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つばさ  作者: takasho
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 目の前の光景はなんだろうか。

 人間と人間とがぶつかり合い、剣を交え、盾で押し合い、火花を散らしている。その人間は、片方が賊でも暴徒でもない。正規兵同士が真剣に、しかもここ帝都で戦っていた。

 その様子が、ここまで見る者に衝撃を与えるものだとは予想だにしなかった。しかし一方では、ついにこのときが来たのかと納得する面もあった。

 片方は宮廷軍。

 片方は聖堂騎士団。

 この二者は(いにしえ)よりずっと対立をつづけ、隙あらば互いを滅ぼさんといがみ合ってきた。

 互いに譲れぬものがあり、互いに相容れぬものがある。結果として常に争いの気配をはらみ、常に敵意の炎はくすぶっていた。

 それが表面化したことは、これまで幾度となくあった。中でも最もひどい事態になったのが、六十年前に起きた〝カイザースヴェークの争乱〟だ。

 以前から両者がため込んでいた不満や怒りが頂点に達し、皇帝の宮廷軍と大神官の聖堂騎士団との戦いが勃発。

 そこに、神殿の所領の利権を狙う大商人と、皇帝の権力を弱めようとする自治都市の思惑などが複雑にからみ合い、それぞれの目的で両者を影から支援したり、工作で足を引っぱり合ったりした。

