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葛飾、最後のピース 作者:ぐろわ姉妹

一英編(時:2010年)

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第24話 寝耳に水攻め

 翌日は八月がちょうど後半に入った月曜だった。

通勤電車に乗り、いつもと同じようにJR関内駅に降り立った一英は、決まって立ち寄る会社近くのコンビニに自然と足を向ける。

 店に入るとレジには顔なじみの男性店員がいて、通勤途中の会社員たちを笑顔で送り出していた。

そのソフトな声が朝から爽やかで心地よい。

 一英はペットボトルの冷蔵庫へと直行した先で朔田を見つけ、おはようございますと声をかけた。

「先週はどうもありがとうございました、
急なのに盆休み代わってもらっちゃって……」

「全然、全然。
で、お父さんどうなの、具合」

「おかげさまで、なんとか。
あと一週間もすれば退院できます」

「そう、良かったじゃない」

 きっと休み中の計画もあったろうに、朔田はなんのわだかまりも感じさせず、真っ白な歯で「まだまだ元気でいてもらわないと!」と笑む。

明日から、今度は朔田が夏季休暇に入る。

恩はしっかり仕事で返そうと思いながら、一英もにこやかに微笑んだ。

 二人は「行ってらっしゃいませ」と声掛けしてくれる店員に笑顔を返し、勤務先のオフィスビルへと向かっていく。

「――あれ?」

 乗っていたエレベーターのドアが開くと、二人の目に会社の入口前で滞る同僚たちの姿が飛び込んできた。

先に降りた朔田が鍵を開けるべき人物が遅刻でもしているのかと問いながら歩み寄ると、二人に気づいた同僚らは促すように道を開けた。

 彼らのどよめきと不穏な空気の中、一英は社名の刻まれたスタイリッシュなガラス戸に見慣れぬ一枚の張り紙を見つけ、我が目を疑った。

目に留まった唐突な単語に、思わず眉をひそめる。

 隣から覗き込んできた朔田が、ぴんと伸びた白い紙面に小難しい言い回しで書かれた内容を、かいつまんで読み上げた。

「当社は不渡りを出して倒産……? 
本日付けで全社員は解雇……
本日までの給与と解雇手当は本日付けで銀行振り込み、
給与明細と離職票は数日内に郵送。
社内は資産保全のため原則立ち入り禁止。
私物の持ち出しを行いたい場合は記載の電話番号に連絡し弁護士立会いのもと行うように。
……なにこれ」

 その場にいた誰一人、この状況を十分に説明できる者はいなかった。

次々に出勤してくる社員でエレベーターホールは溢れかえり、騒然となっていく。

 小一時間ほど経ち、一英は朔田と二人、今日もランチを取ろうと思っていた気に入りのカフェレストランで、会話もなく茫然としていた。

木陰揺らめくテラス席で、何事か考え込んでいたような朔田がふと溜め息をする。

「うち、
ブラックだったのかね」

 一英は肯定も否定もできず、ただ朔田を見た。

朔田が手に取ったアイスコーヒーのグラスはテーブルに丸い水溜りを作っていて、そのいつもと変わらぬ光景に一英からも深い溜め息が漏れる。

 これは会社によるサプライズ系の冗談なんじゃないかとか、もしかしたら倒産を装って社員の行動適性を調べているんじゃないかとかいう考えが湧き起こったりもしたが、それは私物を取りにいったという後輩たちから送られてきたメールを見た瞬間、息絶えていた。

 先ほど送られてきたその短いメールには、

『弁護士に監視されながらロッカーの荷物を片付けてたら、
黒い車に乗ったあっち系の怖いお兄さんたちが、叫びながら乱入してきたりして! 
殺されるかと思いましたっ!(涙目)』

