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つばさ  作者: takasho
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「まったく、無茶をなさいますね、殿下は」

「無茶をするしかない状況なんだから、仕方ないでしょう」

 二人がいつものように言い合いをしながら、いつもとは違うところを進んでいた。

 アーデは馬車に、ユーグは馬に乗って、きれいに舗装されているとは言いがたい道を北東へと向かっているところだ。

 二人の前後には、数多くの護衛の兵士たちが付いている。

「でも、今回はユーグだって賛成してくれたじゃない」

「渋々、ですが」

「渋々だろうが嫌々だろうが、賛成した以上は同罪よ」

「相変わらずの横暴さですね」

 ユーグはこめかみに手をやって、あからさまに天を仰いでみせた。

 アーデらはかねてからの予定どおり、都市デューペの近くにあるシュテファーニ神殿へ向かっているところだった。

 すべては帝都の動向をより早く探るため。

 これから、リヒテンベルクで何かが起ころうとしていることは疑いようもない。それに迅速かつ的確に対処するためには、その近くまで行くことがもっとも手っとり早かった。

 だから、〝仲間〟たちもあとでこちらのほうへ来る予定だ。もしかしたら、もうすでに追いついているのかもしれないが、そのうち連絡があるはずだった。

「フェリクス閣下やオトマル卿に見つかったらどうなることか……」

「まだそんなこと気にしているの、小さい男ね。怒られるだけなんだから、別にいいじゃない」

 それが嫌なんですが、と喉元まで出かかった言葉を、ユーグはあえて抑え込んだ。言ったところで倍にして言い返されるだけだ。黙っておくのが吉だった。

「ところで、ヴァレリアたちから聞いた?」

「やはり、帝都へ向かう流れがあるということですか?」

「そう。ということは、もう何かが起こるのは避けられそうにないわね」

 ――それは、被害が大きくなるであろうことも必然的に意味している。

 帝都は、数十万人が住む大都市だ。そんなところで騒動が起きれば、地方の小村で同じことが起きるのとは比較にならないほど混乱が広がりやすく、大規模なものとなる。

「できれば、それを未然に防ぎたいんだけど」

「しかし、それは難しいでしょう」

 アーデはうなずいた。

「今のところ、相手が具体的に何を目的として、何を為そうとしているのかがまるでわからないのよね」

「それに、帝都周辺に集結しているといっても範囲が広すぎて、実際にどこに集まっているのかはほとんど見当もつきません」

「とういうことは、すでに(おく)れを取ってるってことか……」

「残念ながら、今の段階では情報を集めること以外に手の打ちようがありません」

 結局は、もしものときのためにとりあえずの準備をしておくしかないのだった。

「はぁ」

 と、アーデはため息をついた。

 ――不安があるわけではないんだけど。

 状況が判然としないというのは、なんとも落ち着かない気分にさせられる。

 そうして姫が悩む間にも、行列は粛々と進んでいく。

 やがて目的の神殿の塔が見えはじめ、程なくしてその正面に着いた。

 周りを緑の木々に囲まれ、見るからに気持ちのよさそうなところだ。ここで暮らしている神官たちは、さぞかし素敵な日々を送っていることだろう。

 事前に知らせを受けていた神殿側の人々が、出入り口の大扉の前で整列して待っていてくれた。アーデが馬車から降りていくと、いっせいに頭を下げた。

「お待ちいたしておりました。アーデルハイト殿下、シュテファーニ神殿へようこそ」

「突然の申し入れを聞き入れてくださり、感謝します」

 型どおりの挨拶をし、二人は握手を交わし合った。

 形式的には神殿の宗規にのっとり、どちらが上でどちらが下ということはない。しかしアーデは、実質的にもそんなことは初めから気にしてなどいなかった。

「あなたは――ノーラ様ではありませんね?」

「はい、副神殿長のミーネと申します。事前にそちらから連絡はいただいたのですが、神殿長のノーラはやむにやまれぬ事情がありまして外出しております。もうすぐ戻ってくるとは思うのですが……」

