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つばさ  作者: takasho
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第六章 雌伏のとき

 やはり、地に足をつけていると落ち着く。どだい、人間が空を飛ぼうとすることは愚かな行為だった。

「翼人でもあるまいし……」

 顔をしかめながら、ブーツの底を床にこすりつける。ここが空中ではないことを確認するかのように。

 カセル侯領で翼人の襲撃を受けてからのことは、まったくもって惨憺たるものであった。

 謎の集団に助けられ命拾いしたまではよかったものの、半壊した飛行艇ではとりあえず自領に帰るのがやっとで、泣く泣くイレーネという名の湖に不時着せざるをえなかった。

 しかも、そのあとがまたいけない。船底に大穴が空いているのだから浮かぶはずもなく、すさまじい勢いで沈みはじめた。

 何人かはその流れに巻き込まれてしまったが、湖がたいして深くなかったことが幸いして、なんとか着水時における死者を出さずにすんだ。

 だが、全員が命拾いをしたその後の事後処理もまた大変なものであった。

 艇は大半が沈んでしまったから、それをなんとかして引き上げなければならない。特に飛翔石は代えのきかないもので、だからこそ高価なものでもある。放っておいたら賊に奪われかねない。

 そこで、できるだけ早く引き上げるために、暗くなってからも篝火(かがりび)を焚き、夜を徹して回収作業を行ったのだった。

 その陣頭指揮を執ったオトマルは、さすがに疲れがたまったのか今は寝込んでしまっている。

 常に強靱な肉体と精神を誇る彼からすると本当に珍しいことであったが、年齢を考えれば無理もなかった。

「まあ、ゆっくりと休んでくれればいい。いつも働き過ぎというくらいだったからな。オトマルにとっては、ちょうどいい休暇になるだろう」

「そうですね、あの方はこのノイシュタットにまだまだ必要な人ですから」

 そう答えたのは、いつもはアーデの目付役をしているユーグであった。

 今日は姫のお守りから解放され、ようやく通常の騎士としての仕事に戻ることができた。休暇をとっているオトマルに代わって、フェリクスの補佐を務めている。

 この立場が新鮮に感じられてしょうがない。

 ――これこそが、騎士としての真の役目だ。けっしてわがまま姫のお手伝いではないのだ!