などと書かれていた。

 リストラについて朔田と話していたのは、ほんの十日ほど前のことだったはずだ。

それがまさか我が身に降りかかったなんて、まったく信じられなかった。

リストラ後に再就職先が見つからず故郷に帰る人もいる、と言っていた朔田の話が思い出される。

 さっきから色々と考えてはいるのに何一つまとまらない頭を抱え、一英はテーブルにうなだれた。

 呆然とばかりしていられないのは解っている。

次の就職先さえ決まれば問題ないのも解っている。

だが、何年も信頼を寄せて勤務していた会社が、従業員になんの報せもなくこんな形で裏切ったことに、気持ちがついていけなかった。

憤りと悔しさが喪失感をともなって、未来への不安を増幅する。

 朔田は再び黙り込み、一英もテーブルに染み続けるグラスからの水滴をただ見つめている。

お互いに頭の中で状況を整理しようと必死だった。

 しばらくして、何かしら結論づけた様子の朔田がぽつりと言う。

「とりあえず俺、今日は実家に帰ろうかな。
倒産のこと、なにかの形で親が知るかもしれないし、
先に説明して安心させるわ。
心配かけたくないからね」

「……そう……ですか」

 朔田は思い切って席を立つと、オーダーシートを手にレジへと向かっていく。

一英の目には瑠奈の笑顔が浮かんでいた。

(そうだよな……
俺だって瑠奈を心配させるわけにはいかないんだ)

 自分が今すべきは落ち込むことではなく、職業紹介所に行くことだ。

瑠奈が帰ってくるまでに再就職先を決めようと自分に言い聞かせ、一英は財布を手に朔田を追った。

 カフェから日本大通りを挟んだ対岸でその様子をうかがっていたのは、ジャスティーだった。

二人が店から出てくるのを見て、携帯電話を耳に当てながらにんまりとする。

「よぉ、弟。
調べてた情報、ホントだった。
あの会社ホントに潰れたよ。
ヒーローさん今日から無職だから、いつでも工場の手伝いに戻れんぜ」

 裕貴の相槌も待たず、ジャスティーは続けざま英博の容体を確認する。

井梶さんが倒れるなんて思ってなかったからというジャスティーの言葉を遮り、生返事ばかりしていた裕貴が言った。

「それより姉ちゃんが事故ったよ」

 思わぬ言葉につい大声で驚いたジャスティーは、慌てて街路樹の陰に身を隠す。

「配達? 
なんで行かせたの!」

「配達先近所だから自分が行くってきかなくてさぁ。
したら出発から十五分でミニバンパンクさせてやんの。
もう大変だったよ。
俺がパンクしたとこまで迎えに行って、タイヤ交換までしたんだぜ? 
姉ちゃんどこもケガしてないって言うけど、念のため病院連れてってさぁ。
俺いま、診察終わるの待ってるとこ。
もう午前中の仕事が停滞しまくりマクリスティー♪」

「じゃあもういいや、
今すぐヒーローさんに電話して!」

 歩き出した対岸の二人を追いかけ、ジャスティーは街路樹をはしごしながら忍者のように小走りする。

だが裕貴からは、

「さっきから何度も電話してっけど、繋がんないんだよね。
きっとまだ電源入れてないんじゃね?」

という、もうどうでもよくなったような笑い声がヒャハッと返った。

 そうだ、水没した携帯の電源は今日の昼頃に入れろと言ったのは自分だったと、ジャスティーが地団駄しながら髪をかきむしる。

 ところが、見ると一英は携帯ショップの前に立ち止まり、自分の携帯をいじり始めていた。

きっと水没したことを説明したのだろう、朔田も言葉を交わしながら一英の手元を覗き込んでいる。

「待った、もしかしたら今電源入れてるかも! 
はやく電話してみ! 早く!」

 目を爛々とさせたジャスティーはすぐさま裕貴との通話を切り、並木のイチョウにビタッと張り付いて二人の様子をうかがう。

 小ざっぱりとセットした髪に、スカイブルーのストライプが細かく入った涼しげなワイシャツ、そこまでは街並みに馴染んだサラリーマン風だが、下半身が青系タータン柄の思いっきりなキルト使用で、通行人が怪しい人物としてジャスティーの生足スカート姿をチラチラ見ながら行き過ぎる。