「いえ、お気になさらず。元々こちらが無理を言って来させていただいたのですから」

「確かに無理ばっかりですね。もう少し周りのことも――うっ」

 小声で余計なことを言う輩の足をさりげなく踏みつけ、それでも顔には笑みを浮かべたまま応対をつづけている。

 ――怖い。

 この女は、将来とんでもない人物になるだろう。そのとき周囲にいる者たちのことを今から思い、こころの底から冥福を祈っておいた。

「では、こちらへどうぞ。神殿内をご案内いたします」

「ありがとう」

 ミーネに促されるまま、アーデらは神殿の中へと入っていく。

 その瞬間、正面にある像に圧倒された。

 人の背丈ほどもある台座の上に、その三倍を超える高さのある女性の像が屹立している。顔は、微笑んでいるとも泣いているとも取れる不思議な表情をしていた。

「女神ニーケですね。女性の信徒の方たちに親しまれていて、この神殿の守護神なんです」

 ミーネが丁寧に説明してくれたが、アーデは女神像の圧倒的な迫力よりもまったく別のことが気になっていた。

「あれは……翼なんでしょうか」

 像の背中から肩口を通って腰の当たりまで、何か厚いものが覆っている。

 しかも、それが両側にある。その端のほうがばらけていることからして、翼のように見えなくもなかった。

「そうだと言う人もいますし、そうではないと言う人もいます。神官の間でも意見が分かれているんです」

 ミーネが少し困ったようにして答えてくれた。

 古代から伝わるレラーティア教の宗教芸術の中には、ここにある像のように翼と思われるものを持った神々を表した作品が意外に多い。だから、神々は一対から三対の翼を有していると主張する人々も確かにいる。

 だが、神殿の関係者は大半がそれに対して否定的な見解だった。

 まず、描かれた神々にかならず翼があるわけではないこと。

 それから、残されている文献には、それに関する記述がほとんどないこと。

 その二点によって、今では神々は翼を持たない、または必要がないという意見が優勢であった。

 ただ、もっと現実的な理由もあった。

 それは、翼を持つ者が現実に存在するということだ。

 言うまでもなく翼人である。

 もし公に神々には翼があるということを認めたら、翼人が崇拝の対象となってしまいかねない。事実、過去にはそういったことが一部ではあったという。

 その一方で民間伝承では翼をもつ神々の話はごまんとあり、それどころか翼人なのか神々なのか判別のつかない伝説も存在するほどであった。

「さあ、他のところもご案内しましょう。特段大きな神殿ではありませんが、それなりに見どころはあるんですよ」

 ミーネに促され、後ろ髪を引かれながらアーデたちも礼拝堂をあとにした。

 その後、大きくはないが美しいテラスへ行ったり、驚くほど多くの薬草が栽培されているハーブ園などを見せてもらったりもした。

 中でも驚いたのは、尖塔の最上階にある部屋だ。四方八方にある窓がすべて完全に開け放つことができるため、あらゆる方向の様子が見渡せる。

 陽光に照らされた青い森は美しく、遠方にかすむ山々との対照がなんともいえずすばらしかった。

 短いながらも充実した案内をミーネに感謝して、用意してくれた客室でしばらく休むことにした。

 侍女や護衛兵たちにも暇を与えて、しばらくは好きにさせた。意気揚々と飛び出していったことからして、その言葉を待っていたのだろう。

 結果、今部屋にいるのは大男と姫だけとなった。

「いろいろと新しい発見がありましたね」

「そうね、あのハーブ茶はおいしかった……」

 うっとりと、テラスで飲んだお茶のことを思い起こす。これまで経験のしたことのない領域の味。あとでかならず分けてもらおう、としたたかなことを考えていた。

「私は、女神像のほうに驚きましたが」

「ああ、あれ。確かに翼のように見えたけど、もしレラーティア教の神々が、実は古代の翼人たちのことだった――なんてことが真実だったら面白いと思わない?」

 神官たちが聞けば激怒するようなことをさらりと言ってのける。

 しかし、その可能性もなくはないようにも思われた。

「案外、そのとおりなのかもしれません。レラーティア教が起こった初期のことはあいまいなままですし、翼人たちのそれぞれの精神性の高さに触れると、ひとりの人間として敬服するものがあります」

 とにかく、翼人はひとりひとりがしっかりとしている。他者に依存することはなく、物事に対する考え方も、人間の世界でいう哲人ではないかと思うほど深い。

 ただし、それはけっして理屈っぽいという意味ではなく、むしろ人々のこころの機微に通じ、他者を思いやる気持ちや道義をわきまえた本当の賢さであった。

 彼らと話をしていると、自分の卑小さに恥ずかしくなることもしばしばであった。

「まあ、その意見は否定しないけど、ヴァレリアみたいな例外もいることを知っておかないとね」

 彼女がこの場にいたら、また壮絶な口喧嘩が始まるようなことを(のたま)ってしまう。

 ただ、確かにアーデの意見にも一理あった。

「アルスフェルトを襲った連中もそうだと?」

「それはわからないわ。でも、やることが悪辣で常軌を逸している……。みんなに調べてもらったけど、結局その集団がなぜ人間の心臓を食べようとするのかがわからなかったし。帝都のほうで、またとんでもないことをしでかしそうな気もする」

