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つばさ  作者: takasho
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 匂いというものは、何も鼻だけで嗅ぎ分けるものではない。目や肌などのすべてで〝感じ取る〟ものだ。

 初めのうちはまったくわからなくても、感覚を研ぎ澄ませていけばおのずと匂いというものを感知できるようになる。

 そしてヴァイクは今まさに、翼人の匂いを嗅ぎつけていた。

 ――やはり、この帝都の周りにも翼人はいたか。

 予想していたことではあったが、驚きを禁じ得ないことでもあった。

 帝都といえば、人間の世界における中心だ。翼人からすれば、そこを敬遠することこそあれ、みずから好んで近づくことなどないはずだった。

 だが、確実に同族の気配がある。具体的にどこに、というのはまだわからないが、あの特有の雰囲気が帝都周辺の森に流れていた。

 ヴァイクは、その上空をゆっくりと飛んでいた。

 やや運任せのやり方ではあるが、こうしていればいつか見つけられるかもしれないし、逆に相手がこちらを見つけて襲いかかってくるかもしれない。

 先手を取られても別に構わなかった。そうなれば、かえって探す手間が省けるというものだ。

 とはいえ、相手のほうから姿を見せる可能性は低い。

 何かを企んでいるのなら、できるだけ隠密のうちに動いたほうがいいに決まっている。どんな勝負ごとも、敵が警戒すればするほど攻略が厄介なことになるのは必然だった。

 だから、今のところは見つけられなくても仕方がないと思っていた。特に、まだ急を要しているわけではない。

 ヴァイクは口元をぐっと拭った。

 昨日のうちに〝腹ごしらえ〟はすませておいた。さすがに少し離れたところまで飛ぶ必要があったが、問題なく〝獲物〟は見つけられた。

 ――まだ、俺は死ぬわけにはいかないんだ。

 そう自分に言い聞かせる。でなくば、こころの内なる声に押しつぶされてしまいそうだった。

 ――生きる、すなわち人を殺す。

 翼人の世界におけるその絶対的な真実に、いつも身を震わせていた。どうして、なぜだと問うても、現実にそうなのだからもはやどうしようもない。

 ――生きたかったら、殺す。

 それしかないのだった。

 ――今の俺をリゼロッテが見たら、なんて言うだろうな。

 あの子のことだから、軽蔑するようなことはないだろう。しかし、どこか悲しげな目でこちらを見るに違いなかった。

 ――すまないな。俺にはこんな生き方しかできない。

 あとでどれだけ罵られてもいい。とにかく今は、やるべきこと、やっておきたいことがあった。もう少しだけ、この自分のわがままを許してほしかった。

 そう考えること自体、ひどく傲慢なのかもしれなかったが。

 ――うん?

