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葛飾、最後のピース 作者:ぐろわ姉妹

一英編(時:2010年)

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第29話 君にしか解らないこと

 すっかり夜になり、一英は一人で盛の熊さんを訪れていた。

 暖簾をくぐると大将の威勢のいい声が響き、お約束のように外人卓が目に入る。

ムハンマドはいつもと違い、今晩は一人で飲みながらあの地味な遊びに興じていた。

目が合い、アメリカンな笑顔をニカッとお見舞いされる。

 散々道に迷った八つ当たりをしてやろうと思っていたのに、ジャスティーはここにもいなかった。

一英は大将に前もって代金を差し出し、テイクアウトを注文する。

 四人掛けのテーブル席に座っていたいつもの女三人が、こちらに珍しそうな顔を向け、一番手前に座る絵梨香が声をかけてきた。

「井梶くん、今日は一人? 
ジャスティーは?」

 絵梨香は今日もフェミニンなグレーのスーツがよく似合っていて、男だと解ってもまったくそうは見えない。

「いや知らない、
来てないの?」

 あいつのことなんかどうでもいいよと思いながらも一応はそう答え、大将にコーラもらうよと声をかける。

一英は厨房手前のガラス製冷蔵庫を開けコーラを取り出すと、テイクアウトを待つ間、カウンター席に腰をかけた。

 瓶に口をつけた一英の背後から、ふいにムハンマドの声が降る。

「タイショー、
じゃあワタシは今日ハこれデ」

「おう、毎度!」

「ヘイ、カズヒデ、
アレいじっちゃダメよ」

 気安く肩を叩かれた一英が振り向くと、ムハンマドは外人卓の上に広げられたインドの模型を指差していた。

「いじらないよ」

 一英はムハンマドがいてもいなくても同じな外人卓の上を一瞥し、やはり模型は据え置きで帰っているんだなと思いながら、店を出て行くその背を見送る。

 するとムハンマドと入れ替わりに、永原が暖簾をくぐってきた。

相変わらず人生に疲れたその目が、他の全員を素通りして一英を捉える。

「お、いたいた、
ヒーローくん!」

 胸にスパイダーマンの描かれたTシャツを着たオッサンが、振り絞るような満面の笑みで一直線にこちらへやってくる。

それだけで、なんだか面倒くさいやつが面倒くさいテンションで近づいてきたなと思ってしまい、一英は愛想なく「なんすか」と身構える。

永原はカバンをあさると、一冊の冊子を一英の鼻先に差し出した。

「これ、GJ葛飾の先月号! 
あげるから見てみてね!」

「いらないっす」

「いいからいいから!」

 要らないと言っているのに、永原は一英の手を取り無理やり冊子を渡そうとする。

受け取ったら最後、葛飾の毒牙にかかる気がして、一英は結構な真顔で本気の抵抗をした。

 互角の攻防に焦れた永原は、もう渡したからねと言い切るように一英の目の前に冊子を置き、再びカバンをあさり出す。

中からは、パンパンに膨らんだ大きめの茶封筒が取り出された。

「でさ、こっちも見てよ、
これ今日撮った写真。
今日は僕の出身地、横浜に行ってきたんだよね~」

 さらっと言われた聞き捨てならない言葉に「横浜出身だと!」と口にしたかった一英だが、あまりの驚きに「よっ!?」以上の言葉が出ない。

口をパクパクさせる一英を見て、永原が自身を指さし「横浜市中区出身」ととどめを刺す。

「嘘だ!」

 こいつこそ葛飾出身と疑わなかった男が横浜、しかも中区出身だったとは。

衝撃すぎて信じたくない事実に一英が直面している間に、永原は空いているテーブル席に大量の写真を広げていく。

 それは百枚近くありそうな、ジャスティーばかりが写る写真だった。

観覧車をバックに大桟橋でたたずむジャスティーの姿が目に入る。

「なにこれ……」

 思わず立ち上がった一英が次々に他の写真も確認するが、そのすべてが永原の言うとおり横浜で撮られたものだった。

 見慣れた大桟橋や赤レンガ、キングにクィーンにジャック。

働いていた会社のすぐ近くの舗道に、浜スタ、中華街、日本丸、山下公園、外人墓地。

どれも一見して横浜と解るロケーションの中で、浮かない顔のジャスティーが切り取られている。

