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つばさ  作者: takasho
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 戦とは恐ろしいものだ。

 どんなに綿密な作戦を練ったとしても、たったひとつの不確定要素によって戦局ががらりと変わってしまうこともある。そして、すべてが悲しいほどあっさりと無駄になっていく。

 軍を含めた組織というものは、ひとりひとりの人間という細部がつながり合って全体を構成しているひとつの生命体のようなものだ。

 思うように動かせるようで、実は思うままにならないところが多々ある。人間が自身の体を完璧に使いこなすことはできず、また病気になったときにどこが悪いのかよくわからないこともあるように。

 カセル侯軍の動きは鈍かった。

 ――やはり、帝国に対して仇なすことに抵抗を感じている兵が多い。

 これまでの成果からてっきり一枚岩になりきれていると思い込んでいたが、いざ実際に帝都で諸侯の軍や宮廷軍と争う段になって、こころのどこかに迷いが出たのだろうか。

 それは仕方のないことなのかもしれなかった。

 我々がやろうとしていることは、帝国二五〇年の歴史をその根底から覆そうとする大それた行為。兵士でなくとも躊躇するようなことではあった。

 ――しかし、誰かがやらなければならないことだったのだ。

 このまま放置しておいても問題がないならばそのままにしておけばいいが、そうではなく確実に事態が悪化することがわかっているからこそ、危機感を覚えた。

 しかし、それを理解してくれるのはほんの一部の人々だけでしかなかったということか。

 部下たちのいつもとは明らかに違う様子を見て、理想を共有することの難しさを思う。

「閣下」

 背後からかけられた声に、ゆっくりとそちらに視線を移す。

 そこにいたのは、まだ年若い男だった。

「エルンストか。どうした?」

「戦況は悪化しております。どのように対処すべきなのでしょうか」

 エルンストと呼ばれた近衛騎士は、実直そうな表情で問うた。経験の浅い彼にも、切迫した状況であることがわかっていた。

 ――この男も、巻き込みたくはなかったのだがな。

 ゴトフリートの胸に、後悔に似た複雑な思いがよぎる。

 己の望みのために若い命を犠牲にしていることに、とてつもない後ろめたさを感じる。

 たとえどんな大義名分があろうと、けっして許されない罪。

 すべてを承知の上でやっていることとはいえ、その思いにこころがきつく締めつけられた。

 ――どうして自分の周りには、こうも自己犠牲の精神が旺盛な者が多いのだろうな。

 このような自分には過ぎた部下だ。恵まれすぎていた。

 ただ、エルンストのようなまっすぐな目を見つめていると身が引きしまる思いがする。

 嘆いている場合でも失望している場合でもない。彼らの思いを裏切らないためにも、現状、己のなすべきことをなさねばならない。

「後方の隊も前線へ送れ。戦線をこれ以上広げないために、あえて中央から割り込ませるのだ」

「しかし、それでは本陣が手薄になってしまいます。万が一のことを考えますと……」

「あとがない状況で守りのことを気にしていてどうする。今は、前へ進むことだけを考えよ」

「――わかりました」

 まだ思うところがあるようではあったが、エルンストはうなずくと、きびすを返して伝令に指示を与えにいった。

 その後ろ姿を見、これからの世を思う。

 ――次代は、彼らこそが担うのだ。自分はそのための礎になればそれでいい。

 それが逆となることだけはけっして許されない。年寄りが若者を犠牲にすることだけは、絶対にあってはならないことであった。

 だが、自分はすでに何人もの年若い部下を死地へ送り込み、また市民の子供たちをも巻き込んでしまっている。すでに重大な罪を犯していた。

 それゆえに、なおさら自分は次の時代に相応しくない。今回のことが成功したとしても、かならず身を引くべきであった。

 ――成功は難しいだろうが、な。

 現状は厳しい。

 今でも計画は完璧であったという自負はあるが、いざ実行の段になって不確定要素が入りすぎていた。

 まず、宮廷軍と諸侯の軍がここまで頑強な抵抗をするとは思わなかった。

 各侯は、しょせん己とみずからの領地の利益しか考えない。追いつめれば、自軍の戦力の消耗を嫌って連合軍は自然と瓦解するはずだと踏んでいたのだが、反対にこれまでになく結束を強めているようにさえ見えた。

