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葛飾、最後のピース 作者:ぐろわ姉妹

一英編(時:2010年)

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第28話 迷い子の帰りたい街

 翌朝、ミニバンが配達に出発してしばらくしても、ジャスティーは現れなかった。

助手席の風通しが良いなんて浮かれていたのも束の間、一英は一件目に決めた細田への配達から見事につまづく。

 環七を右折し細田橋を渡ったあたりから、雲行きは恐ろしく下り坂だった。

そのことに一英は気づかず、見覚えのある通りを記憶のまま順序良く辿れているという順調な滑り出しに、いつしか鼻歌混じりでハンドルを握っていた。

 嵐の来そうな空を一瞥しながら、記憶の通り、目的地まで最後の左折となる角を曲がり直進する。

するとすぐに見えてくるはずの工場にかわり、昭和な空気漂う古びた大型団地へとミニバンはぶち当たった。

「あれ……?」

 閃光に続いて遠雷が聞こえる。

 以前のルートのままに来たはずなのだが、どこで間違えたのか。

ミニバンは工場を探しながら何度か角を曲がり、正解だろう方向へ軌道修正して走る。

だが目当ての工場は一向に現れなかった。

 その一帯は細かく区画され、似たような家が立ち並ぶ場所であった。

再び見覚えのある通りを見つけた一英が、今度はよく確認しながら最後の角を曲がる。

 空には真っ黒な雲が迫っていた。

「あ、そうか、こっちの角か。
さっき曲がったところじゃ行き過ぎだったんだな。
……って、なんでだよ?」

 違う角を曲がったのにまた同じ団地にぶつかり、一英は眉をしかめた。

もう一度別の道からアプローチをかけてみるが、やはり同じ団地に出てしまう。

 何度か通い、道は覚えているはずの配達先なのに、なぜたどり着けないのか自分でも理由が解らなかった。

暴風に叩きつけられ、とうとう降ってきた強雨に苛立ちが増していく。

 ワイパーでガコガコと騒がしくなったフロントガラスに目を凝らし、滝のような雨の隙間から行く先をうかがう。

思い切って団地内を通り抜けると、すぐ近くには大きめの公園があり線路も走っていた。

通りすがりに見た電柱の帯には高砂と書いてある。

 一英は父が倒れてから何度も睨めっこしてきた葛飾の地図を、頭に思い描いた。

 高砂は細田の北に位置していたはずだからと、雲で見えなくなった太陽を推測しながら南を目指して走る。

だが頼みの綱だった電柱は、無情にも鎌倉を記し始めた。

「はいはい、
神奈川に戻りましたよー」

 激しい暴風雨にうんざりしながら、誰が聞くでもない程度の悪いボケを口にする。

瑠奈と何度か遊びに行った、神奈川の鎌倉を思い出された。

 父が入院してからというもの、この九日間で色々なことがありすぎた。

 自分だけじゃなく、瑠奈にも辛い思いをさせている。

そう思うと、父が退院したらすぐにでも横浜に帰って、新しい就職先を探さなければと溜め息が出た。

 瑠奈に会いたい。

 苦しいときはいつでも癒してくれた、瑠奈のとろけるような甘い笑顔を思い出し、ぼうっとしていた一英は後続車に青信号をクラクションされる。

「ああもう、
細田は一体どこなんだよ!」

 現在位置を地図で確認しながら走っているというのに、なかなかこの一帯を抜けられず、ついにはトラップのような袋小路でミニバンは行き止まった。

ワイパーも意味がないくらいの豪雨の中、「くそっ!」と怒鳴った一英がハンドルを叩く。

 改めて地図を見ようとした耳に、ふとジャスティーの問いが蘇る。

――袋小路に入った時にすべきことって知ってますか。

 冷静に考えれば、現在位置が解らないことより目の前に道がないことのほうが問題だった。

入口が出口。

