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葛飾、最後のピース 作者:ぐろわ姉妹

一英編(時:2010年)

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第17話 癒しの水元公園

 一英は翌朝も、白けてこなれた昔の服に身を包んでいた。

 朝食を食べる一英と裕貴が、週末の天気予報が流れるテレビに目をやる。

昨夜も母は病院に泊まり、姉弟三人だけの朝が続く。

裕貴が金曜日だねと呟き、一英の箸が止まった。

「俺、役に立ってた?」

「そりゃもちろん。
姉ちゃんよりは」

 美洋の運転を思い出して裕貴がくくくと笑う。

 夏季休暇は土日まであるが、土日は工場も休みなため、配達の手伝いは今日が最後となる。

今まで井梶プレスの役には立ってこなかったし、それを後ろめたく思っていたものだから、裕貴がそう言ってくれたことだけで一英は嬉しかった。

 今日の配達が終わったらそのまま横浜へ帰り、土日を使って名古屋まで行こうかという考えが頭をよぎる。

朝になっても返事をくれない瑠奈のことが心配になっていた。

 裕貴が先に食べ終え、一英も作業着を羽織って椅子から立ち上がる。

すると、キッチンから意気揚々と美洋が飛び出してきた。

「姉ちゃん張り切っちゃったわよ! 
さぁカズ、今日も元気で行ってらっしゃい!」

 そう言ってドンと渡されたのは、見ていた裕貴が盛大に吹き出すほど大きい、いや大きすぎる弁当だった。

 美洋が夜なべして作ったというドカ弁サイズの弁当箱と緑茶ペットボトルが数本入ったクーラーボックスを抱え、一英は朝から既に疲れきった表情でミニバンのドアを開ける。

運転席に座り荷物を後部座席に置きながら、姉は俺がどれだけ食べると思っているのかと神経を疑う。

 風呂敷の隙間からそっと覗いてみると、それはもはやパーソナルな弁当箱ではなく、行楽用のパーティーお重の領域に入っていた。

どう楽観的に見ても六人前はあるのだから、張り切り過ぎである。

「おはよーござい、マッスル! 
ハッスル! ホイッスル!」

 クーラーを最大風速にした一英がサイドブレーキに手をかけたところで、どこからともなく飛んできたジャスティーが車の前に立ちはだかった。

マイフェアレディかと見まごうほどつばの広い、プロフィールハットをかぶったスカート男が、スキップ混じりに助手席へと滑り込んでくる。

「君って、毎日が楽しそうだよね……」

「はい!」

 げんなりとした一英が嫌みったらしくそう言うが、ジャスティーは白地に紺色リボンが効いた帽子のつばを上げ、きらきらした目をうっとりと細めるだけだった。

その風合いもエレガントな帽子の頭頂に、ゴツゴツした灰色の小石がたくさんついていて、一英が一瞥で終わらせるつもりだった視線を思わず戻す。

 見ればそこは、唐突にミニチュアの世界を展開していて、まるで石切り場の山肌を模したような頭頂をバックに、広いつばは大地に見立てられて草が生え、小さな人形たちがヒーロー的なやつらとショッカー的なやつらに分かれ、戦っている様子が事細かに再現されていた。

 あまりに精度の高い、帽子飾りのレベルを超えた完全なジオラマに、思わず「おぉう」と声を上げた一英がジャスティーの頭をつかんでガン見する。

 ジャスティーは今日も一英の作成した配達ルートをチェックしながら、何やらメモを書き込み手直しを加えていた。

「これでよし! 
今日はもっと区内に詳しくなれるよう、近道や抜け道を教えますね!」

 ハッと現実に戻った一英が、今日で最後だからもう詳しくなる必要なんかないと断るが、ジャスティーはまったくもって聞かなかった。

出発したが最後、一英が区内に疎いのをいいことに、ルートとは違う道をどんどん案内し、配達先とは違う場所で車を停めさせては、無理やり先導して連れ回し、近道だからと言って無関係な他人の敷地までずかずかと顔パスで通っていく。

