挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
レグルノーラの悪魔〜滅びゆく世界と不遇の救世主〜 作者:天崎 剣

【14】美桜の居ない日

50/125

50.突然の申し出

 冷たい床の感触。背中に降りてくる涼しい風。
 自室にうずくまっていた。
 身体を起こし、壁の時計を見やる。あれからどれだけ経った? いや待って。そもそも、気を失ったのは、何時何分頃だったのか。
 学校に行って、美桜のマンションに行って、それから帰って階段上がると兄貴が居て。部屋に入りエアコン付けて振り向いたらディアナが居て。
 夕暮れだった。
 今は、完全に日が落ちている。
「間一髪だったな」
 低い女の声に、俺はドキリとして周囲を見まわした。
 ディアナだ。ベッドの上にどっしりと腰を下ろし、手足を組んでじっとこちらを観察している。いつもの裾の長いドレスじゃなくて、砂漠に連れて行かれたときのショートパンツ姿。流石にサンダルは履いていなかったけれど、そのときの格好のままだったところをみると、それほど時間は経過していないのかもしれない。
「安心するがいい。こちらの時間で1時間程しか経過していない。さっき、母親が帰宅した。夕食の支度ももうすぐ終わる。お前の姿になって、適当に対応しておいた。呼ばれたら何ごともなかったかのように、久々の家での食事を楽しむがいい」
 1時間――。あの濃密な長い経験が、たったの1時間。砂漠での時間が長かったとはいえ、あまりの短さに衝撃を受ける。
 砂漠に飛ばされ、サンドワームや岩蠍と戦い、テラと契約を結び、力尽きたのを帆船に助けられた。そこで(おさ)の姿をした芝山と戦い、和解し、砂漠を抜けようとしたところで今度は時空嵐に呑み込まれた。目を覚ましたら過去にいて、幼い美桜とその母親と出会い、彼女らが“かの竜”と呼ばれる正体不明の竜によって運命を翻弄されていることを知った。過去のディアナと出会って、まだ小さかったジークと出会って、それから五人衆と戦って……。これが全部、こっちの時間で言う1時間の出来事だったなんて、誰が信じられよう。
 立ち上がり、身体の歪みを直そうとあちこち揉みほぐしながら、俺はレグルノーラでの経験を辿った。夢だったのかと思ってしまうくらい、いろんなことがあり過ぎて、頭がパンクしそうになる。
「頭痛は消えたな」
 ディアナの問いに、こくりとうなずく。
「吐き気もない」
 また、うなずく。
「身体が慣れたのだ。恐らくこの世界でも、それなりに力が発揮できるはず」
 そうだった。元々、“解放”された“力”を短期間で上手くコントロールできるようにするため、ディアナは俺を砂漠に飛ばしたのだ。
「あれから、どうなったんだ」
「あれから?」
「“かの竜”の魔法陣にはなんて書いてあった? 美幸は? 美桜はあの後どうやって過ごしたんだ?」
 否が応にも思い出される、最後の場面。また、肝心の所で気を失った。いや、無理やりこの世界に戻されたのだ。それが誰によってなのかは、ハッキリとわからなかったが。
「美幸は、命を掛けて娘を守ったのさ」
 ディアナはそう言って、ベッドの上で足を組み直した。
「“レグルノーラを跡形もなく消滅させる”その一文を、書き換えた。“禁忌の子についての一切の記憶をレグルノーラに住む全ての人間の記憶から跡形もなく消滅させる”……ってね。魔法は森を消し、多くのゲートを出現させた。だが、書き換えたことによって、世界の消滅だけは避けられた。かの竜は怒り狂い、姿を戻して美幸の身を裂いた。私が駆けつけたときにはもう、どうにもできない状態になっていた。幸い、私は魔法の影響を受けなかった。反魔法の衣を身につけていたからかもしれない。竜はその書き換えられた魔法を止めることもできず、発動させてしまったことに更に憤慨した。人間の姿しか見てないお前には理解できないだろうがね、かの竜はレグルノーラの中で一番巨大で、偉大な竜だった。何がかの竜を駆り立てたのか、聡明な竜が何故世界を滅ぼそうというところまで追い詰められていたのか、未だ分からないが……、竜は怒りにまかせ、街を破壊し、人間を踏みつぶした。悲惨な話だよ。五人衆の反乱なんて、可愛いもんさ。ようやく竜が怒りを静めて砂漠の彼方へ消えるまで数日。生きた心地さえしなかった」
