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犠牲者は二十三名。
今回の帝都騒乱の全体から見れば微々たるものでしかないのかもしれないが、〝新部族〟としてはあまりに痛く、また人数の多寡にかかわらずあまりに悲しいことであった。
「また、私は……」
どんな言い訳も許されない事実。
仲間が死に、自分が生き残った。
それは、みずからのために友を犠牲にしたことに他ならなかった。
先に逝ってしまったひとりひとりの顔が明瞭に思い浮かぶ。そのどれもが、これ以上ないというくらいに輝いていた。
――私は、犠牲者が出るのを承知のうえで彼らを行かせた。
それはすなわち、自分が彼らを殺したということと同義であった。
逃れようとしても逃れられぬ罪。
あまりに重たく、そして苦しかった。
――いっそ、私を恨んでくれたらいいのに。
何度も何度もそう思う。
しかし、けっして人を憎むような者たちではなかった。そんなだからこそ、なおいっそう申し訳なさが込み上げ、この胸を苛む。
――もう、このまま突き進むしかない。
これまで散っていった仲間たちのためにも、かならず自分たちの〝理想〟を成就しなければならない。
それは願いというよりも、残された我々に課された義務であった。
歩みを止めるわけにはいかない。
どんなにつらくとも前へ進む。
それが、せめてもの弔いになるはずだった。
「もう、私たちはひとりではないのね」
「はい?」
「自分のためだけに生きているわけじゃないってこと。いろんな人たちの思いを背負って生きてる」
「殿下……」
はあ、とユーグはあからさまにため息をついた。
「またご自分をお責めになっているのですね。誰が悪いというものでもありません。必要以上に責任を感じてしまうのは、殿下の悪い癖だと思いますよ」
「悪い癖なんかじゃないわ。自分に責がありながら平気な顔をしている恥知らずな人間になるより余程いいじゃない。私は、自分を責めることでかえって安らぎを求めようとする自傷癖のある人間とは違う。先に逝った仲間たちの思いをきちんと汲み取って、私自身の前進する原動力にしようとしているだけ」
だから、彼らの死はけっして無駄ではない。
死してなお、今を生きる私たちに大切な活力を与えてくれている。
「でも――」
少しうつむいて、アーデは抑えた声で言った。
「後ろで待ちつづけることが、こんなにつらいことだとは思わなかった」
みずから戦えたなら、どれほど気が楽だったろう。
傷つくのが自分だったなら、どれほど平気でいられたろう。
自分ではない他の人に任せてしまうからこそ、常に罪の意識に苛まれ、仲間の安否に思いわずらうことになってしまう。
「十分前へ出過ぎていると思いますけどね、私は」
「うるさい。とにかく、私も前へ出たい。みんなと一緒に戦いたい。いつも待ってるだけなんて嫌っ!」
「また駄々をこねてる、この小娘は」
人目をはばからず地団駄を踏みかねないアーデに、上方から聞き慣れた声が降ってきた。
姫の表情がさっと変わった。
目は吊り上がり、眉間にしわが寄り、肩に力が入る。
天敵を見つけた狼よろしく、完全に警戒態勢に入った。
「小娘なんかじゃないわ! もう、かなり立派な淑女よ!」
「はいはい、そういうことにしといてあげるわ」
二人の目の前に降り立ったのは、言うまでもなくヴァレリアである。あちこちに包帯を巻いていることからして、彼女も先の戦いでは無事では済まなかったようだ。
それはアーデにもわかっていたのだが、やはり天敵は天敵だ。警戒を怠るわけにもいかないし、ましてや優しく迎え入れるわけにもいかない。
危険人物は危険人物――理性と本能の両方がそう告げていた。
「何よ、こちらからは離脱するんじゃなかったの?」
「そのとおりよ。だから、こうして最後の挨拶に来たってわけ」
