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人はなぜ争うのか、と問うたところで実際に争っている現場では無意味だ。
翼人と人間はなぜ対立するのか、と問うたところで答えが出るはずもない。
なぜなら〝翼人〟と〝人間〟という形に分けて考えること自体、対立と闘争の前提となっているからだ。それぞれ違うといえば違うのだから、区別はわきまえる必要がある。
だが常に、区別は差別へと転化しやすい。互いの違いをわきまえつつ、互いを認め合うことができるような人物は、翼人にも人間にもほとんどいなかった。
すなわち、この世界における差別と闘争とは必然なのだ。
それをなくすにはどうしたらいいのかだって?
方法は二つある。
それぞれがより高度な次元へ己の精神を高めるか、もしくはすべてが滅び去るか――。何もなければ、そこになんらかの問題があるはずもない。
あらゆる存在の無は、あらゆる問題、あらゆる限界の無をも意味する。
「しかし、それはあらゆる幸福、あらゆる喜びの無をも意味するのだがな……」
ゴトフリートは、目の前にある本を見るともなしに眺めながら独りごちた。
「何かおっしゃいました?」
「いや、なんでもないよ」
相変わらず耳のいいルイーゼに苦笑しながら、ゴトフリートは顎ひげを撫でた。
書状を片付けている彼女の髪が、半分だけ開いた窓から吹き込むやわらかい風に揺れている。黄金のひたすらにまっすぐな髪は、銀の水差しに反射した光を浴びて、ただただ美しかった。
――もし、自分がもう少しだけ若かったならば。
けっして放ってはおかなかっただろうと思う。周りの騎士の連中は『美人だが近寄りがたい』などとほざいているが、あまりにもだらしがない。
男たるもの、みずから女性を幸せにしようとしないでどうするのか。
「あ、またよからぬことを考えてましたね」
「いや、そんなことはない。大事なことだ」
ルイーゼの腰に注目していたことはおくびにも出さない。
だが、彼女はそれもいつものこととして、たいして気にはしていないようだった。ただ淡々と執務室の片づけをこなしていく。
「すまないな、下女のようなことをさせてしまって」
「いえ、お気になさらず。私が好きでしていることですから」
そう言う彼女が、ふと手を止めた。
「各地からの書状の大半が、翼人に関することですね」
「だろうな」
「……アルスフェルトの件、本当にあれでよろしかったのですか?」
「ああ、いいんだ。あれでいいのだよ」
ルイーゼに、というより、自分に言い聞かせるように言う。
――もう、あとには戻れない。もう、前へ進むしかない。
しかし、そのためにきっと多くの人、多くのものが犠牲になるだろう。
そこにルイーゼを巻き込んでしまったことが、正直なところどうしても引っかかっていた。
「閣下」
呼ぶ声は、少し不満の色を含んでいた。
「うん?」
「ご自分の信ずるところをなさってください。わたくしが、微力ながら閣下の支えとなりますから」
こちらをまっすぐに見すえる、ルイーゼの真摯な思いが伝わってくる。
――そんな君だからこそ、巻き込みたくなかったのだよ。
その思いは自身の胸に伏せたまま、ただ一言、礼を言った。
「ありがとう、ルイーゼ」
彼女も微笑みを返すだけ。
それで十分だった。
これから時代が動く。
それは光への階段か、はたまた闇への回廊か。
今はまだ、誰もそのことを知るよしもない。