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レグルノーラの悪魔〜滅びゆく世界と不遇の救世主〜 作者:天崎 剣

【16】蓼食う虫

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63.黒い大蛇

 粘着質の表面はレグルノーラで見たダークアイとよく似ている。鱗状に見えるのは流動的な上皮で、まるで身体全体に黒いタールが流れているようだ。剣で叩き切ったとしても銃を撃ったとしても効果なさそうだし、これはちょっと考えながら戦わなきゃ、無駄に力を消費するだけになりそうだな……なんて、悠長に分析してる場合じゃなくて。
 須川が右手をサッと掲げると、大蛇がグイッともたげた頭を高くした。その口元にはクッキリと白く鋭い牙が見えている。
 “表”でここまで実体化したのを見たのは初めてだ。この教室自体が“ゲート”とはいえ、こんな巨大な魔物が現れるなんて、見えないところで何か起こっていたのだろうか。
「芳野さんから行こうかなぁ。やっぱり、邪魔だもんね。来澄君には相応しくないよ」
 鎌首が俺より少し右後ろにいた美桜に向かって伸びていく。早い。魔法陣なんて錬成する暇もない。
「美桜! 避けろ!」
 叫ぶのが精一杯。
 開きっぱなしの出入り口から転げるようにして廊下にと逃げる美桜。そのスレスレを大蛇は通り過ぎ、廊下から今度はやはり開けっ放しの窓を通って戻ってくる。廊下に面したガラス窓が振動し、今にも壊れそうだ。
「あ~あ。避けられちゃった。次は狙うよ」
 須川は完全に大蛇をコントロールしている。自分の力に全く覚えがないと言っておきながらこんなことができるってことは、やはり無意識下で力を使っていたということではないのか。
 廊下で顔を青くする美桜と須川を見比べる。周囲に誰もいなくなったとはいえ、クラスメイトに向かって反撃すべきかどうか。“こっち”で魔法を使うことがどれだけ体力、精神力を消費するかわかっているだけあって、なかなか手出しできないのは、美桜も同じなんだろう。難しい顔をして須川を睨んでいた。
「――っと、離してよ。何するの」
 須川が叫ぶ。彼女の真後ろに立ち、両肩を締め上げていたのは芝山だった。背の低い芝山は、須川より少し小さかった。背伸びしながら必死に彼女の動きを封じようとしている。
「何って、こんなこと、止めさせようとしてるに決まってるじゃないか」
「うるさい! チビ! キノコ!」
 芝山に言ってはいけないワードを放って、須川は抵抗した。それでも芝山はじっと堪え、須川を離そうとしない。
「落ち着くんだ。須川さん。こんなことしたって何にもならない」
 陣も須川の右腕を掴み、説得に当たっている。
「こんなことして力を使い果たしたら、君の身体がもたない。君はいろいろ誤解している」
「誤解なんて。あんたに何がわかるって言うの。来澄君は彼女を守ろうとした。それが十分な証拠じゃない。あの二人、そういう関係なんでしょう。やだな。不潔だな。来澄君、これ以上汚れちゃったら私、嫌いになっちゃうかもしれない。そんなの嫌だ。今のうちに離してあげなくちゃ。二人の仲を裂かなくちゃ」
 須川の目は、完全に狂っていた。
 彼女の周囲に新たに立ち上り始めた黒いもや。徐々にハッキリと浮かび上がり、粘着質のベトベトになって、芝山と陣に絡まっていく。
 左手で必死に払う陣。が、黒の物体はどんどん増殖して陣の自由を奪っていく。
 芝山にも、黒が絡む。払おうとして手を緩めれば須川が逃げるとわかっているからか、芝山は目をぎっちり瞑って堪えている。
 須川はそれをさも楽しそうに眺めていた。
「面白いね。これ、本当に私の力なの。こんなことができたんだね、私」
 こんな……どうすればいいんだ。
 あんな身体中に巻き付いた黒いものを、どうやって落としてやれば。美桜なら、何か方法を知っているのだろうか。
 チラリと廊下の方を向く。が、美桜がいない。
 と、廊下に面した窓枠に廊下側から足をかけ、右手に片手剣を持った彼女の姿が目に入る。魔法を帯びているのか、剣全体が黄色い光を帯びている。
「まさか……戦う気?」
「当然」
 美桜は左手で、クイと眼鏡の位置を戻した。
「止めないと、もっと酷いことになる。それに、私が原因なんだから、キッチリ落とし前付けないと」
「体調は」
「そんなこと、気にしてる場合じゃないでしょ」
