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ヴァイクは、久しぶりに戦慄を覚えた。
――これがマクシムの本当の実力なのか。
圧倒されるとはまさにこのことで、ほとんど何もさせてもらえない。
後手に回ってしまったのも痛かった。正攻法では勝ち目がないことは初めからわかっていた。
こちらは、常に動き回りながら相手の隙をうかがう戦い方をしなければならなかったのに、もはやその余裕はなく、相手もそうした戦法に慣れてきているようだった。
八方ふさがりとはまさにこのことだ。攻めることもできなければ引くこともできない。しかし、このまま耐えつづけていても、いつかはやられてしまうことは明白だった。
なんとかしなければならない。しかし、なんともならない。罠にはまって逃げ出せず、ただ死を待つしかない兎のような気分だった。
〝誰だって、窮地に陥るときはある。大切なのはそうなってもあわてず、あきらめないことだ〟
また、昔の言葉が頭の中で反響する。
〝世の中な、意外に『もう駄目だ』と思ったときにこそ好機が転がってるものなんだよ〟
そんなばかな、と言い返した記憶がある。
〝たとえば、だ。お前が戦いで追いつめられたとする。相手の攻撃は圧倒的だ。だが、相手の立場になって考えてみろ〟
どういうことか。
〝相手は、そのとき何を考えていると思う? 『もう勝った』か? それなら、相手は確実に油断している。隙を突くチャンスだ。『ここで決めてやる』か? 相手が攻撃にやっきになって冷静さを失っているようなら、なおさらチャンスだ〟
男がにやりと笑う。
〝わかるだろう? 相手が本当にどうしようもならないくらいに強かったなら、そもそも勝負は一瞬で終わっている。もし相手の攻撃をなんとかしのげているようなら、実はそんなに力の差はないってことだ〟
ああ、そうか――と妙に納得した気がする。
〝攻撃は最大の防御なり、なんて言う輩がいるが、実際は攻撃の瞬間こそが最も防御の甘くなるときなんだ〟
マクシムは攻撃をつづけている。
〝隙はかならずできる。だが、攻撃を受けている以上はそれを見出すのは難しいし、見つけたとしても攻撃に転ずるのは容易じゃない。だから、最大の好機をけっして見逃すな。それが訪れるまで必死に耐えて、その一瞬にすべてを賭けろ〟
まあ、お前には無理だろうけどな――あのとき、男はそんな余計なことも言っていた。
――マクシム。
そういえば戦いのことに関しては、兄よりも彼から教えられたことのほうが多かったのではないか。
自分が追いつめられているというのに、こころの片隅に何か懐かしい思いがわき起こってきた。
だが、意識の大半は目の前に向けられている。
――圧倒的な攻撃ゆえの隙……
確かに、今のマクシムの剣は大振りすぎると言ってもいいほどで、一歩間違えば急所ががら空きになるほど大ざっぱだ。
その攻撃があまりにも激しいために、こちらは守ることに手一杯で結果としてとても反撃できるような状況ではなかった。
――やっぱり、攻撃は最大の防御じゃないか!
理不尽さに対する怒りが込み上げてくるが、気がつけば徐々にではあるがマクシムの攻撃に慣れてきた面もあった。といっても、このままでは持ちこたえられなくなるのは時間の問題だ。
――今度こそどうする!?
