隠れ家のマッサージ
脳内サロンのマッサージです。
爪切りすごく好きなんですけど、私だけでしょうか。
相変わらず専門的な知識はないので、医学的におかしなところはご容赦ください。
陽も暖かくなってきた午前10時。
大通りを一つ逸れるとある、小さな店が並ぶ小路。それぞれの看板は小さく、どこも玄関口にはさりげなく緑が置いてある。
この時間小路を歩く人は少なく、風もない晴天下ではとても静かだ。
遠くからタタン、タタン、と小さく聞こえる電車の音と、鳥の声、少し離れたところの幼稚園の微かな園児の笑い声、そのくらいである。
その中でもひときわ小さな看板の、小窓のついた木製のドアを開けると、エプロン姿の女性が出迎えてくれる。
「いらっしゃい。待ってたよ」
何度目かの訪問となるこの店は、この女性の営むリラクゼーションサロンだ。
完全予約制、一見様お断りのこの店は、訪れた人に最高の安らぎを提供することを目的に、オーナーである女性の趣味でやっているらしい。
大柄だが美しいその女性は、鳶色の長い髪を高いところでくくっていて、人懐っこい笑顔をみせる。
「さ、座って。今日も診てから内容を決めるね」
ふかふかのソファーに案内されて、そこに腰を下ろす。目の前のテーブルに出されたのはアイスのレモネード。スッキリした香りで美味しい。
少し歩いて喉が乾いてたから、それをすっかり飲んでしまう。自家製だというそれは甘さがくどくなくて、するする飲めてしまった。
「じゃ、診てくね」
テーブルの隣の辺、斜め前に座った女性は私の手をとると、ぐっ、ぐっ、とツボを押しながら私の様子をみている。
「手が冷えてるね、血が滞ってる」
女性の手は暖かく、それだけでも大分気持ちがいい。押してもらってるところから血が流れて、じわじわとした感触が頭の裏までついてくる。うっとりする。
ここに来ると、人にさわってもらう気持ちよさをいつも思い出す。
「ここは合谷、痛いみたいだね。疲れがたまってるのかな?」
女性に親指の付け根と人差し指の付け根の間ら辺を押されると、結構な痛みがきた。
顔をしかめると、女性は「ちょっとごめんね」といって私の下まぶたを少し下げてまぶたの裏側を観察した。
「うーん、白いね。貧血ぎみだよ。白目も充血してる。大型連休前だもんね、デスクワークが続いたのかな?」
その通りで、連日の激務に疲労困憊だ。そのたびここに来ては、息を吹き返している。
暫く目を見て、そのまま女性は私の肌の具合を見てるようだ。
「肌も疲れでくすんでる。でも大丈夫、疲れはここですっかりとっちゃって、栄養を取れば元気になるよ」
女性はにこっと笑って診察を終えると、奥から清潔なガウンとスリッパを出して渡してくれた。
「着替え終わったら奥のお部屋に来てね」
女性に促され着替え室に入り、服を全て脱ぎ去りガウン一枚になる。
柔らかなガウンからは甘いような花の香りがする。これもくどくない、心地よい香りだ。
着替え終わって部屋に行くとふわっと香ってくるアロマオイルの香り。
深い森のようなしっとりした香りで、ついいつもうっとりする。
いつだったかなんのアロマなのか聞いてみると、今まで使ったアロマオイルの複合的な香りで、名前はないという。
「まず、足湯から。足を清潔にしてから爪を切らせてもらうね」
間接照明のそばのリクライニングチェアに座ると、バスソルトの入った足湯が用意されている。
ちょうどいい温度で、冷えた末端にじんわりと暖かさがひろがる。
「足の爪が柔らかくなる間に、手のほうもやるね」
手は暖かなスチームタオルでぬぐってくれる。手のひらをぐいぐいとぬぐい、指の一本一本を絞るようにぬぐう。タオルを折り畳んで、違う面で指の又も丁寧にぬぐう。
暖めたハンドクリームを塗り、手のひらにハの字を書くようにマッサージしながら塗り込み、指、指のはら、同様にクリームを塗り込んでいく。
「じゃあ、爪を切るよ」
家庭用爪切りとは違う、ニッパーのような爪切りで、丁寧に切っていく。
パチン、パチンという音が小気味良い。
角をやすりで落とし、ネイルオイルをしっかりと塗る。爪の甘皮もきれいに処理する。
ごくわずかな力で爪の付け根を押されると、じんじんして気持ちがいい。
「もう片方もやるね」
もう片方の手も同様にやってもらう。
このときにはもう、身体中の力は抜けきっている。
癒される。人に触られると二倍も三倍も癒される。
「次は足ね」
足湯から両足を上げ、乾いた柔らかいタオルできれいにぬぐう。手早くクリームを両足に刷り込み、右足から爪を切っていく。
手の爪を切った時よりも大きな爪切りで、親指から少しずつ切り進めて行く。
