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〝|極光(アウローラ)〟の連中が撤退するのを見届け、ゴトフリートは我知らず皮肉げな笑みを浮かべていた。
「何がおかしい?」
すぐ隣から、不機嫌そうな声が上がった。
「いや、世の中、上には上がいるものだと思ってな」
「俺たちの中には、まだ入ってから日の浅い者も多い。連係が思ったほどうまくいっていないだけだ」
「そうか」
ことさら彼らを責めるつもりはなかった。というよりも、収穫のほうが多かったほどだ。
飛行艇の弱点、空中での襲撃の有効性が確認できた。これはなかなか試せないことだけに、ノイシュタット侯に感謝しなければならないことであった。
「ですが、閣下。アウローラが敗れたことは事実です。今回の作戦が失敗したことよりも、あの翼人たちのほうが問題なのでは?」
背後からそう指摘したのは、金髪の美女――ゴトフリートの副官ルイーゼであった。
「確かにそうだな。あの連中は不確定な要素だ。我々の計画の妨げになりかねん」
ゴトフリートはマクシムに目を向けた。何か知らないかと問いかけているのだ。
だが、マクシムは首を横に振った。
「こっちも驚いているところだ。まさか、俺たち以外にはぐれ翼人の組織があるとはな」
「見たところ、あちらのほうが洗練されていた。そなたたちよりも古いのではないか」
「かもしれん。あまり考えたくはないことだが」
もしそうだとすると、正面からぶつかると対抗しきれないかもしれない。各地から翼人が集結していることもあって〝極光〟の人員は確実に増えつつあるが、まだまだお互いを知るには時間が必要だった。
「クラウス」
「なんだ?」
マクシムが副官の名を呼びかけると、近くにある木々の上方から返事があった。しかし、声はすれどもその姿は見えない。
むっとなったのはルイーゼであった。
「ゴトフリート閣下の御前で無礼ではありませぬか」
「無礼も何も、我々翼人がいつもしているようにしているだけだ。下にいるのが嫌というなら、ここまで上がってくればいい」
来れないことをわかっていての嫌みだった。どうも、互いの副官同士が妙なところでいがみ合っているようだった。
「よいではないか、ルイーゼ。クラウス殿の言うとおり、彼らにとってはこれが自然なのだから」
「しかし――」
なおも反論しようとする彼女をたしなめたのは、マクシムだった。
「お前の主がいいと言ってるんだ。そんなに細かいことを気にしてると嫁のもらい手がないぞ、嬢ちゃん」
「余計なお世話です!」
触れてはならないところに触れてしまったのか、ルイーゼは完全に怒ってしまった。
マクシムは肩をすくめると、本題に戻った。
「クラウス、お前はあの連中について何か知らないか」
「いや、まったく……。私も驚いているところだ。まさか、あれほどの集団が我々の他にいるとは思わなかった」
「相手もそう思ってるかもな」
「いや、そうとは限らない」
「どうしてだ?」
「あんな場所に、偶然似たようなはぐれ翼人の集団が、偶然ノイシュタット侯を助けるとは思えん」
「どういう意味かな?」
次に問うたのはゴトフリートであった。おおよそ言いたいことはわかったが、あえて尋ねた。
「こちらの情報がもれていたか、ノイシュタット侯が初めから護衛に付けていたかということだ。その両方という可能性もあるがな」
原因がなんにしても、ノイシュタット侯が助かったという事実に変わりはなかった。
「結果的にノイシュタット侯を助けただけというのは考えられないのか」
「それでは、連中の目的がわからない。奴らはジェイドが目的ではなかった。倒した相手に見向きもしなかったからな。ということは、それ以外の目的を持っていたはずだ」
|戦(いくさ)好きのヴォルグ族ならともかく、あの連中からはそういった|すえた匂い|(、、)は感じられなかった。だとすると、ノイシュタット侯を助けるのが初めから目的だったと考えたほうが自然だ。
ふぅ、とマクシムが息をついた。
「じゃあ、ノイシュタット侯の子飼いかもしれんということか」
厄介なのが現れたかもしれない。自分たちの計画は、他の翼人が邪魔をしないという前提のうえに成り立っている。あれだけ洗練された動きをする集団がもし敵に回るとなると、これからの予定に修正が必要になるだろう。
しかし、ルイーゼには疑問があった。
「ノイシュタット侯は、そのような策を練るような人には思えないのですが」
フェリクスは、まっすぐな性格で清廉潔白な人物という印象が強い。よりによって、裏で翼人の組織をつくっているとは考えにくかった。
「それは昔のノイシュタット侯のことだよ、ルイーゼ」
「ゴトフリート様?」
