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つばさ  作者: takasho
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 小さな泉から水があふれ、小川となって静かに流れていく。その近くに立つ大樹には小鳥たちが集まり、ささやかな演奏会を開いていた。

 ここは城の地階、その奥まったところにある一室だ。

 城の中とは思えない穏やかさと静けさに包まれているそこは、ノイシュタット侯フェリクスの副官であるオトマルにあてがわれた一室であった。

 そこへ、ずかずかと近づいていく小柄な姿があった。

 妹姫たるアーデルハイトだ。

 どこか不機嫌そうに、一緒についてくる者たちを時おり振り返っている。

 そのアーデが苛立ちを抑えつつ、扉のそばに立つ従者にみずからの訪問を告げた。

「は、はい。少々お待ちください」

 姫がここに来ることをまったく想像していなかったのか、男はあわてた様子で部屋の中へと入っていった。

 程なくして、再び扉が開け放たれた。

「まあまあ、アーデ様がこんなところにおいでになるなんて、どうしたものかしら」

 そこから現れたのは、恰幅のいい中年の女性であった。三角巾をかぶり、エプロンを付けたまま笑顔でアーデをぎゅっと抱きしめた。

 それまで不機嫌だったアーデも、それであっという間に笑顔になった。その女性の豊かな胸に顔をうずめて、しっかりと抱き返した。

「マーレも相変わらず元気そうね」

 オトマルの妻であるマーレは、いつもこうしてこちらをかわいがってくれる。実の母の顔をほとんど知らない自分にとっては、昔から母親がわりのような存在だった。

「まあ、元気じゃないのもいますけどね」

「オトマルは大丈夫?」

「大丈夫っちゃあ大丈夫なんですけど、あの程度で寝込むなんてだらしがない」

 マーレに促されるまま、アーデは部屋の中へと入っていく。ここまで一緒に来た付き添いというか見張り役は、外にそのまま待たせておくことにした。

 部屋は、ノイシュタット侯の副官のものとは思えないほど質素なものだった。

 飾り気がほとんどなく、数少ない家具も美しさより頑丈さを重視している。もしここに泥棒が入ったとしたら、何をとっていいか困っただろう。いかにもオトマルらしい、質実剛健な内装だった。