 一英は納品箱を抱えながら人様の勝手口や庭先を抜けたり、家と家の猫しか通れないような隙間を通らされたりした。

そのたびに住民が出てきて一英は平謝りのしどおしだったが、ジャスティーが親しげに声をかけられるのを見て、その顔の広さに仰天する。

 そんな、普通なら通ってはいけない裏道ばかりを教えられながら、数件目の配達先に着いたとき、一英は今までとは違う雰囲気に「あれ?」と首を傾げた。

持ってきた納品箱も今までになく、アイスクリームのカップほどに小さく気になってはいたのだが、もう一度そこに書かれた配達先の名を確認する。

 相変わらず不親切な裕貴は『時ノ屋さん』としか書いていなかったが、教えられた住所は合っているから間違いないのだろう。

だがその門構えはやかましい町工場というより、レトロな骨とう品店といった風貌だった。

にたっと笑ったジャスティーが言う。

「大丈夫ですよ、
この一件がイレギュラーなだけですから」

 今まで町工場や製作所、建設系の会社などを回ってきた配達だが、ここだけは個人経営の店舗なのだとジャスティーは手招いた。

 カランコロンとベルが鳴るドアを開けて店に入ると、程よくクーラーの効いた店内もやはり骨とう屋の雰囲気で、だが時計ばかりが陳列されていた。

比較的新しめのものから、柱時計や壁時計など振り子が揺れる古いタイプのものまである。

ここが時計店だということがやっと解ったところで、年老いたじいさんが小さな眼鏡をして奥から出てきた。

「おうジャスティーもいたか。
井梶プレスさん、待ってたよぉ」

 じいさんは一英から小さな納品箱を受け取るとすぐにそれを開け、中身にしわがれた歓声を上げる。

そこには吹けば飛ぶような小さなゼンマイが十枚ほど、丁寧に綿で包まれて入っていた。

「これこれ! 
これがありゃあ、あの老いぼれもきちんと動くようになるよ」

 そう言ってじいさんは店の奥にある作業台を指し、古びた腕時計がこの部品を待って長いことバラされっぱなしだったのだと笑った。

 ゼンマイをありがたそうに拝み、じいさんは「英さんによろしく言っといてくれなぁ」と一英の肩を撫で叩く。

その手は温かく、しわが深く刻まれた顔は嬉しそうに笑んでいた。

 二人がミニバンへと戻る道を、先のほうからやってきた影が目の前で日向と日陰を分断する。

そのまま日陰に飲まれた一英は、じりじりと熱かった太陽から逃れたことに気づき、ぽっかりと浮かぶ綿みたいな雲を見上げた。

 ◇

 それから二件の配達を終え正午も過ぎたころ、運転していた一英が「あぁー、ケツ痛ぇ」とうなりを上げ、身をひねった。

たった数日だがシートの固いミニバンに乗り通しだったせいで、腰や尻の痛みがひどく、一晩寝ても治らない状態になっていた。

「ちょうど昼だし、少しどこかで休憩取ろうぜ。
姉ちゃんが馬鹿みたいな量の弁当作ったから、あんたにもやるよ」

「うっきょー! 
そろそろお腹空いたと思ってたところなんです! 
今のところ配達ペースにも余裕ありますし。
ここら辺だと、近くに水元公園がありますよ。
俄然おすすめです!」

 嬉々とするジャスティーのナビの通りにミニバンが左折する。

 都内最大の水郷公園である水元公園についた一英は、駐車場に停めた車内で地図を開き驚いた。

 区最北端の水元公園は、区最南端の新小岩から一番遠い場所で、一英が今までに一度も訪れたことのない場所だった。

広いという噂だけは聞いたことがあったが、井梶家のあるエリアと単純に比べても、その巨大な公園は東新小岩一丁目から八丁目までとほぼ同等の広さがある。

 美洋のガチンコ弁当を引っさげジャスティーの先導についていくと、公園の中には見晴らしのいい大きな池があり、眩しい水面が熱い太陽を踊るように乱反射させていた。

岸にはたくさんの木々が生い茂り、都内だというのに間違いなく森の匂いがする。

具合のいい木陰を選んだジャスティーが、いつものヨレヨレワンショルダーバッグからピクニックシートを取り出して広げた。

「ベンチで休むのもいいんですが、
やはり水元公園に来たらこれを敷くのが鉄板です。
さぁ思う存分ゴロゴロしましょうっ!」

 男二人でピクニックシートは有り得ない、恥ずかしい、俺はベンチでいいのだということを全力で抗議しようと思う一英だが、ミニバンの固いシートに痛んだ腰は涼しい木陰に舞う木漏れ日を貪欲に求めてくる。

