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眼下には瓦礫ばかり。凄惨という言葉がこれほどふさわしい光景はない。
アルスフェルトの状況は想像を超えるものがあった。無事な建物はほとんどなく、町の外には犠牲者の遺体を埋葬した盛り土が無数にある。
一方、さすがに翼人による大規模な襲撃はすでにやんでいた。
しかし、小競り合いはあちらこちらで行われ、圧倒的に劣勢な人間たちがひとり、またひとりと倒れていく。
驚くべきは、戦士と呼ぶべき存在が人間の側にはまるでいないことだ。
人間の世界では専門の騎士や衛兵というものが存在し、集落の治安を守っていると聞いたことがあったが、しばらく見たかぎりではそういった人々の影は確認できなかった。
――真っ先に翼人にやられてしまったのか?
十分有り得ることだが、それにしても援軍がやってくる気配がまるでないのはどうしてだろう。西のほうで甲冑に身を包み、馬に乗った集団を見かけた気がするが、あれが援軍なのだろうか。
しかし、真に衝撃的だったのは、一応は同族たる翼人たちが人間の町を襲い、あまつさえその相手の心臓を喰らっていたことであった。
――なぜ?
考えてもわからない。翼人は同族の|心臓(ジェイド)を必要とするが、人間の心臓を喰ってみたところで意味はない。
しかし、彼らはそれをしていた、狂ってはいない明確な目的をもった目で。
よくよく考えてみれば、自分も周りにいる仲間も、人間の心臓を喰ってみたことなどあるはずがなかった。だったら、なぜそれをすることは無意味だと断言できるのか。
もしかしたら、自分たちの知らない意外な効果があるのかもしれなかった。それが何かは想像することもできないが、あの翼人たちはそれを知っているのだろうか。
ひとりを取っ捕まえて問いただすのが最も手っ取り早いが、万が一のことを考えるとリスクが大きい。一対一ならば負けない自信はあるものの、ひとりで複数人に取り囲まれるとさすがに危ない。
たとえ異常な襲撃者とはいえ、どうにも同族の動向が気にかかる。そして、もうひとつ別の目的もあって、レベッカはアルスフェルトの周辺に留まりつづけていた。
今は、町から少し離れたところにある森の上空を飛んでいた。もはや、ここにいる襲撃者の数は少なく、見つかったとしてもたいした問題にはならない。
いくら遠目が利く翼人とはいえ、かなり離れたところにいる相手を仲間かどうか識別できるはずもない。元より、敵として見つかる可能性は低いのだった。
目をこらして地上を見つづけるうち、ある珍しいものを視認した。
――人間の家か。
それは、背の高い木々に覆われるようにしてあった。町中ではあまり見られないような規模の大きなものだ。
ふと気になったレベッカは、その館から死角になる位置の木にとまって、様子を見ることにした。
しばらくすると、館の裏手からひとりの男が現れた。がっちりとした体格の男で、足を少し引きずってはいるが、その身のこなしからして運動能力が高いことが見てとれる。
翼人対策なのか、手には弩弓を持っているようだ。さすがにむっとするが、人間の世界では弓を使うことは当たり前なのだと思い出し、気を取り直して観察をつづけた。
――え?
些細なことではあるが奇妙にも感じるあることに気がついた。
男は、帽子の横に大きな白い羽をつけている。
――あれは……
一目でわかる。
翼人の翼の羽だ。あの色の白さからいって、クウィン族のものだろうか。
しかし不自然なのは、人間がそれを飾りに使っていることだった。いくら町から少し離れているとはいえ、翼人による襲撃のことは知っているはずだ。普通、敵を象徴するものを身に着けようとするだろうか。
場合によっては、敵を威嚇するためや自身の闘争心をかき立てるために、あえてそうすることはあるかもしれない。だが、そうではない何かを感じた。
――よし。
意外にシンプルな思考をするレベッカは、あっさりと結論を出した。
わからないで気になるのなら聞けばいい。木の枝からそっと降りて、館近くにある大樹の裏に身を隠した。
「そこの人、ちょっといいか」
「うん? 誰だ」
男がぴたっと立ち止まり、さっと弩弓を構えた。
やはり戦い慣れしている。もし迂闊に姿を見せたなら、あっという間にやられていたかもしれない。
「訳あって姿は見せられない。あなたを驚かせたくないんだ。できれば、そのまま聞いてほしい」
「こそこそと隠れているとはあからさまに怪しいが、妙なところで礼儀正しいな。不思議な奴だ」
「そういうことを率直に言うあなたも不思議だが」
「そりゃそうだ」
男は豪快に笑った。嫌みのない子供のような笑い方だ。
――この男は信用できる。
レベッカは直感した。
それは、男にしてみても同様だった。
「それで、なんの用なんだ?」
「その羽だ。どうやって手に入れたんだ?」
「羽? 羽って……」
「帽子についているものだ」
「ああ、これのことか」
ようやく得心がいった様子で、男は頭から帽子をとって羽を振ってみせた。
「ううむ、くわしくは説明できんのだがな。まあ、要するにある翼人にわしらが助けてもらったんだ。その方がたまたま落としていったこれを、お守りがわりに持ってるというわけなんだ」
男は得意げに説明しているが、レベッカは目をむいて驚いた。
「翼人が? 人間を助けた?」
「ああ、そうだ。ここにいるってことは、あんたもアルスフェルトのことは嫌というほどよく知っているのだろう。だがな、翼人と一口に言ってもいろいろなのがいてな、中にはすばらしい人たちもいるんだよ」
それは言われるまでもないことだが、その内容は非常に重要なことを示唆していた。
――自分たち〝新部族〟以外にも、人間と交流をもっている翼人がいる?