 言うが早いか、美桜は窓枠を通って剣をもったまま教室へと雪崩れ込んだ。狙うは黒大蛇。光の魔法を帯びた剣が胴を掠める。
 ビュッ……っと大蛇の身体が一部破裂した。魔法に触れたところだ。
 机の上に着地する美桜。腰を落とし、次の攻撃に移る。
「し、仕方ないか」
 さっきの鎖の魔法でそれなりに体力を使ってしまったが、美桜の言うとおり、俺も落とし前付けないと。全く身に覚えはないが。
 背負っていたリュックを教室の角にぶん投げ、身体を軽くした。右手に力を集中させ、いつもの両手剣をイメージする。具現化したところで魔法をスライドさせ、炎を纏わせていく。
 窮屈そうにうねる黒大蛇。美桜の攻撃に悶え、こちらへと向かってくる。下から――思いっきり剣を振り上げて腹の部分へ刃を這わせる。ジュワジュワッとビニルの焦げたような臭いと共に、大蛇の腹部が千切れていく。やはり、魔法剣は有用だ。
 美桜と二人、大蛇の身体を削るように攻撃を続ける。レグルノーラにいるときと比べて格段に動きが遅いのは困りもの。やはり、イメージ優先の世界と現実世界じゃ全然違う。“こっち”じゃ身体がイメージに追っつかない。腕も痺れるし、息も上がる。それに、大蛇になぎ倒された机が障害になって、うまいこと足場が確保できない。何度も転びそうになりながら、それでも必死に剣を振るった。
 大蛇の身体は徐々にボロボロにささくれていった。この調子だ。ゴボウを()ぐように大蛇の身体も削っていけば。
「キャア!」
 ふいに美桜の叫び声。
 攻撃を逃れた黒大蛇が、その口を大きく広げて美桜の胴体に食らいついている。美桜の白い腕と身体に牙が刺さり、鮮血が舞った。
「美桜!」
 三人が三人とも美桜の名を呼ぶ。
 俺は攻撃を止め、陣は須川の手を離し、芝山は須川の身体を解放する。
「馬鹿! 離しちゃダメ!」
 腹に食いつき、放れようとしない大蛇の攻撃に耐えながら、美桜が叫ぶ。
 須川が自由になった。
 気付くのが遅すぎた。
「馬ァ鹿」
 須川が不敵に笑み、自由になった腕を思いっきり伸ばして美桜に手のひらを向ける。
 ドンと大蛇の身体が波打ち、せっかく削って細くした胴体が、まるで水を流したホースが膨らんでいくように尾の方からどんどん元に戻っていった。
「さ……最悪」
 体力が削られただけで元の木阿弥か。
「畜生!」
 美桜に駆け寄り、剣を床にぶん投げて大蛇の上あごに手をかける。どうにか、どうにかコイツを剥がさないと。
「私のことなんてどうでもいいから、攻撃を、攻撃を続けて。今なら動かないし、攻撃しやすいでしょ」
「何言ってんだよ! 血が、血が出てるんだぞ」
「血なんかより、彼女を、彼女を止めて。早く」
 ベトベトの黒大蛇の身体は、思うように手が引っかからなくて、牙の間に手を引っかけてどうにか口を開かせようとしても滑ってしまう。初めは身体から大蛇を剥がそうと、必死に唯一被害を免れた右腕を大蛇に押し当てていた美桜だったが、徐々にその力が弱くなっているのがわかった。息も荒く、顔が青白い。血はボタボタと床にまで滴っている。
「こんな状況で……、こんな状況で美桜のこと、見捨てられるわけないだろ」
 レグルノーラに関わってこれまで、いろんな戦いをしてきたけど、こんなに美桜の血が流れているのは初めてだった。彼女はいつも俺の前にいて、強い力で敵を撃破して、いつも勝ち誇っていた。
 それが、何だ、これは。
 しかも、“表の世界”で。
 信じたくはない。けど、この感触も、耳に響く彼女の呼吸も、突然のピンチでどうすべきか迷って涙を浮かべてしまっている震えた俺の身体も、これは夢なんかじゃなくて現実で、誰かに何かを願ったところでどうにかなるもんじゃないんだってことを痛いほど伝えてくる。
「泣い……てるの」
 美桜が言う。
「泣いてなんかいない」
 頬を流れるものが涙かどうか、そんなこと、俺にはわからない。
「でも」
 大蛇の口が少しだけ、開いた。もう、少し。
 俺は左腕を牙と牙の間に入れて噛ませ、美桜の身体を思いっきり外側に押し出した。細かい牙が二の腕に突き刺さる。だけど、こうすればてこの原理で少しずつ美桜が解放されていくはず。
 反対側の腹に刺さった細かい牙が彼女の身体に食い込んだのか、うめき声を上げる美桜。
「もう少し、もう少しだけ、我慢して」
 両足で踏ん張って全身使って、美桜の身体を少しずつ大蛇から剥がしていく。長い牙が少しずつ彼女の腕から抜けていった。そうだ、この調子で。

