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レグルノーラの悪魔〜滅びゆく世界と不遇の救世主〜 作者:天崎 剣

【21】金色竜の秘密

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95.すべてを失う

 他人の目がなければ、俺はきっと美桜を押し倒していた。
 途轍もなく長い間彼女とは違う時間を生きてしまった気がして、俺はとても気が気じゃなかった。
 久しぶりの美桜はとても柔らかく、優しい匂いが溢れている。胸に抱きつく彼女の長い茶髪を優しく撫で、俺は至福のひとときを堪能した。
「こんなの見せつけられたら、諦めるしかないじゃん」
 涙声で須川が言うのが耳に入る。その中に憎悪や嫌味は含まれていなかった。若干の微笑みと嬉しさが混じっているように聞こえた。
 俺は須川を見ることもできず、無言で返した。
「時間切れ」と須川は言って、そのままモニカの膝の上から消えた。“向こう”の世界に戻ったのだろう。
 俺と美桜は周囲が気遣い作ってくれた沈黙に、しばし酔いしれていた。
 あまりにもドタバタが続きすぎ、こうやって二人で触れ合うことさえ難しかったのだ。
 初めは手のひらから。そう、彼女の手と俺の手を合わせたことから全て始まったというのに、いつの間にか手に触れることもなくなっていた。
 それを成長というなら致し方ないことかもしれない。いつまでも幼子のように美桜に頼ってばかりはいられなかったのだし、俺だって少しずつできることが増えていった。彼女との距離は平行線どころかそれぞれ逆方向に反れ、互いに手を伸ばしても届かなくなってしまっていた。同じ方向を見ていたはずの俺と美桜が再びこうして出会うのに、ぐるっと地球を半周したところでやっとぶつかる程度に長い時間を必要としてしまったのだ。
「お楽しみのところ悪いけど」
 と、シバが咳払いした。
 俺と美桜は顔を赤くしてサッと離れ、ソファで顔を歪める彼に身体を向けた。

「さっきの話を整理していた。あまりにも多くの情報が一度に提供されて頭がパンクしそうなんだが、要するに来澄はもう、“表”には戻れないと。テラはそう言ったんだよな」

「ああ」
 俺は答えたが、頭では納得していなかった。
「俺たちが思うよりずっと、レグルノーラの人々は追い込まれている。だから、救世主になり得る干渉者を確実にこの世界に引き留める必要があった。退路を断ち、全てをこの世界に捧げさせるため、ありとあらゆる方法をとろうとした。……ディアナもテラも、干渉協会のマシュー翁たちも、可能性に懸けていたのかもしれない。俺がもしかしたら、その人物なのかもという、いちるの望みにすがっていたのかも。そう考えると、俺は彼らの考えを否定することはできないし、今の現状を受け入れるしかないと自分に言い聞かせるしかできない」
 改めて言葉にして、俺は絶望をどうにか受け入れようとしていた。
 戻れないなんて嘘だ。逃げ出したい。そういう気持ちが心のどこかにあるのは否めない。
 けど、俺にはそういう選択肢は用意されていないのだ。
「“裏”の動きをもっと知っていたなら、こんなことにはならなかったかもしれないな」
 シバは目を細め、壁にもたれかかるジークを睨み付けた。
 ジークはムッとして顔を歪め、声を荒げた。
「僕だって知っていたら、もう少し慎重に事を進めていた。君らと行動を共にするようになった途端、ディアナ様も干渉者協会も、必要な情報をくれなくなったんだ。どうせ僕は協会とは縁遠いし、団体行動も苦手だ。お堅い協会の体質や塔の管理体制も好きじゃなかったから、仕方がないと諦めて行動したところまではよかったんだけどね。隠しごとがあればどうしても(ひず)みが生まれる。必死に埋めようと思ったころには全てが取り返しの付かない状態になっているということさ」
 フンとそっぽを向くジーク。
 気張ってはいるが、彼だって相当のショックを受けているに違いない。心なしか目が潤んでいる。
「『今は竜石で力を抑えているから人間の姿でいられる』のだと、ディアナ様はおっしゃいました。『今の状態では“表”に帰ることも叶わない』のだとも」
 思い出したように声を上げたのは、シバの隣に座っていたモニカだった。
 美桜とシバ、ジークに目配せし、「自己紹介が遅れていましたが」と前置きして立ち上がる。
「ディアナ様の命を受け、救世主様の援護を仰せつかっております。私はモニカ。そこの小さい彼がノエル。私たちは干渉者ではなく、能力者に過ぎないため、“表の世界”のことはよくわからないのですが、救世主様が大変なお立場なのは何となくわかります。私たちができることは限られているかもしれませんが、できることがあるならば、全力で当たらせていただきます」
 黒いフリルを揺らし、モニカは年下の干渉者たち相手に必死に訴えた。
「救世主様、ねぇ」と隣でシバは苦笑し、
「どう呼ぼうが勝手だが、来澄は全部背負えるほど大きい器じゃない」と言った。
「口だけならなんとでもなる。来澄が追い詰められている理由も何となくだが理解できた。けど、それで済まされる問題じゃない。人がひとり消えたんだ。“表”から。私たちの日常から。普通の男子高校生だった来澄に全部背負わせて、それで“裏”では何とかなるのかもしれないが、“表”ではどうだ。記憶を消してしまえば何とかなるのか。居なかったことにしてしまえば、それで全てが解決するのか。納得には程遠い」
 拳を強く握り奥歯を強く噛んで、シバは眉間にシワ寄せた。
 彼の気持ちが痛いほど胸に突き刺さる。なんだかんだ言って、シバが一番俺の気持ちをわかってくれているのだ。
「“表”で、一体何があった」
 そう聞くと、何故かシバは目を逸らした。
 簡単に言い表せない状態なのは何となく察している。美桜が『私たち以外の記憶から存在が消えてしまった』と言った、その意味を、彼らはなかなか教えようとしない。魔法で消されたというのはテラの話からも何となくわかったが、それだけじゃどうも実感が湧かないのだ。
 ジークの方も見たが、彼も俺の問いには答えたくないらしく、どこか遠いところを見ている。なるべく目を合わせたくないと言わんばかりに、表情は暗い。
 美桜は……と、隣に目をやると、彼女は青い顔をして肩を震わせていた。
「あの後、古賀先生だけが戻ってきて、私たちは絶望したの」
 振り絞るようにして美桜が言った。

