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ルイーゼは人知れず、そっとため息をついた。
けっして広くはない部屋に大男が二人もいると、むさ苦しいことこの上ない。しかも、片方は背中から翼を生やしているときている。屋内では邪魔でしょうがなかった。
自分のことに無頓着なのか、あっちこっちに翼の端を引っかけてくれる。そのたびに片付けに走らされる自分としては、たまったものではなかった。
なのに、当の本人はゴトフリートと楽しげに何やら会話をしているのだから、腹立たしいったらありゃしない。
「何かいいことでもあったのか?」
「ああ、懐かしい顔に会った」
ゴトフリートが声をかけると、白翼の大男――マクシムは、にやりと笑って答えた。
「懐かしい顔、か。うらやましいことだ。私も会いたい男がいるのだが、今はさすがに動けん」
「男か。女っ気のないお前らしい」
二人は笑い合うが、それを聞いていたルイーゼはむっとした。
――自分は女の範疇に入ってないとでも!?
そんな彼女の気も知らず、二人の会話はつづく。
「もしかして、その懐かしい顔というのは、昔、話していた弟分のことか?」
「ああ、そうだ。それに気づくってことは、あんたがいう会いたい男ってのも大方ノイシュタット侯のことなんだろう?」
「察しがいいな。しかし……もう会えないだろう、以前のようには」
「それはこっちも同じだ」
二人の顔が、初めて一瞬だけ曇った。
その話題からはすぐに離れて、本題に入った。
「そのノイシュタット侯だが、凄まじいことをやらかしたそうだな」
「もう聞いていたのか、つまらん。俺から言って驚かせてやろうと思っていたのに」
「私だけではない。すでにあちらこちらで噂になっているようだ」
「あのお坊ちゃんがあそこまでのことをしてくるとは思わなかった。部隊は、ほぼ全滅。それ以上に痛いのは、みんなの間に飛行艇への恐怖心がついちまったことだな」
「|大弩弓(バリスタ)を搭載したオリオーン、か」
「途中までは俺たちが圧倒していた、相手のほうが数はずっと多かったのに。それが――ほんの一瞬で壊滅だ」
「飛行艇を戦闘目的に使われたら厄介なことになるとは予想していたが、まさかここまでのものとは思わなかった」
そのときに生き残った者は、恐怖のあまりもう口が利けなくなってしまった。それを知ったからには、他の翼人に恐怖心が伝染していくのは必然であった。
「生き残りを本隊に合流させるべきではなかったかもしれん」
「だが飛行艇のことは、どちらにせよいつかはばれただろう」
「そうだな、あれへの対策は準備しなければならない。その本当の怖さを知っておくのはけっして無駄ではなかったはずだ」
そこで、ルイーゼが提案するかのように問いかけた。
「他の諸侯と連携して使わせなくすることはできないでしょうか」
「それは十分に可能だろう。きっとノイシュタット侯も、まさかあそこまでの威力があるとは想像していなかっただろうな。今頃、オトマルの奴めが対策に大わらわになっているはずだ」
老騎士が諸侯との調整に奔走している姿を思い浮かべ、ゴトフリートはひとり微笑んだ。
あの男も大変だ。フェリクスはときに想像を超えたことをするから、周りで支える側は常に翻弄されることになる。退屈することはないだろうが、なんとも苦労の絶えないことだ。
「大変なのはオトマル卿だけではないですよ」
「どういう意味かな?」
さりげないルイーゼの切り返しに、ゴトフリートが問い返す。しかし、有能なる副官は相手にせず、書類に目を通していた。
「……とにかく準備だけは十分にやっておこう。土壇場になって後悔することだけはしたくない」
「そうだな。お互いに自分だけでは目標を達成できない。どちらが欠けても困るんだ。ゴトフリート、しくじるなよ」
人間の世界はとかく複雑で、何をするにも面倒だ。それだけならまだしも、不測の事態が起きやすいということでもあった。
おそらく、自分たちに立ちはだかる壁となるであろう〝天才〟フェリクスもいることだし、人間の側の動きに不安があった。
しかし、ゴトフリートはまったく反対の思いだったようだ。
「そなたこそ同族を甘く見ないほうがいい。ヴォルグ族というのが暴れているのだろう?」
「連中は翼人同士の戦いにしか興味がない。妙なところで古風な奴らでな、人間のことを見下しているから相手にしようとしないんだ」
「じゃあ、そなたの弟分はどうだ? そなたとは違う道を歩んでいるのなら、どこかで道がぶつかるかもしれぬぞ」
「あいつは……問題ない。仮に本当にまた俺の前にやってきたとしても、俺自身が相手をしてやるだけだ」
――それが困るのだがな。
と思ったゴトフリートであったが、あえて何も言わないでおいた。
自分も、たいして変わらないかもしれない。それどころか、こころのどこかでフェリクスが自分の前に直接やってくることを望んでいる。
それではいけない、と思いつつも。
「ただな、少し気になることは他にもあるのだ」
「なんだ?」
「はぐれ翼人とやらは、本当のところどうなっておるのだ? お前たち〝|極光(アウローラ)〟に入る以外の連中は、本当にすべてのたれ死んでおるのか?」
「……どういう意味だ?」
「そなたは、はぐれ翼人の大半がのたれ死ぬか他の同族の餌食なっているという。しかし、そのすべてを実際に確認したわけではあるまい」
「当たり前だ、いちいち確認してられるか。部族を失ったり、そこから追放されたりした翼人というのは案外多いんだ」
「だからこそだよ、マクシム。その案外多いという翼人がすべて不慮の死を遂げるとは、どうしても思えんのだ」
「何が言いたい?」
マクシムのほうが焦れてきた。ゴトフリートに結論を迫った。
「はぐれ翼人は、はみ出し者の習性か徒党を組むこともあるのだろう? だったら、そのひとつに翼人たちが集中してきて巨大化することもあるのではないか?」
「俺たちアウローラのような存在が他にもあるって言いたいのか」
「断言はできん。だが、どうしても気になるのだ。何か監視されているような目を感じるときがある。相手が何者かはわからぬがな」
他の諸侯や周辺諸国の放った密偵である可能性もある。というより、その可能性のほうが高いとみていいだろう。
しかし、何か人間よりも翼人の動きが引っかかる。
翼人同士の掟を無視したヴォルグ族の登場といい〝極光〟の結成といい、人間の世界以上に大きな流れが生まれつつあるような気がする。
その支流のひとつに、マクシムの組織と似た存在があったとしてもなんら不思議はない。
「そいつらを味方に引き込むこともできるということか」
「だといいが。最悪、敵に回られたときのことも考えておかなければならぬ。未知の敵ほど厄介なものはない」
「ああ、わかってる」
いつの間にか、二人とも戦う男の顔になっていた。
もう、勝負は始まっていた。ならば、早め早めに動けばそれだけ有利になるということでもあった。
ノイシュタット侯はどう動くだろう。|決起の時|(、、)、他の翼人はどうするだろう。
考えれば考えるほど不安は尽きないが、今のうちからあらゆる事態を想定しておく必要があった。
書類を片付けていたルイーゼがふと顔を上げると、いつの間にか白翼の男の姿はなくなっていた。
かわりに窓が開け放たれ、厚いカーテンが風に揺らめいている。
「彼なら、もう行ったよ」
ゴトフリートは静かに微笑んでいた。




