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どうして、自分はここにいるのだろう。
絶望感に苛まれ、同族から蔑まれ、無力感に打ちひしがれる。
どうして、まだ生きているのだろう。
ジェイドも喰わず、そのまま放っておけば自然に朽ちていくはずだった。
しかし、なぜかまだ生きている。
なぜかまだ生きようとする。
それもこれも、あの襲いかかってきた連中のせいだ。こちらが翼のない不具者だからと甘く見て、ジェイドを得ることを目的に戦いを挑んでくる。
しかし、たとえ空を飛べなくなったとはいえ、そこら辺の戦士にやられるほど腕は錆びついちゃいない。
結果、相手のほうがやられ、自分の目の前には新鮮なジェイドが残る。それを、ただ淡々と喰らっていく自分がいた。
――そうだ、奴らのせいだ。
自分はもう生きたいわけじゃない。部族を追放され、尊崇する族長にも見捨てられ、もはや希望という名の光をすべて失った。
それでもまだ|生きてしまっている|(、、)のは、弱いくせに襲いかかってくる愚かな連中がいるせいだ。
そう、自分は悪くない。自分はもう生きたくない。
――では、なぜ死なないんだ?
こころの内なる声が、至極冷静に問いかけてくる。
聞きたくない、考えたくない疑問。
耳を塞ぐが、体の芯まで通ってしまう声。
――ナゼ、シナナナインダ?
くり返しくり返し内側の空洞で鳴り響く。
生きていくのがつらい、死にたい。だったら死ねばいい。だけど死ねない。
「なぜ!?」
――死ぬのが怖いんだ。
自分の声が子供の頃に戻ってつぶやく。
死ぬのが怖い。死ぬ勇気すらない。
――結局、俺は弱いのか。
どうしようもなく臆病で貧弱だ。そして、小さく卑しい。
生まれて初めて、己の弱さを知った。翼が両方あった頃は、自分自身が最強だと|自惚(うぬぼ)れていた。誰にも頼らず、何にも負けずに生きていけると。
しかし、どうだろう。今は翼をもがれ、唯一のよりどころだった部族も失って、惨めな姿をさらしている。
故郷を失うことがこんなにも人を苦しめ、こんなにも人を不安にさせるものだとは思ってもみなかった。
――ということは。
あることに気がついて、はっとした。
ヴォルグ族はこれまで他の部族を攻め立て、殲滅してきた。おそらく、自分がいなくなった今も同じようにつづけている。
――俺と同じ境遇になった奴らがたくさんいる。
襲撃の際に死ねたほうが、まだましだったかもしれない。そう思いたくなるほど厳しい現実に苛まれ、もがき、苦しみ、それでもまだ死ねない。
過去の自分は、今の自分を大量に生み出していた。
そして、最後は自分もその仲間に入った。これほど滑稽な話は他にない。
そう思ったら、笑いが止まらなくなった。
――なんて愚かなのだ、アセルスタンという男は。
自分は強いと勘違いし、他者を|貶(おとし)め、その結果、自分自身を壊して絶望している。
道化だ。昔話に出てくる愚者もかくやというほど、何も知らず何も考えないただのばかだった。
今さら自分の限界に気づいても遅い。すべては失われ、すべてを傷つけてきてしまった。
――堕ちるところまで堕ちよう。
上のほうがまた騒がしくなる。またしても〝獲物〟がやってきた。
「まあいい。まあいいさ……」
もしかしたら、今度こそ自分を倒してくれる相手が現れるかもしれない。今度こそ、自分を救ってくれる相手が現れるかもしれない。
ゆっくりと腰に|佩(は)いた剣を抜いていく。これが最後かもしれない。そう思うと、手を抜く気にはなれなかった。
――どうせなら、納得のいく相手に倒されたい。
それが、どうしようもないわがままだということはわかっている。しかし、ひとりの戦士として生きてきた以上、最期の相手くらいは選ばせてほしかった。
だが気がつくと、目の前には血まみれになった男たちと血に塗られた愛剣があった。
弱い。悲しいくらいに弱い。
これでは、自分の渇いたこころを満たしてはくれない。何も終わらせてはくれない。
――いったい、いつまでこの苦しみの道を進めばいいのだろう。
誰か、この道を断ってくれ。この俺を救ってくれ。俺の|心臓(ジェイド)を奪ってくれ!
剣を鞘に収めるのも忘れたまま、森のなかを|彷徨(さまよ)っていた。
目を開けど何も見えず、耳を傾けれど何も聞こえない。
――誰か、この俺を呼び止めてくれ。
もう、この孤独に耐えられそうになかった。
もう、ひとりではいたくなかった。
こころの膜が張り裂けそうになるまで膨張する。
今が、限界だった。
――誰か、俺を殺してくれ。
これほどまでに他者に懇願したことはなかった。これほどまでに苦しみを覚えたことはなかった。
もう、何も考えられない。
もう、何も感じたくはない。
救いを求めるが、周囲には誰もいない。この苦しみを断ってくれる存在は何もない。
力任せに剣を振った。手近にあった細い木が両断され、きしむ音を上げながらゆっくりと倒れていく。
誰か、もう――
「ヴァイク……」
ひとつのこころがひとつの限界に達しようとしたそのとき、前方から不意に女の声が聞こえてきた。
どこかで聞いた声。どこかで聞いた名前。
ヴァイク――我が翼を奪った男。我が命を奪ってくれるであろう男!
あいつだァァァァァ。
あいつだァァァァァ。
アセルスタンのこころは、ひとつの色に染まっていった。