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つばさ  作者: takasho
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 雲行きが怪しくなってきた。

 晴れ渡っていた空の西のほうに暗雲がたれ込めている。まるでこれからの帝都の行く末を暗示しているかのようで憂鬱な気分になる。

 騎士ヨアヒムは、ある人物を必死になって捜していた。

 それは誰あろう、みずからの主君たるノイシュタット侯フェリクスだ。あの宮殿における混乱の後、秘密の抜け道に入ったまではよかったものの、そこで主や仲間とはぐれてしまった。

 まったく明かりのない中を走っていたから仕方のない面もある。それでも、この大事なときに限ってこんなことになってしまうとは、騎士としてあまりにも不甲斐なかった。

 ――それにしても、まさかあの抜け穴に分岐路があったとは……

 知らず知らずのうちに間違った方向へ進んでしまい、気がついたら仲間の声や足音は聞こえず、自分はひとりになってしまっていた。

 かといって、引き返すことができるはずもない。

 おそらく、すでに相当数の追っ手がかかっている。今、道を戻ろうものなら、主君に合流する前に捕まってしまうのがおちだ。

 そこで仕方なくそのまま道を先へ進んだら、一応は外へ出ることができた。

 しかし、そこは帝都の内部だった。

 宮殿の位置からして、帝都の北西の辺りらしい。周囲は混乱の極みに達しており、何が何やらわからないほど人でごった返し、悲鳴や絶叫が飛び交っている。

 こちらも、あっという間にそれにのみ込まれてしまいそうになった。

 たとえ一般の市民でも、狂乱すればこれほどまでに恐ろしいものになるのかと背筋が寒くなる。

 屈強な男でさえ狂ったように走り回る女に押し倒され、やせた老人たちに踏みつけにされていく。

 鍛えられているはずの衛兵は、ただただ逃げ回ることしかできなかった。

 ――まさか、これほどとはな……

 飛行艇が落とされ、しかも襲撃者が翼人という時点で、帝都は相当な混乱に陥っているのだろうとは予想していた。

 しかし、現実はそれを遥かに上回っている。これでは、たとえ翼人を撃退できたとしても、この騒乱を抑え込むのは容易なことではない。

 ――これも襲撃者の狙いどおりなのかもしれない。

 もし相手が帝都の壊滅を目論んでいるのなら、これほど効果的かつ効率的なやり方は他にない。

 放っておいても混乱は自然と広がり、次々と被害が出つづける。この暴動を継続したければ、ところどころに火を点けるだけでいい。

 それを悟りつつも、自分ひとりではこの状況をどうすることもできない。今ほど己の無力さを痛感したことはなかった。

 ――こんなところで立ち止まっていても、それはそれで意味がない。

 周りの混乱ぶりに自分までがおかしくなってしまいそうになるが、とりあえず帝都の外へ出ることを目指して西の大通りへ向かうことにした。

 刹那、総毛立つような殺気を強く感じた。

 ――上か!

 とっさに気配の方向を察知し、敵のいるほうへ向き直った。

 上空では、蒼い翼をした翼人が弓に矢をつがえ、今まさに撃たんとしているところであった。

 まずいと感じたときにはもう、矢は放たれていた。反射的に剣に手をかけ、上体を起こしながら思いきり抜き放った。

 剣と(やじり)とがぶつかり合う鋭い音が辺りに響き、弾かれた矢が勢いを落とさず近くの家の壁に突き刺さった。

 ほっとしたのも束の間、上の翼人は無表情にすぐさま次の矢を準備しようとしていた。

 ――いかん!