 そのオトマルは奥の部屋にいた。南向きで陽光がよく入ってくる窓の前にあるベッドに横たわっている。

「おやおや、こんなところに殿下がおいでになるとは。どうなされたのです?」

「それはこちらの台詞よ。オトマルこそどうしたの? 疲れて休むなんて珍しい」

 起き上がろうとするオトマルを身振りで制しながら、ベッドの横にある椅子に腰かけた。

 少なくとも自分が憶えている限りでは、オトマルが疲労や病気を理由に公務を休んだなどという話は聞いたことがなかった。

「歳を取ったってことですよ。〝百戦錬磨〟とかなんとか言ったって、それだけ長く生きてきたってことなんですから、そりゃそろそろ体にガタが来ますよ」

「マーレは相変わらず、オトマルには厳しいのね」

「男には厳しくしすぎるくらいでちょうどいいんです」

「なるほど」

 女たちの勝手な言い分に、オトマルが顔をしかめた。

「マーレ、殿下にあまり変なことを吹き込むな」

「変なことじゃないわよ。女が生きていくうえで大切なことよ」

「そうそう、男は女に従っていればいいの。それが賢い生き方よ」

 言いたい放題に言って、二人は笑い合っている。オトマルは、あからさまにため息をついた。

「殿下とうちのが手を組んだら、誰も対抗できませんな」

「あら、よくわかってるじゃない」

 堂々と胸を張るアーデに、オトマルは肩をすくめた。

 マーレは笑いながら、奥のほうへと引っ込んでいく。その後ろ姿を見届けてから、オトマルが口を開いた。

「で、何が聞きたいのです?」

「なんのこと?」

 アーデがわざとらしく首をかしげた。

「アーデ様がわざわざここにおいでになったのは、何か聞き出したいことがあったからでしょう?」

「あら、ひどいのね。本当にオトマルが心配だったから見舞いに来たんじゃない」

 でも――と、くすりと笑った。

「確かに聞きたいこともあるけど」

「先日のフィデースの件ですか?」

「ええ、襲ってきた翼人というのはどんな感じだったの?」

 一度枕に身を預けると、オトマルはあのときのことを思い返すように、天井のどことも知れないところを見上げた。

「ともかく、不思議な連中でしたな。空では無類の強さでした。まあ、地上でも我々はかなわなかったわけですが」

 そして、翼の色がまちまちだった。聞いたところによると、翼人は部族ごとに色が共通しているという。ということは、あの集団ははぐれ翼人の集まりだということだろうか。

「そっか、やっぱりそうだったのね」

「ですがそのわりには、そこそこまとまった戦いぶりを見せておりましたが」

「じゃあ、ただはぐれ翼人が徒党を組んだってわけでもなさそうね」

「ええ。そもそも、翼人が飛行艇を襲うなどというのは、前代未聞のことですからな」

「それはそうね。結局、その連中は何が目的だったの?」

 オトマルは少し考えてから答えた。

「フィデースがイレーネ湖に沈んでしまったことはご存じでしょう」

「ええ、故障してしまったんでしょ?」

「それが、翼人どもに船底に穴を空けられてしまったせいなんです」

「船底って……飛翔石(ジェイド)が狙いだったってこと?」

 オトマルは深くうなずいた。

「ジェイドを奪うことが目的だったのか、それとも飛行機関を破壊することが目的だったのかは測りかねます。ですが、確かにその辺りを狙っておりました」

 甲板のほうから襲ってきた連中は、はじめからおとりだった。目的はあくまで船底から侵入し、飛翔石の元へ行くことにあった。こちらは当初、まんまとそれに引っかかってしまったわけだ。

 あの襲撃は、やはり計画的なものだったということになる。その裏に、なにがしかの理由があるはずだった。

「オトマルも実際に剣を交えたんでしょう? 戦ってみて、フィズベクのときの連中と何か違っていた?」

「いえ、それどころか同じだと感じたのです。戦い方や外見もそうなのですが、全体の様子といいますか雰囲気がそっくりだったので」

 これは、直にその場の空気を感じた者にしかわからなかったろう。

 もちろん、確証はない。ないのだが、確信できるだけの何かが共通性として感じられた。

「ですが、結果的に我々を助けてくれた別の翼人の集団とは、もちろん明らかに異なっておりましたな」

「あ、そう」

「こちらには興味がないのですか。まあ、確かに彼らよりも襲撃者の素性を明らかにすることのほうが先決ですが。もし、本当にフィズベクとカセルの上空に現れた連中が同じ集団に属しているのなら、我々を襲わなければならない理由があったということです」