そう呟いた一英は、地図を助手席に投げ、入ってきた道をバックして戻る。

 そのままうろつけば再び団地に戻ってしまい、一英は意を決してミニバンを降りた。

土砂降りの雨に濡れながらも、路駐して休んでいたタクシーに道を教えてもらい、先を目指す。

それでもまた迷子になれば、近隣の住宅に駆け込んだりもした。

 そこかしこで道を聞き回るうち雨は上がり、さっきまでの騒ぎが嘘のように晴れ渡る。

急激な太陽のもと、ミニバンを降りて尋ね回ったおかげで、嵐に濡れた服も見る見るうちに乾いていった。

 水たまりが鏡のように光を照り返す中、目的の工場が見えたのは細田に入って小一時間ほど経った頃だった。

 その後も同じような方向音痴ぶりを発揮し、一英は結局、五件あった配達のうち全件で道に迷った。

 またどこからかひょいと乗ってくるのではないかと期待し、怪しいスカート男がそこらにうろついていないか注意しながら走ったりもしたが、結局最後までジャスティーが現れることはなかった。

 最後の配達が終わったのは予定よりだいぶ遅い時間で、いくら鬱陶しくとも、ジャスティーのナビはバッチリ役立っていたことを思い知らされる。

「まぁこのくらいの遅れなら想定内だけどな」

 車内で一人負け惜しみを言う一英は、帰宅が遅れたことの言い訳にと、今晩もまた盛の熊さんでおかずを買っていくことにする。

 ◇

 配達を連絡もなしにすっぽかしたジャスティーは、朝から完全なるアウェイに来ていた。

浮かない気持ちで一日中みなとみらいを練り歩き、最後に着いた港で海風を浴びる。

 夕焼けの残る蒼い空の下、ぼやけていた焦点が合い、忙しくノートにペンを走らせる姿が浮き上がった。

 大桟橋でデッキの階段を机がわりに座り込み、一心不乱に殴り書きしているその横顔は、何度シャッターを切られても気にする様子がない。

カップルだらけのこの場には不釣合いなほど、思いつめた表情が何枚も撮りたまっていく。

 ジャスティーがペンを走らせるのは目がちかちかするような真っ黄色の紙面で、そこには『注文書』と書かれた表が、潮風に飛ばされそうになりながらはためいていた。

フリーハンドで引かれた空欄だけの表が続き、その最後に道路標識のようなひし形が描かれる。

その中に、煙突から煙を吐く工場をシンプルかつシンボリックに描ききったジャスティーがゆっくりと身を起こした。

 ふうと息を吐いてペンを置き、夜になっていく天を猫背が仰ぐ。

連続したシャッター音のあと、ファインダーを覗き込んでいた永原がカメラから顔を上げた。

「そろそろ帰る? 
ジャスティーくん」

「あ、ごめん。
永原さんも忙しいよね」

「いや僕は暇人だからいいんだよ、
たまには区外のロケーションってのも新鮮だし。
でもほら、ジャスティーくんが」

 そう言った永原は、スパイダーマンのプリントされたTシャツを潮風に膨らませながら、再びカメラに顔をつけシャッターを切る。

ジャスティーの背後には波間を挟み、灯りのともり始めたみなとみらいの街並みが横たわっていた。

 そんなに帰りたそうな顔をしていたのだろうかと思うジャスティーが「僕?」と聞き返すが、永原はただ曖昧に笑う。

ジャスティーが小首を傾げるともう一度シャッター音がした。

 大桟橋に来てからずっと港街に背を向け、対岸の工場こうじょう地ばかりを正面にしていたジャスティーが、風になぶられる髪をかきあげもせず立ち上がる。

 足元に置いていた紙袋に真っ黄色なノートを入れて提げ、板張りの床に下駄を鳴らして進んでいけば、小高い丘のようになった大桟橋の中央に向かうその猫背が、またカメラに収められた。

 ジャスティーは、いつものヨレヨレワンショルダーは欠かさないものの、淡い錆鼠が裾へ行くに従って深まるグラデーションのロングTシャツと、のっぺりとした墨色の膝丈タイトスカートという、彼にしては大人しい出で立ちで中央の芝生を登っていく。