 得体の知れない不気味さがあった。今に至るまで、くわしいことはわからずじまい。判断のしようがないというのが正直なところだ。

「そうよ、そのためにここへ来たんだった。夜になったら、仲間たちと連絡をとらないと」

 遊ぶことに気を取られて肝心なことを忘れていたな……と思ったユーグではあったが、あえて黙っておいた。言ったあとの仕返しが怖いからだ。

「もう来てるかな?」

「一人二人は付いてきたでしょう。伝令役として必要ですから」

「そっか、当然よね」

 できるだけ早く行動を起こしたほうがいいように思えた。何かが起きてから後悔するような真似だけはしたくない。

「でも、具体的に手の打ちようがないっていうのがつらいところね」

「そうですね。そもそも、帝都で何が起こるのかもわかっていないわけですから」

「今やれるのは準備だけか……」

 それでも何もしないよりは遥かにましだ。事が起こってから動きはじめたのでは明らかに遅い。

 とはいえ、歯がゆさを感じる部分もあった。現状は相手が常に先に動いて、こちらは後手に回るしかない。これは、すでに自分たちが劣勢に立たされているということを意味していた。

「理不尽よね、世の中、悪いことをするほうが有利になるようにできてる」

「かならずしもそうとは限りませんが、確かにそのような面はあると思います」

 アーデは、嘆息する他なかった。

 いつも悪が先行して、善はその事後に動くことしかできない。もし事前対策をとろうとしても、それが悪となってしまうことも有り得る。

 すべての悪を止めるにはすべての人を疑わざるをえないから、あらゆる気に入らないものを悪とすることになりかねない。

「もどかしい……」

「ですが、善悪の概念は相対的なものです。だいたい、相手が悪だと決まったわけではないですし、我々が完全に善だとは――」

「正論はいいわ! それよりも、暗くなるのを待つのは時間が惜しい。何か理由をつけて外へ出ようか」

「いえ、ちょっと待ってください」

 ユーグが窓のほうへ駆け寄った。そして、慎重に外をうかがう。

 すると、そこへ布にくるまれた何かが投げ込まれ、鈍い音を立てて床に落ちた。

 それをユーグが拾い上げて、アーデに手渡す。慣れた手つきで紐を解き、布を広げて中のものを取り出した。薄い樹皮に書かれた手紙だ。

「この字は――ナータンね」

 人間以上に美しい流麗な文字で、要点だけを短くまとめて書かれている。


翼人の集団は帝都近くに集結ずみ。

今日、明日にも動く可能性あり。

相手は予想以上の大集団。

こちらは数が足りない。

動くならば援軍を求む。


「……ううん、思ったよりも事態は進んでるみたいね」

 手紙をユーグに手渡しながら、ふぅ、とためていた息をはき出した。

「なるほど。しかし、これで前よりは状況がはっきりとしました」

「確かにそうだけど。問題はこれからどうするか、よ。相手の数がこちらの予想をはるかに上回るというなら、それなりの準備をしないといけない」

「ですが、それに必要な時間の分、対応が遅れることになります」

「かといって、さすがに拙速をとるという無茶をするわけにもいかない」

「とどのつまり、すでに後手に回っているのに、さらに後手になってしまうということです」

「頭が痛いわ。ただでさえ、やらなきゃいけないことが多いっていうのに」

 長椅子の背もたれに身を預ける。

迅速に対応をとるためにここまでやってきたが、それがどれほどの効果があるのかは疑わしくなってきた。

「やっぱり、私たちも帝都まで行かないと……」

「無理をおっしゃらないでください。ここに来るだけでも相当な工作が必要だったんです。これ以上はさすがに難しいことをわきまえていただかないと。神殿への慰問といっても、普通ならばもっと時間をかけて多方面から許可を得なければならないことなんですよ」

「わかってるわよ。侯妹(こうまい)という立場上、本来は大神殿側にも通達しなきゃいけなかったってことでしょ」

 しかも、地元の神殿ならともかく、ここはカセル侯領。もし(つて)がなかったとしたら、こんなにも早く他領へ入ることはできなかったろう。

「これ以上派手に動くのは、後々の火種にもなりかねません。そもそも、兄のフェリクス様にさえ秘密にしているくらいなのだから、ここへ無断で来ただけでも叱責は免れないような――」