恐慌状態に陥りそうになるこころを叱咤する。ここで落ち着きを失えば、それこそおしまいだ。まだどうにかなると信じて、必死になって相手の隙をうかがった。
そうこうしている間にも、こちらの体力は確実に削られていく。一方のマクシムは、まるで疲れを知らぬかのように攻撃の勢いは衰えなかった。
二の腕がしびれはじめた。柄を握る手には、すでに感覚がない。
しかし、息をするのも苦しくなりだしたちょうどその頃、ふと違和感に気づいた。
マクシムの動きがどこかおかしい。明らかに何かが狂っているというわけではないが、一連の動作に見ていて引っかかるものがあった。
――なんだ? 何が起きてる。
相変わらず、マクシムの一撃一撃は力強い。というより、強すぎる。一瞬でも気を抜けば、あっという間にやられてしまうはずだ。
しかも、こちらの剣のほうがだんだんとやばくなってきた。おそらく、リベルタスでなければとっくの昔に折れていたに違いない。今ばかりは、アセルスタンに感謝したい気分だった。
そのリベルタスを垂直に立てて防御している。それを意識したとき、はっと気がついた。
――右と左で攻撃のパターンが違う。
マクシムは一見すると力任せの大味な攻撃をしているようにも思えるが、その実、かなり緻密な戦法に基づいて剣を振るっていた。けっして単調にならないように気を配り、相手にほとんど先読みさせないようにしている。
結果的に、右からの攻撃も左からのそれも似ているように見えてくる。それが、今は明らかに一方に偏っていた。
どういうことか、と考えてすぐにわかった。
――怪我が気になっているのか。
攻撃の少ない側は、脇腹に傷口が開いている。今もマクシムが動くたびにそこから血が流れ、止まる気配がない。
たぶん、マクシム本人は意識していない。してはいないのだが、どうしても無意識のうちに怪我をしているほうからの攻撃を控えてしまう。
ということはつまり、攻撃に偏りが出る。それを見極めれば、次の一撃を予測できるかもしれない。
もう一度、改めて相手の一連の動きをじっと見やった。
さすがというか法則性はない。たとえ冷静さを欠いているにしても、敵に悟られないようにランダムな動きを見事にこなしている。
だが思ったとおり、怪我を負っている側――向かって左――からの攻撃は明らかに少ない。
右、左、右、右、左……
しかし、これといって法則性は見出せなかった。
――もう、腕が限界だ。
手につづいて、今度は腕の感覚までなくなってきた。よけることも受け流すこともできずに剣で相手の攻撃を防ぎつづけてきたことのつけが、とうとう表に出ようとしていた。
もはや、幾分の猶予もない。きっとこのままパターンを見出そうとしても、いつまで経ってもわからないままだ。
どこかで、いちかばちか仕掛けるしかなかった。たとえうまくいかなかったとしても、何もできないままやられてしまうより遥かにましだ。
左からの攻撃は少ない。それは間違いない。ならば、それが来た直後に思いきって突っ込むしかなかった。
――やれるか?
自分のこころの中で疑問がわき起こる。
もう腕がしびれている。マクシムの剣撃は圧倒的だ。これだけの守勢から攻撃に転じることが、本当にできるだろうか。
それもこれも、実際にやってみるしかなかった。今のマクシムの様子からして、失敗すれば確実にこちらはやられてしまう。
嫌いな言葉だが、決死の覚悟で臨しかなかった。
大剣イリアが、目の前を左から右へ猛烈な勢いで行き過ぎていく。それが妙にゆっくりなものに感じられた瞬間、すべての決意が固まった。
――やるしかねえ!
次の攻撃が右から来ることを想定して、相手のやや左に回り込み、こちらは左から剣を振る。こうすれば、相手の攻撃が届くまでわずかな時間を稼げるし、こちらの剣を早く振り切ればそのままガードにも使える。
すべては紙一重だった。わずかな遅れが、致命的なものとなる。
後ろめたい思いを抱えつつ、傷口のところをもう一度狙う。
相手の弱点を狙うのが戦いの常とはいえ、けっして気分のいいものではない。しかし今は、なり振りかまっている場合ではなかった。
愛剣リベルタスが、最短距離でマクシムの体へ到達しようとする。
一方のマクシムは、今やっと、予想どおり右から剣を振りはじめたところだった。
――いける。
勝利への確信はしかし、次の瞬間すべて消え去った。
――な、に……!?
マクシムが右手を剣から離し、みずからこちらの剣リベルタスに向かってその右腕を突き出した。
勢いに乗った剣が、皮膚を破り、肉を切って深々とくい込んでいく。しかし、それ以上は剣が動かず、完全に動きが止まった。
――やられる。
なかば本能的に、このあとの展開を直感する。
もう剣は動かせない。かといって、それを捨てて相手の攻撃をよけるだけの余裕もない。すべてが手詰まりだった。
マクシムが右腕はそのまま、左腕一本で大剣を振る。
狙いはこちらの腰の当たり。上へ逃げても下へ逃げても間に合いそうになかった。
これが生まれて初めてのことかもしれない、完全な死を覚悟するのは。
みずからの腹部に恐るべき破壊力をもった大剣が激突し、体が二つに折れるようにして下へ落ちていく。
そんな心象が目に映った。
だが、気がついたときには胸に激しい衝撃を受け、地面にもんどり打って倒れていた。激痛が右胸を走るが、剣でやられた感触ではなかった。
その理由はすぐにわかった。マクシムが肩で荒く息をしながら、剣の切っ先を下にして立っている。
「…………!」
剣の刀身の部分は使わずに、柄頭でこちらを打ちすえたのだ。今ので仕留めようと思えば仕留められたのに!
