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老夫婦

作者:黒崎メグ
 高校を卒業した俺は、在学中も世話になった佐伯さんのところで働くことになった。佐伯さんが営むのは万屋よろずや、いわゆる何でも屋といえるもので、未熟な俺はまだ一人で仕事をさせてもらったことがない。
 だからその日、
てつ、この依頼、お前が行ってこい」
 と言って、任された依頼に俺は半ば浮かれていた。佐伯さんが渡したのは依頼内容が記入された用紙と、簡単な手書きの地図だった。ここから歩いて十五分ほどの小学校近くに×マークが付いている。
 説明を聞けば、そこには依頼人の老夫婦が住んでいるらしい。部屋の電球が切れたが、足腰を痛めた体では交換が難しく、万屋に依頼を出したということだった。
 しかし、間の悪いことに佐伯さんには他に仕事が入っていた。それでも、老夫婦の生活の直結してくる問題だから、佐伯さんは俺を一人で行かせることを決めたのだ。

 俺は佐伯さんの期待に応えるため、地図を手に家まで辿り着いた。そこは、大きくもないが、小さくもない純和風の家だった。苔の生す石垣と椿や松などといった木々がどこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。俺はごくりとつばを飲み込んで、その間に設けられた石畳を進んだ。ほんの五メートルほどの距離だったが、えらく長い距離のように感じた。そうして辿り着いた玄関前で、俺は緊張のため深く深呼吸をしてからインターフォンを押す。
「はい……」
 と間を置かず機械と通して聞こえた女性の声は柔らかで、俺はほっと肩の力を抜いた。
「すみません、万屋の者ですが」
「ああ、ご足労ありがとうございます。今開けますね」
 そこで機械を通した声は途切れ、家の中で人が近づいてくる気配がして、横開きの引き戸が開いた。
 姿を現したのは、白い割烹着をつけた老婦人だった。背丈は百八十センチ近い俺なんかより三十センチは小さいのではないだろうか。足腰が目立って曲がっているわけではないが、どこか猫背がちに背中を丸め、皺が刻まれた目元を俺に向けていた。
「こんにちは、万屋の斉藤と申します」
 俺がぎこちない笑顔で自己紹介すれば、老婦人は目元の皺をいっそう深くして笑った。
「まあまあ、こんなお若い方が来てくださるだなんて。どうぞ、お入りくださいな」
 老婦人の言葉に、俺は遠慮がちに靴を脱いだ。

 結果だけを言ってしまえば、緊張するまでもなく、呆気なく依頼は終了した。そうして、俺は夫人に案内されるまま日当たりの良い居間に通された。「今お茶の準備をしてきますかた、少しお待ちくださいね」と言う言葉とともに夫人は台所へ姿を消してしまった。取り残された俺が、部屋の中に視線を巡らせれば、一番日当たりの良いところに設けられた座椅子で一人の老人が居眠りをしている。佐伯さんは老夫婦と言っていたから、彼が夫人の旦那さんなのだろう。
「あらあら、こんなところで居眠りをして……」
 湯飲みの乗った盆を手に戻ってきた夫人がそれを見て、呟く声が聞こえた。俺は慌てて姿勢を正す。ゆったりした動作でテーブルの上に湯飲みを置いて老婦人が口を開いた。
「あの人ったら、最近ボケが始まったのか、おかしなことばかり言うんですよ」
「そうなんですか、それは大変ですね」
 俺が言葉を返せば、夫人は朗らかに笑った。
「そう言われることは多いですけれど、私は大変だと思ったことは一度もありませんよ」
「どうしてですか?」
 不躾だとはわかっていたが、俺はあまりにも朗らかに笑った夫人の言葉が不思議でならなかった。
「だって、私はこの人のことが大好きですもの」
 一瞬の淀みもなくそう言って、夫人は言った後になって恥ずかしさを感じたのか、赤面した。その姿は、まるで初々しい少女のようだった。
「あら、いけない。お茶菓子を出すのを忘れるところだったわ」
 夫人は顔を隠すようにして台所へお茶菓子を取りに戻っていく。その後姿を見送っていたが、俺は部屋の中で動く気配を感じた。
 見れば、居眠りをしていたはずの老人がむくりと起き上がっていた。彼は恨めしそうに、夫人が消えたドアを見やり、そして俺に目を向けた。
「言っておくが、わしはボケてなどおらん。ボケているのはあいつの方だ。あいつなんぞより、わしの方があいつのことを好いているのだからな」
 そう言い捨てて、再び居眠りを決め込もうとする姿に俺は苦笑を禁じえなかった。
 そして、老婦人に出された茶菓子は、今まで食べたどんな菓子よりも甘い甘い味がした。
お互いをボケていると言い張る老夫婦のお話です。自分の方が相手をおもっているのだから、それを認めようとしないのは相手がボケているからだ、と彼らはお互いに思ってます(笑)
もともとは他作品に使おうと思っていたネタでしたが、短編に書き下ろしました。
字数制限がある中での執筆だったので書ききれていない部分があるかもしれません。そう感じる部分がございましたら遠慮なくご指摘ください。


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