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つばさ  作者: takasho
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 宮殿が慌ただしくなりはじめた。ノイシュタット侯につづき、各諸侯が続々と集まってきた。

 フェリクスの次にやってきたのは、アイトルフ侯ヨハンだ。几帳面な性格どおり、選帝会議に遅れないよう、わざわざ早めに来たのだろう。

 ただそれが災いして、ヨハンは民からの人気もなければ、実務もうまくいかないことが多かった。

 細かいことにこだわりすぎるためだ。

 人の上に立つ者はある程度の鷹揚さというか、小さいところはあえて見ない器の広さが必要なのだが、残念ながらヨハンはそのことがまるでわかっていないようだった。

 むしろ逆に、領主だからこそ細かいところまで逐一気にすべきだと考えているらしかった。

「見るからに〝ダメ領主〟って感じだな」

「ああ、そうだな」

 隣にいた同僚の言葉に、ノイシュタットの近衛騎士、ヨハンは小声で同意した。

 あんなのが自分の(あるじ)でなくてよかったと心底思う。フェリクスとはあまりに対照的であった。

 ヨアヒムとゲルトの二人は、そのフェリクスの護衛のために一緒に訪れ、今は回廊の見張りをしているところだった。

 受け持ったのが、ちょうど窓から宮殿の正面通路が見える場所だったため、各諸侯の様子をこっそりうかがっていた。

 その近衛騎士たちの前に、今度はまるまると太った大男が現れた。

 地味な服装をしているから宮廷の料理人のようにも見えるが、あれでもブロークヴェークの領主だ。名をゼップルという。

 あまりにふくらみすぎた腹が邪魔らしく、歩くことさえおっくうそうに見える。妙に豪華な杖をつきながら歩いているものの、時おり息が上がってしまい、立ち止まるということをくり返していた。

「ああはなりたくないな……」

「どうやったらあんなに太れるんだ?」

 滑稽で面白いといえば面白いが、いくらなんでも常軌を逸している。普通の者からすれば、気味の悪さを感じてしまうほどだ。

 しかしゼップルは、民衆や配下の騎士から慕われている領主でもあった。

 食べすぎることは問題だが、やるべきことはきちんとやる人で、騎士にも民にも情が厚い。しかも自分が交易で儲ければ、かならずといっていいほど庶民を巻き込んだ大宴会を開くものだから、名領主として高名なフェリクス以上にブロークヴェークでは評価が高かった。

 今そばにいる騎士たちも、主の様子を見て仕方のない人だといった表情で微笑んでいる。

 ゲルトは、皮肉げな笑みを浮かべていた。

「宴会には惹かれるが。他にもいろいろくれるらしい」

「フェリクス様だって、我々のことを気づかってくれているじゃないか」

 宴を頻繁に開催するわけではないが、ノイシュタット侯もさまざまな方法で自分たちを(ねぎら)ってくれる。先日も、フィデースに乗り込んで生き残った者たちに報奨金を与えてくれたばかりだった。

 反対にゼップルは確かに気前はいいものの、政や軍務の面で不安があることもまた事実だった。

「おっ、今度は珍しいのが早めに来たぞ」

「――〝放蕩侯〟か」

 いかにもやる気のなさそうな態度で、中庭の真ん中をぶらぶらと歩いている。

 史上最低の領主として知られる、ローエ侯ライマルだ。

 選帝侯のひとりとは思えないような奇抜な格好をしているから、宮殿の廷臣たちも目をむいて驚いている。ライマルがローエ侯としてここを訪れるのは初めてだから、明らかに面食らっていた。

「ほとんど道化だな」

「というより、本人にとっては吟遊詩人のつもりなんだよ」

「ああ、そういえばそうだった」

 ゲルトが、わざとらしくうなずいた。

 帝国内では、ライマルが実は冒険者になりたかったというのは有名な話だ。

 しかし、無理やりローエに連れ戻され、先代が早くに他界したものだから、なし崩し的に現在の地位に据えられてしまった。

 だが、冒険者への憧れは断ちがたいらしく、今でも日頃は罠を外す訓練や楽器の練習ばかりしているという。つまり、政務は家臣たちに任せきりなのだ。

「あの放蕩侯とうちの大将の仲がいいんだから不思議でしょうがない」

「確かに。なぜか、最も評価の高いフェリクス様と最も評価の低いローエ侯は、妙に馬が合うらしい」

「〝帝国の七不思議のひとつ〟だよ」

「言いすぎだ、それは」

 いずれにせよ、ライマルが駄目な領主であることに違いはなかった。あんなのが上に立つのでは民もきっと浮かばれないだろう、ヨアヒムはそう思った。

「そういやあ、最近、ローエの騎士団はすごいらしいな」

「ただの噂だろう? 領主があれで、強い軍をつくれるはずがない」

「けどな、俺が聞いたところだと、例の隣国から侵略を受けたときに、比較的少数の人員でものの見事に敵を撃破したと」

「そのときの軍の動きがあまりに美しくて、芸術の域にまで達していたというんだろう? 眉唾ものだ」

「だけど、ローエにいる親戚の騎士見習いは、とにかく感動したって興奮してた」

「……本当か?」

「ああ。俺が直接聞いた。美しく、洗練されていた、と」

 訝しむヨアヒムとは対照的に、ゲルトの目はいつに真剣だった。

 その美しさは整然とした幾何学的なものではなく、むしろそれぞれがバラバラに動いているように見えながら、その実、全体がうまく連動することで秩序が保たれているものだったという。