 そして頂点で振り返ると、首に巻いていた薄手のストールをはずし、今日は何もセットしていない邪魔な髪を真知子巻きにした。

「いい街だね、ヨコハマ」

 変に憂いたっぷりなスカート男をオッサンのカメラマンが撮りまくるという光景に周囲が波立つ中、ジャスティーは煌びやかなみなとみらいに悲しげな目を細めた。

「俺ね、
ヒーローさんがこの街をすごく気に入ってるって知ってるんだ。
永住したいって思ってるのも知ってるし、
新小岩とは違うから好きなのも知ってる。
本当に別世界だよね。
広くてきれいで、
おしゃれで異国情緒のロマンたっぷりで。
街の人たちも確かにみんな穏やかだし、
酔っ払いの土方オヤジがクダ巻いてゲロってる新小岩に比べれば、相当平和」


 相槌代わりのシャッター音が風に流れていく。

「でもそんなにいい街ならさ、
ここには必要ないと思うんだ……」

「なにがだい?」

「……ほんとのヒーロー」

 アップで追い続ける表情にうっすらと涙が浮かんだように見え、永原が眉をひそめながらもシャッターを切る。

カメラを下ろして永原が見つめたジャスティーはまばたきもせず、巨大観覧車がレインボーの光を放つみなとみらいをその目に映していた。

強い潮風が凝視ともいえるその目から水分を奪っていき、滲んだ涙がこぼれることはなかった。

 と、突如ロッキーの三倍速が大音量で潮風に流れ、辺りのカップルが驚いて後ずさる。

周囲に広めの輪を作りながら、大桟橋を囲う手すりに寄り掛かり、ジャスティーが携帯を耳に当てると、聞こえたのは裕貴の沈んだ声だった。

「今日の兄ちゃんの様子どう? 
やっぱ無理なのかなぁ、呼び戻すの」

 魂まで抜けてしまいそうな裕貴の溜め息に、顔色一つ変えずにジャスティーは暗い波間を見下ろす。

「俺、今日は配達に行ってない」

「え? 
じゃあ兄ちゃん、完全迷子になってんじゃん。
大丈夫かな……」

 黙るジャスティーは眉をぴくりと震わせると、つかんでいた手すりを力いっぱいに握りしめた。

一英が葛飾にいさえするのなら、どこで道に迷おうと構いやしなかった。

携帯を持つ左手首で、常につけているブレスレットが揺れる。

「……昨日さ、
瑠奈の耳に倒産の情報入れてやったんだ」

「瑠奈って、兄ちゃんの彼女? 
なんでそんなことしたの?」

 瑠奈に新小岩の魅力を語ってこっち側に引き込もうかとも思ったのだが、彼女がこっち側になったところで一英は新小岩には戻らないと言うし、それなら目障りなだけの存在は消そうと思ったのだと、ジャスティーが鼻で笑う。

「ヒーローさんを横浜に引き留めてるものの一つだから、
この際別れてもらいたいなって」

 驚いた裕貴が珍しくたしなめようとするが、その言葉が続く前にジャスティーは語気を強めて機を奪う。

「だってあんな女のどこがいいの。
顔だけはキレイだけど、
どう見てもヒーローさんを飼い殺しにしてるだけだろ。
よしんば二人が結婚して井梶プレス継ぐことになったとしても、
あんな下町のしの字も知らない育ちじゃ、
町工場でつましい一生を送れるとは思えない」

「でも兄ちゃん、瑠奈さんのこと、
俺の唯一の癒しだ的な発言してたぜ?」

「知らねぇよ、そんなこと。
俺はなんとしても、あの人を新小岩に戻ってこさせるだけだ」

 絵梨香に言われるまでもない、自分が常軌を逸した気持ちの悪い発言をしているのは、重々承知だった。

身勝手なことなど、それで願いが叶うなら、幾らでもするつもりでいた。

 目蓋を閉じ、平和できらびやかな街を閉め出す。



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