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ただひたすらに体を動かす。
まだ風が吹けば肌寒い季節だというのに、自分とその周りにいる者たちはもう汗だくだった。
とにかく、やるべきことが多い。
家を失った人々が無数にいるから、当面、雨露をしのぐところを確保しなければならないし、食糧が絶対的に不足しているから、諸侯から援助してもらわなければ現実問題としてどうにもならない。
瓦礫を運び出し、犠牲者の遺体を埋葬するだけも大ごとだった。数も量も半端ではない。人の遺体を物のように運ぶ作業は、精神に応えた。
――これが人間の業というものなのかもな。
元はノイシュタットの近衛騎士であったヨアヒムは今、帝都の復旧に全面的に協力していた。
あの悲惨な戦いが集結したあと、ノイシュタット騎士団を正式に辞した。
同僚をはじめオトマル卿やフェリクス閣下までもが引き留めてくれたが、自分の気持ちに嘘をつくことはできなかった。
この一連の騒動は、自分の価値観を決定的に変えてしまった。
――フィズベクでの翼人との戦、飛行艇オリオーンの圧倒的すぎる攻撃。
遠い存在だと思っていた翼人との戦いは衝撃的だったが、それよりも空からの大弩弓による攻撃は寒気すらするほど激しく、相手が翼人であったことを忘れさせてしまうくらい己のこころを激しく揺さぶった。
――フィデースの飛行途中での襲撃。
よもや、また翼人と剣を交えることになろうとは思いもしなかった――よりにもよって空中で。
経験したことのない飛行艇での戦いは思いのほか難しく、後少しで墜落させられるところまで追いつめられた。
あのときほど、下に地面がない、落ちたらおしまいだということの恐怖を感じさせられたことはなかった。
――そして、今回の〝帝都騒乱〟。
まさかカセル侯が反乱を起こすとは、今でも信じられない思いだ。
しかも、そこへ翼人がからみ、大神殿までもが同時に動いた。すべてが予想だにしなかったことで、事情をよく知らない者からすれば、今でも夢か幻だったのではないかとさえ思える。
だが、あらゆる物事には裏がある。ある事象が幻想や偶然のように思えても、どこかにかならず必然性の種があるものだ。一連の騒動の火種は、以前から確実に存在していた。
思えば、自分たち人間は翼人に対して無頓着すぎた。ある戯曲家は彼らのことを〝遠き隣人〟と称したが、まさしく近いようであまりにも遠い存在だった。
これまで帝国は、各地で暴動を起こす翼人の部族も存在したことで彼らを敵とみなしてきたが、今にして思えば彼らにも彼らなりの言い分があったのかもしれない。
それを聞こうともしないこちら側の態度に、より大きな問題があった。というより、そもそも意識すらしなかったことに、すべての根因があるような気がしてならなかった。
世界に存在しているのは、ヴィスト人だけではない。ましてや、帝国人だけでもない。それは当たり前のことであったはずなのに、いつの間にか失念していた。
人は、身近な閉じた世界に拘泥してしまうものなのだろう。自分もそうだった。帝国の中、ノイシュタットの中だけが〝世界〟だと、あたかも当然のように思っていた。
この騒乱は、自分に世界は広いのだということを知らしめるのに、十分すぎるほどの衝撃があった。
翼人、ロシー族、そしてヴィスト人。
さらには諸外国のことも、これからはきちんと考えていかなければならない、〝よき隣人〟として。
そのためには、どこかに所属してそれに縛られているわけにはいかず、あえてノイシュタットの近衛騎士という名誉ある立場をみずから退いたのだった。
これからは、世界各地を見て回るつもりだ。
ありがたいことにフェリクス閣下やオトマル卿、さらには同僚たちまで路銀の足しにといろいろなものを与えてくれた。
しかも、閣下からは『近衛騎士の席はいつでも空けておくから、気が向いたときに帰ってくるように』との身に余るありがたい御言葉まで戴いた。
そんなノイシュタットだからこそ、今でも後ろ髪を引かれる思いはあった。
だが、ここで立ち止まってしまったら、これまでと何も変わりがなくなる。
ここは勇気を出して新たな一歩を踏み出すべきだ――そう、こころの中の自分が訴えかけていた。
その勇気は、あの混乱のさなかに出会ったレラーティアの女神官に与えられたものであった。彼女と出会わなければ、今でも翼人たちをただ恨み、ひとりよがりな考えに固執していたかもしれない。
清廉な女性であった。自身も混乱に巻き込まれ、服は破れ、顔は薄汚れてしまっていたが、それでもなお、その身からは美しい輝きが放たれていた。
もう一度、お会いしたいものだと思う。不思議と、彼女はまだ生きているという確信があった。
「ヨアヒムさん、東の広場のほうをお願いします。人手が足りていないようです」
「わかった」
衛兵の呼びかけに応え、今の作業を一段落させることにした。帝都の復興は、まだまだ始まったばかり。とりあえずそのめどがつくまでは、旅の出立を控えるつもりでいた。
一筋の雲が、青空を西から東へと消えていく。
人々は何もあきらめてはいない。すべてはこれからだ。