 そこまで一気に喋って、ディアナはフゥと息を吐いた。
「レグルノーラで命を絶った美幸は、“こっち”でも眠るように息を引き取った。二つの命は繋がっているからね。幼い美桜は、伯父に引き取られたようだ。そこで、幸せになれたら良かったんだろうけど、そう上手くはいかない。あの子は伯父から逃れるように、頻繁にレグルノーラを訪れた。あるじを失った深紅は卵に戻ってしまっていたし、保護者になってくれそうな大人もいなくてね。娘のサーシャと、まだヒヨッコだったジークが代わる代わるあの小屋で面倒をみていたのさ。……小さかった美桜が、どこまで詳しく記憶しているのか聞いたことはないけど、このことは、あまり話題にしない方がいいだろうね。思い出したくもないだろうし」
「……そう、だな」
 美桜が造作もなく二つの世界を行き来できた理由、彼女がレグルノーラを守ろうとする理由は、これで理解できた。
 彼女を追い詰める現実は、俺が思っていたのよりもずっと重くて、辛い。それを、誰にも相談できずにいた彼女にとって、俺はある意味“救い”であったのだろうか。
 ご飯ができたよと、階下で声がして、俺はわかったと返事した。
「時間だな」
 ディアナは言って、ベッドからゆっくり降りた。
「ありがとう、ディアナ。ヘタレな俺のために、奔走してくれて。砂漠に連れてったのも、時空嵐に呑まれて過去へ辿り着くことを見越したからだろう。口で説明するより、経験した方が早い。だから、無理やり俺を砂漠に飛ばしたんだよな」
 だがディアナはフフッと小さく笑って、「まさか」と言う。
「お前は、過去の私の前に忽然と現れた、異界の英雄だったよ。頼りないが、命がけで戦っていたあの姿が印象的だった。お前と再会したとき、私は悟った。まだ力を使えていないだけ、使い方がわからないだけだってね。どうにかしてあの日見た凌に会いたかった。久しぶりに、会えて良かった。1時間前と、顔が違ってる。お前はもう、一人前の“干渉者”だ。待っているぞ。レグルノーラで」
「ああ」
「ホラ行け。飯だ。久しぶりの母ちゃんの手作り料理。今日はハンバーグだって」
 ポンと力強く、肩を叩かれた。
「ありがとう、本当に、ありが……」
 頭を下げようとする俺の背中を、今度は無理やり押してきた。
 よろけてドアにぶつかって、そのまま廊下に放り出される。
 何するんだよと振り返ったとき、もうディアナの姿はそこにはなかった。ベッドにできたシワだけが、幻ではなかったことを示していた。


     □━□━□━□━□━□━□━□


 ディアナの言った通り、確かに頭痛も腹痛もどこか遠くに消えてしまった。身体が重いだとかだるいだとかいう症状もなく、飯も美味いしよく眠れた。
 ただ、イマイチ“こっち”の世界で力が使えるのかどうかわからないのが難点。元々イメージ能力が貧困で、追い詰められないと発揮できないという体たらくぶり。何もない日常生活の中で力が本当に使えるのかどうか。いや、日常で使えたらそれはそれであまりよろしくないような気もするが。
 いわゆる瞬間移動的なことができたら、通学も幾分から苦になるのではないかなどと、坂の上に向かって歩きながら考える。単に、怠惰目的に使いたいと思っても、必要に迫られているわけではないからか、力は発動しない。遅刻スレスレで走っていたならば、もしかしたら使えたりするのかもしれないが、“こっち”で力を使うなんてことはまずないだろうと、俺は甘く考えていた。
 頭のもやもやもすっかり取れているはずなのに、校門を抜けると可笑しいまでにあちこちに黒いもやが立ちこめていて、妙な緊張感に襲われる。俺が砂漠に行く前に見たものは幻ではなかった、頭痛のせいではなかったということ。
 参ったな。
 レグルノーラで魔物退治する前に、こっちでも何かと動き回らなくてはならない予感がする。それを、美桜に相談したいところだが、昨日の今日で話をしてくれるかどうか。
 相変わらずの夏日で、朝からグッタリとするような暑さだ。