パチン、パチン…
「けっこう延びてたね。足の爪は汚れが溜まりやすいから、ごみ取りもするね」
角をやすりで落としてから、小さな鉤爪のような器具で爪の間の汚れをとっていく。爪と肉の間から、驚くほどごみが出てくる。それをきれいに取り除いてから、またネイルオイルを丁寧に塗っていく。
先っぽに小さな金属の玉のついた棒で、爪の付け根をなぞられると、手の時同様にじんじんとした感触がかけ上がる。
左も同様にやって、足の洗浄が終わった。
「じゃあ、足をマッサージしてくね」
右の足裏をまず、指のすぐ下、足裏の中心、かかと、と強めに指圧。
とんとんと全体を叩いて足裏を縦に折るように力を入れて丸める。終わったらその逆。
足の裏の固まった板がバキバキと折られているような感じで爽快極まりない。
足の縁をぐいぐい押しながらなぞり、足の指を指圧、指の又も指圧。
それが終わったら足首をぎゅっ、とつかんで指圧。そして下から上、下から上へとふくらはぎ、膝下の表側をリンパを流すようにマッサージ。
すっごく気持ちがいい。クリームを塗ってくれているからか、ぽかぽかと暖かくなってきた。
暫く同じ動きが続いて、足の緊張が完全にほぐれた。左も同様にやってもらって、もうまるで軟体動物にでもなったかのよう。
「次はうつ伏せになって。肩から腰にかけてやるね」
リクライニングチェアを倒すと、完全にフラットなベッドになった。
うつ伏せになるとガウンを取り払われ、タオルをおしりに掛けられた。
暖かなオイルを落とされると、そこから滑らかに手が動いて凝りをどんどんとってくれる。
肩から肩甲骨にかけて円を描くようにほぐす動き、女性の手は大きく、力強く親指でぐいと押されると凝りが散って血が集まってくるような感覚になる。
暖かなオイルを継ぎ足し継ぎ足し、肩から背中、背中から腰と流れるようにほぐしていく。
腰までいったらぐいーっ、と肩まで戻り、さらに円を描く動きで二の腕、手首までほぐす。
最後に首をくにくにと揉んで、柔らかなタオルで余分なオイルをぬぐってくれた。
余分なオイルが取り払われたあとは、もっちりとすべすべな肌になる。ほんのり血色もよくなって、輝いているようにも見える。
「次にお顔をマッサージするね」
ガウンを来て、仰向けになる。
すかさず、暖かな毛布をかけてくれる。
目を閉じると、女性はまずクレンジングクリームをしっかり塗り油を溶かすようにクレンジング。そしてそれをコットンでしっかり取り除いてから、パタパタと化粧水、そしてクリームをぬってくれた。
クリームを塗ったら、顎の下から耳に向かってリンパを流す動き、何度も流して、口元、小鼻、こめかみと耳の後ろにどんどん集めるイメージで手をはためかせる。
そして集めたものを鎖骨のデコルテ、脇の下へとどんどん流す。
少し痛いが、なぞったとこから暖かい。リンパが動いてる感じがする。
終わったら顔に戻りおでこをなぞる。優しくそっと目を押して、頬を軽くタッピング。眉をなぞって額を押す。
「最後は地肌をマッサージするね」
リクライニングチェアがまた椅子の形になり、髪を軽くすかれる。もう寝てしまいそうだ。
女性は髪の生え際に指を差し込むと、髪をきゅっ、と少しつかんで引っ張った。
それを少しずつ場所をずらしながら繰り返す。凝り固まってた地肌が柔らかくなっていくのがわかる。じんじんした快感が集まっては散り、鳥肌がたつ。
頂点までやると、頭皮を円を描くように動かした。こんなに動くようになるのかと驚く。柚子油を少量髪にもみこんで終了だ。
「じゃ、ほんとの最後」
仕上げにと、女性は拭った暖かい手で肩を何度もさすってくれた。
なんどもなんども。これが一番気持ちがいい、限界だ。もう目を開けていられない。
「ふふ、眠そうだね。いいよ、時間になったら起こしてあげる」
女性の声もおぼろに、私は倒されたリクライニングチェアとすぐに夢の国に旅だった。
優しく起こされれば、陽はすっかり高くなっていた。
「よく寝てたね、お昼少しだけど、食べていってね」
甘い香りに顔を向ければ、焼きたてのスコーンと紅茶。
「干し葡萄のスコーンと、アッサムの紅茶を用意したよ。ゆっくりしていってね」
そういうと、女性はにっこり笑って奥のキッチンに消えた。
スコーンを頬張れば、ほろりとした食間に干し葡萄の風味が広がってとても美味しい。さっぱりしたアッサムもよくあう。
今日はまだまだ時間もあるし、これからどこかに出掛けようか。
出だしは最高だし、特別充実した日にしよう。まずはここでゆっくりして、それから決めよう。
あるうららかな休日のこと。