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つばさ  作者: takasho
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 目の前で、ひとり、またひとりと同胞が血に(まみ)れ、薄汚れた大地に倒れ伏していく。

 今や、大神殿前の広場は騎士や兵士、そして無数の市民の死体で足の踏み場もないほど埋め尽くされようとしていた。

 ――こんなことに……

 その光景を目にして、胸が締めつけられるように苦しくなる。

 自分たちの浅はかな決断が、この状況を招いた。それなのに、最大の責任者である我々が今も生き残っている。

 自分はこの安全な場所で何をしているのか――強烈な罪悪感がみずからのこころを糾弾する。

 しかし、そうした思いをまるで感じず、正反対の感情に支配されている者もいた。

「ええい、何を手こずっておる! 我々と翼人にカセル侯軍が加わったというのに、なぜ敵を圧倒できんのだ!」

 大神官長バルタザルは、苛立たしげに机を叩いた。思うように事が進展していないことに、焦りと怒りばかりがつのっていく。

 しかも、形勢は徐々に不利なものになりつつあった。

 少し前までは味方の翼人が上空を支配していたから、その分こちらの優位は揺るがなかったものの、今では当の彼らがなぜか同族同士で争っていた。

 仲間割れだろうか。それとも、別の集団が突如として現れたのだろうか。どちらにしても、これで翼人からの援護は受けられなくなってしまった。

「だから、翼人など当てにならぬとあれほど言ったのだ! あの野蛮人どもに我々の高尚な意図が理解できるはずもなかったのだっ!」

 元々、翼人に期待していたのは自分であったことを完全に棚に上げて、バルタザルが相変わらず吠えている。

 とはいえ、こころの底から信頼しているわけではなかったことは確かにそのとおりだった。

 自分たちは、翼人のことに関しては知らないことのほうが圧倒的に多い。ゆえに、どこかに疑念と、そして嫌悪感を常に抱えていた。

 それは、単に無知からのみ来るものなのだろうか。彼らに対する苦い思いの根源にあるものはなんなのだろう。

 それに思い至ったとき、強烈な自己嫌悪の情がわき起こってくる。

 つまるところ、偏見に加えて彼らに対する妬心があるのだ。

 ――翼のある者と、地べたを這いずり回る者。

 ――空を飛ぶものと、永遠に飛べない者。

 彼らへの根源的な憧れが反転し、嫉妬となってこころをねじ曲げる。

 レラーティア教には、翼を持つ神々が多く存在する。そのことは賛否両論なのだが、自分たちの信ずる神と翼人とが同じだと思いたくない。

 ――なんと浅ましいことか。

 翼人は翼人、人間は人間だ。

 翼人には翼人のよさがあり、人間には人間のよさがある。相手を羨んでもしかたがないし、教義上うんぬんなどという、そんな些末なことにとらわれてなんになるというのか。

 ――自分は、小さい生き物だ。

 そう思う。

 本来、大神官などという立場にいるべき人間ではない。卑小で、あまりにも脆弱な生き物なのだから。

 くだらないことを気にしてはいちいち気に病み、肝心なことをなかなか決断できない。

 そうこうしているうちに状況は時々刻々と変化し、気がついたときには取り返しのつかないことになっている。

 優柔不断だった。

 悲しいくらいに弱く、だからこそ周りを巻き込んでしまう。

 今回のことも、間接的に自分が招いたことだ。このようなことは初めから起こすべきではないということはわかっていたつもりだったが、大神官長や他の大神官の熱意に押され、なし崩し的に賛成してしまった。

 今さら後悔しても遅い。もう賽は投げられた。

 戦は始まってしまい、引き返せないところまで来ている。

 同胞の命は失われ、神殿の威光は地に堕ちた。

 そして何より、信徒たちからの信用は一気に失われてしまっただろう。

 ――だが、やれることはまだある。

 今ではもう、この戦いが間違いであったことは明白だ。ならば、できうるかぎり早急にこれを収めなければならない。

 ――問題は、あの大神官長だけだ。

 他の大神官たちはすでに、引き上げるべき時機であることをわきまえている。現状を見れば、嫌でも劣勢と被害の不必要な拡大がわかるからだ。

 しかし当のバルタザルは未だ、みずからの勝利を確信している節があった。あの異様にぎらついた目を見るかぎり、みずから兵を引こうとすることはけっしてないだろう。

 それでも、このまま放置しておくことができようはずもなかった。そうした思いは、やはり他の大神官たちにしてみても同じであった。

「バルタザル猊下(げいか)、戦況は逼迫しております」

「そんなことは言われずともわかっておる」

 同僚のひとりがかけた言葉に対し、大神官長はそちらに目を向けることすらなくすげなく突っぱねた。やはり、一筋縄では行きそうにない。

 だが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。同僚に代わってみずからが進み出た。

「猊下、すでに聖堂騎士団における被害も甚大。取り返しのつかない事態になる前に、ここで引くのが得策かと存じます」

「何をばかな! ここまで来て、おいそれとやめられるわけがない。この戦に勝てば、帝国の愚物どもをねじ伏せれば、ようやく我々は解放されるのだ。それを目の前にしながら、愚かなことを申すな!」

「ですが、このままでは目的が達せられたとしても、あまりにも代償が大きすぎます。最悪の場合、聖堂騎士団の維持さえ難しくなるかもしれません。今決断しなければ、後々への悪影響が強くなりすぎるのです」

 かつての〝カイザースヴェークの争乱〟以降、人々の神殿への信頼は失墜した。その結果、大神殿への巡礼者の数はもちろん、寄付金の額も大幅に減少した。

 問題はそれにとどまらない。地方の各地で暴動による神殿の打ち壊しまで起こり、レラーティア教はその基盤から揺らぐことになった。

 それを知らぬバルタザルではなかろう。

 が、しかし、大神殿の権威を回復することしか眼中にない今の彼にとっては、それ以外のことはもはやどうでもよくなっていた。

 案の定、大神官長は激昂するだけで、まるでこちらの話を聞こうとはしなかった。

「くどい! 中途で引くことなど、はじめから選択肢にはない。滅ぶというのなら滅べばいい。最後のひとりになるまで戦いつづけるまでだ」

 バルタザルは、それを当たり前のこととして言ってのけたのだろう。

 だが、その最後の一言に、彼を取り囲む大神官の面々はいっせいに反応した。

 さっと互いに目配せをし、ひとつの統一された意思を確認する。

 ――ここまでだ。

 三年前にバルタザルを大神官長として擁立したときは、問題点の多い人物ではあるものの、その役職をきちんとまっとうしてくれるものと信じていた。

 しかし現実には、改革という名の暴政をごり押しし、これまで平和と静寂というよりも混乱と喧噪とを周囲に引き起こしていた。

 それでも大神官長として不適切だと感じたことはなかったのだが、それも今が限界のようだ。

「国も選帝会議の最中だが、我々も新しい主を決めなければならないようだ」

 自分たち五人の大神官には、長の罷免権がある。

 レラーティア教の長い歴史の中でもかつて二度しか発動されたことのないそれを、ついにもう一度使うときが来た。

 窓から吹き込む風に、(あか)いカーテンが揺れている。

 その外では、この神殿の紋章を描かれた旗が矢で射抜かれ、あちらこちらが破れた状態のまま虚しくはためいていた。

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