 あと10日もすれば夏休み。できればその前に、ある程度のことは掴みたい。
 気を失っていた一ヶ月が悔やまれる。あの間に何が起こっていたのか。詳しく聞きたいが、一体誰に聞けばいいのやら。
 教室に入り、荷物を机に置きながら考えていると、キノコカットの眼鏡がゆっくりと近づいてきた。芝山だ。
「おはよう、来澄君。ちょっと……いいかな」
 眼鏡の縁を指でクイッと上げながら、芝山は俺を教室の外に誘った。
 何だ。来澄“君”て。気持ち悪い。
 帆船でのことを思い出し、何だか妙な気持ちになりながら、俺は誘いに乗って芝山の後に付いていった。別棟の文芸部室の前まで来ると、芝山は辺りを見まわし、中へ入るよう合図する。がらんとした教室に、いくつかの机と椅子。本棚にはライトノベル、それから机の上に散乱した薄い本。
「ここなら、誰にも聞かれないと思って」
 よりによって薄い本の表紙には、少女漫画チックな二人の男が描かれてあり、何故かしら二人とも上半身裸で、向かい合っている。その横にある薄い本には、唇を重ねる二人の男が表紙に堂々描かれており、気持ち悪いことこの上ない。
 なんで芝山はこの部屋を選んだのだと思ったが、カーテンをシュッと引いたことで納得した。この教室、なぜか廊下側にもカーテンが付いていて、グルッと一周外部からの視線をシャットアウトできるようになっているのだ。
 教室はすっかり薄暗くなった。
 芝山は周囲を見まわし、カーテンをし忘れてないか、他に誰もいないか指さしで確認して、まぁ座れよと、薄い本の近くの椅子を指し示した。仕方なく椅子を引き、できるだけ薄い本から遠ざかって座る。芝山も、近くの椅子を引っ張ってきて、俺に向かい合うようにして座った。
「美桜休みだって。君、何か知ってるだろ」
 身を乗り出して口から出したセリフが、これだった。
「ハァ? 知るか」
 “美桜”と呼び捨てにするあたり、明らかに“向こうでの俺のことを知っているよ”アピールであることは間違いなさそうだ。
 ふぅんと芝山は怪訝そうな顔をして仰け反り、腕を組んで目を細くした。
「ま、居ないから呼び出すには丁度いいと思って呼んだんだけど。“こっち”でも美桜とべったりなのはあまり感心しないな。いくら同じ“干渉者”だからって、竜まで従えてる来澄がどうして美桜の金魚のフンみたいになってるんだ」
 やっぱり、そういう話題か。
 砂漠にいた芝山と俺と、どこで時間が交差したのかわからないが、どうやら芝山の方が先に俺に会っていたらしい。昨日睨まれたのはこのせいか。
「だから、美桜が俺と交際してるなんて言って誤魔化したんだろう。そう言っておけば、一緒にいても怪しまれないからって。それより、そっちこそ、いつから俺のこと知ってたんだよ」
「さぁ、いつだったかな。……って、そんなこと知ってどうする」
「まぁ、そうだな。確かに。重要性の順番ってのもある。二次干渉者的には美桜が休みだと、ゲートをくぐれない、とか?」
「そんなとこだ」
 なるほど。行きたくても“向こう”に行けない。土日や長期休暇のときは、あの船をしばらく留守にするしかないわけだ。
「で、話ってのは」
「察しは付いたと思うけど、来澄、ボクを君の“二次干渉者”にして欲しくて」
「ハァ?」
「これから夏休みも来る。やっと打ち解けた仲間のためにもなるべく船を空けたくない。それに、できれば夏休み中に砂漠の果てまで行ってみたい。来澄の家に上がらせて貰って、そこから飛べば休み中でも“向こう”に行けるんじゃないか。そう考えたんだ。もちろん、タダでとは言わない。勉強、教えてやる。わからないところをみっちり、わかるまで。宿題も手伝う。進路、どう考えてるのか知らないが、ランクアップは確実だぞ。どうだ。結構いい条件だと思うけど」
 思うけど、じゃない。
 俺は突然のお願いに口をあんぐりさせた。
 気持ちはわかるけど、何考えて。
「そんなの、お前自身がランクアップして“一次干渉者”になればいい話じゃないか。力もあるんだし、レグルの文字は読めるんだし」
「だからさ、それができないから頼んでるんだ。頼む、来澄。こんなこと、美桜には頼めないんだから。お願い! ね、お願い!」