「その狙いはなんだと思う? ただ単にこちらを揺さぶるためなのか、それともノイシュタット侯軍を弱体化させるためなのか」

「おそれながら、最悪、フェリクス様が狙いということも考えられます」

「……そうよね、そう考えるほうが自然かな」

 仮にそうならば、兄の存在を邪魔に思う人物、もしくは組織があるということになる。それは、自分自身が狙われることよりもずっと、こころを締めつけられるものがあった。

「いずれにせよ、敵は二度とも襲撃に失敗しているのです。ということは、またどこかで襲ってくる可能性は高いでしょうな」

「そうでしょうね。でも、そうじゃない場合もある気がするけど」

「というと?」

「ただのおとりとか、何かの準備として必要なことだったとか」

「相も変わらず鋭いですな」

 確かにそうだった場合、もうすでに目的を果たしたことになる。

 しかしその意味するところは、何か別のことを、しかもおそらくは襲撃よりもさらに大きなことを企んでいるということだ。

「それならば、フィデースを襲ったのも見せかけだけで、連中を追い払った翼人たちも、実は仲間だったということも考えられますな」

 となると、最初の襲撃者はわざと力を抑えていたということになる。その事実だけでもぞっとしないことだ。

「そっか、その可能性もあるのね」

「ただ、すべては憶測です。当たっているのかもしれないし、外れているのかもしれない。まだ判断しかねるというのが正直なところです」

「じゃあ、オトマルはアルスフェルトの件はどうだと思ってるの?」

「アルスフェルトですか……」

 眉間にしわを寄せ、いかにも悩んでいるといった様子でオトマルが目を覆った。

「あまり考えたくないって顔ね」

「もし、アルスフェルトまで関係があるとするなら――」

 意を決したように、オトマルが目を開いた。

「カセル侯が無関係だとは言いづらくなりますな」

「ゴトフリート様か……」

 兄がそのことで悩んでいることは知っていた。先日の夜会に出席しなかったこともずっと気がかりだったようだ。

「だけど、それこそ憶測じゃないの?」

「そのとおりです。ですが、カセル侯が裏で糸を引いているにせよ、逆にカセル侯こそが翼人と対立しているにせよ、関係なしとはできません」

「それはそうだけど」

 いつも客観的な立場でものを言うことを心がけているオトマルがそう指摘するくらいなのだから、ゴトフリートへの信頼が厚い兄はもっと苦しんでいるはずだ。

 渡航許可が下りていないのに出航してしまうという、ややもすると横暴とも取られかねないようなことをしてしまったのも、それだけ悩みが深かったせいかもしれない。

 それにしても、ここ最近いろいろなことが立て続けに起きすぎていた。

「……時代が動いているのかな。もう平和な時がつづくのを願うのは無理なのかもしれない」

「残念ながら、殿下」

 オトマルが身を起こして言った。

「この国が平和であった試しなど、二五〇年に渡る歴史の中でもただの一度としてありませぬ」

 帝国の歴史とは、混乱と騒擾(そうじょう)の歴史といってもよかった。常に何かしらの問題を抱え、国が揺れている。

 今は翼人騒ぎが大きくなっているが、それを除いてもロシー族の反乱や天災、農民たちによる暴動や外交問題など、数多くの混乱を未解決のまま残している。

「現在は、問題という名のいろいろな糸が複雑にからみ合っております。しかも、一本の糸の端がどこにつながっているのかさえもわからないような状態なのです」

「だから、全体はなおさらわからないってことでしょう? ユーグと同じこと言うのね」

 オトマルは、驚いた目でアーデを見た。

「ユーグの奴めがそんなことを?」

「ええ、彼は意外に鋭いのよ。オトマルは、剣士としての彼を評価しているのもかもしれないけど」

「それは知りませんでした。――ああ、でもそういえばフェリクス様もそんなことをおっしゃっていましたな」

 フェリクスは、ユーグを戦よりも政務の面で重用したいようだった。やはり兄妹だけあって、同じ視点で彼を見ているようだ。

「まあ、それはそれとして、翼人の世界だけでもいろいろあるのでしょうね」

「ええ。我々人間は、かの隣人のことをあまりにも知らなすぎます」

「あら、オトマルがそんな風に言うなんて珍しいじゃない」

「それくらい、あの助けてくれた翼人たちがすばらしかったのです。あの洗練された動きには感動を覚えました」