「また正論を! そうじゃなくて、今は無理をしてでもやるべきことがあるんじゃないかってこと! とんでもないことになってから、あとで悔やんでも遅いのよ」

「同じように、無理をしてあとで大変になることもそれはそれで――誰だ!?」

 いつもの言い合いになりかけたところを、ユーグの一喝が打ち破った。

 その鋭い視線は、部屋の扉のほうへ向けられている。

 少し間があってから、扉がゆっくりと開けられた。

「申し訳ありません、立ち聞きするつもりはなかったのですが」

 そこから現れたのは、すらりとした細身の女性であった。首から、レラーティア教の紋章をかけている。

「ここの神殿長を務めるノーラと申します。ご挨拶とお詫びに参ったしだいですが……間が悪かったようですね」

 ノーラは硬い表情の二人を見て、苦笑することもできなかった。

 ――どうやら、聞いてはならないことを聞いてしまったらしい。

 中でも、うら若き姫の隣に立つ長身の男は、警戒心をあらわにしていた。

「どこから聞いてらしたんです?」

 言葉は丁寧ではあるが、その口調には明らかに険があった。気の強さには定評のあるノーラでも、大の男、しかも騎士に睨まれるとさすがに怯むものがある。

「帝都へ行く、という辺りでしょうか」

「本当に?」

「――嘘をついてもしょうがありませんね。正直に言うと、ほとんどすべて聞いておりました」

 なぜか開き直って堂々と言い出した。これがノーラという女である。

「『立ち聞きするつもりはなかった』が聞いて呆れる」

「聞かれてまずいことでしたら、堂々と大声で話しているほうが悪いのですわ」

 もっともな指摘に、ユーグがぐっと詰まった。

 自分がそばについているから大丈夫だろうと、護衛の兵士たちにまで暇を与えてしまったのが災いした。

「それもそうね。神殿長さまのおっしゃるとおりだわ」

「しかし、殿下……」

「もう聞かれちゃったんだからしょうがないじゃない」

「そうそう、忘れろって言われたって忘れられないですし。騎士ともあろうものが、細かいことにこだわるものではありませんわ」

 なぜか敵が二人に増えたことに当惑しながらも、ユーグはとりあえず黙るしかなかった。

「申し遅れましたが、殿下をお迎えできなかったことをお詫びさせてください。近くに急病人が出てしまったものでして」

「気になさらないでください。ミーネ様がよくしてくださいましたし、ましてやそういった事情ならば致し方のことですから」

「ご寛容いただき、ありがとうございます」

 相手のばか丁寧な態度に、アーデは思わず吹き出してしまった。

「そんなに畏まらなくていいのよ。どうやら、お互いそういう(がら)ではないみたい」

「あら、そうなの。てっきりあのフェリクス閣下の妹君だから、さぞかし生真面目な方だろうと思っていたのだけれど」

「言っておきますが、この方は真面目とは対極に位置しています。あまり変な評価をしないことです」

「ユーグ」

「…………」

 余計なことを口走った下僕めを笑顔のまま一言で黙らせ、アーデは視線をノーラに向けた。

「それで、私たちの話を聞いてどう思った?」

「帝都で何かが起きようとしているってことでしょ? まあ、わかっていたことではあるけど」

「わかっていた?」

「ええ、ちょっとあってね。ところでこちらからも質問したいんだけど、アルスフェルトの話が出ていたからやっぱり翼人がらみのことなの?」

「そうよ」

「殿下!」

 さすがに黙っていられず、ユーグがアーデをたしなめた。しかし、暴走姫にそれを気にした様子はまるでない。

「いいじゃない、どうもノーラ様はそのことも知っているみたいよ」

「敬称はいいわ。そのかわり、私もアーデって呼び捨てにするから」

「もちろん、いいわよ」

 先ほど初めて会ったばかりだというのに、早くも仲がよくなっている。ユーグはもはや、感心するのを通り越してなかば呆れていた。

「で、どうしてそのことを知ってるの?」

「まあ、実は翼人に知り合いがいてね」

「珍しい」

「それで彼らもついこの間、帝都に向かって旅立っていったわ」

 アーデの細い眉がひそめられた。

「帝都へ? その人、どういう目的で?」

「ああ、襲撃者の仲間じゃないかって疑ってるのね。それは絶対にないと断言できる」