 それでもお構いなしにイチョウの幹から覗く目が捉えたのは、一英の手の中で携帯の電源が入り、即刻震える様子だった。

いきなりの着信に飛び上がった声が道を挟んでも聞こえ、ジャスティーが「よしっ!」と拳を握りしめる。

「なんだよ裕貴、
どうした?」

 携帯ショップに入ろうとしていたはずの一英は、ひどく驚いた様子で裕貴の声に聞き入っていた。

しばらくすると通話を終え、心配そうに見ていた朔田に頭を下げるや、一英は駅に向かって走り出していく。

にやにや見ていたジャスティーも、こうしちゃいられないと慌ててその後を追った。

 姉の事故を聞かされた一英は血相を変え、人の間を縫いながら関内駅へ全力で駆けていく。

ジャスティーもスカートを翻しながら全力かつこそこそと駆ける。

 道を挟んで二人の青年が駆け抜ける様子を道行く人が振り返るが、一英はジャスティーの存在に一切気づいていなかった。

 浜スタを抜けて駅に着き、一英は手前の南口から改札をくぐっていく。

だが、近距離で尾行するには人影がまばらすぎると判断したジャスティーは、更にスピードを上げると奥の北口へ向かい、逆側の階段から同じホームを目指した。

 階段を駆け上がった一英は、既に口を開けていた電車の最後尾に飛び乗る。

しかしほんの数秒遅れてホームの逆端から駆け上がってきたジャスティーは、無情にも目前でプシューと閉まったドアにキャーと叫んでいた。

 肩で息をする一英が寄り掛かったドアの向こうで、人知れず大慌てのジャスティーが景色とともに飛び去っていく。

 ◇

 昼時も過ぎた頃、スーツのまま汗だくで実家にたどりついた一英は、冷たい麦茶を飲み干して大きく息をついた。

「つまり、
本当は配達員なんか見つかってなかったってこと?」

「まぁ……そういうこと。
ごめん……」

 診察の結果どこも悪くなかった美洋が、しおらしくタオルを差し出す。

 聞けばパンクの原因は、ハンドルの切りすぎで民家の角に置いてあった鉢植えに乗り上げてしまい、それが運悪くバラで、トゲが奇跡的にタイヤに刺さったからだと、漫画みたいなことを美洋は言ってのけた。