 こころのどこかで、翼人は野蛮人だと思っていた自分がいた。しかし、たったひとつの場面に遭遇しただけで、その偏見はいともあっさりと覆された。

 そのオトマルの目の前で、アーデがにこにこと極上の笑みをたたえている。

「うん? 何を笑っておいでなのです?」

「いいえ、別に」

 普段の姫を知る者からすれば、不気味なほど機嫌がいい。

 何か裏があるような気がしたが、そこに触れてはならないような予感を覚え、オトマルはあえて気にしないことにした。

「――ともかく、人間の世界だけ見ても複雑すぎるくらいなのです」

「翼人の世界もそれと同じ?」

「ええ。ゆえにこそ、両方が()ざり合ったら手が付けられなくなるのかもしれません」

「それが〝今〟ってわけね……」

 確かに、これまでは人間と翼人が交わることはほとんどなかった。常にそばにいながら、まったく別の歴史をそれぞれが歩んできた。

 残念ながら、そこに協調の歴史はない。

 両者が交わらざるをえなくなったとき、そこには大きな対立が生まれてしまう負の可能性があった。

「難しいですな」

「難しいわね」

 二人は笑い合った。

「ところで、殿下はずいぶんといろいろなことをご存じですな」

「そう?」

 と、とぼけたように視線を窓の外へそらす。

 オトマルの目が半眼になった。

「誰から情報を仕入れているのです?」

「秘密の提供者からよ。いくらオトマルでも教えられないわ」

「ユーグですな? あいつめ、箝口令が敷かれていることまで話してしまいおって」

「彼を責めないであげて。私に迫られたら、誰だって口を割らずにはいられないんだから」

「姫、あまり余計なことに首を突っ込まれては困ります」

「あら、私が邪魔ってこと?」

「いえ、そうではなく、姫には姫の役割というものがあるはずです。自分の役目を果たさずして他のことに傾倒するようでは、ろくなことになりませぬぞ」

「自分のやるべきことはやっているけど……」

 一応の反論は試みるが、自分の行為が侯妹(こうまい)という立場を超えてしまっていることはわかっているので、さすがのアーデもはっきりとは口にできなかった。

「はいはい、難しい話はそれくらいにして、そろそろお茶にしたらどうです?」

 少し二人の間の空気が悪くなったとき、絶妙のタイミングでマーレが現れた。

 アーデが、ほっとしたようにマーレのほうに向き直った。はぐらかされた形になったオトマルは恨めしげに妻のほうを見やるが、口に出しては何も言わなかった。

「はい、パイも焼いておきましたよ。たんとお食べくださいね」

「ああ! これが食べたかったの! だから、マーレって大好き」

 さっきまでの複雑な話はきれいさっぱり忘れたかのように、パイにむしゃぶりつく。そこに、姫としての面影はもはや何もなかった。

「殿下、あなた様はまぎれもなくノイシュタット侯の妹君であらせられるのですから、もう少しお淑やかさというものを――」

「あんた、男がそんな細かいこと気にしないの。そんなんじゃ、肝っ玉まで小さくなっちまうよ」

「そうそう!」

「これは細かいことなのだろうか……」

 パイを口いっぱいに頬張りながら何か言っているアーデの姿に、オトマルは頭を抱えるしかなかった。

「でも、マーレ。こういったことは他の者に任せていいのよ。畏れ多くも、あなたはノイシュタット侯フェリクスが副官、オトマルの正妻なんだから」

「あたしゃ庶民の出身でしてね、そんなのは性に合わないんですよ」

 マーレとはこういう女性だった。いつもエプロンを付けていることからもわかるとおり、料理、洗濯、掃除、裁縫など、家事と呼ばれるものはほぼすべて自分でやる。

 それなりの身分のある者の妻にしては珍しいことであったが、それゆえに城の女中たちからの信頼は特に厚かった。

 アーデもそんな彼女だからこそ、いつも甘えさせてもらっていた。これがもし普通の貴族の女性だったら、自分からはけっして近づかなかったろう。

 しかも、いろいろと気配りがきく。先ほどまでのこちらの会話も聞こえていたはずだったが、一切そのことには触れようとしない。

 聞こえていても聞かない。それができる彼女は、真に最高の女性なのかもしれなかった。

 部屋にはパイの甘い香りが充満している。いつの間にか、オトマルも微笑んでいた。

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