていたジャスティーがベンチにあぐらして座り、瓶を揺らして中で転がるガラス玉を見つめる。

「でもこの瓶、
十年位前からもう作ってないんだよね?」

「ああ、中国や台湾の工場も無くなっちまってな。
日本はそれより先、二十年か二十五年前には作らなくなってるし。
その大正瓶も、いつかゆっくり消えていくってこった」

 ラムネは店先で飲み干し、瓶は返すのが当然。

そんな些細な習慣ごときで出会ってすぐにお里が知れようとは、考えたこともなかった。

不可抗力に溜め息しながら、それ以外の飲み方を知らなかったことに一英の胸が疼く。

 駄菓子屋の向かいの家では、玄関先で植木鉢の手入れをしているおばちゃんがいた。

駄菓子屋のじいさんが雪駄を引きずりながら話しかけに行くと、おばちゃんは顔を上げ「前にもらった鉢植えあったでしょう?」と強い日差しに眉根を寄せた。

「あれ植え替えようとしたんだけど、
根切りに失敗して枯れちゃってねぇ」

「あぁ、ありゃあ根切りしちゃダメなやつだ。
あれを根切りしたら枯れずにいられるわけねぇよ。
根切りっつうのは、していいやつとダメなやつがあんだ」

「やだよ、そうなのかい」

 そんなやり取りを聞いていたジャスティーの目がわずかに曇る。

 一英が辺りの電柱でうるさく鳴きあっている蝉を見上げていると、ジャスティーはあぐらの中に瓶を握った両手を力なく落とし、ゆっくりと口を開いた。

「僕、痴漢公園でのあなたの勇姿、一生忘れませんから」

 その声に一英が振り向くが、ブレスレットを指先でいじるジャスティーの視線はじっと前を見つめていた。

「僕も一緒に戦えばよかったのにって、よく後悔しました。
僕は見てただけでなんの役にも立たなかったし、出る幕も全然なくて。
あの時、僕だってあの痴漢を撃退したかったんです。
でも、どうすればいいか解んなかった」

 ジャスティーの横顔はアスファルトの照り返しに眉をしかめているだけのようにも見えたが、正面から見れば恐らくは、横浜で撮られた写真の表情と酷似しているに違いなかった。

思わず一英が目をそらす。

「忘れてくれ、
俺にとっては最悪の出来事なんだから」

 ジャスティーがちらりとこちらを見るが、一英にとってあの日あの公園でマサヨを助けたことは、幾ら初恋のそれとは言えほじくり返したくない記憶だった。

思い出すだけで吐き気がしそうなのをこらえ、一英は手中の瓶に目を落とし弄ぶ。

「あの時の俺、調子に乗ってたんだよ。
自分ならできるとか、自分がやらなきゃとか、自信過剰だったんだ。
今考えると危ないだろ、痴漢に攻撃とか。
子供の分際で。
そんなのヒーローでもなんでもない」

 一英が自嘲して鼻で笑うと、ジャスティーは不服そうな声を漏らした。

「なんなんですか、
僕にとっては最高にカッコイイ思い出を汚さないでください」

 どちらもそれ以上は言葉を続けず、沈黙が流れる。

それは普通なら気まずいようなもののはずだが、一歩も歩み寄る気のない時においては、気まずさなど感じるわけがなかった。

互いを気に掛ける素振りもなく、会話は途切れたまま、駄菓子屋の前で走り回る小学生たちの「アワワワワ」という奇声だけが蝉しぐれに重なって場を繋ぐ。

 しばらく無言でラムネを煽っていた二人だったが、ジャスティーがふいにくすっと笑い、脈絡もないことを口にした。

「僕の実家もね、町工場なんです」

「……へぇ」

「塗装屋で。僕も長男」

「じゃ継ぐんだ?」

 相槌程度に聞いた問いに、ジャスティーは答えなかった。

なんとも言えない嫌な間に一英はそちらを見ないようにする。

すると、「本当に戻ってくる気はないんですか?」とジャスティーが言った。

 今度は一英が答えずにいると、

「戻ってくるなら、
あなたと仕事がしたいのに」

という言葉が続く。

下らないと笑いを漏らした一英が、プレス屋と塗装屋でなにすんだよと言えば、色々できそうでしょという応えが返った。

「興味ないな。
俺は継げねぇし」

 そう言って一英はラムネを飲み終え、立ち上がった。

ガラス瓶を名残惜しいような気持ちで瓶ケースに戻しながら、正直言えばもう一本買って帰りたいという衝動を、瓶を返しにはもう来られないんだからと言いくるめて顔を上げる。

「そういや菖蒲園、効いたよ。
あのあとすぐ、面接決まったんだ。
今日これから行く」

 同じく瓶をケースに戻していたジャスティーが言葉に詰まり、目を丸くした。

その動揺をすぐに無視した一英は、口を挟む隙を与えまいと続ける。

「横浜の会社なんだ。
彼女が働いてる会社。
倒産のこと知った彼女がすぐに頼んでくれてさ。
あの会社とは一緒に仕事したこともあるから、
俺のこと覚えてくれてた上司がいたみたいで。
是非おいでよなんて言ってくれてたらしいから、多分受かる。
横浜は平和でいい街だよ。
俺が住むには最適の街」

 そこまで言い切ると一英は駄菓子屋の店主に「ごちそうさまでした」と会釈し、さっさとミニバンに向かう。

呆然と立ち尽くすジャスティーはその背を焦燥感に駆られた目で見つめていた。

 今にも破れそうな軒下テントが頭上ではためく。


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