 このままではいつかやれる。

 どんな戦いにおいても、上手(かみて)を制したほうが絶対的に有利だ。特にこちらに飛び道具がない以上、反撃の手段は残されていなかった。

 ヨアヒムはすぐに、路地裏に入ることにした。

 翼人の攻撃を逃れるためというのもあるが、追っ手のことが気にかかっていた。もし、まだ相手があきらめていないとすれば、そろそろ追いつかれる頃合いだ。

 上空の翼人はこちらが死角に入ったためか、あっさりと攻撃するのをやめたようだった。家屋の陰からうかがってみると、もうこの辺りには翼人らの姿は見えなかった。

 ――なんとかなった、が。

 予断を許さない状況であることに変わりはない。

 まだ何も解決していない。

 主君の元へ合流できたわけではなく、安全なところまで逃げられたわけでもない。

 自分は未だ混乱の渦中にいる。待っているだけではどうにもならないのだから、みずから何らかの行動を採る他なかった。

 かといって、無闇やたらに動くのも問題だ。襲撃者だけでなく狂った群衆も危険極まりなく、また、今となっては衛兵や宮廷軍も自分たちの敵となりかねない。

 それに、いつ再び飛行艇が落ちてくるとも知れなかった。

 ――すべて敵、という感じだな……

 残念ながら近くに味方はひとりとしておらず、周りには意図のわからない襲撃者と混乱した市民。

 そして、反逆者としてこちらを追う宮廷軍。

 ――どうしてこうなってしまったのだろう。

 フェリクス閣下が判断を誤ったとは思えない。あの方がみずから剣を、それも選帝会議の場でそれを抜いたとなれば相当の理由があったはずだ。

 そもそも、我が主君がそこまですることになったわけとはなんだったのだろうか。

 自分たちが駆けつけたとき、確かにカセル侯と剣を交えていた。よりによって、あのカセル侯と!

 フェリクス閣下とゴトフリート閣下は、自他ともに認めるほど強い絆で結ばれていたのではなかったか。

 それがよりにもよって、この国でもっとも大事な公的行事ともいえる選帝会議の場で、ごまかしが()かないほど明確に対立することになってしまった。

 一時的な感情によるものではないことは確かだ。二人とも、そんなものに流されてしまうほど未熟ではない。

 すべてを捨て去ってでも、互いに戦わなければならない理由があったということになる。それがなんだったのか、今の自分には推測することさえできないが。

 ただ、気にかかっていたことは確かにあった。あのハーレン侯の言葉だ。

〝ま、お前たちも寝首をかかれないように気をつけることだ〟

 ゴトフリート閣下の話をしていたとき、侯は確かにそう告げた。ということは、侯は以前から何かに感づいていたということか。

 そういえば、翼人についても気になることを口にしていた。

〝それにしてもフィズベクでの暴動といい、飛行艇の襲撃といい、何かとノイシュタット侯は翼人と縁があるらしいな〟

 ハーレン侯は、こちらに翼人との戦いの経験があることをすでに知っている節があった。

 ――思えば、そもそもなぜ自分たちは翼人に襲撃されたのだ。

 たまたまなのか、それともこちらに狙われる理由があったとでもいうのか。

 気になるのは二度目の遭遇のときだ。あのときは、カセル侯領のヴェストヴェルゲンへ向かう途中だった。

 カセルでは、確かに翼人の数は多い。全体としては、その一大居住地があるダルム=アイトルフ地方に匹敵するほどに。人間が翼人の襲撃を受けてしまう可能性はないわけでもなかった。

 しかし、前代未聞であることに違いはなかった。

 それが、カセルの地で起きた――そのことに因縁めいたものを感じるのは、けっして考えすぎではないだろう。

 ――ひょっとして、フィズベクでの戦いのとき、飛行艇オリオーンに搭載した大弩弓によって敵を殲滅したことが、相手の怒りを買ってしまったのか?

 そんな気もする。人間の側からしても、あれはあまりにも圧倒的すぎた。

 味方として頼もしさを感じるというよりも、薄ら寒いもの……それどころか、明確な恐怖さえ覚えた。その武器を向けられた翼人たちの思いはいかばかりだったろう。

 それまで、自分はノイシュタット侯軍が強ければ強いほどいいのだと単純に考えていたが、あのことを経験して以来、過ぎた強さは己の身をも滅ぼすことがあるのではないかと思うようになった。