 両手を合わせて頭を下げられても、簡単にいいですよなんて言えるわけない。
「だって、聞いたことないぞ。っていうか、俺には全然知識ないんだから、そんなこと頼まれてもどうすればいいのか、わかんないよ」
 両手のひらを芝山に向けて、シャットアウト、勘弁してくれと全身で訴えるが、聞いてくれるはずもなく。
 むしろ、ニヤッと口角上げて、こんなこともあろうかとポケットからメモ用紙を取り出した。
「向こうの文献のメモ。二次干渉の影響者を強制的に変える方法。これで……頼む!」
 紙切れを俺に渡して、もう一回パチンと手を合わせる芝山。コイツは。何というか、俺にノーと言わせない気だな。
 渡されたメモを広げ、渋々読む。
 ……確かに、難しそうな方法じゃない。
「理数系……苦手なんだけど。関数とか、グラフとか」
 ボソッと呟くと、芝山の目が輝いた。
「任せて!」
「あと、何とかの法則とか、何とかの法則とか」
「手取り足取りさせていただきます!」
 メモを握った俺の両手をひしと掴み、顔面を寄せてくる。キモい。ウザい。
 が……、長く休んでいたこともあるし、背に腹も変えられない。
「わ……、わかったよ。その方法で試してみて、ダメなら諦めろよ」
「勿論!」
 姿勢を正し、口元緩ませてキラキラとした視線を送ってくる芝山。
 なんだこれ。何の冗談。
 思いながらも、砂漠での恩もあるし、勉強教えてくれるんなら、悪い条件でもないと思い始める。向こうの字が読める芝山なら、いろんな知識仕入れてくれそうだ。それに、砂漠の果てを目指す帆船の長なら、もしかしたら砂漠の向こうに飛び去ったという“かの竜”についての情報も、探れるかもしれないし。
「じゃ……仕方ない。始めるぞ」
 日常生活で魔法なんか使えるわけない。さっき、そう思ったばかりだったのに。まさかすぐに使わなきゃならないことになるなんて。
 芝山に、目を閉じるように合図する。それから、このメモの手順通り、魔法陣を描き、文字を刻む。
 レグルノーラにいるときより、魔法を発動させるのは難しいはずだ。だけど、ディアナの言ったように、“この世界”でも“力”を発揮できると信じて。
 小さな魔法陣を出現させる。大きさは手のひらくらい。芝山と俺の真ん中、二人の頭を繋いだ真ん中の当たりに。二重円、中央にダビデ。簡略的だが、空っぽの魔法陣が黄色い光を放って、スッと浮かび上がる。後は文字を刻む。レグルの文字は未だ分からないから、日本語で。
 ――“この者を、我の力の元に、レグルノーラへと召喚する”
 刻まれていく明朝体の文字。グルッと一周、魔法陣が埋まっていく。
 思いのほかすんなりと描かれた魔法陣は、文字を得るとくるくる時計回りに回り出した。高速で回転し、光を増す。芝山の身体がほんのりと黄色く光ったかと思うと、フッと光が消え、芝山の力が抜けた。
「だ、大丈夫か。芝山……」
 恐る恐る手を伸ばし、芝山の肩を叩く。が、反応がない。気を失っている……?
 まさか、間違ったんじゃ。
 慌てて両手で身体を揺すると、芝山がハッと目を見開いた。
「来澄」
 言って芝山は立ち上がり、
「ありがとう! できた、成功、成功だ!」
 大声上げて飛びついてきた。
「あ、待って。止めろ」
 などという、俺の言葉など、聞いているはずもなく。興奮状態の芝山は、俺の両肩をギュッと抱きしめるようにして、全体重をぶつけてくる。
 当然のように、椅子はひっくり返り、俺は腰から床に転がって痛いというのに、芝山は「最高だ、来澄、最高だ」と興奮冷めやらぬ様子で抱きついた手を放しもせずに覆い被さって――。
 ガラッと部室の扉が開いた。
「先生、ここです。なんか変な声がして」
 カーテンが開けられ、女性教諭と女子生徒が数人、廊下から室内を覗いていた。
 ヤバい。
 この状況をなんと説明しよう。
 芝山に抱きつかれたまま床に仰向けになる俺。興奮しすぎて尻を振る芝山。散乱した怪しげな薄い本。
 その日は一日、とにかく早く帰りたくて、必死にいろんな視線から目を逸らしていた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