 あまりにも突飛で漠然としているために想像しがたいものがあるが、帝国全土で噂になっているということはけっして根拠のないことばかりではないのかもしれなかった。

「副官あたりに優秀なのがいるのかもな」

「しかし、それならその人物も噂になっているはずじゃないか」

 ライマルの悪名というか醜聞は有名なものの、彼を支える家臣となるとほとんど聞いたこともない。

 いい人材がいるのなら、その人物の話が伝わってきても不思議はないのだが。領主が領主なだけに、余計にすごいことのはずだった。

「これも帝国の七不思議だ」

「だから、それは言いすぎだ」

 そうこうしているうちに、またしても次の人物がやってきた。

「立てつづけに来るな――って、なんだ、ダルム侯か」

「おいおい、なんだは失礼だろう」

 と言いつつ、実はヨアヒムも同じ感想を抱いていた。

 ダルム侯シュタッフスは、これといって特徴のない男だ。やや小柄な体躯、美形というほどではないがそこそこの顔、そして領地経営のほうも鳴かず飛ばずといったところだった。

 これといって、いい話も悪い話も聞かない。ただ、領内の一部では翼人の暴動が激しいらしく、その鎮圧に苦労しているのは本当らしかった。

「そういやあ、フィデースの時はひどい目に遭ったな。さすがに死を覚悟したぜ」

「ああ、飛行艇が落ちるかもしれないという恐怖は、凄まじいものがあったな」

「ダルム侯のせいで嫌なこと思い出したな、ちくしょう……」

 飛行艇フィデースが翼人に落とされかかったとき、自分たちはまさしくあの場にいた。

 相手の集団の力は圧倒的で、まともに対峙することさえ難しかった。こちらが普段のように戦えなかったせいもあったが、翼人たちは確かに強く、もし地上で戦ったとしても撃退できたかどうかは怪しかった。