 ユーグを横へどけながら、ノーラはどすんと長椅子に座った。騎士が苦虫を噛みつぶしたような顔をしているのもお構いなしだ。

「その彼も、襲撃者を追っているみたい。ま、いろいろ事情があるようだったけど、くわしい話をしようとしなかったし、こちらも聞くつもりはなかった」

「ふうん」

「それに同行しているのが人間なんだから、襲撃者の仲間であるはずがないわ」

 ノーラがあまりにも自然に言うものだから、二人は思わず聞き流してしまいそうになった。

「……なんですって?」

「その翼人の彼はね、二人の人間と一緒に旅しているの。信じられないかもしれないけど、本当のことよ」

 黒髪の神殿長は、優しく微笑んだ。

 両者の関係は、へたな人間の集団よりもよほど絆が深いように思えた。

 まだそれぞれが未熟だからうまくいかないこともあるだろうが、これからの時代は彼らのような初めから偏見を持たない人たちが活躍するのかもしれない。自然とそう思えるだけのものがあった。

「驚いた」

「あら、あなたたちだって同じじゃないの? ここに帰ってくる途中も、ちらほらと翼人を見かけたけど」

「あらら、見つかっちゃったか」

「そっちのほうが驚きよ。ノイシュタット侯の妹君が翼人の部下を引き連れてるなんてね。ばれたら、この国を揺るがす大問題になるわよ」

「部下じゃないわ、仲間よ。でもそれを言うなら、よりによってレラーティア教の神殿長が翼人とかかわってるほうが問題だと思うけど」

 神殿側は、はっきり言って翼人の存在を敵視している。それが大神殿の関係者にばれれば、神殿長の首が飛ぶくらいではすまない。

「お互いにお互いを脅す条件はあるってわけね」

「大神殿に報告しちゃおうかしら?」

「フェリクス閣下に報告しちゃおうかしら?」

「うふふ」

「ふふふふ」

 二人はただ笑い合っている。

 ――怖い。明確に怖い。

 ユーグは何か根源的な恐怖を感じ、誰か助けに来てくれないものかと無意識のうちに窓の外をうかがっていた。

 そんな近衛騎士を横目で一瞬にして封じ込め、アーデはあっさりと話題を変えた。

「まあ、いいわ。それより、帝都で何かが起きようとしていることは間違いないの。仲間が調べてくれてね。本当はここで指揮を執るつもりだったんだけど、相手の動きが早くてこのままじゃ手遅れなってしまうかもしれない。どうしたらいいと思う?」

「そんなの簡単よ」

 ノーラはあっさりと答えた。

「あなたも帝都へ行けばいいじゃない」

 反論したのはユーグだった。

「簡単に言ってくれますが、いろいろと問題があるのです。アーデルハイト殿下の立場を考えると、これ以上の無理はできかねます」

 言うまでもなくそれができるのなら、すぐにでもさせてあげたかった。

 しかし、状況がそれを許さない。無理をしたらしただけ、それによってどんな後遺症を残すともしれなかった。

「なるほど、それでさっき言い合いをしてたのね」

「そうよ、このユーグって男は優柔不断というか気が小さいというか」

「そのどちらでもありません。わたくしは、殿下のためのを思って申し上げているだけです」

 ユーグは真剣そのものだ。彼の思いがわかるだけに、アーデもいつものように強引に行動することができない。

 その事情を知ってか知らずか、ノーラが大きくうなずいた。

「わかったわ。そういうことならアーデはここに残って、別の人間が帝都に行けばいいのよ」

「私が残って、ユーグを行かせろってこと?」

 確かに、それもひとつの手ではあった。自分が直接指示を出せなくとも、ユーグが現場にいるだけでもだいぶ違う。なかなかいい考えだといえた。

「駄目ですよ」

「ユーグ?」

「二つの理由から却下ですね。ひとつは、私はこれでもフェリクス閣下の近衛騎士なのです。その人間が殿下の護衛を任されたにもかかわらず、勝手に離れて別の場所へ行ったらそれこそ大問題です。しかも、万が一他の人に見られようものなら、私だけでなく閣下の立場さえ危うくなります」

「それもそうね」

「もうひとつは、私ではうまく仲間を率いれるかわからないことです」

『え?』とノーラが聞き返していた。

「どういうこと?」

「やはり、わかりませんか。我々の間では、確かに誰が上で誰が下ということはありません。だから、殿下がかならず必要というわけでもないんです。しかし、戦いの場においては絶対になくなてはならない存在なのですよ」