――本気で頭に来た。
久しぶりに感じた、こころの奥底までも揺さぶられるような屈辱。
これまでも戦いに負けることはあった。しかし、ここまであからさまに相手から情けをかけられたことは一度としてなかった。
決定的な力の差があると見下されたようなものだ。ひとりの戦士として、これほど激しく悔しさを覚えることは他になかった。
「そっちがその気なら、俺だってとことんやってやる!」
怒りに任せて無理やりに立ち上がる。
体のあちこちが悲鳴を上げるが、そんなのは知ったことか!
もはや、翼人がどうとかマクシムに聞きたいことがあるとか、そんなことは一切関係ない。とにかく目の前の不遜な輩を倒す。それだけだ。
戦法も剣術も余計なことはまったく考えず、真正面から突っ込んでいった。
右腕と脇腹から血を流したまま立ち尽くすマクシムに、全体重をのせた渾身の突きを見舞った。
しかし、それは至極あっさりとかわされた。大怪我と言ってもいいほどの傷を負っているにもかかわらず、マクシムの動きに衰えはまるで見られない。
ただ、ヴァイクはよけられたことも構わずに、すぐに反転しつつ、その勢いを利用して横からの一撃を見舞おうとした。
それも、マクシムがかわした。だが、剣の当たる当たらないは、今のヴァイクにとってはもう、どうでもいいことであった。
ただひたすらに剣を振るう。
がむしゃらに、勢いよく、一心不乱に振るいつづける。
目的はなんだっていい。今はともかく、戦っていたかった。
だが、そうした無茶苦茶な攻撃が、本当の兵相手に通用するはずもなかった。打っては返され、斬ってはよけられ、逆に片手一本のマクシムに叩きのめされる。
それでも、不思議と嫌な気はしなかった。自分は全力を尽くしているという手応えがある。ひとりの戦士として、何ものにも代えがたい喜びがそこにはあった。
劣勢であることに変わりはなく、自分の力はこんなものだったのかと情けなさが込み上げてきた。
しかし、小細工をせずに真正面から相手にぶつかったからこそ、己の力量を確認できたこともまた事実であった。
――それに、マクシムだって無敵というわけじゃない。
片腕だけであれだけの大きさのある剣を扱っている。疲れが出ないわけがない。勝機はかならずそこにあった。
それでも時間が経つにつれ、こちらの傷は確実に増えていき、打ちのめされるたびに顔も体も汚れていく。
「無様な姿だな、ヴァイク!」
「うるさい! 大怪我を負ってる奴がいう台詞か!」
気がつけば、この戦いが始まってからもうかなりの時間が経過していた。
それにも関わらず、両者の表情に疲れの色は微塵も見えず、どこか楽しげでさえあった。
戦いの真似ごとをして遊んでいる子供のように。
はたから見れば、壮絶な喧嘩をしているようにしか映らなかったろう。しかし当の二人はともに、妙なわだかまりが消えつつあった。
そんななか、再びヴァイクが倒された。下にあった木の枝のせいで服が破れる。
――俺は何をやってるんだ。
ヴァイクは、だんだんとばかばかしくなってきた。
こんなことをしていてなんになる。疲れるし、痛いし、どこか虚しい。
だいたい、こんな大男相手に真正面からばか正直に戦うのは理不尽にすぎる。
自分は自分らしい戦い方をすればいい。だから、すぐに立ち上がると見せかけて、相手のおろそかになっている足をしたたかに払ってやった。
マクシムはまったく予想していなかったらしく、かなり無様に尻もちをついた。
「このやろう……!」
「油断するほうが悪いんだ」
にやりと笑って先に立とうとする。その鼻先を相手の剣の切っ先がかすめていった。
「うわっ」
「油断するほうが悪い」
右目のすぐ下から血が流れる。気づくのがわずかでも遅れていたら、失明していたかもしれない。それでも、容赦なくマクシムはぎりぎりの一撃を放ってきた。
瞬間的に込み上げてくる怒りを抑えながら、ヴァイクは完全に立ち上がってから相手を静かに見すえた。マクシムも同じように、剣を構えることを忘れずに相手と静かに対峙した。
――そろそろ勝負をつけるべきだ。
それが、二人に共通した思いであった。
マクシムは手首に巻いていた一枚の布を取り外し、右腕の傷口の部分を左手と口を使って器用に縛っていく。ヴァイクは、それが終わるのをただ待った。