 しかも、七大諸侯まで大神官寄りの〝神殿派〟と皇帝寄りの〝帝国派〟に別れて相争った結果、ほとんど収拾がつかなくなり、帝国全土を揺るがす大騒動になってしまった。

 特殊かつ最悪だったのは、両方が同じところを拠点にしていたことだ。

 言うまでもなく、ここ帝都である。皇帝と大神官の対立は、そのまま帝都全体をも巻き込む大混乱となることをも意味していた。

 事実、宮廷軍と聖堂騎士団の衝突は、帝都の中心、広場から宮殿へとつづくカイザースヴェークという名の大通りで行われた。

 その戦闘は凄まじく、互いに譲れぬものを持った両者は引くことを知らず、無関係の市民を完全に巻き込む形で一カ月にも渡って戦いを継続させた。

 さすがにそれだけ長期に渡って戦闘がつづくと、さまざまな弊害が出はじめる。

 帝都の内部、それもど真ん中で戦いが行われたことで都市の機能は麻痺し、物資の流通も滞った。

 その結果、宮廷軍と聖堂騎士団を支えていた基盤が足元から崩れだし、平時から帝都を中心に動いていた諸侯や各神殿の所領にまでその悪影響を及ぼすようになっていく。

 いったんそうなってしまえば、どんなに相手が憎かろうと争いをつづけられるものではない。

 帝都の内外からの反発が急速に強まり、下は庶民や信徒の反乱、上は諸侯や神殿長による皇帝と大神官への猛批判につながり、帝国の存続さえ危ぶまれる状況に陥りつつあった。

 折しも、北西の諸国の紛争が収まり、東の大国は新しい流通経路の開拓によって国力を飛躍的に高めていた時期でもあった。

 このままでは危ない。

 それが帝国にかかわる人間の共通認識となり、両勢力が落としどころを模索するようになっていく。

 その間も呆れるようなすったもんだがあったのだが、有力な諸侯と神殿長の水面下での交渉もあって、どうにか直接の武力衝突はやめさせることができた。

 しかしその後、帝国も大神殿も、その力と民からの信頼を回復し、〝カイザースヴェーク以前〟の状態に戻るまでには、実に三十年もの歳月を要することになってしまった。

 この反省から、以後両者が表立って衝突することはなくなっていた――はずだった。

 だが、それは見せかけのことにしかすぎなかったのだ。

 最後の交渉の際、互いの領分には踏み込まないという相互不可侵の原則を再確認したが、実はそうしたことがらは口約束にしかすぎなかった。

 まるで懲りていない面々は、その後も機を見て相手に影響力を及ぼし、どうにかしてその権力を我がものにしようと狙いつづけた。

 そうなったときいらぬ足かせが付かぬよう、双方とも明文化することを避けたのだった。

 だから、見えないところに火種は常に存在し、その悪弊が現在にまでつづている。今、目の前で繰り広げられている光景は、その延長線上にあるものだともいえた。

「バルタザル猊下(げいか)、予想以上に被害が大きくなってしまっているようですが……」

 大神官のひとりライナーは、目の前に立って窓の外の情景を嬉々として眺めている痩せぎすの男にそれとなく他意を込めて声をかけた。

 その人物こそがこの世界に唯一の存在、レラーティア教の大神官長、バルタザルであった。

 彼は、まったく表情を変えずにライナーに答えた。

「大きな変革に犠牲は付き物だ。倒れた者たちも、自分たちが〝千年王国〟の礎になるのならば本望だろう」

 バルタザルに、悪びれた様子はまったくない。本気でそう思っている。

 彼にとっては神殿と教義こそがすべてであり、それ以外のものは二の次でしかない。つまり、人間でさえもレラーティア教にとって負の存在であるなら、彼は迷わず斬り捨てるだろう。

 しかし、とライナーは思う。何事にも犠牲が付き物なのは、悲しいかな、事実である。

 だが、それを何がしかの理由によって正当化してしまっていいものだろうか。

 倒れた者にも家族や友人、恋人がいる。

 誰だって死にたくはない。

 そうした人々の気持ちを真に思うのなら、犠牲を当然視することなどけっしてできないはずだ。それができてしまうということは、結局のところ他者の思いを理解していないということに他ならない。

 自分や近しい存在が犠牲になっても、なおそれを正当化できるのか。

 できるのなら、一面では非常に潔いといえる。しかしできないのなら、それは『赤の他人が死ぬのはいいが身内は駄目』というひどく身勝手な思いに基づくものでしかなかった。

 初めから犠牲を前提に考えるその方法論自体に、強烈な危険性を感じてならなかった。

 ゆえにこそ、ライナーは大神官長の不興を買うのを覚悟の上で、意を決して告げた。

「猊下、そろそろ聖堂騎士団と神官戦士団を引かせたほうがいいのではないでしょうか。神官たちだけでなく、民にまで被害が出すぎています」

 状況は想像を絶している。

 混乱の怒号と悲鳴は今いる塔を揺るがすほどだ。

 あちらこちらで上がった火の手は(とど)まるところを知らず、その炎にあぶられ、雨で急速に冷やされたこともあって脆くなった建物が、方々でひとりでに崩れ去っていく。

 何よりも、混乱の大きな元凶は空を縦横に舞う翼人たちだ。協力者がいるとは聞いていたが、まさかあの翼人だとは思いもしなかった。

 それに、

 ――帝都に飛行艇を落とすなんて……

 常軌を逸した現実を目の当たりにしたとき、腹の底から伝わってくる激しい震えを抑えることができなかった。

 あの空飛ぶ船が凄まじい勢いで落下し、宮廷軍の主要施設だけでなくその周囲をも巻き込んで大破した。

 そのときに巻き起こった土煙はここ大神殿にまで達し、その衝撃の大きさを明瞭すぎるほどに物語っていた。

 いったい、どれくらいの人々が犠牲になったのだろう。この戦いを止められる立場にいながら結局は止めきれなかったことに、押しつぶされてしまいそうなほどの罪悪感を覚えた。

「どうかご決断ください、猊下」

「……君は、まだそんなことを言っておるのか」

 バルタザルが振り向きもせず、呆れたようにため息をついた。

「これは、いわば〝聖戦〟なのだよ。神々の意志を世に広めるために必須の行事なのだ」

「行事……」

「そうだ。かならず行い、かならず乗り越えねばならない通過儀礼のようなものだ。我々は実質、ずっと帝国の支配下にあった。いわば、永遠に自立させてもらえない子供と同じだった」

 痩せて落ちくぼんだ目を爛々と輝かせ、バルタザルは帝都を睥睨している。

「帝国の(くびき)から脱し、神殿が真に神の意志を体現するためには、この試練を乗り越えねばならん。今苦しんでいる者たちも、あとできっとわかる。本当に大切なものを得るために必要な戦いであったと」