 ――追い込みすぎたのか。

 あまりにも想定しない事態に陥ったがために、単独行動の限界を悟り、自然と互いに協力し合う方向へつながってしまった。外からの圧力が内を固める誘因となっていた。

極光(アウローラ)〟の対抗勢力が現れたのも大誤算だった。

 翼人の世界では各部族ごとの対立が激しいとは聞いていたが、まさかこれほど大規模なはぐれ翼人の集団が他に存在するとは、ほとんど予想していなかった。

 しかも、強い。個々の能力では〝極光〟も劣ってはいないのかもしれないが、全体の組織力、そこから生まれる連動性は一枚も二枚も相手のほうが上であった。

 ――しかし、それだけではない。

 空の敵が奴らだけであったなら、仲間の翼人たちもなんとか耐えられただろう。

 だがある面では、連中よりもずっと厄介な相手が突如として現れ、それが決定的すぎる要因となって今の流れを決めた。

〝オリオーン〟

 間違いない。あの帝都の上空に魔神のように存在する飛行艇は、かつて見たノイシュタットのそれを改良したものだ。

 まさか、ノイシュタット侯があれを準備しているとは思わなかった。大弩弓(バリスタ)を搭載した飛行艇のことは知っていたし、万にひとつの可能性を考慮しないわけでもなかった。

 ――しかし、あれは使えないと思っていた。

 それは、ノイシュタット侯の性格も踏まえてのことだ。

 あのオリオーンは、確かに恐るべき兵器だ。一隻で、軍の一つや二つ――否、小国ならば一国を丸ごと簡単に壊滅させられるだけの威力を秘めている。

 だが、その圧倒的な威力ゆえに、周囲に与える被害が大きくなりすぎてしまうという逆の欠点もあった。

 それを思えば、周りとの調和と世の安寧を他の何よりも重んじるノイシュタット侯が、あえてあれを使うはずがないと考えた。その生来の優しさゆえに、できるはずがないと思った。

 ――違うのは現実だけ。

 ノイシュタット侯はオリオーンを使うことを決断し、現に市民を巻き込むことも構わず攻撃をつづけている。

 そこに、人間の情などかけらほどもなかった。

 ――ついに、フェリクスも一線を越えてしまったか。

 あまり想像したくはないことであった。

 あの、領主には不向きなほど心根の優しい男だったフェリクス。

 それが今や犠牲を厭わず、やるべきことを断行するひとりの〝指導者〟となっていた。

 なるべくしてなったといえばそれまでだろう。フェリクスは戦神ジークヴァルトの息子であり、幼い頃から領主としての教育を徹底して受けてきた。

 時に非情な決断を下したとしてもなんら不思議はない。

 しかし、フェリクスには変わってほしくなかった。頑固ながらも、まっすぐで優しいままの青年でいてほしかった。

 それが、わがままな願いだということはわかっている。その決断をさせたのは自分が原因だということも。それでも、フェリクスへの思いは偽らざる本心であった。

 ――もっとも、自分のほうが大いなる悪をしでかそうとしているのだがな。

 善をもって悪を正すことができぬのならば、悪をもって悪を滅するだけ。

 その覚悟が危険なものを(はら)んでいるのは自明のことだが、それを恐れていては何もできないし、何も変えられない。

 誰かがやるしかないのならば、自分がやる。それが、己に課した生来の使命であった。

 ――それすら難しくなった、か。

 状況の変化がすべて、自分たちに不利な方向へと動き出していた。

 もう、打つ手はほとんど皆無に等しい。

 逆を言えば、やれることはすべてやったということだから、後悔も焦りも、そして失望もない。自分でも驚くほど静かに終焉のときを待っている。

 けっしてあきらめたわけではない。あきらめたわけではないのだが……

 そう思いはじめたゴトフリートの耳に、不意に騒がしい音が聞こえてきた。

 横を見やると、開け放たれたままの扉の奥で部下たちが何やらもめている。

 仲間割れかと嫌な予感がこころをよぎるが、その間からひとりの男がまろび出てきた。その姿は騎士のものではなく、明らかに庶民のものであった。

 ――なぜこんなところに市民が?

