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レグルノーラの悪魔〜滅びゆく世界と不遇の救世主〜 作者:天崎 剣

【8】塔の女主人

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26.生死の狭間

 心臓が、焼けるように熱い。
 文字が、見える。心臓をグルッと囲うようにしてまとわりつく、光を帯びたレグルの文字。
 実際に見えているのか、脳内に浮かび上がったイメージなのか。俺にはもう、その判別さえできなくなっていた。
 身体中麻酔をかけられたみたいに感覚が痺れて視界はぼんやりしていたし、手足の先まで針金が通ったみたいに硬直して思い通りに動かなかった。喉の奥から捻り出したようなうめき声も、自分ではどうすることもできなくて、ただただなされるがまま、ディアナに身体をゆだねていた。
 いつもと同じはずの天井がぐにゃぐにゃと歪んで見える。ベッドの上でディアナに身体を拘束されているからそう見えてしまうのか、はたまた、俺自身の感覚がおかしくなってしまっているのか。
 高くなった日差しが窓から急激に降り注ぎ、視界を白くする。
 ディアナの唱える呪文が脳内を駆け巡り、文字と共に俺の心臓へと吸い込まれていく。

『全てを、解放せよ』

 レグルの言葉でディアナが言う。
 文字が一つ一つ、心臓に焼き付いていく。初めてレグルノーラへ連れて行かれたあの日、美桜にやられたのと同じように。ジュッ、ジュッと、一文字ずつ焼き付いては光を失っていく。
 ディアナやジークが言う“能力の解放”の果てには、一体何があるのだろう。
 身動き取れないベッドの上で、俺は天井を仰ぎ見ながら、ふとそんなことを考えていた。
 もし“能力が解放”されたとして、俺はこれから先、どうしていけばいいのだろうか――。




















 それからしばらく、俺の意識はかなりぼんやりとしていた。




















     ・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・




















「凌、どうしたの、凌!」
 遠くで母親の声がする。
 仰向けの身体を大きく揺すって、俺の心音と呼吸を確かめている。
「おと……お父さん! 凌が!」
 慌てたように携帯電話で父親を呼ぶ母。声はかなり震えていた。
 確か、パートの仕事が午前に終わり昼過ぎには帰ってくる日だった。
 朝ご飯半端にして“レグルノーラ”に飛んだから、台所も片付けてない。いつもなら、忙しい母を気遣って飯平らげたら綺麗に食器まで洗っておくんだが、そうしていなかったことで何かしら異変があったと思ったんだろう。普段殆ど立ち入ることのない俺の部屋に母親が入る切っかけなんて、そんなものだ。
 営業職で土日も出張ることの多い父を、母は必死に呼んでいた。
 諭されたのか、一旦電話を切って、それから119番にかけ直す。
 程なくして、救急車のサイレンが耳に入ってきた。




















     ・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・




















 バタバタと人が走る音、慌てたような声。
 俺のことを両親が心配している。
 何度も俺の名前を呼んでいる。
 堰に落っこちた幼少の頃と、場面が被った。
 あのとき、俺は自分がどうしてそこにいるか理解に苦しんでいた。堰に行った覚えも落っこちた覚えもなくて、濡れてびちょびちょの服で震えが止まらず、思うように息もできず、ただただ気持ち悪かった。
 そして今も。
 ディアナに掴まれた心臓はどうなってしまったのだろう。
 俺はどうして起き上がれないのか。
 よく、わからない。
 身体に腕がめり込んでいた。悲鳴を上げそうなほど胸が痛かった。あの感覚は夢だったのか、現実だったのか。




















     ・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・




















 “レグルノーラ”とは、なんだ。
 “干渉者”とは、なんだ。
 二つの世界を行き来して、それぞれに影響を及ぼしながらも決して溶け込むことはない。
 そんなところに足を突っ込んで、それどころかもうどっぷりと浸かってしまって、逃げ出すことすらできなくなって。