 その言葉には、異常なまでの熱意が込められていた。しかし、けっして邪心は入っていないことはわかる。

 彼も悪意をもって行動しているわけではなく、あくまで神殿のためのを思ってやっていることだけは、まぎれもない事実であった。

 ――問題は、その方向性だ。

 たとえ善意の行為であったとしても向かうべきところを間違えていたら、かえって弊害が大きくなる。

 バルタザルのレラーティア教を思う気持ちは確かに本物だ。だが彼は、一線を越えると歯止めが利かなくなってしまうようなところがあった。

 昔は純潔であることを誇りにしていたにもかかわらず、一度女の味を知ってからは庶子を多くつくってしまったというのは、すでに公然の秘密であった。

 限度を知らない強い意志は暴挙へとつながりかねない。バルタザルのこの激しすぎる情熱が、何かを狂わせているように思えてならなかった。

 そうこうしている間にも帝都の混乱はますます深まり、広まっていく。

 もはや予断を許さない状況だ。普段の彼ならば、そのことに気づかぬはずもなかろうに。

「これに成功すれば、やっと、やっとだぞ、俗世の(けが)れにまみれた帝国と完全にたもとを分かつことができる。皇帝という名の歴代の愚物どもは、ことごとくこの神殿を蔑ろにしてきおった。まるで我ら神官が彼奴(きゃつ)らの下僕でもあるかのように扱いおって。十二年前の夏を憶えているか!? あのとき帝国は無理やり、この最も神聖なる大神殿をよりにもよって死体置き場にしたのだ!」

 ――確かに、それはそうだが。

 ライナーもそのときの凄惨な光景は、今もはっきりと記憶の中にある。

 無数の遺体が整然と並べられ、しかしそれだけでは場所が足らずに部分的には山積みにさえなっていた。夏場ということもあって、あの死臭、あの惨状は若い頃の自分には強烈すぎた。

 とはいえ、それも仕方のないことであった。

 ほとんどは、疫病の犠牲になった者たちだ。

 遺体を外に放置しておくわけにもいかず、かといって都市内に埋められるところは限られている。帝都の外へ運び出そうにも、とにかく人手が足りていなかった。働き手の多くが、すでに病気にかかっていたからだ。

 そこで、とりあえず大神殿に頼もうと考えるのは自然な成り行きだった。〝困ったときは神殿に〟というのはもはやひとつの文化であるし、実際、神殿は人々の生と死を司っている。

 新たに生まれた子には祝福を与え、死者には冥府への道標を示す。それらは、確かに神殿の大切な役割の一部だった。

 疫病の犠牲者を拒否することは、人々の神殿への信頼を裏切ることに他ならない。

 ――猊下は、いったい何を考えていらっしゃるのか。

 と、今さらながらに思う。

 畢竟ひっきょう、彼はまるで|人を見ていない。いつも神々と彼らが与えたもうた教義のほうばかりを向いている。

 それはもはや、現実から目を背けているに等しかった。

 ――これが神殿なのだ。

 その姿を見るたび、レラーティア教そのものについて思う。

 実を言えば、自分はその教義に深く心酔して入信したというわけではなかった。

 人々を、世を救おうとしているその態度に感銘を受け、ここでならこの世界を少しでもよくするための活動ができるかもしれないと考え、微力ながら力を貸そうと決心した。

 他の信徒や神官には大きな声では言えないが、レラーティア教をひとつの〝手段〟としてとらえている面もあった。

 それだけに、今のバルタザルの姿が自分の目には奇異に映り、そこから異様なものを感じてならない。

 レラーティア教とは、宗教とは、人のためにあるのではないか。

 自分はそう信じてきたからこそ、これまで必死になって神殿に尽くしてきた。もし教義のために人を切り捨てるというなら、もはや自分にとってレラーティア教に存在価値はない。

 どこか根本的な部分で方向性を見誤った気がしてならなかった。

 それは自分のあやまちなのか、それとも神殿のあやまちなのか――

 こちらの気も知らず、バルタザルは相変わらず吠えている。

「だが、そんな苦悩と屈辱の時代ももう終わりだ。私の代で、神殿は帝国という名の鎖から解き放たれる。ようやく、真実の王国を打ち立てる礎ができるのだっ!」

 この人は夢を見ている。人なき場所に理想の実現など有り得ないというのに。

 外の雨は、徐々に強まっていた。

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