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つばさ  作者: takasho
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 森の中というのは、いつも優しいものだ。

 緑の木々に囲まれ、下は落ち葉と草の絨毯になっている。天を覆う枝葉が余計な光を遮ってくれて涼しかった。

 鳥のさえずりや獣たちの鳴き声は、自然の音楽だ。ずっと聞いていても、けっして飽きることがない。

 そこを行き過ぎる風は、ただひたすらに心地よかった。清浄で清涼でまったく癖がない。これこそが本物の風だと断言できる。

 ――ずっとここにいたい、と思う。

 森の中にいるだけで、いろいろな優しさを感じることができる。

 ここは、あまりに居心地がよかった。今直面している現実がひどく厳しいものであるだけに、どうしても甘えてしまいたくなった。

 ――それが駄目なんだけどな。

 そのことは、自分自身が一番よくわかっている。だが、疲れ果てたときに少し休むことくらいは許されるはずだ。これがなくては、もう体力も気力も持ちそうになかった。

 ヴァイクは目を閉じて、木の幹に背を預けた。

 今は、何も考えたくない。

 そのはずだったが、どうしても昨夜の光景が目の奥に浮かんできた。

 儀式に使う巨大な篝火。

 空を舞う翼人。

 そして、地に立つマクシム――

 あの儀式のことが気にかかっているのではない。あのときの自分の迷いが、今でもこころに引っかかっていた。

 目的の人物、マクシムを目の前にしながら結局何もしなかった。否、できなかった。

 その理由は単純だ。

 あれだけの数の敵が待ち受けているところへ乗り込んでいったら、どうなるかわかったものではない。

 だから、様子を見るだけで引き返したその判断は間違いではなかった、そのはずだった。

 しかし、あれからずっと釈然としない思いを抱えていた。

 確かに理屈だけを考えれば、自分の決断は正しかったようにも思える。だが実際には、適当な理由をつけてマクシムから……現実から逃げようとしただけではなかったか。

 ――もう、俺とマクシムの道は違ってしまった。

 今さら修正しようのないところまで来た。それはわかっている。わかってはいるものの、そのことを認めたくないという思いが、心中の片隅に確かにあった。

 今マクシムと会えば、嫌でもそのことを認めざるを得ない。

 真実を聞くのが怖い。

 現実に目を向けなければならないことを知りつつも、どうしても踏ん切りがつかない。次にマクシムと会うのがお互いの関係の最後のような気がして、決意を鈍らせていた。

 ――俺は弱いな、リゼロッテ。

 右手に握った小袋を見つめる。

 あの子の母のジェイドが今でも入っている、いわば二人の形見。それを受け取ったものの、自分には荷が重すぎるとずっと思っていた。

 今だからこそ、なおさらリゼロッテの強さを思い知る。

 子供でありながらみずからの生と真摯に向き合い、そして自分なりの答えを出してそれを最後までまっとうした少女。

 ――俺には、まったく真似できない。

 自嘲気味に笑うしかない。しょせん、器が違うということか。

 そんなつまらない泣き言を言っている場合ではないということは、よくわかっていた。

 弱いなら強くなろうとすればいい。

 単純なことだ。そうだろう、リゼロッテ?

