挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
レグルノーラの悪魔〜滅びゆく世界と不遇の救世主〜 作者:天崎 剣

【19】侵食

81/125

81.打つ手なし

 決して広くはない公民館の会議室が戦場に変わるのは時間の問題だった。
 黒い塊となった古賀のシルエットが徐々に変化し、その本性を露わにしていく。肥大化する筋肉、長く伸びる尾、ゴツゴツとした胴体周り。元々長身だった古賀の身体が膨れあがるにつれ、俺たち五人は戦々恐々とし、知らず知らずのうちに後退っていた。
 やがて古賀を包んでいた黒が色を帯び、魔物が姿を現す。
「リ、リザードマン」
 呟いたのは芝山だった。椅子から転げ落ちて尻餅をつき、青い顔で半竜人に変化(へんげ)した古賀の顔を見上げている。
 甲高い悲鳴を上げる須川。倒れそうになるのを美桜が後ろからサッと押さえた。
 グルルル……と喉を鳴らしながら、リザードマンは振り返って周囲を見渡す。
「とうとう正体を現したな」
 陣はテーブルの向こうで両手を前に突き出し、空っぽの魔法陣を出現させている。
「違和感は間違いじゃなかった」
 一文字一文字刻まれていくレグルの文字。
「本物の古賀先生は……? あなた、誰なの……?」
 震える須川の肩を抱きながら、美桜はリザードマンを睨み付けた。
「本物ォ? さァ、何のゴと、ガなぁ」
 肩を震わして笑い出すリザードマン。左手に持った槍を高く振り上げた。先端がキラリと光る。視界がブレた、と思った瞬間、バリバリバリッと聞き慣れない嫌な音がして、手前の会議用テーブルが一つ、M字型に崩れ落ちた。テーブルの上に置きっぱなしだった芝山手製の資料や飲みかけのペットボトルが床に転がる。
「ちょ、ちょっと待って。嘘だろ。今さっき入れ替わったとか、そういうのじゃ」
 壁伝いに立ち上がり、芝山が眼をキョロキョロさせる。顔が引きつり、足をガクガクさせた芝山は、目の前で起きていることを上手く飲み込めていないようだ。
「細かいことはよくわからないが、休憩の前後で人が変わったとか、そういうんじゃない。かと言って、僕みたいに“向こう”に本体があるわけでもない。全く別の形でこの世界に侵入してきた……らしい。こんなこと、どんな干渉者にもできやしない。となると、(あるじ)は」
 そこまで言って陣は一度、間を置いた。
 魔法陣に全ての文字が刻まれ、光り出す。パァンと弾けるような音がして、会議室全体にシールドが張られた。

「“ドレグ・ルゴラ”か」

 チッと最後に舌打ちし、陣もその手の中に両手剣を出現させた。
 かの竜の名前が出ると、皆一様に息を飲んだ。リザードマンとなった古賀だけが耳まで裂けた大きな口でケタケタと笑っている。
「ご名答ォ。我が(あるじ)ハ血と恐怖と混沌をご所望ダ。正義感ヲ振りかザした未熟な干渉者ドモよ。大人しく恐怖に沈めバ良かったものヲ。偉大なる(あるじ)ノ壮大な計画を阻止センとするならバ、生かしてハおけナイ。特に来澄ィ……。お前ハな」
 言いながらリザードマンは俺の方にぐるんと向き直った。太い尾が折りたたみ椅子をひっくり返し、バタンバタンと音を出す。
 逆光でその顔はハッキリ見えない。ギラギラと光る目、口からはみ出んばかりのたくさんの牙は、トカゲそのものだ。物理教師古賀明の影も形もない。
「いつから、だよ。いつから翠清学園に侵入して。普通に授業してたし、テニス部だって。確か家庭もあるんだよな。一体、何がどうなって」
 両手で剣を構えながら言うセリフじゃないのはわかってる。けど、そうでもしてないと、直ぐに襲われてしそうな気がして、俺だって気が気じゃない。
 リザードマンはまたケタケタと笑う。

「まさカ、我が(あるじ)が干渉者ノようニ、分身を異界ニ派遣してイるだけダとでも? 現実ハもォッと残酷ダ。こノ身体ガもし、古賀明そのものだっタとしたら、お前ハどうすル。その剣デ叩ッ切るのカ? こレまでと同じようニ」