「テレレレッテレー! 
あんみんまくらー!」

 ジャスティーが四次元ポケットみたいなヨレヨレワンショルダーから、ささっと柔らかそうな枕を取り出す。

今の体が確実に必要とする魅惑的なアイテムの登場に、一英は坂から転げ落ちる速度でジャスティーの誘いに屈してしまった。

手にしていた荷物を下ろし、差し出された枕を抱えてシートに倒れこむ。

「ああー、気持ちいいー、超腰いてぇー」

 目の高さに生える芝生の間から、鬱蒼とした森が見える。

シート越しでも地面は柔らかくなかったが、土の匂いが深呼吸する胸を満たし、腰の痛みも和らぐような気がした。

 見ると今しがた下ろした荷物をジャスティーが興味津々に覗いていたので、一英は開けてもいいという仕草で手をぶらぶらと振った。

「それ、弁当」

 飛び上がったジャスティーはいそいそと袋を開け、次々に重箱を広げていく。

一英はそれを横目に、新小岩と同じ葛飾とは思えないほどの自然に囲まれ、不覚にも癒されまくっていた。

「すっっごい!」

 プロ並みに彩りも鮮やかな弁当にジャスティーが歓声を上げる。

中身を覗き込んだ一英が「姉ちゃん、やりすぎだ……」と完全に呆れていると、ジャスティーはきらきらした目で重箱に見とれながら、早速割り箸を割った。

 絶対に二人では食べきれないだろう量の弁当だが、フォークも箸も一人分しか入っていない。

二人で食べるなんで伝えてないのだから当然と言えば当然だが、やっぱり俺一人にこのドカ弁を完食させようとしていたのかと改めて思い、一英が苦笑する。

 どれから食べようか迷っているジャスティーに、一英は淡い黄色のエリアを顎で指した。

「卵焼き。それ食ってみ? 
姉ちゃんの卵ものは、結構うまい。俺好きよ」

「わっ、ほんとだっ! 
これ、超うんまいです! 
甘くて? しょっぱくて? だしが効いてて? 
なんか牛乳テイスト! 
ほんで、メチャンコふんわりです!」

 目の前で弁当をつつき始めたジャスティーを見ていると、彼のうまそうな笑顔につられて自分も腹の虫が鳴く。

その切ないほどのきゅるるーんという鳴き声に、一英も重箱へと手を伸ばした。

卵焼きを頬張り、懐かしい姉の塩加減に頷く。

 起き上がり、重箱から海苔の巻かれたおにぎりを手に取る。

中身はおかかだった。

きちんと巻かれた海苔の具合に美洋の息遣いを感じながら、その渾身の張り切りを受け止めようと、一英は所狭しと詰め込まれた重箱にプラスチックのフォークを差し入れる。

 母の味付けよりスパイシーな鳥唐揚げや、これはきっと油断して焦げたんだろうなという焼き鮭、こっちはあんまり得意じゃないことがありありと解るホウレン草の胡麻和え、と一英はとにかく食べられるだけ食べていく。

「これうまいな、こっちまずいけど。
でもそっちのはうまい」

「なに言ってんですか、総合的には全部うまいです。

飽きさせないよう味に緩急つけてるんですよ、これは緻密に計算されたパーフェクトお重です」

 ジャスティーの言葉に笑いながら、決して得意なものばかりを詰め込むわけではない美洋の図々しさにも笑みがこぼれる。

弁当にも一英にも降り注ぐ木漏れ日は葉影をシートに揺らし、爽やかな風は終始笑顔なジャスティーの髪をふわふわと撫でていた。

 周囲を見渡しても、ウォーキングする老夫婦や子供連れがちらほらいるだけで、不審者と思われるような人物はジャスティー以外にいなかった。

数日前に新小岩を、「狭くて、臭くて、汚くて、危険」などと言ったのは自分だが、水元公園はその真逆で、「広く、爽やかで、ゴミもなく、危険もない」場所のように思えた。

こんなところが葛飾にもあったのかと、妙に感心してしまう。

「どうです、気持ちいいでしょ?」

 そう言ったジャスティーはおにぎりの中身が焼きたらこだったことに御満悦の様子だが、一英は今日も特異な彼のファッションを眺め、急に目の覚めた溜め息をつく。

 色味こそ白と紺でシンプルにまとめられてはいるが、特撮ジオラマのプロフィールハットと、袖に入った切れ込みから肩が見えるデザインのてろてろロングニット、その下は柔らかい袴みたいなシルエットの江戸小紋ロングスカートに女物の下駄。

