第三章 再会
春とは思えぬ強い日差しが射す中を、ひとりの翼人とふたりの人間がともに北へ向かって歩いていた。
今は、街道を少し離れた森の中にいる。さすがにこの辺りまで来ると、街道を頻繁に人々が通り過ぎていくようになる。翼人が人間に見つかると騒ぎになるので、あえて道から外れたところを進んでいた。
旅慣れておらず、ましてや道なき道をゆく経験などまるでないベアトリーチェにとっては非情に厳しい道程だ。木の根に足を引っかけ、鋭い枝に服を破られ、脆い足場に倒れそうになる。それでも、音を上げることは一切せずに歩きつづけていることは立派だった。
しかし、リゼロッテだけは違った。
明らかに様子がおかしい。うつむき加減で歩くことが多く、少し動いただけで息が上がってしまう。
ジェイドが不足している。
だから、体が弱っていく。
――リゼロッテ。
ヴァイクは、できることなら抱えて運んでやりたかった。大変なのは事実だが、ベアトリーチェと一緒でも、ある程度の距離ならば飛べる。
だが、ここはもう人間の集落に近い。
アルスフェルトの件はすでに各地へ伝えられているだろうし、そうした難しい時期だからこそ自分たち翼人が目立った行動をするわけにはいかなかった。
何より、リゼロッテが人の手を借りることを拒絶した。
少女ひとりくらい抱きかかえて歩くことくらなんの問題もないのだが、リゼロッテにはリゼロッテなりの誇りというものがあるようだった。
「ヴァイク……」
「ああ、わかってる。少し休むか」
それでも、さすがに限界が近づいていた。
ベアトリーチェに応えたヴァイクの言葉に、少女はほっとしたような顔をし、すぐ近くにあった樹木の根元に倒れるようにして座り込んだ。
「リゼロッテ、無理しなくていいのよ」
「うん……」
ベアトリーチェが隣に座って頭を撫でてやると、リゼロッテは力なく微笑んだ。その姿がどうしようもなく痛々しい。
見るに見かねて、ヴァイクがリゼロッテの正面に腰を落とし、その顔を覗き込んだ。
「なあ、リゼロッテ。教えてくれないか、どうしてそこまでしてジェイドを嫌がるんだ。苦しいのはお前自身だろう」
どうしても、そこが理解できなかった。ジェイドが手に入れられないとか、病気で何も食べられないというならわかる。
しかし、リゼロッテは|食べない|(、、)。
食べること自体を拒否していた。
それは、翼人の世界でならば普通は考えられない、不自然な態度であることに違いはなかった。
「リゼロッテ……」
ベアトリーチェも少女を見つめた。
――自分には翼人の世界のことはよくわからないけれど、リゼロッテには生きてほしい。
ヴァイクによると、このままでは危険だという。この幼い命の炎がこんなにも早く消えてしまうことに、自分は耐えられそうになかった。
「…………」
しかし、当のリゼロッテは沈黙した。地面をじっと見つめたまま微動だにしない。
この幼い少女にも自分なりの考えがあるはずだった。しかしそれならば、その考えていることを教えてほしかった。
「――まあいい。でも、決心がついたら言うんだぞ。俺がかならずジェイドを持ってきてやるからな」
「うん」
ヴァイクは、リゼロッテの肩を叩いて立ち上がった。
無数の影がその足元を高速で通り過ぎていったのは、その直後だった。
「なんだ!?」
はっとして空を仰ぎ見ると、|煌(きら)びやかな陽光を遮るようにして飛ぶ無数の影があった。
あれは――
「翼人か!」
遠目がずば抜けて|利(き)くヴァイクにはわかる。数多の翼人の集団が、北の方角へ向かって飛んでいく。
しかも、その翼の色は緑から黄色までさまざまだった。
「ヴァイク、あれはまさか――」
「ああ、例の連中かもしれん」
どこへ行こうとしているのかはわからないが、あれだけの数からして、ただのはぐれ翼人の集団だとはとても思えない。
ヴァイクは、もう少しだけ上方が開けているところへ移動した。
上からはばれないように慎重に相手の様子をうかがうと、数はアルスフェルトのときほどではないことがわかった。
それでも、徒党と呼ぶには大勢すぎる。異様な点の多い集団だ。
「ベアトリーチェ、お前たちはここにいろ」
「ヴァイクは!?」
「連中のあとをつけて様子を見てくる」
ベアトリーチェに言いながら、ヴァイクは念のため剣を抜いた。相手に見つかるつもりはないが、万が一ということもある。
「そんな顔をするな。かならず無事に戻ってくる」
心配そうな視線を向けてくる二人を安心させるように言って、ヴァイクは飛び上がった。
そして、一気に森の天井を抜けようとしたところではっとして振り返った。
「二人とも、隠れろ!」
言いざま、二本の木が重なるようにしてできた陰に、剣の切っ先を向けて突っ込んでいく。
剣がそこへ差し込まれる直前に、丸い物体が突然転がり出てきた。
「わあああっ! い、命ばかりは、命ばかりは助けてくださいぃぃ!」
〝それ〟はわめき散らしたかと思えば、童顔ともいえる丸い顔を涙でくしゃくしゃにしながら懇願してきた。
「――――」
ヴァイクもベアトリーチェも拍子抜けしてしまった。
木の陰に隠れていたのは、ぽっちゃりとした体をした、まだ若い人間の男だった。訳のわからないことを叫びつづけながら、どうも助命を請うているらしい。
「なんなんだ、お前は?」
呆れたヴァイクが剣を鞘に収めながら問うても、相変わらず言葉にならない言葉を発しつづけて、こちらのほうを見ようともしない。