 物思いに沈んでいる間に、いつの間にか帝都の西側にある森の端まで来ていた。

 ここは、大きな湖に接したところだ。確か、ジャンがフィロメーラ湖と呼んでいたはずだ。

「来るべきじゃなかったかもな……」

 苦虫を噛みつぶしたような顔でつぶやく。

 湖には、多くの飛行艇が停泊していた。小型のものから神殿ほどの大きさのあるものまで、多種多様な艇が岸辺近くにひしめき合うようにして浮かんでいる。

 そういえばジャンが、この湖があったからこそ、ここに帝都がつくられたと言っていた。

 まったく厄介なものを生み出してくれたものだ。帝都の中でも特にここは、翼人にとって最悪の場所だった。

 すぐに引き返そうとして急激に方向転換した。目的のものを見つけたのは、まさにその瞬間だった。

 ――あれは――

 木々の隙間に、一瞬だけ緑色の羽が見えたような気がした。野生の鳥ではないだろう。この辺に緑の野鳥などいないし、それにあの大きさは尋常ではない。

 ヴァイクは一切迷わず、一気に急降下した。無数の枝が引っかかるのも構わず、羽が見えたところへ突撃を仕掛けるようにして飛び込んでいく。

 森の天蓋を抜け出ると、すぐさま翼をはためかせて落下の速度を抑える。そのとき、目の前にいたのは二人の翼人であった。

 だが、そのことよりも別の事実に、ヴァイクはわが目を疑った。

「ナーゲル……? ナーゲルじゃないか!」

「ヴァイク……」

 とっさに剣を抜いた緑の翼の男には目もくれず、もうひとりの白い翼の人物の前に降り立った。

「お前、生きてたのか!」

「そっちこそ。よくあの中、死ななかったな」

 お互いの肩をしっかりと掴み合った。

 まぎれもない、かつてともに暮らし、ともに笑い、ともに泣き合った幼なじみのナーゲルだ。

 あのヴォルグ族の襲撃以来、ずっと行方知らずだった。いや、正直に言えば、もう生きてはいないだろうとほとんどあきらめかけていた。

 それがこんな思わぬところで再会することができた。これ以上の喜びはない。

「これまでどうしていたんだ?」

「襲撃を受けたあと、いろいろあってな……。それより、よく生き延びたな、ヴァイクも」

「ああ、なんとか。また兄さんに助けられたんだ」

「ファルクは?」

 ヴァイクはゆっくりとかぶりを振った。それだけで、ナーゲルはわかってくれた。

「そうか。風の噂で聞いてはいたが……」

「お前のほうはどうしたんだ。確か、あのときちょうど集落にいただろう?」

「ああ、最初の襲撃でやられてしまったんだ。それで、家の下敷きになって……。気がついたら、すべてが終わっていたよ」

「そうか」

 ヴァイクはあえてそれ以上は何も言わなかったし、その必要もなかった。

 ナーゲルの苦しみは想像するに余りある。おそらく、兄によって外へ助け出された自分よりもこころに不要な深い傷を負ってしまったはずだった。

「ところで、今どうしているんだ? こんなところで何をやっている?」

「それはこっちの台詞だ、ヴァイク。よりによって、こんな帝都の近くへどうしたんだ? 人間嫌いなお前が」

「別に人間嫌いってわけじゃない。ただ、連中の考えていることはよくわからないって昔から思ってただけだ」

「同じことだ。こんなところに翼人がいるのは変だろう?」

 言われて、肩をすくめた。

「それはお互い様だと思うけどな」

「そりゃそうだ」

 そこで、初めて会話が途切れた。

 再会できた大きな喜びが過ぎ去り、現実的な違和感が生じはじめた。

 ――なぜ、互いにここにいるのか。

「なあ、ナーゲル。本当は今どうしているんだ? 部族を失ってから、どうやって生きてきたんだ?」

 当然の疑問にも、ナーゲルはすぐには答えようとしなかった。緑の翼の男を振り返り、助けを求めるようにして視線を合わせた。

 だが、男はいかつい表情のまま沈黙しているだけだ。

「その男は?」

「仲間だ。今、あることを一緒にやってるんだ」

「はぐれ翼人の仲間か――。仕方なしに徒党を組んでるってわけじゃなさそうだな」

 おおよその察しがついてきた。そしてその導くところは、もしかしたら最悪のものかもしれない。

 ナーゲルは答えに窮してしまったようだ。

 彼を責めるつもりはなかった。だから、あっさりと結論を言ってやった。

「そんなにマクシムの下にいるのは心地いいのか?」