 ともかく、臨時の副官に自分を指名してくれたオトマルに、感謝の言葉もなかった。

「なんだか、妙にうれしそうだな」

「ええ、やっとおてんば姫――いえ、アーデルハイト殿下から解放されましたから」

「そっちは大丈夫なのか?」

「さあ……どうなんでしょう」

 あらためて聞かれると不安になってくる。目付役という御者がいなくなったじゃじゃ馬はどうなるのか。想像するとちょっぴり怖かった。

「まあ、お前も普段は、騎士とアーデの目付役の両方をこなしているんだ。倒れる前に、しっかりと休めよ」

 それも仕事のうちだぞ、と告げる。

「おそれながら、そのお言葉はそっくりそのまま閣下にお返しいたします」

「お前も言うな」

 オトマルと同じく、この男も歯に衣着せぬ性格だ。

 しかしフェリクスにとっては、それが好ましくもあった。立場上、周りは必要以上に気を使ってくるが、ときにはそれを寂しく感じることもある。

 性格からして遠回しに何かを言われるよりも、たとえ厳しいことであってもはっきりと告げてくれたほうがありがたいと思うほうだった。

 そのフェリクスが急に表情を改め、厳しい顔つきでユーグに問うた。

「ところで例の件、どう思う?」

「翼人のことでしょうか」

「それもあるな。何かわかったか?」

 ユーグは、はっきりと首を横に振った。

「残念ながら、まだ何も。ただ、アルスフェルトを襲った集団と、フィズベクとカセル上空でこちらを襲撃してきた連中は同一と考えたほうがいいでしょうね」

「そうだな、人間を狙う翼人の集団がそうそうあってはたまったものじゃない」

 先の二つの件で、翼人の戦闘能力の高さは嫌というほどに思い知らされた。おそらく、あれは天性のものだ。彼らは、生まれながらにして一流の戦士なのだ。

 ――悔しい話だが。

 人間では、真正面から戦ったのでは勝てないように感じる。

「我々を助けてくれた側は、特に戦術面でも優れていた。自分たちは、よほど頭を使わなければ太刀打ちできないだろうな」

「ああ、例の」

「あの翼人たちは、まったく別の集団だろうが」

「ですが、仲間割れをしたという可能性もあります」

「いや、それはない。仮にそうだとしても、かなり昔に分かれているはずだ。戦い方の質がまるで違っていた」

 フェリクスは、背を伸ばして椅子に上体を預けた。

「まあ、敵の敵が味方とは限らないのがつらいところだ」

「閣下は、どのようにお感じになったんです?」

「なんというか、悪い感じはしなかった」

 さらに強い敵が現れたのではないかと最初は危機感を強めたが、不思議と嫌な印象は受けなかった。

 ――特に最後、こちらにウィンクしてみせた女性は、何か自分のことを知っているような雰囲気さえあった。

「あの翼人たちのこともまだわからないわけか」

「ええ、何も。何せあのときフィデースに乗っていた兵士でさえ、どちらがどちらなのかわからなかったくらいですから、あとで調査をする者が見分けがつくはずもありません」

「違いない」

 色とりどりの翼が入り乱れていた。最終的に襲撃者の側が逃走したからわかったものの、両者が戦っている最中は、さすがにはっきりとした区別はできなかった。

 そんなわけだから、襲撃者側よりも助けてくれた彼らの素性を憶測することのほうが、よほど無理かつ無意味であった。

「何か翼人について知らないか、ユーグ。お前は騎士に上がる前、各地を旅していたのだろう?」

「はあ。しかし、さすがに翼人のこととなると……。私より、閣下のほうが何かご存じなのでは?」

「なぜそう思う?」

 少し躊躇する様子を見せてから、ユーグは答えた。

「部下から聞きました。その、妙齢の翼人が閣下に目配せしたと」

「あ、あれは……!」

「閣下のほうこそ、過去に何か――」

「ばかを言うな! 相手は翼人だぞ!?」

「しかし、その翼人が見ず知らずの相手に秋波を送るとは――」

「その話はもういい!」

 厄介な方向に向かいはじめた話を強引に打ち切り、フェリクスは内心の動揺を隠すように居住まいを正した。

「そんなことより、問題はカセル侯のほうだ」

 アルスフェルトへの対策が遅く、こちらの夜会にも訪れず、その弁明はずっと(のち)のことだった。

 さらに飛行艇の渡航許可を未だ出さず、そしてフィデースはカセル侯領で襲撃を受けた――

 これだけのことが重なると、ギュンターでなくともいろいろ疑いたくなる。恩師とも呼ぶべき人の無実を信じたかったが、それをかき消してしまうほどに不可解なことが多すぎた。

「どうして、こうも最近は態度がおかしいのかな?」

「やはり、襲撃してきた翼人たちと、何らかのかかわりがあるのでしょうか」

「……さすがに鋭いな、ユーグは」

 珍しく騎士のことを褒めたフェリクスであったが、当の本人はきょとんとした顔になった。

「いえ、すでに城下で噂になっていることですが」

「なんだって?」

「はぐれ翼人の集団とカセル侯が結託しているという噂は、シュラインシュタットをはじめ各地で広まっています。ご存じなかったのですか?」

 うう、と獣のようなうなり声を上げて、フェリクスが目頭を抑えた。

 こういう立場に長くいると、必然的に世間のことに疎くなっていく部分がある。

 だからこのように、すぐ足元で普通に噂されているようなことでさえ知らないなどという情けないことになってしまう。

 ――しかし、なぜだ。

 その噂が広まった理由に思いを巡らせてみみる。

 民が自然とそういった考えに思い至ったとは考えにくい。なぜなら、カセル侯と翼人とを結びつける要素は、実は乏しいからだ。

 普通に考えれば、自領第二の都市であるアルスフェルトを壊滅させられたカセル侯は完全な被害者であって、翼人とは最も対立する存在のはず。

 しかも、カセルの地では昔から翼人との小競り合いが絶えなかったことは、帝国内では有名な話だ。

 なおさら、その領主が翼人と結託するなどという考えが普通に出てくるはずもない。

 ――それに、飛行艇フィデースがカセル上空で翼人に襲われたことは、まだほんの一部の人間しか知らない。

 カセルへの渡航自体が未許可のままだったし、不時着の原因は突然の故障ということにしておき、それに信憑性を持たせるために担当の技師を表向きだけ処罰することまでしてみせた。