二人が、再び目を合わせた。そこにはもう、一切の妥協も焦燥もなかった。
そして、二人が同時に動く。
ヴァイクは剣を上段に構え、マクシムは切っ先を正面へと向ける。
互いに小細工はすべて捨て、全身全霊をもって相手に挑んでいった。
剣と剣とが火花を散らしてぶつかり合う。
両者の刀身がきしみ、悲鳴のような音を立てた。マクシムの力は片腕がまともではなくとも圧倒的だが、ヴァイクも負けてはいない。二人の力が拮抗しているがゆえに、あたかもまったく力を入れていないかのように両者は微動だにしなかった。
そこへ、一陣の風が吹く。
二人を嬲るようにして過ぎ去っていったそれは、女神の名が冠せられた二振りの剣を激怒させた。
弾かれたように両者が離れ、もう一度それぞれの剣を振るった。ヴァイクは左から、マクシムは右から。
再び剣が打ち合わされ、それが幾度となくくり返される。
ぶつかっては離れ、離れてはぶつかる。今度もまた動きはあるものの、全体としては事態は膠着していた。
それがようやく動き出したのは、マクシムのほうから仕掛けようとした瞬間だった。
上段から振り下ろそうとしていたマクシムの剣の軌道が、大きく歪む。彼の右手が、すでに柄から離れていた。
――今だ。
この好機を逃してはならない、とヴァイクの直感が告げていた。
均衡を打ち破るには、偶然の要素も巧みに利用しなければならない。今が、天の与えてくれた最大の好機だ。
思いきって相手の懐へと飛び込む。だが、次の瞬間にはすでに、相手の剣が目の前まで迫っていた。
「何っ!?」
あわててよけようとするものの、肩口を浅く斬られた。その軌道は、こちらの胸を的確にとらえていた。
マクシムは、右腕を問題なく動かしている。そのときになってようやく悟った。
「騙したなッ」
「愚か者め。こんな単純な手にまた引っかかるなんて、お前はまだまだ未熟だということだ」
屈辱に身を震わせるが、図星なので何も言い返せない。とにかくいったん体勢を立て直すために、相手を突き飛ばすようにして距離をとった。
――そろそろ、相手を無力化しないと。
たとえこちらが相手を圧倒したとしても、少しでも戦える状態ならばマクシムはまた剣を手に取るだろう。
情け容赦は必要ないということか。もはや、もう一方の腕を断ち切るくらいのつもりでやらなければ、彼を止められないように思えた。
――俺の体力も限界だ。
単純な力では劣る自分が大男と戦いつづけたせいで、余力はもうほとんどない。おそらく、あと数合持つか持たないかといったところだろう。
腕が重い、体がだるい、足が動かない。そして、思考力も急速に落ちていくのを感じる。
勝負を決するべきときが来た。次の一撃にすべてを賭ける。
どうやらマクシムも同じ状態、同じ思いのようだ。右腕に巻き付けた布は、もはやすっかり赤く染まり、肩で息をするほど呼吸も荒い。
戦いの場から長く離れて体力が落ちているというのに、無茶な動きをつづけたせいで体が悲鳴を上げていた。生まれ持った素質と過去の蓄積だけでなんとかなるほど、実戦は甘くない。
『――――』
二人が殺気をあらわにした。
ここで決着をつける。
そのためには、加減をすることなど一切できない。一歩間違えばどちらかが死に至ることを覚悟するほどの攻撃でなければ、何も終わらせられない。
辺りが、しん、と静まり返る。
二人のぶつかり合う冷たい殺気が、周囲の存在の活動を無言のうちに抑えつける。
――肌がちりちりする……
ヴァイクは、戦慄を覚えるほどの圧力を感じていた。
少しでも弱気の虫が出れば逃げ出してしまいたくなるような強烈な圧迫感。しかし、今の自分ならば負けない自信はあった。
風が吹き、落ち葉が舞う。遠くのほうから爆音のようなものが聞こえてきたとき、雨が上がり、わずかな雲間から光が射し込んだ。
草木から、滴が、落ちる。
動き出したのはほぼ同時だった。
地を蹴り、翼を羽ばたかせて、一気に距離を詰める。
決死の覚悟。今の二人を形容するに、この言葉ほどふさわしいものは他になかった。
残り十歩、七歩、五歩――
そして、ついにぶつかるというときになって、両者ともにまったく予期せぬ事態が起こった。
「もうやめて!」
かたわらの森から何かが飛び出してくる。
