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ひょんなことになったものだと思う。
様子のおかしい翼人のあとをつけていたら、この町にたどり着いた。そこでひとりの人間と出会い、翼人の集団による襲撃が始まったあとで、またその女と鉢合わせした。
――ほんとに、どうしてなんだろうな。
自分でもよくわからない。
女のわがままを聞いて炎の中に飛び込み、それから、そいつの仲間らしい連中を助け、挙げ句の果てに意識のない別の女を自分が運ぶことになった。
自分もとんだお人好しだと思う。
――こういう性分なんだ。仕方ない。
昔から困っている人を見ると放っておけない。人間を助けてやったことも、一度や二度ではなかった。
〝人のために尽くせ〟
それが、兄の遺志だった。
ヴァイクはお節介な自分の性格を呪いつつも、カトリーネを抱きかかえて東の森へ向かっていた。幸い、ここまでは他の翼人に見つかっていない。
というより、明らかに前よりも数が減っている。
――なぜだ?
悪い予感を覚えつつも、予定どおり東へ飛びつづけた。
やがて、東側の市壁が見えてきた。これで、ようやく厄介な煙ともおさらばできそうだ。
息苦しいというのもあるが、視界が極端に遮られてしまうのが痛かった。煙の雲を抜けたら目の前に敵がいた――なんてことが起きるおそれはずっとあった。
自然、慎重に慎重を重ねる飛行にならざるをえない。
市壁の真上まで来ると、さすがに視界がはっきりとする。しかし、それと同時に大きな失望を味わうことになった。
――神殿とやらが襲われてやがる……
ベアトリーチェが安全だと言っていた神殿は、翼人の集団に完全に囲まれ、耐えきれなくなって飛び出してきた人間が順に狩られている。
手に松明を持っている翼人が多いことからして、町でしたのと同じように火攻めでじわりじわりと|燻(いぶ)り出すつもりなのだ。
――なんだ?
ふと視界の片隅に有り得ないものを見たような気がして、ヴァイクは目をしばたたかせた。
煙で目をやられてしまったのだろうか。
こんなところに、|翼人の子供がいるはずがない|(、、)。
しかし目をこらすと、そこに映ったのは、まぎれもなく赤い翼をした翼人の少女であった。
――なんでこんなところに!
状況がよくわからない。少女はふらふらと森のほうから出てきたかと思うと、そのまま神殿の方角へと歩いていく。このままでは、翼人の餌食になるのは時間の問題だった。
――どうする?
助けに行こうにも、今は両手で意識のないカトリーネを抱えている。このまま翼人がたむろしているところへ突っ込んでいけるわけがない。
「ちっ」
ヴァイクはあからさまに舌打ちして、大きく弧を描きながら方向転換した。
――まず、神殿はもう駄目だということをベアトリーチェたちに知らせないと。それでカトリーネをテオに任せて、急いで戻ってくるしかない。
二人は今、どの辺りまで来ているのか、と下方を確認しながら来た方向へ戻っていく。
――いた。
早くも南門の近くまで来ている。テオはやや足を引きずっているが、本人がみずから語っていたように、それほど問題はないようだった。
ヴァイクは、二人に向かって急降下していった。ベアトリーチェらの驚いたような顔がすぐに見えた。
「どうしたんですか、ヴァイクさん!?」
「神殿が襲われている」
ベアトリーチェの顔から血の気が引いていった。
「ど、どうして!?」
「標的を変えた。それだけのことだろう」
町のほうをあらかた狩り終わり、その外に人間のいるところがあるならば、次にはそちらを狙うのが当然というものだ。そこに町から逃げた人たちが集まっているのなら、なおさらに。
呆然としているベアトリーチェをよそに、ヴァイクはカトリーネをテオに渡して再び舞い上がった。
「俺はやることができた。お前たちは、北側から回って森の中へ入れ」
神殿は丘のやや南寄りに位置しているため、そちら側に翼人たちが集中していて、北側は手薄になっている。慎重に進めば、奴らに見つからずに森まで行けるはずだ。
ヴァイクは思いきり方向転換し、もう一度神殿の方角へ向かった。背後でベアトリーチェが何か叫んでいるが、今はそれを気にしている場合ではなかった。
――間に合うか?