「ヴァイク、知っていたのか!?」

「もう奴とは会った。また偉そうなことを言われたよ」

 あまり思い出したくはないことではあったが、そもそもここまでやってきたのは、やはりマクシムにもう一度会うためだった気がする。

 会って実際に何をするつもりなのかは、自分でもまだわからない。

 だが、それによって何かが見えるような予感があった。それは、ただの自分勝手な希望なのかもしれないが。

「ヴァイク、俺たちは翼人の世界を、いや、世界全体を変えようとしているんだ。この間違った世界を」

「知っている。クラウスとかいう奴から聞いた」

「彼にも会ったのか! それなら話は早い。ヴァイクも俺たちと一緒に――」

「ナーゲル」

 あえて親友の言葉を途中で遮った。それ以上は言わせたくなかった。

「悪いが、そのつもりはない。俺は俺の道をゆくつもりだ」

「でも、ヴァイク。はぐれ翼人がひとりでは……」

「わかっている。自分ひとりでは何もできないことは、最近改めて痛感させられてるくらいなんだ」

 ヴァイクはあくまで穏やかに答えていた。相手が親友だからこそ、自分の素直な気持ちを言える。

「けど、ナーゲル。俺は、少しずつ自分のやるべきことが見えてきた感触があるんだ。だから、今はそれを追求してみたいんだよ」

 どこまでやれるかはわからない。もしかしたら、それは間違った道かもしれない。そもそも、まだはっきりとそうした道そのものが見えているわけではなかった。

 ――しかし、だからこそやる価値がある。

 他の人がつくった道をゆくなんてつまらないじゃないか。もっと気ままに、もっと強く生きたい。自分は空を飛び、自由を謳歌する翼人なのだから。

「ヴァイク……」

 ナーゲルは言葉を失った。ヴァイクの気持ちが幾ばくかでもわかる気がした。

 だが、それをまったく理解できない者もここにはいた。

「それは、我々のゆく道が進むに値しないということなのか?」

 緑の翼の男だ。最初から険しかった表情をさらに厳しいものにして、ヴァイクを睨むようにして見つめている。

「フーゴ――」

「ナーゲルは黙っていてくれ。俺は、あの男に聞いているんだ」

 フーゴと呼ばれた男は、ナーゲルを押しのけて前へ出た。左手は剣の柄に置かれている。

「どうなんだ?」

「そうだな、そう思ってもらって構わない」

「どこが気にくわないと言うんだ?」

 相手が凄む。だが、ヴァイクは意に介することなくあっさりと答えた。

「全部だ。あのアルスフェルトでの悪辣な戦い方といい、各地で人間を襲っていることといい、気にくわないことばかりだ」

「あ、アルスフェルトにもいたのか……」

 知れたくないことを知られてしまったかのように、ナーゲルがうつむいた。

 しかし、一方のフーゴは引き下がろうとはしなかった

「人間ごときを襲って何が悪い!」

「なんだと?」

「奴らはなんの苦しみもなくのうのうと暮らしている。しかも、我々の命を――飛翔石をあの薄汚い船などのために使いおって!」

 人間は翼人の葛藤を知らない。

 それなのに大地を蹂躙し、森を壊し、川を汚して、あまつさえジェイドを道具のように使う。

 これを許せようか。放っておけようか。

「…………」

 これには、さすがのヴァイクも言葉がなかった。

 まったく同じ思いをこれまで抱いてきた。

 自然を汚すのは、生きるためにある程度は仕方がない。

 そして、翼人の苦しみを知れと言ったところで、彼らは同族の心臓が必要というわけではないから、どだい無理がある。

 ――だが、飛行艇だけは許し難い。

 人間には自分の足がある、馬があるというのに、なぜあのようなものまで必要とするのか。納得のいく説明は、たぶん誰にもできないだろう。

 とはいえ、相手の言い分を素直に認めたわけではなかった。

「だったら、どうして人間の心臓を喰う?」

 そのたった一言は、フーゴを貫いてナーゲルまでをも串刺しにした。

「人間が軽蔑すべき存在だという思いは、正直、今も自分のこころのどこかにある。だが、そのことと相手の心臓を喰らうこととは、まったく別次元の問題だ」

 それはアルスフェルト以来、ずっと疑問だったことでもあった。翼人は、確かに心臓(ジェイド)が必要だ。しかし、それは同族のものでなければまるで意味がない、はずだった。