 ――パァンと、乾いた音がした。
 それは何かが弾けた音と言うよりは、弾力性の高い何かを弾いたような音だった。
「何……何するのよ芝山君」
 須川が怒鳴っている。
「冷静になりなよ、須川さん。自分のやっていることがどんなか、本当はわかってるんだろ」

 視界の外側で、何かが光る。
「美桜! 凌! 大丈夫か?」
 陣が何か喋っているが、反応などできる余裕はない。
 小さな爆発音がいくつもして、その振動が大蛇の身体を伝い、無理やり噛ませた左腕から俺にまで伝ってくる。どうやら陣が魔法を使っているようだ。彼なら俺より効率的に黒大蛇を削れる。

「こんなことしたって来澄が君の方を見ることはないと思う。誰かを傷つけることで得られた安心なんて、脆いものだよ。大体、須川さんが思うような関係じゃないから、あの二人。そこは理解して欲しい」
「……理解? 馬鹿じゃないの。芝山君、あなただって言ってたじゃない『不潔だ』って。だってそうでしょ。穢したのよ。私の思い出も、想いも」
「だからそれは誤解で」
「どんな誤解だってのよ!」

 美桜の顔が、青白い。さっきより更に血色が悪くなっている。
 力が、徐々に抜けている。早くしないと、本当に命が危ない。
 まさかとは思うが、この長い牙に毒でも仕込んであるのだろうか。だとしたら、どうやって助けたらいい。
「もう……やめて」
 苦しそうに呟く美桜に、俺はどんな顔を向けているのだろう。
「私なら、大、丈夫だから」
 唇が青紫色だ。これのどこが。
「喋るなよ。もう、少しなんだからさ」
 左肩に体重をかけ、黒大蛇の頭をグッと押していく。もう少しで、牙が抜けそうだ。

「綺麗で優等生でみんなの憧れの的で。そんな人が私の気持ちなんてわかるはずないと思うわ。劣等感の塊みたいな私がただ一つ大切にしてきた想いだったのよ。それに、誤解でないとしたら、今のアレは何。どうしてあんなに必死に芳野さんを助けようとするの。おかしいんじゃないの。来澄君にとって彼女は命を賭けてまで守るような存在なの? そんな存在、なくなってしまえば良いじゃない。この世から消えてしまえばいいじゃない」

「二人とも、無事か」
 スッと、綺麗な男の手が視界に入った。
 黒いタール状のものを身体にくっつけたまま、陣が駆け寄ってきたのだ。
「下あごはこっちが」
「助かる」
 黒大蛇から美桜を引き剥がすべく、二人同時に逆方向へと力を入れる。視界の外でドタンバタンと蛇が本体をくねらせて抵抗している。その度に机や椅子が跳ね、ぶつかり合って凄まじい音を立てる。
「魔法、行けるか」と陣。
「何の」と俺。
「自分の身体に雷を帯電させて、体当たりする。痺れてくれたら儲けもの。いちにのさんで美桜を引き剥がして、魔法発動、OK?」