「傷一つなく先生の姿で戻って来た彼は、壊れた公民館を魔法で元通りにした。公民館のおじいさんたちに何ごともなかったかのように頭を下げて、場所を借りたお礼を言って、帰り際に『キングパフェ奢るんだったよな』って先生は笑ったの。あまりにも自然で、私たちは怖くなった。凌が来ない、凌はどうなったのかって聞くと、先生は『あいつはもう戻れないだろう』って。何食わぬ顔で帰って行ったわ。私たちはレグルノーラに意識を飛ばして、必死に凌を探した。けど、見つからなかった。もしかしたら先に戻っているかもしれないなんて、淡い期待を抱きながら凌の家に向かったけれど、待っていたのは残酷な現実だった。『そんな子知らない』とあなたのお母さんに言われたとき、私たちはどれだけ泣き崩れたか。家を間違えたのかと思った。けど、“来澄”なんて珍しい苗字は滅多にないし、芝山君も何度も来てるけど間違いないって言うし、ジークもこの間来たけどここだったって言うし、私だって凌の入院中何度か行ったことがあるから絶対の自信があったのに。倒れた凌のことを心配していたお母さんの顔と、目の前に居る女性は間違いなく同じ人だった。なのに、どうして急に『知らない』だなんて。不信感を露わにするあなたのお母さんに、『凌君はあなたの息子さんですよね』と聞いたら、『確かに凌は私の息子だったけれど、小さいときに堰に落ちて死んだのよ』って言われて、私たちは初めてとんでもないことが起きていることに気が付いた。あなたの過ごした家にも学校にも、あなたという人間が居た形跡がなくなっていた。私たち以外の記憶からも、あなたの記憶はさっぱり消えて、最初から居ない人間になってしまっていた。……信じられなくて。何もかもが遅いなんて知らずに、私たちは何度もレグルノーラに飛んで、あなたのことを探し続けたのよ」

 淡々と語る美桜の言葉の一つ一つが、胸に刺さった。
 母が俺を『知らない』――? これが何よりショックで。俺はその言葉を聞いたとき、こみ上げてくる悲しみを堪えきれずに泣いてしまった。
 ――『堰に落ちて死んだ』
 そうか、そういうことか。
 俺はあのとき死んだのだ。
 農繁期の堰は流れが急だった。水も冷たかった。
 薄れる意識の中でレグルノーラに初めて飛び、幼い美桜と会った。

 俺はそのまま、死んだのだ。

 もしかしたら、俺は夢を見ていたのかもしれない。助かって、大きく成長した夢を。
 本当は堰の中で冷たくなって見つかって、小さな棺に入れられ燃やされて骨になったのだ。
 そう考えれば。

 俺は”最初から存在しなかったのだ”と考えれば。

 高校に入り美桜と再会したのも、彼女に『見つけた』と言われたのも、“干渉者”として変な力を身につけて魔物と戦ったのも、命懸けで世界を守れと言われたのも、彼女に泣かれたのも、キスをしたのも、全部全部全部全部夢だと思えば。
「ご……めんなさい、凌」
 美桜が服の裾を強く握ってきた。
「違う。ごめんなさい。こんなつもりじゃ」
 どうしよう。
 涙と鼻水が止まらない。
「違うの。違うのよ。そうじゃなくて」
「何ぁ、違ぅんだよ」
 言葉が、きちんと発音できない。

「私たちは知ってる。凌が生きてきたこと、頑張ってきたこと。だから、それを取り戻したい。そのためにはどんなことでもする。そういう覚悟だってこと。お願い……、泣かないで。ねぇ、泣かないでよ」