「今の奴は違う。もう立派な領主のひとりなのだ。やるべきことを迷わずやれる男になっている」
確かに領主になったばかりの頃のフェリクスは、真面目すぎて融通の利かないところがあった。副官のオトマルも、それにだいぶ振り回されたと聞く。
しかし今では、必要なことは、たとえそれが汚いことであっても〝やる〟ようになっている。
〝何が正しいか〟ではなく、〝何をなすべきか〟を考えられるようになったのだ。
マクシムもその意見に首肯した。
「そうだな。でなければ、飛行艇を戦闘用に改造するなんてことはしないだろう」
「ああ。飛行艇に|大弩弓(バリスタ)を搭載するなどということは、普通考えつかない。仮に考えついたとしても、それを実行に移すことは難しかったろう」
それをノイシュタット侯はやってのけた。もう、昔の純真な〝青年侯〟とは違うということだ。
――やはり、フェリクスが私の前に立ちはだかるか。
その予感は以前からあった。今や最愛の存在といってもいい彼が、逆に自分にとって最大の障害になるのではないか、と。
しかし、こころのどこかでそれを求めている自分もいた。
どうせ止められるなら彼に止めてもらいたい。それは甘えなのか、迷いなのか、それとも純粋な願いなのか――そのことはまだ、今の自分には判断しかねることであった。
「バリスタか……。人間は厄介なものをつくってくれたな」
マクシムは天を仰いだ。通常の弓矢でも翼人にとっては天敵といえるほどなのに、その数倍の威力を秘め、射程距離も長く、さらには飛行艇に備え付けることまでできる人間の兵器。これへの対処は、正直困難を極める。
その点を、ルイーゼがすかさず突いた。
「オリオーンのような飛行艇があるかぎり、あなた方翼人は空中でも劣勢を強いられるのではないのですか?」
先ほどは相手の不意を突けたおかげで、謎の翼人たちが出てくるまでは相手を圧倒することができた。
しかし、もし飛行艇がフィデースではなくオリオーンだったとしたら、結果は逆になっていたのではないか。
その指摘に、マクシムは不敵に笑った。
「大丈夫だ、対策はもう考えてある。今回のことでいろいろと確認することができたからな」
「いろいろ?」
「まあ、それはあとのお楽しみだ」
「しかし、油断はしないほうがいい」
そう言ったのは、意外にもゴトフリートであった。すっとマクシムのほうへ、その鋭い眼差しを向けた。
「相手が対策を練ってくるなら、自分はそれ以上の策を考える。フェリクスとはそういう男だ」
子供の頃、剣の稽古をつけていたときもそうだった。言われたことをそのままやることはほとんどない。かならずそれを超えるものを考え出そうと常にあがいていた。
その精神は、おそらく今も変わっていないはずだ。それどころか、さらに強くなっているのではないか。ノイシュタット侯領の統治が他では考えられないほどうまくいっているのも、そのおかげだろう。
「ずいぶんと、ノイシュタット侯を高く買ってるんだな」
「そんなことはない。これが正当な評価だ。そなたも実際に相対すれば、そのことが嫌でもわかる」
誇張でも買いかぶりでもない。
事実だ。
それをわきまえないかぎり、ほぼ間違いなく彼によって自分たちは痛い目に遭わされるはずだった。
「それよりもあんたが、そいつと戦いたくないって顔をしていることのほうが気になるがな」
「……そう見えるか」
「ああ、見える」
「だが、それは半分当たっていて半分は間違いだ」
「そうかな?」
「そうなのだよ。私の正直な気持ちを言えば、確かにフェリクスとだけは剣を交えたくないという思いはある。だがその一方で、どうせやるなら彼とこそ戦いたいという思いもあるのだよ」
今の帝国には日和見主義者や事なかれ主義者のほかには、変人しかいない。敵とするに値する人物は、ノイシュタット侯をおいて他にいなかった。
「まあ、その気持ちはわからんでもないがな」
つい先日、ずっと気にかけていた相手と偶然の再会をしたばかりだった。その男と戦いたくはない、戦ってはならないという思いはある。
だが、どうせなら一度でいいから――真剣勝負をしてみたかった。
ゴトフリートがふっと笑った。
「冷血漢のように見えるそなたでも、情に流されることがあるのだな」
「そういうわけじゃない。ちょっと気になっているだけだ。そっちこそ土壇場で迷うなよ」
ゴトフリートは、大きくゆっくりとかぶりを振った。
「迷うはずがない。揺るぎない覚悟があったからこそ、今回のことを決心したのだ」
「それはこっちも同じだ。元より、一度死んだ身。今さら惜しむものなど何もない」
言葉などなくとも、互いの目を見ればその真剣な思いははっきりとわかった。
もう、引けないところまで来た。ならば、あとは行き着くところまで全力で行くだけであった。