それはみな、怒られた小学生が泣く前のような目をしていた。

 女たちも「なに? なに?」と興味深そうに寄ってきて、テーブルを覗き込む。

恵は写真の美しさに感動して興奮していたが、絵梨香と凛は同じ写真を見ても怪訝そうに眉をひそめていた。

「写真撮ってるとね、色々感じちゃうんだ、
被写体の心境とか。
でもその内容までは解らない。
ヒーローくんはこの写真見てどう思う?」

「どうって」

 顔を上げた一英は、手にしていた写真を思わずテーブルに戻す。

普段よりダミ声を沈め、「ヒーローくんなら解るんじゃないかと思って」と覗き込んでくる永原に、一英は「なんで俺が」と言いつつ目をそらした。

 永原は腕組みしながらテーブルの写真に目を落とす。

「なんとなくだけど、
この間、ヒーローくんとキャッチボールした時のジャスティーくん見てて、
この二人には互いにしか解らない何かがあるなって感じたんだ」

「はぁ?」

 公彦以外に明かすことのなかった痴漢公園での出来事ですら、ここの常連にはすっかり知れ渡っていたのだ。

そんな秘密めいたもの、あるわけがなかった。

だが、永原の真面目な視線につられるように、一英も今一度テーブルを見る。

 恵はさっきから食い入るように写真の色合いに見とれ、絵梨香も凛もそれぞれ手にした写真を眺めていた。

永原が並べられた写真の中からひと際アップの一枚を拾い上げ、これなんかどうと一英に見せる。

「……どうって言われても……」

 一英は、そこに写った悲しげな目にうっすらと涙が滲んでいるのに気づき、眉間にしわを寄せしばし見つめた。

永原が期待に満ちた視線を注いでくるが、一英はふっと首を傾げると、あっさり白旗を上げる。

「横浜で浮いてるとしか」

「だぁー、役立たずッ!」

 すると、一英をなじる永原の後ろで、今まで一言も発さずに写真を見ていた凛がカッと顔を上げた。

凛は一英につかつかと近寄り、突然ゲンコツで殴りかかってくる。

わあっと驚いた一英は咄嗟に腕でガードした。

「なにすんすか!」

「お前さんには、
『毎日同じ』であることの希少価値ってぇのが解んないのかい!」

「は、はい?」

 いきなりの言いがかりに一英は目を白黒させる。

だが凛は稀代の芸術家じみて両手をわななかせると、ある種の禁断症状を表情に浮かばせた。

「あたしはねぇ、
ジャスティーの笑顔が好きなのよ、癒されんのよ。
あの子は地顔が笑顔なのかってぇくらい、いっつも笑ってんだろう? 
それってなにかとイライラしやすいこの葛飾においては、
ほんっとにものすごいことじゃないか。
それはお前さんにも解るはずだろ、井梶一英! 
あたしはねぇ、
あの子のにたにたした笑顔がそこにあるだけで、
ああ今日も世界は超平和な一日だったんだって、
ずいぶん勝手だけどホントにそう思えんだよ! 
この馬鹿野郎がッ!」

 ぽってりした唇を悔しそうに歪め、凛はもう一発、一英の腕辺りを殴ってくる。

「聞いてんのかい、ええっ? 
どんなに嫌なことがあった日だって、
ジャスティーの笑顔ってぇ最後の砦が守られてさえいりゃあ、それでいいの! 
それがあたしのささやかな幸せなの! 
それをなんてことしてくれてんのよ、あんたはぁ!」

 ジャスティーズスマイルジャンキーと化した凛は髪を振り乱し、バンッと音を立てて持っていた写真をカウンターに叩き置いた。

その恐ろしさに一英が後ずさる。

 そこに大将が「テイクアウト完成したぞー」と一人和やかな調子で声をかけ、惣菜入りのビニール袋がカウンターに差し出される。

と、お凛はガシッと一英の腕をつかみ、ポケットから出した小さな何かを一英の手に押しつけてきた。

 何だかヤバイものを押し付けられたのではと、一英が慌てて手の中を見る。

だが、それは単なる小さな金属片で、恐らくは何かの部品であった。

 一度「ギャーッ!」と大声を上げ発散した凛は、幾分冷静さを取り戻したトーンで、一英を睨みつける。

「過去に何があったって、
そいつを現在の原因にしてんなら、どだいそんなの言い訳。
悪いけどあたしはお前さんの心の傷なんてぇものに、興味なんかない。
でもお前さん、明日が面接らしいから、それを渡そうと思ってたんだ」

