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「どうしてこんなことに!」
アーデは自室に戻るなり、頭をかきむしった。こういった仕草は兄と呆れるくらいにそっくりなのだが、こちらもまるで自覚はない。
「はぐれ翼人が人間の町を襲うなんて、さすがに驚きですね」
「ユーグも、はぐれ翼人の仕業だと思う?」
「ええ。ですが、普通の徒党とは違うでしょう。アルスフェルトほどの町を襲っても返り討ちに遭うのがおちですし、そもそもそんなことは考えもしないでしょうから」
「そうよね、はぐれ翼人は生きるのに必死だから……」
では、アルスフェルトの町を襲った翼人の集団とはいったい何者なのだろう。どこかの強い部族だとも考えられない。彼らには、人間の都市を狙う理由がない。
「じゃあ、どうしてこんなことに……」
アーデは、黒檀の机に両手をついてうつむいた。人間と翼人の対立だけは避けたかった。それがよもや、まさにそのことが起きようとは。
「レベッカに聞いてみようか」
「そうですね」
ユーグの同意を待ってから、アーデは呼びかけた。
「レベッカ、いる?」
「ここに」
声は、天井のほうから聞こえてきた。
「ごめんなさいね、窮屈な思いをさせてしまって」
「気にする必要はない。私の意志でここに留まっている」
「ありがとう。ところで、変なことを聞くけど許してね。翼人が人間の町を襲うことってあるの?」
天井を隔ててでも、相手の驚いた様子が伝わってきた。
「……普通は、絶対に有り得ない。だが、人間にちょっかいを出された部族が報復に行ったり、はぐれ翼人が小さい集落を襲ったりすることは、ないともいえない」
「じゃあ、大都市は?」
「考えられない、私の常識では」
そう、と言ってアーデは少し考え込んだ。
――やっぱり、翼人の側からしても非常識なことなのよね。
アーデは大きくうなずいた。
「だったら、答えはひとつね」
「なんです?」
「有り得ないことが起きたということは、その裏に有り得ない意図が潜んでいるということよ」
自信満々なアーデに対し、ユーグは目を覆って天を仰いだ。
「お見事な推察です。感服いたしました」
「あ、ばかにしてるでしょう! でも、そういうことなのよ。有り得ないことが進んでいるから、有り得ないことが起きた。ということは、既存の価値観にとらわれていては、今回の事件の真相はわからないということ」
「……それは確かに」
「襲撃の首謀者は、間違いなく常識外れのことを考えている。だったら、こちらも通常の考え方からいったん離れないと」
ただし、
「おそれながら、殿下。それをするにも、まずは事態を正確に把握しないと、ただの無茶苦茶になってしまいます」
「そうなのよ。けど、さすがにもうお兄様はこれ以上教えてくださらないだろうし、密偵を捕まえて問い詰めるわけにもいかないし」
しかし、この人なら最後の手段としてやりかねん――ユーグは、密偵の冥福を今のうちに祈っておいた。
「というわけでレベッカ、あなたに行ってもらえるかしら、アルスフェルトの町へ」
「くわしい位置はわからないが、いいだろう。行ってみる」
私も気になるから、と珍しく興味を示しているようだった。
「ありがとう。急かして悪いけど、できるだけ早急にお願いするわ」
「わかった、暗くなったらすぐに発つ」
本来なら|翼人とはいえ|(、、)、女性を危険な地域へ行かせるのは気が引けるが、レベッカはそこら辺の男より遥かに強い。彼女だからこそ頼めることでもあった。
――それにレベッカは、自分が女扱いされることを極端に嫌うし。
周りからは、ひとりの戦士として見てほしいようであった。
そんな彼女との会話を終えると、アーデは部屋の窓のほうへ歩み寄った。城から少し離れたところにあるシュラインシュタットの町が、やわらかい陽光に包まれている。
穏やかな春の日の午後。しかし、アーデのこころの内はそれとは裏腹だった。
「……少し、風が出てきたかな」
揺れる髪を左手で押さえる。
その横を、花瓶から落ちた花びらが舞っていった。