 思わず頭を抱えた一英に美洋は「でもね」と食い下がり、壊したのは鉢植えだけで民家に被害はなかったのよと続ける。

相手方のじいさんは余生の楽しみを台無しにされたと激怒したものの、美洋の平謝りと身の上話にほだされ、最終的にはあんたに怪我がなくてよかったと許してくれたという。

「とりあえず事故のことは、
父さんと母さんにはまだ内緒にしておこうと思うの。
父さんが退院してから言うわ。
それまでは心配かけたくないし……」

 すると、今まで「姉ちゃんの菩薩顔って、こういう時に得だよね」なんて一人笑っていた裕貴が、

「それより兄ちゃん、よく来れたね。
仕事は?」

と口を挟んだ。

そのセリフにハッとした美洋が落ちそうなほど目を丸くする。

「そうよ、あんた仕事は! 
あたしのためにまた休ませちゃったってこと?」

 厳しい表情で汗を拭っていた一英はしばし唸ったのち、タオルを首にかけたまま頷く。

「会社のほうは心配要らないよ、
盆休み延ばしてもらったから。
父さんが退院するまで、配達は俺がする。
まぁ来月は無休で働くんだけどね」

 すると美洋は「だめよそんなの! ちゃんと配達員見つけるから、今すぐ帰んなさい!」とまくし立てた。

真剣に焦る美洋を抑え、一英はゆっくり、はっきりと言葉を続ける。

「って嘘を、
父さんたちにはつくことにするから」

 美洋の顔は瞬時に、見事なまでの混乱を象った。

 一英はできるだけ淡々と、今朝出勤したら会社が倒産していたことを告げる。

だがやはり、感情豊かな美洋は突然のことにパニック状態となり、嘘でしょを連発し始めた。

一英が、さっきまで俺もそうなってたと苦笑いしてみせる。

「ちょっと待って、倒産よね? 
倒産ってあのとうさ……
とうさ、
倒産って、それ大変じゃないの! 
とうさんたちには――
えっ、とうさん? とうさん?」

 自分で発した言葉が、倒産か父さんか、アクセントすら混乱している美洋の肩を一英が柔らかく叩く。

「言わないでいいよ。
姉ちゃんだって心配かけたくないって言ったろ。
俺だってそうだ」

「でも……」

 整理のつかない頭の中を体現するように、美洋は何やら独り言を言いながら部屋の中を目的もなくうろうろし始めた。

そんな様子を眺めにやにやする裕貴を見つけ、一英が「なに笑ってんだよ」と眉を寄せる。

 すると裕貴は、満面の笑みで一英の手を取り、ワルツじみたステップで体を揺らした。

「いやぁ、
まさかこんなタイミングで、
倒産なんてさぁ! 
おめでとう、
俺っ!」

「おめでとうってなんだよ」

 一英が嫌がって手を振りほどくが、裕貴は構わず一人でくるくると踊り続け、ただリズムに乗っていただけの言葉はだんだんとミュージカル調になっていく。

「だって兄ちゃん、
無職になったって、
ことでしょ? 
いま就職難だし、
ここは当然、実家に戻って工場を継ぐ、
って流れでしょ~? 
さぁー、なんの躊躇もいらないさ~、戻っておいで~! 
このままじゃ俺が継がされそうで嫌なんだ、俺はそう、
兄ちゃんの下で働きたぁ~い~、のさっ!」

 宝塚のごとくきれいに決めポーズしたところを、美洋に思い切りゲンコツされる。

のかと思いきや、姉は頭の中がすっかりいっぱいなようで、目の合った裕貴をただ、心ここにあらずでじっと見つめる。

 呆れた一英はタオルをテーブルに置くと、椅子に掛けてあった作業着を羽織り、玄関へと向かいだす。

「とりあえず配達行くよ。
今日のぶん、まだ残ってんでしょ?」

 配達なんかいいから就活しなさいと追いかけてきた美洋に、父さんが退院したら横浜の自宅に戻ってゆっくり探すよと答える。

それでも心配するので、配達がてら青戸のハローワークへ行く約束をして、一英は外階段を下りていった。

 駐車場に下りると、ミニバンのボンネットに手をつきしんどそうにゼーハーしているジャスティーの姿があった。

ぼたぼたと汗をかき、ネクタイはだらしなく緩み、まるで全力疾走でもしてきたかのような体たらくのくせに、一英に向かって嬉しそうな敬礼を向ける。

「やっぱりまた会えましたね!」

「なんでいるんだよ」

「お姉さんのこと聞いて飛んできたんです! 
良かったですよ、間に合って!」

 一英はまとわりつくジャスティーをしっしと払いながら、ミニバンの仮タイヤを確かめハッチの中の納品箱もチェックする。

 暑そうに胸元を緩めたジャスティーは、むふむふ笑いながら「今日はお休み取れたんですか?」などと聞いてきた。

説明するのも面倒だと思い、一英が適当に頷き「盆休み延ばしてもらった」と答えると、緒川たまきばりの「うそつき」が返ってくる。

「弟から聞きましたよ、
倒産したんですってね!」

 実に楽しそうな目つきにイラッとしながら、一英は知ってんなら面倒くさいやり取りさせんなよと吐き捨てミニバンに乗りこむ。

当然のように助手席に乗ってくるジャスティーを見もしないで、一英はさっさとエンジンをかけた。

「あんたいなくても行けるから帰れよ」

「嘘ばっかり! 
出発進行ぉー!」

 時間指定納品のなかったミニバンは、配達前に近所のオートバックスへと直行していく。



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