 さらに、そのときの乗員には厳しく箝口令を敷いたため、ほとんど外部には漏れていないはずであった。

 それらのことを考え合わせると、噂が自然発生したとは考えにくい。つまり――

「ハーレン侯か……」

「はい?」

「ああ、お前にはまだ言ってなかったか」

 フェリクスは目元から手を離した。

「以前から、ギュンター殿はカセル侯が怪しいと睨んでいたようなのだ。だから、今もいろんな対策を講じているらしい」

 ご苦労なことだ、とは思うが、彼の意見を完全に退けられるほど、今のゴトフリートを信じられるわけでもなかった。

「ですが、以前からハーレン侯とカセル侯は仲がよろしくなかったと聞きます。前々回の選帝会議が原因だとか」

「そうなんだ。まだ父が選帝侯だった時代だから私もよくは知らないのだが自領の統治をうまくこなしているギュンターの次期皇帝就任が濃厚になっていたのを、ゴトフリート殿が猛反対して覆したらしい」

「ですが、今ではカセル侯の判断は正しかったといわれています」

「確かに、ハーレン侯は皇帝の器ではないからな」

「皇帝の座に就いたとしても、自領に有利なことをするだけというのがおちでしょう」

「そして、周囲の反感を買う」

「そういうときに諸侯の不満をうまく抑えるのが皇帝の役割なのに、本人が原因なのではうまくいくはずもない、と」

「小父上はそこに危機感を感じたのだろう。そういったところに気づけるのが、侯のすごいところだ」

 ユーグは、書類を机の上に置いた。

「ゴトフリート閣下はともかく、ハーレン侯はそのときのことを忘れていないのでは?」

「だから、カセル侯を敵に仕立て上げようとしている、か……それも、考えなくはなかったんだが」

「何か気になるところでも?」

「ギュンター殿の目なんだ」

「目、ですか」

「先日の夜会で直接会って話をしたとき、その目が嘘をついているようには見えなかった。反対に、この国の行く末を真剣に憂いている偽りのない思いさえ、私は感じた」

「あの〝狐〟から?」

「そんなに眉をひそめるな、ユーグ。いい男が台無しだぞ」

「アーデ様のようなことをおっしゃらないでください」

「兄妹だから仕方がない」

 その口振りまで一緒だと思ったユーグであったが、あえて言わないでおいた。フェリクスのほうが、あとが怖いからだ。

 思ったとおり、兄侯たるフェリクスはすぐに表情を真剣なものに改めていた。

「しかも、彼が静かに語っていた言葉がどれも的を射ているような気がしてならない。事実あのとき、私は何も反論できなかった」

「一方で、ゴトフリート閣下のほうは不可解な行動ばかりです」

「正直に言えば、どうしても侯に対する疑念を払拭できないんだ、私は」

 はぁ、とフェリクスは毎度お馴染みになった深いため息をついた。

「それで、フェリクス様はカセル侯に直接お会いになろうとされたのですか」

「直に面と向かえばわかることもあるかもしれないと思った」

 人物を見たときの直感は、ほとんど外れたことがない。

 人を外見で判断してはならないとはよく言うが、内面は外面によく出るものだ。見る人が見れば、外から内をうかがい知ることもできる。

 久しぶりに敬愛するゴトフリートと目を合わせてみたかった。

 今はどんな目をしているのだろう。

 前と同じ、実直すぎるほどにまっすぐな目をしているのだろうか。

 強さの中にも優しさを感じさせる目をしているのだろうか。

 そういった気持ちが抑えきれなくなって、なかば強引にカセルへ向けて艇を出した。しかし、それが思わぬ形で阻まれることになった。

 あれさえもゴトフリートの画策だったのだろうか。信じたくはない。しかし、侯を信じきることもまた難しい。

「何を考えているのやら、ゴトフリート殿は」

「世の中知らないほうがいいことも多いですが、わからないというのも、ときにはつらいものですね」

 フェリクスが、机の上にあるさまざまな書類の束を見た。それらの間に挟まれるようにして一通の手紙があった。

 それを取り上げると、窓外の明かりに透かして中を見ようとする。見えるわけがないが、読まずとも用件はわかっていた。

「もう選帝会議の時期か……。時間がなくなってしまったな」

 できれば、その前に翼人の件は片を付けておきたかった。そして、ゴトフリートとは少なくとも一度は会っておきたかった。

 だが、どれもこれも、すべてはもう遅い。帝都であらゆることの決着をつけるしかなかった。

 翼人、ゴトフリート、そしてギュンター。

 それぞれがそれぞれの思惑をもって動いている。

 その中で自分が何をなすべきなのか――今のうちに考えを固めておかなければならなかった。

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