それとも、仲間の誰かのことなのだろうか。確かに新部族にも白い翼の者ははいる。
シュラインシュタットを出立してからだいぶ経ったから、行き違いになってしまった可能性は十分にあった。
――そういえば、アーデたちは心配しているだろうな。
それを思うと、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。しかし、もう少しだけやっておきたいことがあった。それはかならず、アーデのためにもなるはずのことだから。
それはともかく、まずは当面の疑問を解消する必要があった。
「もしよければ、その方の名前を教えてもらえないだろうか」
「ああ、別に名前くらいだったらいいだろう。ヴァイクというんだ」
「ヴァイク、か」
残念ながら、聞いたことのない名だ。あの羽からしてクウィン族の出身であることは間違いないが、仲間に聞いてみたほうがいいだろう。
――確か、クウィン族もヴォルグ族にやられたんだったか。
ほとんど壊滅してしまったと聞いている。
〝伝説の双戦士〟だったファルクは死に、もうひとりのマクシムも行方知れずのはずだ。彼らに憧れていた自分たちにとっては、悲しい現実であった。
――そんなことより、もう聞きたいことは聞けた。そろそろシュラインシュタットに戻ったほうがいい。
アルスフェルトの件を報告しなければならないし、人間を助けた翼人のことも調べたい。
ここらが引き際だった。|例のこと|(、、)は、道中もやれる範囲でつづければいい。
「ありがとう。いろいろ助かった」
「なんだ、もう行っちまうのか。うちに寄ってくなら、茶くらい出すのに」
「いや、今回は遠慮しておく。すぐにやっておきたいことができた。あなたにも、やるべきことがあるのだろう」
「よくわかるな。確かに、こっちも遊んでる暇はないんだ」
別れの言葉を告げてから、レベッカはその場から離れようとした。
そこへ、思い出したように男が声をかけてきた。
「ああ、そうそう。わしの名はテオ。もしヴァイクたちに会うことがあったなら、こちらは元気でやっていると伝えてくれ」
「わかった。かならず伝えよう」
レベッカは相手に見えていないとわかりつつうなずき、今度こそそこから立ち去ろうとした。
しかし、彼女をとてつもなく揺さぶる言葉がかけられたのは、その直後であった。
「リゼロッテちゃんにもな」
背中を矢で射抜かれたような衝撃が脳天にまで伝わってくる。
――まさか、ここでその名を聞くことになろうとは!
レベッカは、激しく動揺するこころを抑えきれないままに言葉を返していた。
「今、なんて言った?」
「え? い、いや、リゼロッテちゃんにもよろしくって」
相手の恐ろしいまでの剣幕に、さすがのテオも気圧されてしまっている。百戦錬磨の男を畏怖させるだけの鋭さがその声にはあった。
「リゼロッテのことを知っているのか!?」
「そっちこそ、どうしてリゼロッテのことを気にするんだ?」
男のもっともな疑問に、レベッカは少し逡巡してから答えた。
「リゼロッテは――仲間なんだ」
ここで嘘をついてはいけないような気がした。本当のことを話すことで、かえって相手を警戒させてしまうかもしれない。
しかし、それでも真実を伝えるべきだと、自分でも驚くほどに強く思った。
その真摯なこころが伝わったのか、テオは素直にこちらの言葉を信じてくれた。
「そうか、あんたも翼人なんだな」
「……驚かないのか」
「さっき言っただろう。わしたちは翼人の方に助けられたんだ。翼人全部が|悪(わる)だなんて思っちゃいないよ」
それは本音だった。
「確かに最初は、アルスフェルトをめちゃくちゃにした翼人どもをけっして許さないと思ったもんさ。だが、ヴァイクに出会えたことですべてが変わった」
翼人への蔑視や特別視は、彼らへの偏見に他ならないことを知った。
そして、リゼロッテと話をできたことも大きかった。
結局、人間も翼人も変わらない。そのことを子供たちを通して知ることができた。
「ありがとう、そう言ってもらえると助かる。在野にもあなたのような人はいるんだな」
「なに、たまたまさ」
テオの前にレベッカが姿を現わした。
日焼けした肌、栗色の短い髪、そして朱色の翼。
まだ若いであろう翼人の女性であった。
その彼女が、切実な表情で男に訴えかけた。
「くわしい事情を話せなくてすまないが、もう時間がないかもしれないんだ。リゼロッテがどこへ向かったのか教えてもらえないだろうか」
レベッカの目は真剣そのものだった。仲間を思う純粋な意志が、そこを通して直に伝わってくる。
テオはそれでもわずかに躊躇したが、意を決して口を開いた。
「いいだろう、ヴァイクたちがそばにいるはずだから問題ないとは思うんだが、教えてやる」
すっと北の方向を指さした。
「ヴァイクたちは、いろいろあって北の方角へ向かっている。帝都へ行くことになったんだ」
「帝都……リヒテンベルクか」
うなずくと、レベッカはすぐさま舞い上がった。
「偶然だったが、あなたに会えてよかった。感謝する」
その顔には、優しげな笑みが浮かんでいた。もしこの場にアーデたちがいたなら、目をむいて驚いたことだろう。
テオの返事を待たず、レベッカは飛び去っていった。
「やっぱり、ヴァイクたちの他にもいい連中はいるんだな」
よき隣人に出会えた幸運を喜びながらも、彼女に見え隠れしていた焦りに何か不吉なものを感じたテオは、持っていた弩弓を下ろしながら目を細めた。