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自分が人間の住居にいることに、未だに強烈な違和感を覚える。
マクシムら〝|極光(アウローラ)〟の面々は、ある捨てられた町の廃屋に|集(つど)っていた。翼人が普段建物の内部にいることはなく、ましてや人間の家屋で暮らすはずもない。
だが、はぐれ翼人の集団が一塊になっているのはあまりにも目立ちすぎた。人間に見つかってもたいした問題ではないが、同族の場合はやっかいだ。
しかも相手が部族となると、負けない自信はあるものの、お互いにただでは済まなくなる。今はまだ、同族同士で争うべきときではなかった。
「マクシム、みんなの間に動揺が広がっている。どうする?」
かけられた声に振り返ると、そこには細身ではあるが鍛え上げられた体をした男が立っていた。
マクシムが副官と頼みにする男、クラウスだ。
「例の件か」
「あれは、いくらなんでも衝撃が大きすぎた。|大弩弓(バリスタ)を使われたこともそうだが、それがあの飛行艇に備え付けられていたとはな」
ただでさえ、翼人の間では飛行艇に対して強い嫌悪感が持たれている。よりにもよって、その憎悪の対象に一瞬のうちに多くの同胞がやられてしまった。
そのショックは計り知れないものがあった。
「ふん……フェリクスとかいうのが、あんなことをしてくるとは思わなかった。聞いた話だと、堅実志向の男ということだったんだがな」
「おそらく、本人はあれこそが最善の策だと思ったのだろう。慎重な奴ほど、やれるだけのことをやろうとする」
「それがたまに行き過ぎて、大胆なことをしでかしてしまう、か」
まじめな人物が、ときに周りを驚かせるとんでもないことをしでかしてしまうゆえんであった。
だが、そんなことよりもクラウスには気がかりなことがあった。
「なあ、マクシム」
「うん?」
「本当にゴトフリートという人間は信用できるのか? 奴らなら、飛行艇に武器を搭載することも予見できたんじゃないか?」
「知ってて行かせたかもしれないということか」
マクシムは内心、有り得ると思っていた。
ゴトフリートは、自分の理想のために|都市(まち)をひとつ犠牲にするような男だ。なんらかの目的のために、こちらの一部を捨て駒として使ったとしても驚くに値しない。
だが、〝極光〟としても犠牲の上に得たものはあった。
「あんなえげつない武器があるとは知らなかった。〝本番〟で使われたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれん。これで、かえってよかったのかもな」
「そう……か」
クラウスは、のどから声をしぼり出すようにして言った。
マクシムの言い分はわからないでもない。しかし、確認のためだけに犠牲にしたとあっては、散っていった仲間たちに申し訳が立たない。
釈然としない思いはあるものの、今はそのことを考えているときではなかった。クラウスは、あえて疑念を外へ押しやった。
「先のことより、今動揺している部下たちをどうするかのほうが先決だ」
「ああ、そうだな。まあ、それは『対策はちゃんとあるから安心しろ』とでも言っておけ。実際、いろいろ考えはある」
「あの怪物に対抗できる策が?」
話を聞いただけでも、オリオーンという飛行艇の威力は寒気を覚えるほどのものがある。
翼人の精鋭を、まったく抵抗もさせずに一瞬のうちに葬り去るなど、悪夢以外の何ものでもなかった。
しかし、マクシムの表情は穏やかだった。クラウスに対して微笑んでさえみせた。
「いいか、クラウス。空はあくまで、俺たちのものだということだ」
そのことに関しては確信があった。人間は飛行艇などという|下衆(げす)なものを生み出しはしたが、まだ空での動き方をまるで知らない。つけ入る隙は多分にあった。
どうやらクラウスもおおよそ同じ考えだったらしく、ひとつうなずいてから外へ出ていった。他の仲間たちをなだめに行ったのだろう。
クラウスは圧倒的な迫力で周りを引っぱっていく男ではないが、部下たちのこころを掴み、全体をまとめる能力に長けていた。間違いなく、この〝極光〟になくてはならない人物のひとりだ。
マクシムはその頼みとする片腕の姿が見えなくなるのを待ってから、きびすを返した。そして、奥へとつづく扉に手をかける。
翼人にとっては少し手狭な廊下を抜けてたどり着いたのは、南側に面した小部屋だった。
「マクシム」
たまたま部屋の中央に立っていたのは、燃えるような紅色の翼に|赤金色(ロートブロント)の髪の似合う女、アーシェラだった。表情があるのかないのかよくわからないような顔で振り返った。
「……その女、まだ何も言わないのか」
マクシムの視線は、アーシェラに向けられていたわけではなかった。
そのさらに奥、窓際のイスに座った|儚(はかな)げな雰囲気のある人間の女性だった。マクシムが近づいていっても、まるで反応せずにただ窓の外を見つめている。
かわりに、アーシェラがそっけなく答えた。
「〝ネリー〟という名前は教えてくれた。だけど、他のことは何もしゃべろうとしない」
マクシムはもう一度、その女のほうを見た。アーシェラとはまた違った意味で、とらえどころのない表情をしている。
珍しくそっとため息をつき、初めてアーシェラの目を見て言った。
「まあいい。ともかく、しばらく世話をしてやってくれ」
そう告げると、マクシムは背を向けた。もう用は済んだとばかりに、部屋から出て行こうとする。
そこへ、アーシェラが声をかけた。
「マクシム」
「なんだ?」
「どうして、この女を助けたんだ?」
マクシムは少し面食らったようだが、考えてみればもっともな疑問だった。
よりによって、翼人の集団の長が戦場から人間の女を連れてきたのだ。周りが不審に思うのも無理はなかった。
アーシェラとしてはその質問に、特に他意はなかった。一部では情婦にするつもりなのではないかとまことしやかに囁かれているが、それでも構わないと思っていた。
しかし想像以上に、マクシムは戸惑っている。
しばらく考えた挙げ句に、ようやく口に出したのは次の言葉だった。
「……さあな。ただの気まぐれだ」
話はこれで終わりだとばかりに、マクシムは開けっ放しだった扉をくぐって部屋を出ていった。
アーシェラは、やれやれといった様子で首を横に振っている。
「行ったよ。これでよかったのか?」
そこで、ようやくネリーに動きがあった。窓の外から視線を外し、不満げな目をアーシェラに向けた。
「私が悪いわけじゃない。あの男に興味があるのなら、どうして声をかけなかったんだ」
「だって……」
ネリーはうつむいた。
マクシムという翼人から何かを感じたのは本当だった。
自分を助けてもらったからではない。そもそも、故郷のアルスフェルトを襲ったのはここの翼人たちであって、憎むことこそあれ感謝しなければならない|謂(いわ)れなどどこにもなかった。
しかし、彼の目を見ると自分と似た何かが伝わってくる。どうしても感じてしまう。それはあまりに漠然としたもので、うまく言葉にすることができないのだが。
ネリーはもう一度、窓の外を見た。見知らぬ村、見知らぬ人たち。
どうして自分はここにいるのだろう。
どうして町から離れたのだろう。
そして――どうして、それで安心している自分がいるのだろう。