 涙が止めどなく出た。
 俺は死んだ。
 4歳で死んだ。
 竜化して戻らなくなったときより、テラに乗っ取られたときより、その事実がずっと堪えた。


     ■━■━■━■━■━■━■━■


 人間ってのは、誰かと繋がって、初めて“生きてる”んだ。

 教室の中で誰にも興味ないつもりで孤独を決め込んでいても、それを見ている誰かが居る。ほんの些細な出来事を恩に感じて慕ってくるヤツ、勘違いから突っかかってくるヤツ、勝手なライバル心で無駄にくっついてくるヤツ。いろんなヤツが居る。
 闇の中でぽつんとたたずんでいるように見えて、本当は周囲にいろんなものがあるのを見ようとしていなかっただけだった。
 馬鹿じゃないか。
 カッコつけて”ぼっち”を決め込んで。
 誰ともつるまない? 違う、つるめなかった。
 周囲の目が気になって、俺は必死に目と耳を塞いでいた。
 本当はもっと関わり合いたかった癖に、知らないフリをしてどうにか逃れたかった。

 何から?
 ――臆病な自分から。


     ■━■━■━■━■━■━■━■


 泣き腫らした顔を見せたくなくて、その晩は一人で過ごした。
 心配したメイドのセラとルラが交互に様子を見に来てくれたが、丁重に断った。
 頭の中でテラが何か喋ろうとするのを感じては無視した。

 一人になりたかった。

 覚悟だなんて簡単な言葉で表現するようなことはしたくなかった。
 俺は自分の立場と生き方を、短い期間で自分自身にハッキリと思い知らせねばならなかった。

 人はいずれ死ぬ。
 どんな状況で命を失うかはさておき、いずれ死ぬ。

 この命を最大限に生かしながら、どうにかこうにか与えられた使命をこなしつつ、全てを解決に導かなければならない。
 テラの言うこともわかる。
 ディアナやマシュー翁の言うこともわかる。
 シバの言うこともわかる。
 当然、美桜の言うこともよくわかっている。

 あの強大な竜とどうやって戦うのか考えなければならない。命を捨てる覚悟で挑んだところで何も起きないのは百も承知で、あの竜を倒し、悪魔を排除しなければならない。

 逃げれば、呪いで俺は死ぬ。
 逃げなくても死ぬ。

 どうせ死ぬなら――、せめて全部終わってから、見届けてから死にたいよな。


     ■━■━■━■━■━■━■━■


「スッキリとしたようじゃの」とマシュー翁が言った。
「はい。お陰様で。その節は竜が無礼を」と、俺は頭を下げた。
 干渉者協会の会長室は相変わらず本の山だ。レトロチックな雰囲気は独特の威厳を感じさせる。
 モニカとノエルを従え、俺は再び教会を訪れていた。どうしても、マシュー翁に会わねばならなかった。
「そろそろ来るころではないかと思っていたのじゃ。そなたはあの本の秘密を知りたいのじゃろう。黒く書かれた中に何が書いてあったのか」
 マシュー翁は長く伸びた眉毛をハの字にして、俺に静かに微笑みかけてきた。
「はい」と俺は短く返事し、マシュー翁が例の本を執務机の中央に広げるのをじっと見ていた。
「黒塗りの部分はの、儂らには全く読めぬのじゃが、真に救世主となり得る若者が現れればその者には難なく読めると、そういう風に聞いておる。……どういう意味か、そなたには何となく見当が付いているのではあるまいか。先日読めなかった部分がもし読めたとしたら、そなたは真に救世主として認められた証となろう。……怖いか」
「いいえ」
「よい、面構えじゃ。この数日でまた、人が違ったの」
 マシュー翁は全てを見透かすように、小さく笑った。
 分厚い古書のページがめくられ、様々な文字が目の前を通り過ぎていった。レグルノーラの歴史、魔法について、過去の災い、白い竜、そして救世主。
 赤い石を持つ青年の図柄と金色竜。
 俺は執務机に広げられた本に近づき、そっとそのページにある黒塗りの部分に手を触れてみた。赤い石を持った青年がコントロールに苦労した記述の先。そこから先に何があるのか、どうしても知りたかった。
 指で撫でると、そこから消しゴムをかけたように黒塗りが消えていった。そう見えた。

≪竜石は竜の力を上手く封じ込めたが、同時にリアレイトの干渉者から過去を奪った。リアレイトの干渉者は徐々に人間らしさを失い、やがて完全なる竜人となって白き竜に立ち向かった。
 白き竜は彼に苛立ち、リアレイトに侵攻した。街は炎に包まれ、空も海も赤く染まった。
 リアレイトの干渉者は竜人となっても尚これに立ち向かい、二つの世界の狭間に自らの命をもって白き竜を封じた。白き竜はその封印を解くことができず、姿を消したと言われている。
 リアレイトの干渉者の死と同時に金色竜の力を封じ込めていた竜石は砕け散ったとされる。(あるじ)を失った金色竜は卵に還り、洞穴の奥で他の卵と共に眠りに就いた。目印はなく、どの卵が金色竜のそれであるのか、探る術はない。≫
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