「人を助けるのに、理由なんているのか」
 芝山は声を低くした。
「苦しんでいたら手を差し伸べるし、傷ついていたら癒やしたいと思う。それじゃ、ダメなのかなぁ、須川さん。簡単に人を嫌うような人間を好いてくれる人って稀じゃないかな。やっぱりさ、互いの心が通じ合うには、それなりに柔軟性が必要なわけでしょ。想いが叶う叶わない以前の問題としてさ、心に壁を作って、それどころかそんな真っ黒な力で武装してちゃ、誰も君を好いてはくれないよ」

「……OK。つまりは魔法陣錬成なしってことだよな。やったことないけど、やってみる」
「そう来なくっちゃ」
 手に汗が滲む。額を汗が伝う。
 やるっきゃ、ない。
「じゃ、行くよ。いち……にのぉ……、さん!」
 出せる限りの力を使って、大蛇の上あごを美桜から引き剥がす。
 美桜の身体が宙に放たれた。傷口からたくさんの血が舞う。机と机の間に倒れ込む美桜を傍目に、次の動き。
 雷をイメージ。
 多めの電気を身体に蓄える。どう、イメージする? 魔法剣みたいに、自分を剣になぞらえて魔法陣をスライドさせてみるか?
 陣は先に魔法を帯びている。
 急げ。
 ――“雷よ、全身に纏え”
 けど実際、魔法陣なんて描いてる時間はない。あくまで足から頭の先に魔法陣が通り抜けていくのをイメージして。
 ビリッと、電気が走った、気がした。
 陣がパチンとウインクする。合図だ。
「せぇ――のっ!」
 身体を丸め、黒大蛇に向かってタックルする。二人の身体に纏われていた電気が大蛇を痺れさせる、動きが鈍る。
「うぉっしゃ! 今だ、凌、やれっ!」
 そう言って陣が投げてきたのはさっき落とした両手剣。
「跨がって、腹を掻っ捌け!」
 まだ辛うじて帯びていた炎の魔法。これをもっと強くして。
 仰向けに転がった大蛇の喉元に剣をブッ刺す。両手に力を込めて思いっきり手前に引く!
「てやぁぁぁぁぁぁぁあぁあああ!!!!」
 ウナギの腹を捌くように頭から腹、尾に向かって剣を走らせる。机や椅子に阻まれながらも、走る、走る。
 千切れ、弾けていく黒大蛇の身体。
 走れ、走れ、走れ、走れ。
「後処理は任せろ!」
 千切れた肉片を砕くのは陣の魔法か。パンパンパンと小さな破裂音が続く。
「消えて、なくなれぇ――――っ!!」
 ブンと最後に剣を振り上げた。
 その先に、須川がいた。
 肩で息をしながら、俺は振り上げた剣をゆっくりと下ろした。
 俺の表情が相当恐ろしかったのか、須川は窓に背中を付いて、そのままぺたりと座り込んでしまった。
 教室中に広がっていたベトベトの黒い塊は、殆ど消えていた。
「来澄君はどうして……どうして芳野さんを守るの」
 須川は怯えたような顔で、まだそんなことを。
「その、変な力と、何か関係があるの」
 息が上がってまともに声が出ない。肩で息をしたまま、俺は深く、うなずいた。
 須川は下を向き、左の頬を擦った。どうやらさっきの乾いた音は、芝山が須川の頬を勢いよく叩いた音だったらしい。芝山は芝山で、ばつが悪そうにじっと左手で右手をさすっている。
「須川さんの力だって、来澄と同じ、“裏の世界レグルノーラ”の影響で使えるようになってるんだ。力の使い方を間違えば、魔物を生み出す。君は、自分が間違ってるんじゃないかって、どこかでわかってたんじゃないの」
 芝山の身体に張り付いていた黒い塊も、ボロボロと小さく砕けて消えていく。
 須川は遠い目をして、深く、ため息を吐いた。
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