 あれは、人間が手にしていい武器ではなかったのかもしれない。もしも、他の諸侯が同じものを使いはじめ、人間同士の争いになったら――それを思うと、背筋が寒くなる。

 あんなものを生み出すなんて、フェリクス閣下はやはり天才だ。ただそれゆえに、越えてはならない一線に近づきつつあるような危うさも感じられてならなかった。

 もしものとき、誰が止めるのか。今のうちから考えておかなければならないことであった。

 物思いに耽っているうちに、急に開けたところに出た。しかし帝都内には、広場以外にそういった場所はないはずだったが。

「ひどいな……」

 こころの中の慨嘆が、思わず口を突いて出てしまう。

 周囲は、木材やら石材やらの破片が散乱した瓦礫の山と化していた。

 よく見れば、あちらこちらにもう動かなくなった人々の遺体やその一部が転がっている。赤い服や鎧をまとっていることからして宮廷軍の兵士だろう。

 ――そうか、ここは詰め所だったのか。

 偶然なのか敵が狙ったのかはわからない。わからないが、飛行艇がここに落ちたことで兵士はなす術もなく倒され、結果として帝都の混乱を抑える役目を負った宮廷軍は、致命的な打撃を受けてしまった。

 それによって暴動はさらに大きくなり、まったく収拾がつかなくなった。もしこれさえも敵の思惑どおりなのだとしたら――今は、歯を噛みしめるしかなかった。

 現状、彼らの計画に沿って事は動いているのだろう。それならば、このまま終わるとはとても思えない。まだ切り札を何か隠し持っているはずだ。

 それがどういったものなのかは想像することさえできない。元より、何が目的なのかさえも判然としない。帝都を壊滅させるにしても、それによって襲撃者は何を得るというのか。

 翼人がこうして人間の世界に積極的に関与しようとすることそのものが、まったく異例のことであった。しかも、人間である自分が翼人のことをよく知るはずもなく、その時点で、もはや原因を推測する道さえ断たれていた。

 考えても考えても答えが出るわけがない。しかし、考えてしまう。ヨアヒムは無意識のうちに、思考の螺旋にはまり込んでいた。

 とそのとき、足に何かがぶつかった。よろめき、倒れそうになった。

「あっ、申し訳ない」

 よく見ると、神官衣をまとった女性が道の上に倒れ伏していた。うつむいたまま苦しそうに肩で息をしている。

「大丈夫か!?」

「……はい、すみません。急に息が詰まったようになってしまって」

 抱き起こしてやると、その女神官はかなり荒く息をついていた。

 周囲をよく見れば、あちこちから火の手が上がっている。どうやら上空の翼人たちが火矢を放ったのが原因らしく、周囲の煙の量も尋常なものではなかった。

「おのれ翼人ども……」

 強い怒りが、こころの底からわき上がってくる。

 なぜ、我々がここまで虐げられなければならない。我々が彼らに何をしたというのか。

 理不尽な思いが、憎悪の炎をかき立てていった。

「待ってください」

 そこに割って入ったのは他ならぬ、未だ苦しげにしている女神官だった。呼吸は乱れているものの、その目は強い光を宿していた。

「翼人の方々にも彼らなりの事情があるのです。それに、私たちに責任がないわけでもないんです。こんなことをしなければならなくなるまであの人たちを追いつめてしまったのは、私たちのせいかもしれません」