〝あなたは嘆いているばかりで何もしてこなかったんでしょう!〟

 ノーラの言葉が今、鮮烈に思い起こされる。

 確かにそうだ。昔の自分は過去を悔い、己の境遇を嘆くばかりで具体的な行動をとることがまるでなかった。くだらない悲劇の主人公を気取っていただけだ。

 それの、なんと情けなく、なんと愚かしいことか。

 どんなに嘆いても、どんなに悲しんでも、現状がよくなるわけではない。反対に、状況は悪化するだけだというのに。

 偶然の幸運を望むだけでは何も変えられない。

 みずから考え、みずから行動するしかない。

「――よし、行くか」

 こんなところにいつまでいても仕方がない。もう休憩は十分にした。あとは行動を起こすだけだ。

 やるべきことはわかっている。

 まずはマクシムをもう一度見つけ出す。今度こそ土壇場で逃げ出すようなことはしない。

 すべてを――聞きたいこと、言いたいことのすべてをぶつける。

 同時にベアトリーチェを捜し、ジャンと合流しなければならない。

 律儀な彼のことだ。状況の報告のために、例の待ち合わせ場所にもう来ているかもしれない。

 ならば、とりあえずはそこへ行ってみよう。次のことはそれからだ。

 さっそく飛び上がろうと足に力を入れた瞬間、何かの〝音〟が耳に届いた。

 初めは小さく、やがて少しずつはっきりと聞こえてくる。

 懐かしくも感じるが、どこか寒気を覚える独特の旋律。

 耳に慣れたこの調べは――

「〝戦の歌〟だ……!」

 クウィン族に伝わる戦士を鼓舞する歌。自分が聞き間違えるはずがない。

 ヴァイクは森の天蓋を突き抜け、すぐさま上空へ飛び出た。

 その直後、まさか戦の歌を遥かに超える戦慄を覚えることになろうとは。

 飛行艇が、帝都へと、落ちていく。

 それだけではない。無数の翼人が帝都上空にまるで雲のようにたむろし、次々と帝都を目指す他の飛行艇に襲いかかっていく。

 さらにその一部は地上へ向かい、何かを仕掛けているのが遠目にもわかった。

「ちくしょう、しまった……!」

 悪態をつきながら、全速力で帝都のほうへ向かった。

 予想よりも、相手の動きのほうが早かった。もう少し間があると思っていたのだが、その当ては完全に外れてしまった。

 というのも、アルスフェルトでの襲撃は夕方に近い時刻だったからだ。こころのどこかで今回も同じくらいの時間帯だろうと思い込んでいた。

 戦をしかける場合、夕方のほうが利点もある。

 退却する際に周りが暗くなったほうがやりやすい。

 かといって真っ暗でお互いに状況がわからないのでは戦いにならないが、ちょうど退く時間に暗くなれば、相手をまいて追撃をあきらめさせることもできる。暗く視認が難しい状況で戦うことほど愚かしいことはないからだ。

 一方で、戦が長引けば勝てた戦を決めきれなくなるという欠点もあるが、総じて夕方は〝狙い目〟だと思っていた。

 その当ては外れた。連中は正反対に朝、動いてきた。マクシムにもう一度会うどころではない。とにかく、まずはジャンとベアトリーチェをあそこから助け出すのが先決だ。

 できれば、帝都の外に出ていてほしいと願う。あんなところにいたら、飛行艇が落ちてきたときひとたまりもない。

 だが、それは(はかな)い望みだろう。そうそう都合よく、望んだ人が望んだ場所にいるはずがない。

 そのネガティブな予想は、やはり当たった。

 上空から見たかぎりだが、帝都の南にある丘には、ジャンの姿もベアトリーチェの姿もなかった。

 思えば、まだようやく町が動きはじめたくらいの時刻なのだから、ここまで来ている可能性はおのずと低かった。

 前方をよく見ると、南の門は閉まったままだ。これでは、帝都内の人々は外へ出たくとも出られない。

 状況を考えれば、二人ともやはり帝都の中にいるはずだ。問題は、そのどこかということだった。

 ベアトリーチェは大神殿へ向かうと言っていたが、それがどこにあるのか、またどんな建物なのかが自分にはわからない。そもそも二人がまだそこにいるのかどうかさえも怪しい。

 ――迷ってる場合じゃない。

 上空から眺めれば、なおのこと帝都の広さに圧倒されてしまうが、たとえ偶然見つけられる確率は小さくとも、体力が尽きるまで捜し回るしかなかった。

 あとになって後悔するのだけは嫌だ。あのときこうしておけばよかった、あの人を助けられたのに、と。

 そんな思いは、兄のときだけで充分だ。

 ヴァイクは、混乱の極みにある帝都の内側へ突っ込んでいった。

 ちょうどそのとき、第二第三の巨大な凶器が――いくつかの飛行艇が――落ちてくる。しかし、事前に察知できれば、どうにか自分がよけることだけはできそうだった。

 それよりも気になったのは、帝都内における混乱が予想よりもひどいことだ。

 ――なんなんだ、これは。

 驚いたことに、アルスフェルトのときとは違い、襲撃者たちは人間には目もくれない。一部では剣を交えているようだが、人間の側の服装からしてあれは兵士か何かだろう。

 それなのに、なぜ恐慌状態に陥っているのか。その答えは、人々の動きを見てすぐにわかった。

 それぞれがまったく無秩序に動き回って、あちらこちらで押し合い、へし合いしている。

 それもこれも、門が閉まったままになっているせいだ。みんな、どうにかして外へ逃げたいのだが、肝心の門が固く閉ざされたままだから、逃げ場を失って混乱がさらにひどくなっていた。