「おい、俺は何もするつもりはない。どうして――」
「嫌だあっ、まだ死にたくない!」
「おい!」
「どうか、神様!」
「お前――」
「ああッ!」
「…………」
まったく会話にすらならない。
業を煮やしたヴァイクが、一発殴ってやれば目を覚ますだろうと歩み寄ろうとしたとき、見かねたベアトリーチェが間に入った。
「待って。――あの、大丈夫ですか?」
「こ、殺……え?」
かけられた声が女性のものだったことに驚き、ようやく男は騒ぐのをやめた。
それでもおそるおそる相手の顔をうかがい、それが本当に女性であることを確認してようやく人心地ついたようだった。
「し、神官さま……よかった」
大きく息をつきつつ、今度はほっとしすぎたためか、また涙が止まらなくなっている。
「もう、てっきり翼人かと……|脅(おど)かさないでくださいよ」
「翼人はここにいるけどな」
「いやああああっ!」
女神官の背後に立つ白い翼の男を見たとたん、またしても男は暴れ出した。這いずるようにして木のうろに隠れ、そこで小さくなって震えている。
ヴァイクはその真ん前まで行って、わざと音を立てて翼をはためかせた。
「どうした? 何も怖くなんかないぞ」
「殺さないでぇ……」
「もう、ヴァイク! そういうことをしないの!」
怒られてしゅんとなったヴァイクを後ろへ押しやってから、ベアトリーチェは今度こそ失神してしまいかねない様子の男に優しく声をかけた。
「大丈夫ですよ。彼は翼人ですが、暴力を振るったりはしません。少し性格はひねくれてますが」
「性格がひねくれているは余計だ」
という背後からの声は無視して言葉をつづけた。
「私はレラーティア教の神官です。今、大神殿を目指しているところなんですが、あなたは?」
「ほ、本当に神官さま?」
「ええ、ほら」
服の中にしまってある紋章のついた首飾りを取り出して見せてあげる。
二股の杖に巻きついた二匹の蛇――確かにレラーティア教の紋章だ。
「でも……どうして神官さまが翼人なんかと一緒に?」
「〝翼人なんか〟だと?」
「ひいっ」
「ヴァイクはちょっと黙ってて! ――それには理由がありまして、帝都まで同道することになったんです」
「帝都までって、どうして?」
「アルスフェルトの話はご存じですか?」
「まあ、噂では……って、まさか」
「そのまさかなんです」
「そ、そっちのほうが驚きだよ……」
「あの襲撃のとき、助けてくれたのがそこにいる白い翼のヴァイクなんです」
「翼人が助けてくれた?」
「はい、その子、リゼロッテも私の大事な仲間です」
「……まだよくわからないけど、要は翼人でもいろいろいるってことだね」
「ええ、そのとおりです」
伝えたかったことを確実に理解してくれたことに、ベアトリーチェは純粋にうれしさを感じた。目の前の人は少々臆病なようだが、固定観念にとらわれない素直な人のようだ。
「にしても、アルスフェルトも襲われたなんて……」
ベアトリーチェが首をかしげた。
「も?」
「う、うん。実はうちの村を含め、あっちこっちの集落が翼人に襲われているんだよ」
ベアトリーチェは後ろを振り返った。腕を組んで聞いていたヴァイクが、先ほどとは打って変わって真剣な眼差しを向けている。
「どういうことです?」
「俺たちだってわからない。この間から急に襲われるようになって……」
最初に襲われたときのことは、今でもはっきりと覚えている。
穏やかな晴れの日の昼下がり、突然空が暗くなったかと思うと、無数の影が急降下してきた。
「そいつらは有無を言わせず襲いかかってきて、誰かれと構わず殺して、その遺体を運び去っていったんだ、ほとんどあっという間に」
「守り手はいなかったのか?」
と、ヴァイク。
「いや、いるよ。すごい弓の名手もね。だけど、みんなが対応する前にやられて、すぐに逃げられちゃったんだ」
「翼人の奴らは、他には何もしなかったのか?」
「あ、ああ。なぜか家を壊すことも、何かを奪うこともしないで俺たち村人を襲ってばかりだった」
さすがに慣れたのか、ヴァイクを警戒しつつも彼の問いに男が答えた。
ヴァイクとベアトリーチェが顔を見合わせた。
人を襲って運び去ったということは、おそらく〝あれ〟が目的なのだろう。
しかし、家屋を破壊するようなことはしなかったということは、アルスフェルトを狙ったのとはまた別の翼人という可能性もある。
「じゃあ、さっき上を飛んでいった連中は――」
「いや、あれはまた別のところを狙いにいったんだと思う。うちの村はもう襲われてるから」
一瞬、空気が止まった。
「なんだって!?」
「い、いや、うちの村はさっきから襲われてて……」
「じゃあ、貴様はここで何をしている!?」
「あの、ちょうど木の実とかを取りに来てて……」
「呆れた奴だな、自分だけ逃げてきたのか! お前、それでも男か!」
「面目ない……」
「ヴァイク、それよりも早く――」
「わかってる。おい、お前の村はどっちの方角だ!?」
「ここからだと……北西かな?」
悠長に首をかしげてなどいる男をしり目に、ヴァイクはすぐに飛び上がった。下にいるベアトリーチェらに、上へ向かいながら声をかけた。
「ベアトリーチェとリゼロッテはここを動くな。お前も、死にたくなかったらしばらく隠れてろ」
「わ、わかった」
ヴァイクは男の返事を待たずに、一気に森の上へと出た。