「しかし、ここまでする必要などないはずだ。我等にどんな非があったというのですか」

「あなたは騎士様ですね。本当に心当たりはないのですか? 自分の胸に問うてみてください」

 そのたった一言に、男ははっとさせられた。

 心当たりは――ある。

 たとえば、フィズベクでの〝虐殺〟。あれは改めて考えてみても、やはりあってはならないことだったと強く思う。

 今でも、あのとき最期に叫んでいた翼人の言葉が忘れられない。

〝ノイシュタット侯! これが貴様のやり方なのか! これが貴様の正義なのか!〟

 その一言で、正義とはなんなのかをみずからに問うようになった。

 あのオリオーンに正義はあったのか。

 翼人たちに正義はなかったと言い切れるのか。

 下唇を噛み、苦悩する様子の男を見て、女神官はふっと笑みを浮かべた。

「あなたは正直な人なのですね」

「え?」

「正直だから、自分のこころにも嘘がつけないでいる」

「――そうかもしれない。私自身、何が正しくて何が間違っているのかわからなくなっているのです」

 事実、信頼し尊敬するフェリクスが、今は反逆者として追われる身になってしまった。どこに正義があってどこに悪があるのか、もはや確信を持てなかった。

 それに対して、女神官は慈愛に満ちた表情で言った。

「そんなことは、みんな一緒ですよ」

「一緒?」

「ええ、誰もが迷いながら生きているのです。きっと結論なんて一生かかっても出せない。けれど、それを求めて考えつづけることが一番大切なことなのではないでしょうか」

 ――そうか、答えは簡単に出せるものではないのか。

 この女神官に教えられた気がした。

 今の自分がおかしいのではない、これまでの自分がおかしかった。

 確固とした信念といえば聞こえはいいが、それはあまりにも(ひと)りよがりなものだった。さっきも翼人を一方的に悪と決めつけ、その裏にあるもの、彼らの思いを初めから理解しようとはしなかった。

 一方、主君は正しいと盲目的なほどに信じ込んできた。しかし、そのフェリクスは今や逆賊だ。かつての自分にとっての確信がいかに脆くあやふやなものだったか、今、思い知らされた。

「私は、これまで何かを考えているようで何も考えていなかったのかもしれない。そのつけが今になって返ってきたのでしょう」

「騎士様、私もまだ正しいことが何か見えていません。しかし、理想と希望はあるのです。そのために行動することそのものを否定したくはありません」

 女神官がそう言った瞬間、少し遠くから怒号とも雄叫びとも取れない大音声が響いてきた。

 どうやら、城壁の外から聞こえてくるものらしい。土煙がもうもうと立ち込め、地響きがここまで伝わってくる。

「あれは……そうか、諸侯の軍が突入を開始したんだ」

 帝都へは普段から各侯軍が入れないように定められ、選帝会議の期間中は城壁に近づくことすら認められない。そのため、帝都から少し離れたところに諸侯はみずからの軍を待機させていた。

 この帝都内の窮状を見かねた諸侯が、みずからの騎士団を動かすことを決断したのだろう。〝アルスフェルト条約〟に反することではあるが、宮廷軍が機能しなくなった今、それはもう仕方のないことであった。

「いけない……」

 そうつぶやいたのは隣にいた女神官だ。呆然とした表情で、西の大門のほうを向いている。

「こんなに混乱している中に騎士団が入ってきたら、とんでもないことになる!」

 ――そうだった、彼女の言うとおりだ。

 ただでさえ収拾がつかなくなっているところに大軍が押し寄せたら、さらに恐慌状態がひどくなることは明白だ。最悪、兵が市民を攻撃したり、同士討ちが起きたりしてしまう危険性もあった。

 諸侯はそれを理解しているのだろうか。いや、理解はしているのだろう。

 だが、これ以外に採るべき手段がない。宮廷軍がまともに動けなくなった今、放っておけばいずれにせよ帝都の壊滅は避けられない。

 ――ただ、諸侯が動いたということは……

 我が(あるじ)、フェリクスはどうなったのだろう。

 追われる立場になったということは、もしかしたらすでに他の諸侯の軍と剣を交えているのかもしれない。

 いや、『かもしれない』ではない、その可能性は高いはず。

 帝都の四つの大門を同時に破ったとしても、ノイシュタットを除いた六つの侯軍がいっせいに入り込めるわけではない。余った軍がノイシュタット侯軍に向かっていてもなんら不思議はなかった。

 簡単にやられるようなわが軍ではない。それどころか、敵対することになった相手は最も困難な戦いを強いられるはずだ、帝都内におけるそれ以上に。

 それでも、不安が込み上げてくるのを抑えきれない。仲間たちのことを思うと、いても立ってもいられなくなった。

「行ってください」

「神官様……」

「あなたにはあなたの役割があるのでしょう? 私はもう大丈夫です。行ってください、私も自分のやるべきことをやりますから」

「――すまない、私にも己の責務がある。これで行かせてもらいます」

 女神官は首肯した。それに、騎士の男もうなずきを返した。

「我が名はノイシュタットのヨアヒム。いつかあなたの力になれるかもしれない。この戦いが終わったら、一度ノイシュタットに来てほしい」

「はい」

 もう一度うなずき合ってから、ヨアヒムはその場から飛ぶようにして去っていった。

 帝都の火の手が大きくなりはじめた。混迷の度はさらに深まっていく。

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