「なんすか、これ……」

 その問いに答えない凛は、絵梨香や永原が引き止めるのも聞かず、今度は一英の首根っこを掴み、店の外に出ていく。

凛は引きずってきた一英を路地へと突き放すと、

「さっさと面接受けて、
横浜でもどこでも行っちまえ!」

と言い残し、ふんと踵を返して店内に消えていった。

 なんなんだと困惑する一英が呆気にとられていると、ピシャッとしまった扉からすぐに恵が出てくる。

恵は手にしていたテイクアウトの袋を渡しながら、「車まで一緒に行っていい?」と一英の行き先を促した。

「いいけど……」

 二人で狭い路地を駐車場のほうへと歩き出し、恵は一英を見上げる。

「私ね、東京の人間じゃないの。
もともと茨城なんだ。
お凛さんに出会って以来、葛飾が気に入っちゃってずっと住んでるの」

「へぇ」

 改めて肩を並べてみると、恵は思っていたよりも背が低かった。

前からやってきた通行人を避けるため恵は自然と一歩先を歩き、一英はその形の良いつむじを見るともなしに見つめる。

ボーダー柄のワンピースに白いスニーカーでさくさく歩く恵が、再び一英の隣に並んだ。

「ヒーたんは町工場が嫌いだって言ってたけど、私は好きかな。
職人さんが大好きなの。
だってみんなツンデレでかわいいんだもん」

「ツンデレ?」

「だって、嬉しくたって楽しくたって粗暴で口が悪いんだよ? 
暴言吐いててもそれはハッタリで、
ただほんとの気持ちを隠したがってるだけ。
みんなシャイなのよ」

「いやいや、そんなことないでしょ」

「ほんとだってば。
私も初めはそういうところが怖くて苦手だったんだけど、
でも一緒にいて解ってきたんだ。
ほんとに面白いよ」

 眉で八の字を描いた一英は、優しげな目を恵に向けながらも、さっきのお凛さんはマジで怒ってたと思うけどな、などと思う。

恵がふふっと笑った。

「うちの近所にね、
口癖が『ふざけんな、馬鹿野郎』のおじいちゃん職人がいるの。
でもそのおじいちゃんが伝えたいのは言葉通りの意味じゃなくて、
本当は『お節介嬉しいよ、ありがとう』っていう気持ちなんだ。
私がそれを解ったのはずいぶん経ってからだった。
でもヒーたんなら解るでしょ、江戸っ子四代目なんだから」