 ど……どういうことだ。
 何か今、良くないことを聞いた。
 このリザードマンが、半竜人の魔物が、古賀そのもの……?
「冗談、だろ……?」
 顔が引きつる。

「レグルノーラの魔物のようニ俺ヲ倒せバ、古賀明という人間ハ死ヌと言っタのだ。つまりハ“人殺し”、っテことに、なルよなァ」

 何を、何を言ってるんだコイツは。
 この鱗だらけの爬虫類が古賀だって? 
 喋りにくいのかイントネーションがあちこちおかしくはあるけれど、確かに声は古賀のものだ。さっきまでと空気の色も極端に違っちゃいない。
 けど、こんなことがあるか?
 どこの特撮だ。どこの漫画だ。
「人質って、わけか」と陣。
「かの竜は古賀先生を人質に取ったってことだろう。人質となった彼の身体に魔物を侵入させ、意識も身体も全部乗っ取ってしまった。違和感はそれか。干渉者のように二つの世界を行き来できていたのも、身体の中に魔物が侵入していたからだな。魔法が使えないのも、僕たちの後を追ってあの場所に飛んで来られたのも、それが原因に違いない」
「にしても陣君。別世界の人間の身体の組織まで全部書き換えてしまうなんて、そんなことあり得るのかな。目の前の魔物が嘘を言ってるだけってことも」
 芝山が口を挟んだ。陣は半竜人を睨み付け、
「それを可能にするのが“ドレグ・ルゴラ”。単に身体が大きいだけって訳じゃないってこと。何が目的か知らないが、かの竜の力は着実にこの“表の世界”にも侵食してきているって、彼は言いたいんだろうよ」
 言いながら陣は、小さな魔法陣を剣にスライドさせ、炎を纏わせ始めた。
「話ヲ聞いテなかっタのカ? 俺ヲ倒せば古賀明ハ死ヌ」
 リザードマンはケケケと笑う。
「だからどうした」
 ニヤリと笑みを浮かべ、陣は残ったもう一つの会議用テーブルに足をかける。
「悪いけど、“裏”の僕には“表”の誰が死のうと知ったこっちゃない。凌もシバも美桜も動けない今、僕が動かないで誰が動くんだってねぇ!」
 バッと陣の身体が宙に浮いた。炎を纏った剣をぐるんぐるんと回転させ、勢い付けて落ちてくる。
「凌、邪魔だ」
 我に返り、陣の攻撃範囲から脱する。
 リザードマンは攻撃を右手の盾で防ぎ、陣の剣を跳ね返した。
「“裏ノ干渉者”かッ!」
 驚きを隠せないリザードマンに、陣が更に斬り込んでいく。早い。
 魔法戦くらいしか見たことがなかったが、陣のヤツ、実は直接攻撃もイケるクチか。槍で応戦するリザードマンの攻撃を上手く(かわ)しながら間合いに入り、どんどんダメージを与えている。固い皮膚を貫通することは難しそうだが、それでも矢継ぎ早に繰り出される攻撃が効いているのか、敵の攻撃に一瞬間が開いた。
「魔法で応戦くらいしてくれよな!」
 陣はそう言って、俺と芝山、美桜に目配せする。
 しかし、そうは言われても相手は生身の人間。殺してしまうようになったらと思うとなかなか手が出せない。
「仕方……ないわね」
 そう言って動き始めたのは美桜だった。須川をそっと窓際に寄せ、魔法陣を描き始めた。相変わらず美しい繊細な円。細かな文様も、彼女独特のもの。パァッと魔法陣が光り輝き、同時にリザードマンが縄で縛られたかのように動けなくなる。
「あまり長くは持たないかもしれないけど」
「ありがとう、美桜」
 なるほど、補助系の魔法なら。
 とにかく、そのまま攻撃するのはゴメンだ。どうにかして古賀の身体からこのリザードマンを引っぺがすことができれば。芝山と帆船で戦ったときは(おさ)変化(へんげ)を解くことに成功した。同じことができれば楽なのに。
 むずむずする。
