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つばさ  作者: takasho
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「ベアトリーチェたちはどうしてる?」

「さっきの場所で待って――ああ、いたいた」

 前方の木の陰に、二人の姿が見えた。所在なく歩き回っていたようだが、こちらに気づくとぱっと顔を輝かせた。

「ベアトリーチェ、リゼロッテはどうだ?」

「ええ、今は落ち着いてるけど。それより、ヴァイク――」

 右の翼のひどい傷を目にして、ベアトリーチェがはっと息を呑んだ。

「すまない、うちの村人が誤って撃ってしまったみたいなんだ」

「あのセヴェルスとかいう野郎がな」

「ええ!? や、やったのはセヴェルスだったのか……」

 ヴァイクとしては、あの弓使いへの当てつけを言っただけだったのだが、ジャンは自分が重大なあやまちでも仕出かしてしまったかのように落ち込んだ。

「誰がやったかより、すぐに治療しないと――ああ、でも傷薬がない」

 自身の旅用の|袋(ザック)をあさっていたベアトリーチェだったが、首を横に振った。

 解熱用の軟膏はあるが、肝心の外傷用の薬がない。ここに来るまでにいろいろあって、ヴァイクがあっちこっちに切り傷やらすり傷やらを負って帰ってくることが多かったせいで、それなりに多く用意したつもりがまったく足りていなかった。

 結果、ひどい傷を負ったヴァイクを無力に見ていることしかできない。

「そうだ、俺が村へ行って取ってくるよ。ちょっと待っててくれ」

「その必要はない」

 すぐに走り出そうとしたジャンを止める声があった。獣道の奥のほうから、足音が聞こえてくる。

「セヴェルス」

「どうせこうなると思って、傷薬を持ってきてやった」

 セヴェルスが差し出した袋には、薬品だけでなく清潔な布や水袋、それに消毒用の蒸留酒まで入っていた。

 ベアトリーチェは礼を言うのももどかしくそれを受け取ると、すぐにヴァイクの治療に取りかかった。

 まず傷口を水で洗い流してから、蒸留酒を振りかける。

 それらを汚れとともにそっと拭き取ってから傷薬を塗ろうとしたとき、ベアトリーチェははたと手を止めた。

 ――出血がもう止まりかけている?

 普通なら考えられないことだ。これくらいの傷を負えば二晩ほど血が止まらないことも不思議ではなく、傷口を塞ぐために縫ったり、場合によっては化膿を防ぐために焼きごてを押し当てたりしなければならないほどなのに。

「どうした?」

「い、いえ」

 突然手を止めたベアトリーチェにヴァイクが不審そうに声をかけたが、今はあえて何も答えなかった。

 ――これが翼人の回復力。

〝生まれながらの戦士〟と呼ばれる理由を思い知ると同時に、人間と翼人との決定的な差をその翼以上にまざまざと見せつけられたように感じた。

 なぜか切ない気分になって一通りの治療を終えて後片付けをしていると、横合いから奇妙な視線を感じた。

 ――え?

 ジャンの知り合いらしいセヴェルスという名の男の人だった。怒気とも不信感ともいえない複雑な感情が入り乱れた目をこちらに向けている。

「あの、何か?」

「……あんたは、本当にレラーティア教の神官なのか?」

「ええ」

「そうか」

 そこで、いったん言葉が途切れる。が、男はまだ何か言いたげな顔をしていた。

「あの、もし何かあれば遠慮なくおっしゃってください」

「いや、結構だ。よくよく考えてみれば、あんたに言っても仕方がないことだからな」

 そう言われると余計に聞いてみたくなる。しかし、セヴェルスの態度はさらなる問いを拒絶する気配があった。

「セヴェルス、まだあのことを気にしてるのか。来てくれないもんはしょうがないじゃないか」

 と、ジャンが言う。

「そんなことはわかってる。だが、なぜまったく反応がないのかが理解できん」

「なんのことだ?」

 ヴァイクも気になったのか地面から立ち上がり、二人のほうに向き直った。

「お前には関係ない」

「関係ないことはないだろう。うちの村を助けてくれたんだから」

「別に、こいつひとりのおかげでどうにかなったわけじゃない」

「それは、あの連中に囲まれて殺されかかってた奴が言う台詞じゃないな」

 セヴェルスはヴァイクをひと睨みするが、意地でも言わないつもりのようだった。

「まったく、昔から妙なところで強情なんだから。――実はセヴェルスが苛立ってるのは、どこからも救援がないからなんだ」

「どこからも?」

「ああ、近くの屯所にはもちろん行ったし、カセル侯のいるヴェストベルゲンにも使者を出したんだ。だけど、未だに助けが来るどころかぜんぜん音沙汰がない」

 使者として出した人物が帰ってくることもないから、もしや道中で何かあったのではと思い、あとからまた別の使者を立てたのだが、今度はその者まで便りがなくなってしまった。

「人間の軍は当てにならんということか」

「いや、いつもならこんなことはないんだけど……特にこのカセルでは」

「カセルでは?」

「領主のゴトフリート様は、民の声に積極的に耳を傾けることで有名な方なんだ。今までも、大きな問題があればすぐに動いてくれてた」

「今回だけ対応してくれないと?」

「うん。対応しないどころか、反応がないんだ。カセルの一部では、翼人と人間の争いが昔からあることはあるんだけど、ここまであからさまに襲撃されることは今までなかった。明らかに異常なんだ。なのに、軍を動かしてくれない」