「別に来なくてもいいのに」
「本当に離れるつもりなのですか?」
ぶつぶつと文句を言っているアーデは相手にせず、ユーグがヴァレリアに問いかけた。
「そのつもりよ。まあ、でもまた厄介になるかもしれないけど」
「断るわ。もう戻ってこなくて――」
「そこまでして何をするつもりなんです? 〝新部族〟に対する思い入れは、あなたが一番強いはず。それを捨ててまでする大事なことがあるのですか?」
この新部族は、ヴァレリアがいなければ成り立たなかったと言っていいくらい、その活動の初期から彼女の力に負うところが大きかった。
それもそのはず、今でも翼人側のリーダーは彼女だ。
そこから、あえて離れると言っているのだ。その理由は、並大抵のことではないはずだった。
「捨てるつもりはないんだけど……そうね、幾つか理由はあるわ」
ヴァレリアは、指を折りながら数え上げていった。
「一つには、どうしてもやっておきたいことができたってこと。これは私自身の問題だから、誰も巻き込みたくない。それに単独行動が多くなるだろうから、変にみんなに迷惑をかけたくないのよ」
「もうすでに迷惑をかけてると思うけど」
「二つには、この新部族もだいぶ充実してきたってことね。別に私がいなくなっても十分やっていけるだけの力がある。だから、安心して任せられる」
「前からヴァレリアがいようといまいと――」
「最後に三つ目は」
それまでアーデを完全に無視していたヴァレリアが、すっと彼女のほうに目を向けた。
「アーデが成長したってことよ」
一瞬の沈黙。
だが、それはすぐに破られることになった。
「こちらを油断させようたってそうはいかないわ! ヴァレリアが私を褒めるなんて、きっととんでもない悪巧みを……」
「勘違いしないで、褒めてなんかいない。ただ事実を言ってるだけ」
「――――」
「あなたが初めて私たちと出会ったとき、本当にただのやんちゃなお姫様でしかなかった。けど、それからあなたもいろいろと努力をしたんでしょう。いいことも悪いことも経験してきた。それが、あなたを強くしたのね」
「ヴァレリア……」
「新部族には、形式的なリーダーはいない。だけど、あなたはもう実質的なリーダーになっている。そう、あなたがいればこれからも大丈夫なはずよ」
周りが〝依存〟してしまうような存在や、上から高圧的に命令する存在はかえって害になる。
だが、アーデはそのいずれでもなかった。
内に対する厳しさを持ちながら、外に対する優しさも持ち合わせている。彼女は常に周りに最大限の自助努力を要求するが、常に下でみんなを支える包容力もある、傑出した人物であることに変わりはなかった。
「あなたはいつも先頭に立っている必要はない。けど、みんなが岐路に立たされたとき、どちらに進むべきかを指し示す――それが、あなたのこれからの役目だと思う」
アーデは、珍しく神妙な面持ちでヴァレリアの言葉を聞いていた。
一言一言が、ずしりと胸に響いた。そして、彼女が自分たちから離れていくのは本気なのだと実感してもいた。
しかし、一方のユーグは釈然としない表情のままだった。
「私は〝離れられる理由〟ではなくて、〝離れる理由〟を聞きたかったんですけどね」
「ユーグは変わらないわね。詮索好きな男は嫌われるわよ」
「そうそう、レディの秘密を探り出そうなんて悪趣味よ」
「…………」
いつの間にか結託してしまった二人に圧倒されるが、それでもユーグは引き下がらなかった。
「あなたがやりたいことというのは、そんなに大切なことなんですか」
「そうね、私自身にとってだけじゃなく、ある人にとっても。だから、私は行かなきゃいけないの。後ろ髪引かれる思いはあるんだけど」
そう言って、遠くに目を向けるヴァレリアの目はどこか優しげだった。
「例の男にかかわりがあることですか?」