 疑問が頭をよぎるが、それを考える間もなく、男がこちらに凄まじい形相で詰め寄ってきた。

「あんたがカセル侯か!」

 男はこちらの姿を認めると、怒りをあらわにして叫んだ。追ってきた騎士たちにすぐに取り押さえられても、構わず怒鳴りつづける。

「なんでこんなばかな真似をしたんだ! カセル侯軍が反乱を起こすなんて……。どうして、みずから秩序を乱すんだッ!」

 ――またそれか。

 男の真剣な叫びにも ゴトフリートは()んだように吐息をついた。

 秩序を、乱す。

 それは、誰にとっての秩序だというのか。なんのための秩序だというのか。

 もし、その秩序とやらが実質の狂った状況下で安逸をむさぼるための口実でしかないとしたら、それはけっして真の平和と繁栄をもたらすことはない。

 今は、秩序が秩序ではなくなってしまった。

 歪み、絡み、狂うことで悪の惰性の秩序となり果てている。

 ならば、それを切らねばならぬではないか。

 正さねばならぬではないか。

 それのどこがばかな真似だというのか!

 ゴトフリートの怒気に気づいたのか、男は一瞬だけ怯んだが、すぐに気持ちを立て直して再び突っかかっていった。

「あんたは正義感からこんなことをしたのかもしれない。でも、現実に世が乱れた! たくさんの犠牲が出ているじゃないか! あんたは人のためとか言って、本当は自分が楽なほうへ逃げているだけだ!」

 ――逃げている? 私が?

 なにをばかな。自分は世を思い、ゆえに今回のことを断行したのであって、自分が楽をするためではまったくない。

 しかし、そう強く確信しつつも、そこには一蹴することのできない何かがあった。

 ゴトフリートの葛藤を知ってか知らずか、男はたたみかけるように言い放った。

「すべてをぶち壊して一からやり直すことなんて誰だってできる。そうじゃなくて、調和を維持しながら改革を進めることこそが必要だったんじゃないか! どっちが困難でどっちが楽か、わからないあんたじゃないだろう!」

 男の叫びは部屋中にこだました。

 それは周囲の者の胸に重く響き、強く叩かれた鐘のように鳴りやまなかった。

 ゴトフリートも例外ではなかった。

 自分では絶対的に正しいと思っていたことが、音を立てて崩れていく感覚がある。

 それは、自信という揺るぎない思いの崩壊を意味しているのかもしれなかった。

 辺りにはただ沈黙が下り、それぞれのこころをさまざまな思いが支配する。ある者はうつむき、ある者は天を仰ぐ。それぞれがそれぞれに、今の己について思いを馳せた。

 それは後悔だったろうか、疑念だったろうか。

 もはや、自己への肯定の念はかけらほどもなかった。皆が自分を見直しはじめ、この戦の正当性を思う。

 ――ここまでかもしれぬ。

 ゴトフリートは思う。

 己のやるべきことに疑いを持ち、足を止めるようになってしまったらおしまいだ。自分自身、この男の言葉に思うところがないわけでもない。

 しかし、何事も立ち止まってしまっては駄目なのだ。この世に完璧な策などなく、ましてやそれを完璧に遂行することはなおのこと難しい。

 たとえ負の側面があるにしても、あえて遂行しなければならないことも確かにあった。

 そのことは、部下のほとんどが理解しているはずのことだった。だが、たったひとりの男の、たった一言によって、それは完全に覆された。

 もはや、これ以上放っておくことはできなかった。

「……何をしている。早くこの男を連れていけ」

 主の一言に、はっと打たれたようにして騎士たちが再び動き出した。暴れる男を三人がかりで無理やり押さえつけ、部屋の外へ引きずり出そうとする。

「こ、これが――」

 それに抗いながら、男が言い放った。

「これがあんたの正義だというのか、カセル侯! この混乱と殺戮が理想だというのか!」

 犠牲と欺瞞の影。

 それが正義というなら、この世には悪しか存在しないことになる。

 ゴトフリートは、正義のために悪を行っている。この矛盾と、その肯定こそが最大の欺瞞だ。

 はたして、彼自身はそのことに気づいているのだろうか。

 気づいていないのなら、気づかせるべきだ。

 気づいているのなら、なおのこと許すことはできない。

「俺は許さない。あんただけは絶対に許さないぞ!」

 怒りの叫びを残し、男は閉じられた扉の向こうに消えていった。

 あとには、沈黙だけが残る。

 そのなんと虚しいことか。

 部屋の窓からは、煙と焼けこげた匂いが漂ってきた。それは、正しかったはずの何かが無惨に焼かれた匂いかもしれなかった。

 ゴトフリートは、もうすべての覚悟を決めていた。

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