 剣も防具も、一旦ナシだ。
 両手剣を放り投げ、防具も消し去る。
 空っぽの魔法陣を描く。俺のは相変わらず単純な図形だ。二重丸のなかに三角を二つ、上下逆さまにして重ね合わせてダビデの星を作り、円と円の間に日本語で文字を刻んでいく。
 ――“リザードマンの変化(へんげ)を解き、古賀明と完全に分離させよ”
 できるのかどうか。やってみなくちゃわからない。
 リザードマンの中に閉じ込められた――という表現が適切なのかどうかさえ疑問だが、古賀を引きずり出すイメージで。
 魔法陣が金色に光る。
 美桜の魔法で動けないリザードマンの身体が、一瞬ビクンと大きく動いた。
「イケたか?」
 以前同じような魔法をかけられた張本人、芝山が魔法陣の文字を読み取って拳を強く握る。
 しかし。
 変化がない。
 リザードマンがニヤリと笑う。
「そんナ子供だましノ魔法でハ引きはがセない。俺自身ガ古賀明でアリ、かの竜ノ使いなのダかラ」
 嘘、だろ。
 俺が崩れ落ちそうになっているのを陣は見ていたらしい。
「気にするな、凌。僕は最初からこんなことだろうと思っていた」
 丁度そこで美桜の魔法が切れた。
 大きく剣を振り、リザードマンに斬りかかる。サッと避けられた剣先がキャスター付きのホワイトボードに当たった。バンと大きな音を立ててボードがひっくり返る。その上をリザードマンはわざとらしく踏んで歩き、ボードのあちこちをボコボコに変形させていく。
 ふいにコンコンと、会議室のドアをノックする音が。
「ヤバい」芝山は慌ててドアに駆け寄り、向こう側の音を聞いた。
「いえ。大丈夫です。ちょっと、トラブルがあって」
 必死に弁明する芝山。
 ガチャガチャと取っ手を回し入ってこようとするのを、内側から鍵を掛け、体重をかけて押さえている。
「鍵、持ってくるらしい。ヤバい。どうにか……!」
 俺も慌ててドアに駆け寄り、芝山の手助けをする。
 外から鍵を開けようとしている。公民館事務室のじいさんたちがなにやら言いながらドンドンとドアを叩いている。
 会議用テーブルは真っ二つ。折りたたみ椅子はひしゃげ、ホワイトボードはボッコボコ。剣を振り回したときに付いたのか、壁はあちこち傷だらけ。こんな現場を一般人のじいさんたちが見たらどう思うか。
 二人で背中をドアに押しつけ、絶対に開けられて堪るかと歯を食いしばる。
 あっちもこっちも、何でいつもこう、ギリギリなんだ。
「何ヲしていル」
 何をじゃねぇ!
 リザードマンが俺たちに気が付いて近寄ってくる。足元の椅子や机の残骸なんか全然関係なしに、ズンズンズンズン進んでくる。
「お前の相手は僕だ! 逃げるな!」
 追いかける陣を尻尾で払う。はじき飛ばされ、長机の角に頭を打ち付けられた陣。打ち所が悪かったか、そのまま意識を失い、パンと消えた。
 陣も居ない。攻撃もできない。リザードマンが迫る。じいさんたちがドアをこじ開けようとする。
 絶体絶命というのはこういうことを言うのか。
 せめて、せめて後ろのじいさんたちだけでもどうにかできないのか。
 悩んでいるウチに、リザードマンは真ん前まで来ていた。
 爬虫類の目が俺と芝山を睨み付けてくる。槍を右手に持ち替え、左手で芝山の胸元を掴み――投げた。ウワッと声を上げて転がる芝山。眼鏡が飛び、転がる音。なんてことをと芝山に目を向けた隙に、ヤツは俺の胸ぐらを掴んだ。ぐるんと回転する景色、背中に強い衝撃。会議室のドアが無防備に。このままじゃ。
「ダメッ!」
 美桜は叫んで魔法を放とうとした。が、間に合わなかった。
 俺は思わず目をつむった。