「……鋭すぎる男は嫌われるわよ、ユーグ」
「そうそう、レディの胸の中にずけずけと入ってくるんだから、この男は」
「…………」
もう、何も言うまいと思った。この二人をまともに相手しようとした自分がばかだった。
「他にやらなきゃいけないこともあるのよ、私にはね」
しょげてしまったユーグに、いつものヴァレリアとは違う、優しい慈愛に満ちた表情で微笑んだ。
それを見たアーデが、瞬間的にあることを悟った。
「ああっ、あなた子供がいるでしょう!?」
「な、何を言ってるの、この子は」
「そうなのですか?」
興味津々といった様子で、ユーグまで問うてくる。
「そうなんでしょう! 答えなさい、ヴァレリア! いったい、いつ誰と……」
「これまで消えることが多かったのは、子供のためだったんですね。どおりで胸が大きいと……」
失礼なことを言っている輩もいるがそれは無視して、進退に窮したヴァレリアはすかさず上空へ飛び上がった。
「――育児との両立は難しいのよ! 憶えておきなさい、アーデ! 子育てこそが女にとって最大の戦なのよ!」
そう、なんとも締まらない捨て台詞をはいて、ヴァレリアは北西の空へ消えていった。
呆気ない別れだった。アーデもユーグも、まだまだ話し足りない。ヴァレリアに上手くはぐらかされた感もあった。
「行ってしまいましたね」
「せいせいしたわ。これでやっと安心して寝られる」
怒ったようにそっぽを向いてしまったアーデを見て、ユーグが笑みをこぼした。
「本当は寂しいのでしょう? 殿下にとっては、いい喧嘩相手でしたから」
「そんなことない。静かになってちょうどいい」
そう口にした言葉とは裏腹に、アーデの目はどこか寂しげだった。
――今のアーデは、いつの間にか責任の重い立場にある。
ユーグにはわかっていた。腹を割って話し合える同性の相手がいるというのは、本人が想像するよりもずっと大きいことだ。
残念ながら、男の自分ではその役目は果たし得ない。
――しかし、だ。
アーデが次のステップへ進むためには、これでよかったのかもしれなかった。誰しも、最後は自分で自分を支えるしかない。
「殿下、そろそろ仲間のところへ戻りましょう。ノイシュタットに帰る準備をしなければなりませんし、やはりシュテファーニ神殿のノーラ殿に挨拶をしていったほうがいいでしょう」
「ノーラになら、さっき会ったわ。帝都の復興のために来たらしいけど」
「そうでしたか」
「私はもう少しここにいる。ううん、いさせてほしい。悪いけど、ユーグは先に戻ってて」
「……わかりました。では、なるべく遅れないようにしてください」
うなずくアーデを確認してから、ユーグはゆっくりと去っていった。
アーデは、小高い丘の上から帝都のほうに目を向けた。
外壁も門も、ところどころ壊れてしまっている。その周囲では、町から焼け出された人々が寄り集まって、どうにか毎日を過ごしていた。
大変なことになった、と思う。だがそれと同時に、これこそが今の帝国を象徴しているのだとも感じた。
戦が起こる前から、帝国側から虐げられている人々は多かった。それは、翼人やロシー族だけではない。帝国のヴィスト人の中でも、上から下までの格差は呆れるほどに激しかった。
たとえヴィスト人であっても、いつ国家転覆を狙う人物が現れてもおかしくはなかった。
おそらく、カセル侯はそのことに気づいていたのではないだろうか。あえて巧遅より拙速を選んだ理由は、そこにあったような気がする。
だが、その結果はまったくもって逆転してしまった。これまで虐げられてきた弱者を救うはずが、反対に彼らこそが傷つき、犠牲となり、諸侯や大神官たちは生き残った。
この矛盾は何なんだろう。
この無情はどうしたらいいのだろう。
世の闇はあまりに深く、底の知れない大海のようであった。
重い重い息をゆっくりと吐き、天の意志を思う。後方に人の気配を感じたのはそのときだった。