今こうしている間にも、もうすでにあの翼人の少女は他の連中に見つかってしまったかもしれない。
見つかったら最後、もはや命はないだろう。
――なぜなら、翼人という種族は――
焦燥感に駆られながら、ヴァイクは全力で飛んだ。
あからさまに速く進むために、途中何人かの翼人に見つかってしまったが気にする必要はない。どちらにせよ追いつけないはずだ。
市壁を越えて神殿が見えてくる。
状況は、やはり悪化していた。
神殿の一部から火の手が上がり、こらえきれなくなった人間たちが建物から飛び出してきた。
――いた。無事だ。
そんな中、翼人の少女は不思議と誰に気づかれるでもなく、丘の中腹で突っ立っていた。魂の感じられない瞳で虚空をただ見つめている。
だが、いつ他の連中にばれるとも知れない。ヴァイクはすぐに少女の元へ向かおうとしたが、その前に当の少女のほうが動きはじめた。視線は、ちょうど自分の真下あたりに向けられている。顔を動かすと、そこには人間の子供がいた。
不審がるヴァイクの前で、少女はその子の前まで来ると膝を落とし、翼を広げてその子を包み込んだ。
――かばおうというのか。
年端もいかぬ少女が、さらに幼い子を守ろうとしている。そのいじましい姿にヴァイクは微笑むが、同時にこんなところに翼人の子供がいるという事実に困惑を隠せなかった。
――理由を聞くのはあとでいい。
このまま放っておけるはずもない。ヴァイクは、ゆっくりと下へ降りていった。
怖がっているのかきつく目を閉じていた少女がこちらを向いた。
それを見たヴァイクは、我知らず息をのんだ。
――なんなんだ。
強い意志の光を感じる。大人の自分が圧倒されそうなほどの迫力が、その瞳から発せられていた。
「お願い、この子は助けてあげて」
少女が初めて口を開いた。どうも、こちらをあの連中の仲間だと思っているらしい。
どう説明したものかと思案していると、少女が言葉をつづけた。
「そのかわり、私の……」
――私の?
「私の……|心臓(ジェイド)をあげるから」
少女の決意に満ちた瞳に、ヴァイクは言葉を失った。
自分の指先が震えているのがわかる。
――あのときと同じだ。
あのとき兄が下したのと同じ決断を、少女もこの幼い身で同じように下した。
それほどの相手に何が言えようか、何をできようか。
ただ、一瞬だけ少女の目に迷いが映った。
「でも、教えてほしいことがあるの。子供の私じゃわからないこと」
少女は、あくまで真剣だった。
「どうして、そこまでして生きようとするの?」
――なんだと?
それは今、最も聞きたくない言葉だった。
――なぜ生きるかだと?
そんなこと知ったことか! 生きる目的など考えたくもない。考えたところでどうなる、目的を見つけたところでどうなる。それを失ったら、また絶望を感じるだけじゃないか。
だったら、生きる目的なんかいらない。そんなものはなくたって生きていける。
――それに、俺は生きたいんじゃない。生きなければならないから生きているだけだ!
ヴァイクはしかし、そうした思いを形ある言葉にすることができなかった。
この少女の前では、すべてが詭弁に思えて仕方がなかった。
――なんだ……?
ふと違和感を覚えた。
| 何かがおかしい|(、、)。
ヴァイクはかえって救われたように少女から目をそらし、辺りを慎重に見回した。
――上か!