 ――このままじゃまずい……

 翼人に襲われなくとも、この状態では被害が自然と大きくなってしまう。

 実際、空にいる連中にやられたわけでもないのに道の上に倒れ伏している者も多い。群衆に踏みつけられたか、狂った同じ人間に襲撃されたかしたのだ。

 ――これじゃ、なおさらベアトリーチェとジャンを見つけられない。

 あの二人と似たような格好をした者などいくらでもいる。目に自信があるとはいえ、これだけ広い範囲にこれだけの人がいては、見つけ出すことは困難を極めそうだった。

 どこかに目標を置いてそこを中心に捜すか――強烈な殺気を感じたのは、そう考えた瞬間だった。

「何っ!?」

 左の翼を鋭い矢がかすめていく。羽が二三枚散ったが、幸い怪我は負わなかった。

 まったく予想しない方向から攻撃をしかけられた。それもそのはず、自分より上……

「なん、だと……」

 自分の真上を飛んでいたのは、もちろん翼人だった。

 しかし、その手にしている物が信じられなかった、信じたくなかった。

「貴様は弓を使ったのかッ!」

 極度の怒気をはらんだ声をぶつけても、相手はわずかに顔をしかめるだけで平静を装った。

 ――まさか、ここまで堕ちるとは!

 弓矢は、翼人が最も忌み嫌う武器だ。遠くから射かけるだけで正面から正々堂々と戦おうとしない卑怯者の武器。

 それを人間が使うならまだしも、よりにもよって翼人の戦士が手にするとは断じて許しがたい。追いつめられたはぐれ翼人でさえ、弓矢に頼ろうとすることはまったくといっていいほどない。

 ――それなのに、こいつらは……

 剣で斬って捨ててやるという強烈な衝動に駆られる。

 まさに、〝極光(アウローラ)〟は翼人の恥だ。

 ここでひとりでも多く倒しておくべきだと、戦士の血が騒いで収まらない。

 しかし、今は余計なことをしている場合ではなかった。ベアトリーチェらを見つけるのが先決だし、周りに敵はいくらでもいる。今目立つことをすれば、あっという間に囲まれてしまう恐れもあった。

「ちっ」

 怒りを必死に抑え込み、相手の攻撃の隙を見計らって離脱を試みる。思ったとおり、まだ弓に慣れていないらしく、動作の速さも狙いもいまひとつだった。

 ――セヴェルスの比じゃないんだよ。

 あのいけ好かない射手のことを思い出しながらも、敵が襲ってこないのを確認してから、近くの建物の屋根にいったん降りた。

 そこでいったん落ち着いてから、周りを見て状況を把握しようとした。

 前に戦ったときよりも、連中の連携がすこぶるうまくいっているように感じる。もはや、既存の部族と比べても遜色はない。

 ――それに、迷わずこちらを攻撃してきた。

 敵と味方を見分けるために何か工夫をしてきたらしい。こちらは、いつどこで攻撃を仕掛けられてもおかしくない。

 相手よりもさらに高い位置か、地上すれすれを飛んだほうがいいのかもしれなかった。いずれにせよ、中途半端なところにいては連中にとっての格好の餌食になってしまう。

 ヴァイクは後者を選択した。

 最も安全なのは高空を飛ぶことだが、それではベアトリーチェらを見つけにくくなる。

 今あえてこの危地にいるのは、二人を助けるためだ。自分だけ安全なところにいて、その結果、目的を果たしにくくなるのではまるで意味がない。

 そうと決まれば、ぐずぐずしている暇はない。すぐさま飛び立ち、先ほど考えたとおり、どこかに目標を置いて、それを中心に二人を捜す範囲を広げていくことにした。

 ――問題はどこを目標にするかだな……

 周囲を見回してみると、左前方に翼人の自分が見ても美しいと思える大きな建物があった。

 少し近づいてみると、ベアトリーチェが大切そうに持っていたペンダントと同じ意匠のものが正面に見える。

 ――もしかして、あれが大神殿なのか?

 だったら、偶然にも目的の場所を見つけ出したことになる。自分が知るかぎり二人のいる可能性が最も高いのは、あそこだ。

 ――待てよ……

 すぐにそこへ向かおうとしたが、こころがそれに急制動をかけた。

 これだけの大混乱が起きて、しかもその元凶は翼人だ。たとえ奴らとは仲間ではないとはいえ、同じ翼人の自分が大神殿へ行ったらどうなるか。

 ――どうする。

 自分が行けば、もしかしたらかえってベアトリーチェたちを窮地に追い込んでしまうかもしれない。周りから、二人が襲撃者の仲間だと勘違いされる可能性もある。

 翼人と人間が一緒にいるなんて、この世界ではまだ〝異常〟なのだ。それが現実だった。

 どうしたものかと思案しながら、何か手がかりがないかと辺りを見回していると、思わぬ光景を目にすることになった。

「なんだ、あいつらは……」

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