――『誓いを忘れるな』


 ディアナの声が頭に響く。


――『お前は、“レグルノーラ”を救うのだ』


 真っ直ぐな目で、俺を見ている。


――『私たちが、異界の少年に運命を託していると言うことを』


――『くれぐれも、忘れぬよう』



















     ・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・




















 白い天井、腕に繋がる点滴。
 それから、医師らしき白衣の男と看護師の女性が数人。
 俺は、病院にいる。
 うっすらと開いた目でそれを確認すると、俺は何となく安心して、そのまま目を閉じた。










     ・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・










 身体が、だるい。

 息が、苦しい。

 汗が、止めどなく出てくる。










 どこにも行くことのできない意識は、闇の中でさまよっていた。
 このまま目が覚めなければ、俺は、死ぬのだろうか。










 あまりにも簡単に考えてしまっていたのかもしれない。
 “能力の解放”ってヤツは身体に負担を強いる。
『死ぬことはない』なんてディアナは言っていたが、コレは生死をさまようレベル。
 俺の身体が、自分のモノであってそうじゃないような、変な感覚。
 例え意識が戻ったとしても、果たして俺は……。



















………‥‥‥・・・・・━━━━━■□


 ディアナの術にかかってから、どれくらい経ったのだろう。
 汗でべっとりと肌に布地がまとわりついて気持ち悪い。
 硬直していた手足は、少しだけ自由に動かせる。呼吸器のおかげで、なんとか息もできている。
 久々に、視界に色が戻ってきた。
 白い天井、桃色のカーテン、青空が見える窓と、半分まで垂れ下がった白いブラインド。
 近くに誰かがいる。ベッドのそばで椅子に腰かけ、俺を見ている誰か。
 まだ、視界がぼやけていた。
 が、茶色い髪と制服姿で、俺は無意識にそれを彼女だと断定してしまっていた。

「美……桜……?」

 まさかそんなことはあるまい。思ったが、口からは自然と彼女の名前がこぼれてしまう。
 ガタッとシルエットの人物は立ち上がり、俺の名を呼ぶ。
「凌!」
 やっぱり、美桜だ。
 頬が緩んだ。
 心配してくれてたのか。それだけでも、収穫だ。
 ――と、彼女の身体がふいに、覆い被さった。ずっしりと心地よい重さが胸の上にのしかかる。ファサッと彼女の長い髪の毛が頬をかすめた。
「馬鹿……。凌の、馬鹿」
 心なしか彼女の肩は震えている。病衣を掴む指に力が入って、俺の胸をひっかいた。
 痛い、とは思ったけれど、それよりも美桜のことが急に愛おしくなり、俺は痺れた手でゆっくりと彼女の頭を撫ぜてやった。
「ごめん。何とか、戻った」
 まだ唇が痺れていて、まともに喋れそうにない。
 短い言葉だけ伝える。
 彼女はそれだけで何のことかわかったらしく、「無茶するからよ」と顔を俺の胸に埋めたまま小さく呟いた。
「ジークに、問い詰めた。ディアナにも、どうしてこんなことをしたのか詰め寄った。あなたが……、凌が、“レグルノーラ”のために、自分を犠牲にする必要なんて、ないのに。馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿……」
 ゆっくりとこちらを向いた美桜の顔は、涙でぐちゃぐちゃで。せっかくの美人が台無しだ。濡れた頬に張り付いた髪の毛を、そっと払ってやる。白く柔らかい肌が、耳まですっかり紅潮していた。
「ごめん、本当に、ごめん」
 何故謝っているのか。どうしたらいいのかよくわからなくて、俺はただ、美桜にそう言い続けた。
「ナースコール、しなくちゃ」
 身体を震わせ、ヒックヒックと鼻をすすりながら、枕元のコールボタンを押そうと手を伸ばす美桜。
「待って」
 止めようと差し伸べた手が彼女の柔らかい腕に当たり、白い肌を少し爪でひっかいた。
「まだ、いい」
 声が呼吸器に跳ね返り、少しこもっていた。
「美桜が、落ち着いてからで、いい」
 そこまで言うと、彼女は静かに笑ってもう一度俺の胸に顔を埋めた。
 彼女の制服は、いつの間にか夏服になっていた。眠っている間に季節はどんどんと移り変わっていたらしい。
 夏の高い日差しが、ベッドの真上に降り注ぐ。
 雲一つ無い青空が、窓の向こうに広がっていた。
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