「――そうか」

 翼人と人間とが直接的に争い合うこともまれにあるという話は聞いたことがあったが、まさか本当だったとは。今までただの噂と思ってきただけに、釈然としないものを感じた。

「しかも、それだけじゃない」

 ジャンのあとをセヴェルスが継いだ。

「領主が動いてくれないのなら、神殿に頼むしかない。そう思って、帝都の大神殿にまた別の使いを立てたんだ」

 ベアトリーチェにはすぐにわかった。

「聖堂騎士団、ですね」

「元からいざというときのための軍だったはずだ。表向きはともかくな」

「はず?」

「神殿の側も様子がおかしいんだ。神官たちが会ってくれない、いくらかけ合ってもな」

「なんだかんだと理由をつけて、結局ほとんど門前払いなんだよ。うちだけじゃなくて他の問題を抱えている村とかも同じようにされて困ってるらしい」

 ジャンは、どうしようもないといった体で肩をすくめてみせた。

 ――どうして。

 ベアトリーチェは、その細い顎に指を当てた。

 これまでだったら、そんなことは絶対に有り得ないはずだった。そもそも信徒を無視するようなことをしたら、彼らの信頼を一気に失って神殿にとっては死活問題となりかねない。

「まったく相手にしてもらえないのですか?」

「ああ、まったくなんだよ。ベアトリーチェさんにあとで聞いてみようと思ってたんだけど、その様子だと君も知らなかったみたいだね」

「実は、私もアルスフェルトのことで大神殿へ向かっているところでして」

「なんだと!?」

 驚いたのはセヴェルスだった。

「ということは、お前たちはアルスフェルトから来たのか」

「はい。アルスフェルトが翼人の集団に襲われたのは本当です。それで、聖堂騎士団の助力を請うために大神殿まで直接行くつもりなんです」

「……確かに、神官が頼めば話は違うかもな」

「セヴェルスさん、でしたか、この辺には神殿がないんですか?」

 男の顔が、くっと歪んだ。

「あるさ、しかも村の中にな」

「え? じゃあ、どうして――」

「真っ先に逃げたんだ、神官の野郎が」

「いや、逃げたかどうかはまだわからないよ」

 あわててジャンが取りつくろうが、セヴェルスは相手にしなかった。

「逃げたに決まってるだろう。最初にあの翼人どもの襲撃を受けたとき、もうその神官はいなかった」

 よく神殿で遊んでいた子供たちによると、早くも前日の夕方から神官はいなかったという。

 それが偶然なのか、それともなんらかの方法で襲撃のことを知ったためなのかはわからないが、いずれにせよ村人を見捨てて自分だけ逃げたのであろうことは確実だった。

「結局、役人も神官も自分たちのことしか考えてないってことだ。都合が悪くなれば、それ以外のものを平気で切り捨てる」

 セヴェルスは、吐き捨てるように言った。

 一方のベアトリーチェは、完全に黙り込んでしまった。

 ――カセル侯の反応が鈍いとは思っていたけど、まさかこんな……

 大神殿の態度は何を意味するのだろう。本当に自分が行けば応えてくれるのだろうか。いろいろな疑念とともにいろいろな不安が巻き起こり、ベアトリーチェは瞳を震わせた。

 しかし、その苦悩はすぐに打ち消された。

「単純な話だ。わからないなら、それを確認しに行けばいい」

「ヴァイク……」

 翼の状態を今一度確認してから、ヴァイクは小太りの男のほうを見た。

「ジャンとか言ったな」

「何?」

「ここら辺に夜営をするのにいい場所はないか。今日はもう休みたいし、この子に無理はさせたくない」

 リゼロッテは気丈にも苦しい素振りを見せようとはしないが、やせ我慢をしているのは誰の目にも明らかだった。

 ――今日はもう、これ以上の前進は無理だ。

 自分の翼の傷のこともある。体はすでに、悲鳴を上げていた。

「わかった、少し離れたところに開けたいい場所がある。付いてきてくれ」

 恩人には村で休んでもらうのが当然のことであったが、あの様子ではそれができるはずもなく、かえってヴァイクらに不快な思いをさせてしまうことは明白だった。

 そのことに一抹の罪悪感と村人への憤りを感じながらも、ジャンはみずからが先頭に立って歩きはじめた。

 その横へすっとセヴェルスがやってきて、そっと耳打ちした。

「ジャン、何かよからぬことを企んでないだろうな」

「な、なんだよ、よからぬことって」

 内心どきりとしたのを必死に押し隠そうとする。

 セヴェルスは『すべてお見通しだ』といわんばかりに、鋭い目でこちらを睨んできた。

「まあ、いいがな。だが、自分が村長だってこと、忘れるんじゃないぞ」

 そう言って、セヴェルスは村のほうへ去っていった。

 ――どうしてわかったんだろ?

 幼なじみの勘のよさにひやりとさせられた。さすがに付き合いが古いと、こちらの考えも読まれてしまうものなのだろうか。

 日はやや傾きはじめ、木々の間から差す光はまだまだ|眩(まぶ)しい。

 その陽光に目を細めながら、ジャンはヴァイクらとともに帝都へ向かう決心を固めていた。

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