 当のアーデのほうをちらりと見てから、説明をつづけた。

「戦略、戦術、そして局地における具体的な戦法をいつも考えているのはアーデ殿下なのです」

「じゃあ、あなたたちの間ではこの子が軍師ってことなの?」

「そのとおりです。私でも他の老練な戦士たちでもありません。すべて――本当にすべて、殿下が考案されています」

 今度は、ノーラがアーデのまだ幼さの残る顔をまじまじと見つめた。この頭の中に、歴戦の勇者が納得するほどの策が秘められているというのか。

「あなた、それをどうやって学んだの?」

「私はお父様が好きだったから、よく執務室や図書室に勝手に入って、それでいろんな本を読んでいたの。そしたら、いつの間にか……」

 珍しく歯切れが悪い。どうも、戦の知恵など淑女(レディ)には相応しくないと思っているらしい。事実、そのとおりなのだが。

「つまり、皮肉にも前ノイシュタット侯の血を濃く受け継いだのは、フェリクス閣下ではなくアーデ殿下だったというわけです」

 前ノイシュタット侯ジークヴァルトは、〝戦神〟と呼ばれるほどの人物であった。しかし残念ながら、息子のフェリクスにそれに匹敵するほどの力はない。

 だが、アーデは違った。

「お兄様のことを悪く言わないで」

「別に悪く言っているわけではありません。どちらに向いているかというだけの話です。実際、フェリクス閣下は、先侯とは比較にならないほど統治能力に長けています」

「なるほどね」

 いずれにせよ、ノーラには事情がよくのみ込めた。

「要するに、帝都へ行くならアーデじゃなきゃ駄目だってことね」

「そういうことです」

「だったら同じことよ。私は、まさにそのことを言おうとしたんだから」

 二人は首をかしげた。

「アーデはここに残って、別の人間が行く」

「ですから――」

「わからない? 要は、アーデはここにいることにしといて、本物は帝都へ行っちゃうってこと」

 ユーグは唖然とした。

「〝影〟を仕立てるということですか!?」

「ご名答。表向きはここに滞在していることにしておくのよ。護衛も残してね。それで、本物は帝都へ行く」

「面白いけど、可能かしら」

「ここは私の庭よ。いかようにもできる。それに誰かに睨まれているならともかく、いちいち確認に来る人もいないでしょう」

 しかも、アーデが女だというのが大きい。たとえ訪ねてくる者があっても、『少し体調を崩している』とでも言えば、無理に部屋に入ろうとすることはまずない。

「なるほど、それはいい考えね。もしノーラが協力してくれるなら、なんとかなりそう」

「それに、護衛のほうも問題ありません。こういうこともあろうかと、信頼できる人間を通常の兵たちの中に混ぜておきました」

 しかも、さっきの手紙で仲間の何人かが近くにいることもわかった。事情を話せば、ここから帝都まで一緒に行ってくれるはずだ。

「用意周到ね。さすがは(わらわ)の下僕じゃ」

「下僕ではございません。目付け役です」

 計画が固まってきた。思わぬ出会いが思わぬ幸運を導いてくれたようだった。

「じゃあ、ここからのアーデは侯妹ではなくただの小娘ってわけね」

「小娘じゃないわ、淑女(レディ)よ!」

「ごめんごめん。じゃあ、びっくりするくらいのレディが行くわけね」

 笑いながら訂正した。ここで口喧嘩にならないのは、ノーラがヴァレリアよりもできた人物だからだろう、とユーグは勝手に思った。

「ただ、リスクがあることは忘れないで。絶対にばれないとは言えないし、向こうで見つかったらそれまでなんだからね」

「大丈夫よ。ここに迷惑がかかるようなことだけは、けっしてしないから」

 決然と言い放ち、アーデはすっくと立ち上がった。そして、窓のほうへ歩み寄っていく。

「動くなら暗くなってからね。明るいうちじゃ、いくらなんでも見つかっちゃう」

「じゃあ、夕食を少し早めにしましょう。そのあとだったら、きっとみんなはもう休むでしょうから」

「ありがとう」

 ふふ、とノーラが微笑んだ。

「珍しいお姫様ね、驕り高ぶるどころか常に謙虚なんて」

「お父様のおかげかな? それとも、お兄様かなぁ」

 窓枠に手をかけたまま、真剣に考えはじめてしまった。

 ノーラは立ち上がりながら、ユーグの肩を叩いた。

「いい()ね。かならず守り通しなさいよ」

「言われるまでもありません」

 笑いながら、ノーラは部屋を出ていった。

 外の木々がわずかにざわめている。

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