はぐれ翼人のひとりが、上空からこちらを狙っていた。
いや、自分ではない。やはり、少女のほうを標的にしている。
どうやら、まだこちらが気づいていないと思っているらしかった。
これは好都合だ。ヴァイクはあえて少女に注意を向けている振りをしながら、そっと剣の柄に手をかけた。
少女がぴくりと反応する。何か勘違いしているようだが、今はそれどころではなかった。
――来る。
上空の男がゆっくりと動いた。徐々に距離を詰めてくる。
姿がはっきりと見えるほどの高さまで降りてきたとき、一気に動き出した。
――今だ。
同時にヴァイクも剣を抜き放ち、すぐさま距離を詰める。
翼人の少女が、悲しげな眼差しをこちらへ向けてきた。
――俺じゃないのに……
理不尽な思いを抱えながらも、ヴァイクはそのまま突進していった。
それに驚いたのは、少女よりも翼人の男のほうだった。奇襲をかけたつもりが、実は完全に気づかれていたのだから。
男がわずかに躊躇した。
その一瞬のためらいが、勝負を決した。
ヴァイクの剣先が、相手の右胸を刺し貫く。男の攻撃は少女にもヴァイクにも届くことなく、完全に空を切った。
男が倒れていく勢いを利用して、強引に剣を引き抜いた。血が一気に噴き出し、返り血が少し飛んできたがヴァイクは気にしなかった。
無事を確かめるために少女のほうを見やると、頬に血を付けたままで、こちらに驚いたような表情を向けていた。
ヴァイクはため息をつきつつ、
「だから、俺は――」
お前を助けようとして、と言いかけたところではたと気がついた。
少女はこちらではない、|こちらの背後を|(、、)見ている。
直後、後方で翼の羽ばたく音が鳴った。
――もうひとり!?
あわてて振り返ったときにはすでに、相手は剣を振りかぶっていた。防御も何もかも間に合いそうにない。
――ちっ!
ヴァイクはそれでも被害を最小限に食い止めるために、できうるかぎり身をよじった。気休め程度にしかならないかもしれないが、何もしないよりはましだった。
骨や神経まで傷が来ないように、筋肉をぎゅっと引きしめる。激痛の予感に歯を食いしばり、そのときを待った。
「……?」
が、いつまで経っても相手の剣がやってくることはなかった。
はっとして見ると、次の瞬間には相手が肩を押さえた状態で剣を落としていた。
――今しかない。
ヴァイクはすぐに体勢を立て直し、剣を下段から力任せに切り上げた。
男が断末魔の悲鳴を上げることさえなく、仰向けに倒れていく。その右肩には、小振りの短剣が突き刺さっていた。
――いったい誰が……
息を整えつつ周囲を見回してみるが、暴れる翼人と逃げ惑う人間たちがいるだけで、それらしき人影はどこにもなかった。だが、隠れられるような場所はどこにもない。もし森の中から投げたのだとしたら、恐るべき投擲能力と正確性だ。
――また〝鷹の紋章〟か。
よく見れば、短剣の柄には翼人が|呪(まじな)いに使う紋様が描かれている。以前からたびたび見かけるそれは、こちらの節目節目になぜか出てくる代物だった。
「ふんっ……」
誰かに見られているかのような不快感があったが、今はそのことはいい。
助かったことに変わりはなかった。剣をいったん鞘に収めてから、子供たちのほうに向き直った。
「大丈夫だったか?」
少女がこくりとうなずく。人間の男の子のほうは、疲れ果ててしまったのか少女の腕の中で眠りこけていた。
「お前たちを安全なところへ連れていってやる。名は?」
「リゼロッテ」
「リゼロッテ、お前がその子を抱いててやるんだ」
少女が返事をするのを待ってから、二人をまとめて抱え上げた。その場に長居することなく、すぐに飛び立つ。
――とりあえず、森の中に隠れさせるか。
いや、駄目だ。子供のことだから、勝手に何をしでかすかわかったものではない。
――テオに任せるしかないな。
くわしい位置は知らないが、カトリーネの別荘とやらを目指すほうが確実だ。
ふと腕の中の二人を見たヴァイクの目に、少女の首からぶら下がった赤い物が風に揺れているのが映った。
「おい、そのペンダント」
「これは……お母さんからもらったもので」
「そうか」
つい最近、どこかで似たような物を見た気がするが、それ以上触れないことにした。この少女が今ひとりでいるからには、その母がどうなっているのかは尋ねるまでもなかった。
――急がないと。
他の翼人にばれないようにするために、森の低いところを飛んでいく。これだと余計に別荘の位置を見つけにくくなるが、現状を考えれば仕方がなかった。