 ガチャリとドアが内側に開いた。

「ちょっと困るんですよね。他に利用者がいないとはいえ、もう少し静かにしていただかないと。ここは住宅街なんですよ」
「勉強会をすると言うからお貸ししたんです。勉強してるにしては音は大きいし、変な物音はするし、一体何をしてるんです」
 二人のじいさんがそれぞれに口にする。
 リ……ザードマン相手に?
「すみません。勉強会はしてたんですが、ちょっといざこざがあって。今落ち着いてきたところですから。あ……ご心配なく、綺麗に掃除して帰りますから」
 古賀……の、声だ。言い回しが戻っている。
「全く。頼みますよ。今日は先生も付いてくるって聞いてたから安心してたのに」
「本当に申し訳ありません。注意しますので」
 恐る恐る目を開ける。あのシルエットは……、いつもの古賀だ。
 パタンとドアが閉まると、再びシルエットが変わる。――リザードマンに。
「おい……どういうことだよ。じいさんたちにはこれが見えてなかったってことか?」
 身体を起こしながら、改めて会議室を見まわす。やっぱり酷い有様だ。なのに、じいさんたちは何も言わなかった。
「陣のシールド魔法ガ効いテいたのダ。シールドの向こう側からハ惨状ガ見えナい。陣ハ音モ漏れヌよう、もう少シ強いシールドヲ張るべキだったナ」
 グワッと大きな鰐口を開けると、宙に赤黒い魔法陣が浮かんだ。文字が光り、パンと弾ける。
「これデ、外界とハ遮断されタ。さァ、どうスる? 未熟ナ干渉者ドモ」
 コイツ……、リザードマン自身は魔法が使えるのか。古賀とどのくらい意識を共有しているのかわからないが、俺たちの前で魔法は使えないと言っていたのは、もしかしてこの姿にならないと上手く力を使えないからではないか。
 冷や汗がたらりとあごを伝った。
 シールドで囲まれたとはいえ、ここは“表”。つまり、まともに戦えるのは恐らく俺と美桜だけ。芝山は“裏”なら強いが、こっちじゃ只のガリ勉君だし、須川はあの暴走していたときを除けば実戦経験もない。
 マズい。非常にマズい。
 殺人だと脅されれば、確かに手の出しようがない。しかし、正当防衛って言葉もあるよな。この場合、それが適用されないか? ……なんて、レグルノーラから紛れ込んできた化け物にそんな言葉が通用するわけないが。
 戦う気はあるかと美桜に目配せする。美桜も美桜で俺の出方が気になるらしく、目が合った。二人、リザードマンの動きを覗いながら、少しずつ近づいていく。倒されたテーブルや椅子の上を慎重に移動し、ようやく美桜の直ぐそばまで辿り着いた。
「強力な結界を向こうが張ってくれたのだから、思い切って暴れまわるってのはどう?」
 背中合わせに、美桜が言った。
「なるほどね。で、勝算は?」
「あるわけないでしょ。凌こそ、何か良いアイディアないの?」
「あったらどうにかしてるけど」
「ま、そうよね」
 リザードマンの皮膚は硬い。全身鱗に覆われ、陣の魔法剣でもまともに傷を付けることができなかった。防具は装備しているが、最低限。つまり、その最低限の部分が弱点かも知れないということは確か。胸当て――心臓か。どの生き物だって、おんなじだ。けど、そこを狙えば古賀が死ぬ。
「今日はまだ力に余裕、あるわよね?」
「ま、まぁ。そこそこは」
「なら、こういうのはどう? レグルノーラから助っ人を呼ぶ」
「助っ人?」
 おいおい、なにを言い出すんだ。悪いけど、助けてくれそうな人なんかどこにも。
「深紅を呼べば」
「ハァ?」
 思わず声を荒げ、慌てて口を塞いだ。
 ちょ、ちょっと待てよ。それってもしかして。
「テラのこと?」
 うなずく美桜。
「噂を耳にしたのよ。『干渉者の中に、竜と一体化して戦う人間が居る』って。私、話を聞いて、それってもしかしたら凌のことなんじゃないかしらって、思ったのよね。あなた最近、陰でコソコソと活躍してくれているらしいし。それに、噂の干渉者とよく似てる」
 マジか。噂になってるなんて、聞いてないぞ。
 それこそあのドレグ・ルゴラと対峙したキャンプでの出来事が拡散したと考えて間違いないだろうな。後にも先にも、派手にやらかしたのはアレだけだ。
「テラは竜だぞ。人間の姿にはなれるけどさ。“こっち”になんか呼べると思うか?」
 馬鹿にするなよと半笑いで返すが、美桜は真剣だ。
「呼べるわよ。ドレグ・ルゴラとやらがリザードマンを派遣してるくらいよ? 竜ぐらい、呼べるんじゃないの?」
 根拠がないにしては、自信たっぷりの言い回しだった。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