「お前はどう思った?」

「何がだよ」

「私は、どうもフィズベクで剣を交えた連中よりも、あのときの翼人たちのほうが力量は上だったように感じた」

「確かに、な。どっちも強かったが、フィズベクのときはなんとかなりそうだった」

「ああ、でも飛行艇では違った。別々の集団なのか、それとも同じ集団が短期間で強くなったのかはわからないが――」

 ふう、とゲルトがあからさまにため息をついた。

「自分たちの騎士団より強い存在がいるっていうのは、ぞっとしねえな」

「…………」

「ちっ、あの野蛮人どもめ。今度会ったら絶対にぶちのめしてやる」

 ゲルトが苦々しげに、右の拳を左手に打ちつけた。

 ――野蛮人、か。

 そう言った同僚に他意はなかったのだろう。しかし、どうしてもその一言が頭に引っかかって離れなかった。

 確かに、翼人の実体はわかっていない。彼らに文化などなく、ほとんど獣と同様の生活をしていると言う者もいる。

 ――だがそれでは、戦いの場におけるあの洗練された動きの説明がつかないではないか。

 彼らは間違いなく、それぞれが考えながら動いていた。誰かに命令されて指示どおりに戦っていたわけではない。

 それなのに、全体として見事なまでに連動していた。悔しいが、少なくとも戦術という面では、人間を凌駕するほどの高度なものを持っているのは確かだった。

 ――それに……

 フィズベクでの最後の光景が、一瞬のうちにまざまざと蘇る。

 ――飛行艇から降りそそぐ太矢、地面に叩きつけられる翼人。

 あれは、地獄のような光景だった。しかし、まぎれもなく自分たち人間が引き起こしたものでもあった。

 この世の地獄をみずからつくったのは、自分たち人間だった。

 あのときの戦慄は今でも忘れられない。

 機械的に放たれる矢、そしてごみのように散っていく翼人。

 そこに人間的な感情は一切なかった。一切である。

 ただ単に大弩弓(バリスタ)が矢を放ち、多くの翼人があっという間に死んだ、それだけのことでしかなかった。

 だからこそ思う。真に野蛮なのはどちらなのか、と。

 ――機械を使って相手を虫けらのように殺すことのほうがよほど……

「ちょっといいかね」

「うわっ」

 突然背後からかけられた声に、二人して跳び上がらんばかりに驚いた。

 あわてて振り返ると、そこにはいつの間にか灰色の髪をした初老の男が立っていた。

「ギュンター閣下、い、いらしたのですか」

「ああ、ちょうど今、来たところだよ」

 そう言う男は誰あろう、ハーレン侯ギュンターであった。

 ――〝策士〟か。

 その策謀の巧みさは有名で、帝国内で最も恐れられている存在。ただ、所領経営の手腕もそれなりにあり、ハーレンはそこそこ栄えた地域となっていた。

 そのギュンターが、よりにもよって知らない間に真後ろにいたのだ。驚くなと言うほうが無理だった。

「ど、どうしたのですか? こんなところへ」

「なに、たまたま君たちを見かけたものだからな。少し話をしたいと思ったのだよ」

 ヨアヒムは、薄ら寒いものを覚えた。あの〝謀略侯〟が一介の騎士でしかない自分たちになんの用だというのか。

 ギュンターは警戒する相手を見て、にやりと笑った。

「君たちはノイシュタットの騎士だろう?」

「は、はい」

「飛行艇が落ちそうになったときの気分はどうだったかね?」

 ぎくり、という音が聞こえそうなほどに二人の騎士の心臓は跳ね上がった。対するギュンターがいたって冷静なのが、その動揺に拍車をかけた。

「な……なんのことでありましょう」

「ふふ、あくまでしらを切るか。まあ、いいだろう。バリスタを搭載したオリオーンに乗らなかったのが運の尽きだったな」

 二人の騎士は、ごくりと唾をのみ込んだ。

 ――この男、どこまで知っているのか。

 いずれも箝口令を厳しく敷いた、ノイシュタットの機密にかかわることばかりだ。

 かまを掛けようとしているのかもしれないが、それを平然と言ってのけるということは、それなりの確信が初めからあったに違いない。

 騎士たちは返す言葉もなく、硬い表情でただ黙っていることしかできなかった。

「だが、それなのにどうやって切り抜けたのかね? まさか、空中で翼人どもに勝てたわけでもあるまい」

 ヨアヒムは、ギュンターのわずかな変化を見逃さなかった。先ほどよりも目が真剣味を帯びている。

 ――別の翼人が助けてくれたことを知らないのか。

 どう答えたものかと逡巡していると、同僚のゲルトが先に口を開いた。

「何をおっしゃっているんです! ノイシュタット騎士団を見くびってもらっては困ります。確かに苦戦はしましたが、我々自身の力であの困難な状況を打破したのです」

「お、おい……」

 ヨアヒムは頭を抱えたくなった。

 フィデースの件はすべて極秘のこと。これでは、ハーレン侯の言ったことを思いっきり認めているようなものではないか。

 ――だが、これでよかったのかもしれない。

 かえって肝心なところはうまくごまかせた。

 そうかそうか、と同僚の言葉をまったく信用していない様子でギュンターはうなずいていた。

「それにしてもフィズベクでの暴動といい、飛行艇の襲撃といい、何かとノイシュタット侯は翼人と縁があるらしいな」

「別に、好きで縁があるわけではありません!」

「だろうな。もっとも、縁があるのは彼だけではないだろうが」

 そう言い、窓の外に視線を移して目を細める。

「ふむ、あの男も来たようだな」

 気になり、騎士たちもそちらをうかがった。

 ――カセル侯か。

 金髪(ブロンド)の美女を従えて、ひとりの男が威風堂々と中庭の道を歩いてくる。その表情は引きしまり、配下の騎士たちの姿からも迫力が感じられる。

 カセル侯ゴトフリート、その人である。

 強い眼差しは前方をしかと見すえ、まったく揺るぎない。見るからに強さを感じさせる雰囲気を全身にまとっていた。

「やはり、風格が違いますな」

「ふんっ、風格か。ただの張りぼてでなければいいがな」

 ゲルトの言葉に、ギュンターが口を歪めて悪態をつく。

 侯とゴトフリートの不仲は有名な話だが、フェリクスと同じくらいカセル侯を尊敬しているゲルトは、さすがにむっとしていた。

「ま、お前たちも寝首をかかれないように気をつけることだ」

 カセル侯にとって最大の敵はフェリクスだろうからな、と心中で付け加えて、ギュンターは去っていった。

 姿が見えなくなったとたん、ゲルトが拳を振り上げた。

「何を言ってるんだ、あの爺さん! まったく、胸くそ悪い」

「…………」

 確かに、その言葉の意味するところはよくわからなかった。

 ――だが、そのすべてが嫌がらせや嘘だったともまったく思えない。

 どこかに真実が含まれ、ギュンターもまた何かを探ろうとしていたのだろう。

 いずれにせよ、厄介な人物がいなくなってくれたおかげで、正直ほっとした。七大諸侯の中でもっとも扱いにくい人物であることは間違いない。

「ええい、〝狐〟め! 奴のせいので気分が悪くなった。今日は飲むぞ!」

 狐――同僚の言葉は、ギュンターに付けられたよく知られているあだ名であった。

 聞くところによると、野生の狐は非常に警戒心が強いという。

 敵の気配に敏感なのだ。

 ――ならば、ハーレン侯は今、何を感じているというのだ。

 日が徐々に暮れてきた。西の空に赤みが差している。やがて訪れる夜の気配に、男は不安を覚えはじめていた。

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