 それなのに、奴らは喰らっていた。どうしても理解しがたいことであった。

 予想どおり、フーゴらは何も言おうとしない。言えない理由があるのか、それとも理由などないから言えないのか――こちらからは判断のしようがなかった。

「それに、お前らは女子供にまで手を出していた。そんな、戦士としてあるまじきことをするような連中を評価できるわけがない」

 ヴァイクは、己の結論を突きつけた。

「お前たちは翼人の誇りを捨て去ったんだ。俺には、愚劣な行為をしているようにしか見えない」

 相手のすべてを否定するつもりはないものの、しかしどうしても納得のいかない部分が多すぎた。

 しばらく、その場を沈黙が支配した。

 誰も何も言わず、風が起こす木々の葉擦(はず)れの音と、湖の波の音だけが無邪気に響いている。

 その静けさに耐えられなくなったのは、ナーゲルのほうだった

「仕方がなかったんだ……。俺たちが生きていくためには、目的を成就するためにはやるしかなかった」

「仕方がない? 便利な言葉だな。『仕方がない』なんていったら、どんなことでも『仕方がない』で済ませてしまえるんだよ」

 ナーゲルらにもなんらかの事情があることはわかっていたが、変な言い訳は認めたくなかった。

「お前たちがしている行為は翼人だけではない、人間の世界をも巻き込むことだ。どんな理由があれ、他者を犠牲にしようとしていることに変わりはない」

 翼人が人間を犠牲にすることが許されるのか。

 人間が翼人を犠牲にすることが許されるのか。

 どちらも許されない。根源的に、他者の犠牲を前提とする行為が認められるはずもない。

 確かに、人は誰かに支えられなければ生きていけない。それは裏を返せば、常に他者に迷惑をかけてしまい、誰か、何かを犠牲にしながら生きつづけているということでもある。

 しかし、それを確信犯的に行うことが許されるだろうか。できるだけ迷惑をかけないように、犠牲を出さないように生きていくのが当たり前のことではないのか。

「お前たちがやっていることは、多分、ただの自己満足だ。それで、本当に誰かが救われるのか」

 かえって、憎しみや悲しみを増やすだけではないだろうか。そんな気がしていた。

 だが、こちらの思いは相手に伝わりきらなかったようだ。

「残念だけど、ヴァイク。俺たちの考えとは合わないみたいだな」

「ああ、相容れない部分が多すぎる。俺は俺の道をゆくよ」

 やや悲しげな目をして、ナーゲルは背を向けた。それは、明確すぎる拒絶の印だった。

「だけど、ヴァイク。これだけは憶えておいてくれ」

 飛び上がりながら、最後に声をかけた。

「俺たちは、本気でこの世界を変えたいと思っているんだ。もちろん、いい方向に」

 さらに高くへ昇っていく。

「どこまでできるかはわからないけどな。だけど、もしヴァイクがその気になったらいつでも来てくれ。俺もマクシムも待っている」

「――――」

 そう言ったきり、ナーゲルとフーゴはさっと飛び去っていった。人間に感付かれることを嫌ったのか、遥か上空にまで見る間に上がっていく。

 それを見届けてから、ヴァイクはもう一度、湖に浮かぶ飛行艇のほうを見た。

 ――あいつらは、ここで何をしようとしていたんだ?

 いろいろと聞きたいことはあった。しかしそれ以前に、こんなところにいた目的はなんだったのだろう。

 あれほど飛行艇に対して嫌悪感を抱いていたなら、見るのも嫌だったはずだ。

 それなのに連中はここにいた。ということは、自分の感情を押し殺してでもやるべきことがあったということではないのか。

 ――やはり、この帝都で何かが起こる。

 その予感は、確信に変わりつつあった。

 だが、そんなことより、

 ――みんな、苦しんでいるんだな。

 さっきはあえて厳しいことを言ったが、ナーゲルたちの思いは痛いほどよくわかった。自分も同じ葛藤を抱えていたし、きっと今でもいくらかはそのままだ。

 どうにかしたいがどうにもならない。

 そう感じたときが、人間にとっても翼人にとっても最もつらいときなのだろう。最も激しい葛藤と自己矛盾を抱えてしまうときなのだろう。

 だが、それこそが生きるということなのかもしれない。だとしたら、人生とはなんてつらいことなんだ。

 空を見る。雲ひとつない快晴。そして、こころは晴れない人々がその下で毎日苦悩しているのだった。

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