 一英がなぜ四代目だと知ってるのかと目を丸くすると、恵は得意そうに凛から聞いたのだと白い歯を見せた。

 駐車場に着いた一英は、「見送んないでいいよ、蚊に刺されるから」と恵に手を振る。

素直にUターンして去っていく恵は、駐車場から出ていくミニバンを、何度も振り返りながら手を振っていた。

 ◇

 帰宅した一英は惣菜の袋を手にミニバンを降りる。

外階段を上りながら妙にかさばっているその中を見ると、ご丁寧にも永原から強引に渡された『グッジョブ葛飾なんたら』が入っていた。

「いらないって言ったのに……」

 惣菜を袋ごと美洋に渡した一英は、作業着を洗濯かごに放り、迷惑な冊子を手にリビングへと向かう。

その表紙には大きく『GJ葛飾』と書かれており、続く長たらしい部分は端のほうで小さめに書かれていた。

 溜め息交じりに表紙を開いてみた一英は、想像もしてなかった美しさに思わず「おう」と声を上げ、ソファに向かっていた足を止める。

 十ページ程度の薄いものであったが新小岩特集と題されたそこには、見たこともないほど洒落た雰囲気に写る、新小岩の景色が載っていた。

だが、ただの風景写真は一枚もなく、どれも必ずどこかにメインの人物が写っている。

それらの人物が一切着飾らず、それぞれ別人であることから、連れてきたモデルなのではなく通行人を撮ったことがうかがえる。

 新小岩には駅の北口と南口を唯一繋ぐ、ガード下のトンネルがあるが、一英が小便臭いと嫌うそんな場所での写真もあった。

トンネルの出口を奥に配し、見返ってちょんと足を上げたポーズの女性がはにかんで笑っている。

濃い紫に白の大柄が描かれた彼女のワンピースが、トンネル内の汚く黄ばんだ蛍光灯の中で妙に柔らかく馴染んでいる。

 次々にページをめくる一英は、思わず感嘆の声を漏らしていた。

 その姿に興味をひかれた美洋がやってきて冊子を覗き込む。

「えっ、これ新小岩? 
すごい素敵! 
わぁ、撮り方によってはこんな風に写るのね。
嘘みたい!」

 ソファにうずもれてテレビを見ていた裕貴も寄ってきて、「永原さんの写真だ」と言う。

美洋が「誰? 知り合いなの?」と裕貴に詰め寄る声を聞きながら、一英はめくるページの中に、コンビニの前でたむろしている若者が目を輝かせて笑いあう写真や、パチンコ屋をバックに二人のオッサンが肩組んでピースする写真などを見つけ、動揺交じりの胸を高鳴らせた。

 新小岩がいい街に見えるわと、一英が抱く思いをそのまま美洋が口にすると、裕貴はリモコンでチャンネルを渡り歩きながら言った。

「見えるんじゃなくて実際いい街なんでしょ、
あのオッサンにとっては。
きっとそういう風に見えてんだよ」

「素敵な目を持ってる人ねぇ。
人生楽しそうだわ~」

「割といかがわしい目してるけどね」

 裕貴は笑ってそう言うと、美洋に冊子を奪い取られる一英の横をすり抜け、キッチンへと入った。

そして、物色した冷蔵庫から紙パックの野菜ジュースを手に取ると、「カズも知り合い? どんな人?」という美洋の声を聞きながら玄関へ向かう。

 携帯を開いた裕貴は、そのまま外へと出ていった。

 道行くヘッドライトを見下ろしながら歯でストローを引き抜き、携帯を耳に当てた裕貴は外階段をゆっくり下りる。

「あ、もしもし? 
さっきのメール読んでくれた? 
そうなんだよ、親父が工場たたむとか言っちゃってさ、参っちゃった」

 通話口の相手と談笑する裕貴は階段を下り切り、井梶プレスの鉄扉を開け、真っ暗な工場へと入っていく。

後ろ手に扉を閉めると、通りを行きかう車の騒音が幾分遠ざかって聞こえた。

閉め切られた工場は夜でもやはり蒸し暑い。

「兄ちゃんの会社が倒産するらしいって裏情報ゲットしてから、
これは新小岩に呼び戻すチャンスでしょとか言って、
ジャスティーとやってきたんだけどさ。
工場閉鎖するって聞いたジャスティーが焦っちゃってね。
兄ちゃんの彼女にまで攻め込んだらしいんだよ。
ジャスティーもよっぽど思いつめてんだね、あれ」

 一方的にそんなことを話しながら、電気はつけないまま、裕貴は作業台に腰を預ける。

しばらくストローをくわえ相槌を打っていた裕貴が、ズズッと音をさせ、笑いながら吸い口を離した。

「だったら、おじさんからも親父に言ってよ、
工場たたむの考え直してくれって。
――俺? 無理無理! 
昨日いちかばちかで親父んとこ行って『俺が継ぐよ』ってカッコよく申し出てみたんだけど、
断固スルーで即昼寝されたもんね。
ひどくね?」

 言っている内容の割に楽しそうな笑い声で裕貴は身をよじる。

携帯からも笑い声が漏れていた。

ひとしきり公彦と下らない会話をしたあと、裕貴は工場を見渡し、「俺、なんでなのか、解んないんだよね」と溜め息をつく。

「なんで父さんも母さんも、
兄ちゃんからおじさんを遠ざけてんの? 
意味ないように俺には思えるんだけど。
多分ね、兄ちゃんの中ではもう、
おじさんは再起不能ってことになってんじゃないかな」

 ふと悲しげな目を伏せる姿が、街灯の灯りが差し込む窓に影となって浮き上がっていた。



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