それは思わぬ速さで二人の間に割って入り、そして両の手を大きく広げた。
『――――!?』
二人ともが声にならない悲鳴を上げ、全身をこわばらせてどうにかして己の動きを止めようとする。それでも一度は全身全霊を賭けたその勢いはなかなか衰えず、二振りの剣がその人物の目前にまで迫った。
リベルタスは、相手の眉間に触れるか触れないかというところでその怒りを鎮めた。
一方、イリアはあくまで血を欲したか、伴侶の制止を聞かずに相手の着る僧衣の肩口を浅く切り裂いた。
両者の動きが完全に止まる。
すべてが呼吸を止めたかのような静寂の中、間に入った人物の服だけがのんきにはためいていた。
ヴァイクが、忘れていた息を一気に吐き出す。と同時に、目の前の女性を烈火のごとき瞳で睨みつけた。
「なんてばかな真似をするんだ、ベアトリーチェッ!」
まるでマクシムをかばうようにヴァイクの正面に立っているのは、誰あろうベアトリーチェであった。息を切らし、少し疲れた表情でヴァイクをじっと見つめている。
そのベアトリーチェが、さっと表情を怒りの色に染めた。
「それは私の台詞よ! 二人とも何をやっているの! どうして、無駄な争いごとをしようとするの!」
『…………』
ベアトリーチェの叫びは切実であり、鋭かった。ヴァイクとマクシムは、意外なところからの糾弾に言葉を失った。
「――すみませんが、すべて聞かせてもらいました。マクシムさんのことも、アリーセ様のことも」
「ベアトリーチェ、いつから近くにいたんだ」
「最初から。だから、わかるのよ。二人が戦う理由なんて、本当はないじゃない! なぜ、仲間同士で刃を向け合うの!」
マクシムとヴァイクは同族であり、しかも兄弟のような仲だったという。それは言葉以上に、二人の様子からもよく伝わってきた。
ならば、どうして剣を打ち合わせ、さらに互いを傷つけようとするのか。戦うことの意味が理解しがたかった。
「どうして、自分たちがばかなことをしてるって気づかないの!」
「……そのわからずやのせいだ。俺だって無意味な戦いはしたくない。だけど、その男が力でわからせろと言うから仕方なくやってるだけだ」
「そうは思えない。だって、あなたもどこか望んで戦ってたじゃない」
「…………」
ぐうの音も出ない。
確かに、みずから欲して剣を打ち合わせていた部分があったことは、ごまかしようのない事実であった。
それでも、マクシムの側に責任があることに関しては、譲れない部分もあった。
「俺は、マクシムから聞きたいことを聞ければそれでよかったんだ。それなのに、この男が戦いを欲した。それにこいつらは――〝極光〟は人間を犠牲にすることを厭わないんだぞ。お前の故郷アルスフェルトを壊滅させたのは、このマクシムなんだ!」
「…………」
一瞬の静寂が場を支配した。わずかに空気が止まったかのように、あらゆる気配が消えた。
「マクシムは、己の目的のためには手段を選ばないつもりだ。次に犠牲になるのは、お前かもしれないし、他の集落の誰かかもしれない。また不当に殺される人間が出てからでは遅い。それでもベアトリーチェ、お前は戦いをやめろというのか? 相手が剣を振り上げているのに、甘んじて受けろというのか?」
「――――」
「俺は、そんなのは嫌だ。おかしいと思うことがあるのに、それを黙って認めることなんてしたくない。それを正すために戦いが必要だというなら、俺は迷わず剣をとる。きれい事だけじゃ、世の中は動かないんだ。汚れ役が必要だというなら、俺が買って出る」
誰かがやるしかないことを他人に押しつけるつもりなど毫ほどもない。だが、否、だからこそ、その行為そのものを否定されるのは我慢ならなかった。
「この男は昔の俺と同じなんだ。人間は幸せな種族で何不自由なく生き、逆に翼人は重いものを背負わされた不条理な世界の中で生きていると思い込んでる」
ヴァイクは、言葉に力を込めた。
「この男に思い知らせてやらなければならない、それが独りよがりな考えにすぎないことを。そのためには、ある程度力でわからせることも必要なんだ」
そうした考え方にも一理あるのかもしれない。
しかし、とベアトリーチェが反論しようとしたとき、それよりも早く口を開いた人物がいた。