やっぱり変人大全開だと思いながらも、一英は大きなつばで顔の隠れたジャスティーに頷いた。

「相手があんたなのは気に入らないけど、
その帽子とスカートのおかげではたからは女連れに見えなくもないし、
たまにはゆったりと外で弁当広げるのも悪くないなと、いま少しだけ思った」

「なんて軽くひどい発言! 
そんなら単純に、太陽は最高の調味料だ、とか言ってくださいよ」

「たいよぉはさいこぉのちょぉみりょぉだ」

「はい。
今世紀最高の棒読み、頂きました」

 快調に咀嚼するジャスティーの隣で重箱をつついていた一英だが、三段あるおかずを一段の半分ほど食べ、特大おにぎりを三つ食べたところで限界を二割ほど上回る超満腹となった。

何種類かあるおにぎりの中身に毎回歓声を上げていたジャスティーが、再び寝ころんだ一英を覗き込む。

「えっ、もう食べないんですか?」

「ああ、俺はもう。
一段くらい食えると思ったけど、これ見かけより量あるだろ、
ぎっしりしすぎじゃね?」

 一英のゲップ混じりの降参にジャスティーはウハウハと食べる速度を上げ、残り四人前はあるだろう弁当をあっという間に平らげていく。

「嘘だろ」

 お前はどこぞのギャルかと言いたくなるくらいの胃袋には、美洋が笑顔で巨大弁当を渡してきたこと以上に呆れてしまい、一英は物も言わず、気づけば正座で半笑いとなりジャスティーの食いっぷりを眺めていた。

「食うねぇー」

「ごちそうさまでした!」

 ジャスティーが白ニットをめくり上げると、くっきりとした紺色の江戸小紋の上には幼児のごとき見事なイカっ腹が乗っかっていて、一英が盛大に吹き出す。

 まだ配達時間に余裕があったので、二人は腹ごなしにと園内をぶらぶら散歩する。

昼飯の間に体を伸ばしたおかげで腰痛も良くなった一英が、丈夫そうな並木を見上げにんまりとした。

「懐かしいな」

 一英は空の重箱をジャスティーに押し付けると、いきなり走り出し、手頃な木に飛びつき登り始めた。

すいすいと登っていく一英にジャスティーが目を丸くする。

「サルだサルだ!」

「おう、子供の頃はよく、近所の枇杷の木に登って食ってたからな。
その木ももうねぇけどよ」

 体重を支えられるぎりぎりの枝先まで登っていった一英が得意になって下を見下ろす。

と、大きなつばをめくりこちらを見上げていたジャスティーの足元で、数匹のでかいネズミがガサガサと走っているのが見えた。

「ちょ、なんだそれ!」

 指差す一英の声に足元を見たジャスティーが、思いがけぬ光景に悲鳴を上げ飛び上がる。

一瞬で通り過ぎた物凄いスピードの群れに、二人は間抜けな顔を見合わせた。

群れが逃げ込んだ茂みにはまだネズミの気配がしていて、そっと木から滑り降りてきた一英がその様子をうかがう。

 茂みの陰に見え隠れする、体も尾も三十センチずつはあろうかというネズミの大きさを再確認した一英は、要らぬことを思いついた子供ような顔をしてジャスティーを振り返り、にたっと笑ってみせた。

重箱を胸に抱えながら表情だけで何をするのかと問うてくるジャスティーに背を向け、一英は野生動物じみた足裁きで茂みへと近寄っていく。

 じりじりと狙いを定めた末、一気に茂みへと飛び込んだ大胆な一英と、その大人としてはどうかと思われる馬鹿な行動に大笑いしたジャスティーは、周囲に人がまばらなのをいいことに、しばらくの間ネズミを追いかけながら茂みの周りでわーぎゃーと騒いでいた。

 その子供っぽすぎる興奮は、水元公園を出て次の配達先へと向かう車中でも、彼らに何度となくその話を繰り返させた。

「つーか、マジ、カピバラかと思ったぜ!」

「だからあれは、マスクラットですって」

「あれ見たときのあんたの顔!」

「お互い様ですよ、
あんただって捕まえようとして脱糞されたくせに」

 笑い声を上げながらハンドルを切る一英を眺め、ジャスティーが嬉しそうに目を細める。

何度も同じ話で笑う二人のやり取りが反芻するなか、後部座席では空になった重箱がカーブのたびに転げ回っていた。




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