何気なく振り返った瞬間、アーデはまさしく凍りついた。
「やはりここにいたか、アーデ」
その声の主は、最愛の人、唯一無二の肉親、ノイシュタット侯フェリクス――兄だった。
「お兄……様……」
「お前が城を抜け出していたことは知っていたよ。だが、帝都の近くまで来ているとは信じたくなかった」
兄の声はいたって穏やかだった。しかしその裏には、底冷えのするような憤怒の情がはらまれていた。
ゆっくりと目の前まで近づいてくる。
怖い、と思った次の瞬間には、乾いた音が辺りに響いていた。
アーデが頬を抑えた。実際に叩かれたことよりも、兄を怒らせてしまったこころの痛みのほうが大きかった。
「なぜ、こんな帝都までわざわざ来たんだ。お前ならば、情勢が危ういことに気づいていたはずだ?」
「どうしても、私も何かしたくて……どうしても、みんなのために……」
「その思いはご立派だ。しかし、人にはそれぞれ役割というものがある。お前は政に首を突っ込むなと、あれほど言ったはずだ!」
「ごめんなさい……」
「帝国のことは私に任せておけばいい。お前が何を思おうと勝手だが、それは私の役目であってお前のものではない。自分の分をわきまえよ! この国のことなら、私がなんとかしてみせる」
「…………」
アーデは深く深くうつむき、その表情はもはや陰になって見えない。
「オトマル、アーデをシュラインシュタットの城へ連れていけ。しばらくは謹慎処分だ。けっして部屋から外へ出すな」
「承知いたしました」
「それから、もちろんユーグも同罪だ。剣を奪ったうえで、牢へ入れておけ」
「そこまで……」
オトマルは二の句が継げなかった。
剣とは、それこそ文字どおり騎士の命だ。それを一時的にせよ取り上げるということは、あらゆる名誉を剥奪することに等しい。
しかも牢に入れられるとあっては、騎士としての誇りをすべて否定されるようなものであった。
いつもならば、さすがのフェリクスの命令であっても反論していただろう。だが、今ばかりは何も言えなかった。寒気がするほどのその怒気は、オトマルたちも足がすくむほどに感じていた。
しかし、フェリクスのその裁断は思わぬところに影響を及ぼすことになった。
「――ひとつだけ聞かせてください」
そのとき、アーデの中で何かが弾けた。
「そこまで言うのなら、なぜ今回の騒乱を止めることができなかったのですか」
「…………!」
「この騒乱を、カセル侯ゴトフリートを止められるところにいた唯一の存在はあなたのはず。なぜ、止められなかったのです」
フェリクスは、一切の反論をすることができなかった。
自分に非があることを嫌というくらいにわかっていることもあるが、今は目の前の女性、自分の妹であったはずの人物の覇気に完全に圧されていた。
――これが、あのアーデだと?
「フェリクス閣下」
もはや、すでにその声色も違っていた。
「残念ながら、わたくしはもうあなたの妹アーデではございません」
一切の迷いなく、決然と言い放つ。
「わたくしは、この世界を真に憂うひとりの人間、アーデルハイトです」
そこには、〝覇者〟としての風格が確かにあった。騎士も、そしてノイシュタット侯でさえも圧倒されるほどに。
「わたくしはノイシュタット、そして帝国という権威によらずともこの世界を変革してみせましょう。それがわたくしの道です。もし、あなたが道を違えるようならば――そのときは、敵として相見えるかもしれません。それだけは、けっしてお忘れなきよう」
よどみなく言い終わると、アーデルハイトは兄であった人物に背を向け、ひとりで歩きはじめた。
その背中は、あらゆる追求を拒んでいた。しかしそれ以前に、この場にいる面々はもはや動くことができなかった。
帝都郊外の丘を冷たい風が行き過ぎる。それは、まだ冬の残り香をどこか含んでいた。