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第五章 Trip
コウモリの翼
 外とは明らかに質の違う少しベタっとした感じのするむあっとした暑いくらいの空気に混じる動物特有の臭いと、土と緑の匂い。とても高いドーム状の天井に反響して響く、甲高い鳥の鳴き声。
 一週間の予定の旅程も、移動日も含めれば今日で四日目。折り返し地点の今日、咲月たちは草津熱帯園に来ていた。
 名前のとおり、ドーム状の温室には熱帯の植物や動物たちが展示されている。
 ワニや蛇爬虫類や、フラミンゴなどの鳥類――甲高い鳴き声を発し続ける賑やかな鳥はどうやらオニオオハシという種類の鳥らしい。先端だけ黒く、全体は黄色い色をした大きな嘴の上部には一本赤い線が入っている。カピバラや猿といった哺乳類。その他にも両生類や魚類など、キリンやゾウなど大きな動物は居ないが、種類は結構いる。
 実際に動物に触れられるコーナーもいくつか設けられていたが、まず朔海が一番最初に興味を惹かれたのは爬虫類コーナーに展示されていたサラマンダーという名前の生き物だった。
 「へえ、人間界じゃこういうのをサラマンダーって言うんだ」
 ぷくっとへちゃむくれたナマズみたいな顔に、ぷくっと膨れた腹の下についた細く小さな手足。しっぽはカエルになりかけのおたまじゃくしみたいな格好をしたそれは、……まあ好意的に見れば可愛く見えないこともないが。
 「あっちだとさ、サラマンダーって火蜥蜴ひトカゲのことなんだよね。位が高いのになると火を司る精霊として天界で暮らしてるのもいるくらい、気位が高くて気難しい種族なんだけど……」
 メキシコサラマンダーと表記されたその動物は、どう見てもそんな風な生き物には見えない。
 「こっちはウォータードラゴンだってさ。さっき見たイグアナとの違いがよく分からないんだけど。それにしても……ここ、ヘビとかトカゲとかカメとかワニとか……そういうの多いよね。こういうの……大丈夫?」
 上を見上げれば、あちらには鳥や哺乳類もいるらしいが、地下部分のここにいるのは爬虫類や両生類ばかりだ。
 「一応、柵ごしに見ているだけなら平気です。……でも、やっぱりああいう大きな蛇とかはさすがに迫力が違いますね」
 長い躯でとぐろを巻くアミメニシキヘビをちらりと見ながら言う。
 「小さなトカゲやらイモリには慣れてますから、大丈夫ですよ。ヘビも多分……毒とかないのが分かってさえいれば、別に平気……ですけど、……これだけ大きいと、さすがにちょっと」
 毒はないようだが、もしも本気で絞められたら人間など一溜りもあるまい。
 「蛇というのは小さいものほど強力な毒を持っていることが多いんです。特に熱帯のジャングルに棲むような、色鮮やかなものはほんのわずかな量でも大の大人の男も即死するような強い毒を持つ場合が多いんです」
ほらここ、と毒蛇の口元を指さして、
「この口のところ。牙の根元に細い管のような器官が見えるでしょう? この管は牙の中まで通っていて、牙の先端に小さく開いた穴から毒液を咬んだ相手の体内に送り込むんです」
と、博識な一面を見せる。
 「アジアやアラビア諸国などの芸人で、毒蛇を操って見せる者がいるでしょう? ああいうのはこの管を予め除いて、咬まれても毒の心配をせずに済むようにしていることが多いんですよ」
 「まあ、良くあることだよな。飼い鳥が逃げ出さないよう、風切り羽に細工したり、猛獣の牙や爪、角を取っちゃうとか。一昔前までは割と当たり前にあった事だもんな」
 朔海は言いながら、少し遠い目をしながら蛇から目をそらし、別の動物へ視線を移した。
 彼の視線の先を追って咲月が見ると、――時間帯のせいだろう、木の枝に逆さにぶら下がったまま動かない大コウモリが一、二、三……七、八匹は居る。
 大きな羽で体を覆い、その中に顔を埋めて眠っている。
 コウモリと言えど、小さい種類のものなら割と可愛く見えるものもいるのだが、これはまさにコウモリそのものと言った風体だ。
 真っ黒い塊がいくつもぶら下がっている光景は、あまり気持ちよく見ていられるものではない。
 翼を合わせた格好は、まるでドラキュラ伯爵が身にまとったマントをきゅっと身体に巻きつけているかのよう。
 ……どうしてだろう。まさにあんな感じの翼が朔海の背に現れたのを見たときには、気味が悪いなんて思いもしなかったのに。
 つい、彼の姿とコウモリたちとを見比べてしまう。
 「キャンっ」
 と、不意に足元で犬が吠えた。
 ――ここはペット同伴で回れる動物園。犬を連れている客も少なくない。
 大きな黒い塊の群れを見上げ、挑戦するようにキャンキャン吠えるポメラニアンのリードを引き、必死に宥める飼い主は、まだ若そうな女性だ。その後ろでは、彼女の連れらしい男性が困ったような顔で立ち、すみません、すみませんと周りの客に頭を下げている。
 はじめは黙って眠り続けていたコウモリたちも、うるさかったのか、挑発の意を汲み取ったのか、バサリと大きな翼を広げ、チチチチ、と一斉に威嚇の声を上げる。
 一斉に広げられた黒い大きな翼はなかなか迫力がある。
 飼い主の女性はあまりコウモリは得意でないらしく、半分涙目になりながら、犬を抱き上げるが、犬は吠えるのをやめない。
 何を騒いでいるのかと、人も集まってくる。
 朔海と葉月とは、互いに視線を交わし、仕方ないな、と目配せをする。
 「元気なワンちゃんですね。名前は?」
 葉月はにこにこ人の良さそうな笑みを浮かべながら女性に近づき、吠え続ける犬の頭を撫でた。
 一方で、朔海はコウモリの方へ近づき、見上げて人に聞こえないよう小さな声で素早く呟いた。
 「静まれ」
 その一瞬だけ、瞳が赤く染まる。
 すると、どうだろう。葉月が頭に手を乗せた途端、それまで、勇ましく吠え続けることをやめなかった犬がピタリと静まり、朔海に命じられたコウモリたちも一気に大人しくなる。
 その様子を見た連れの男性は一瞬不審な目をこちらに向けたが、女性の方は静かになった犬を下ろしながらペコペコ頭を下げる。
 「すみません、ありがとうございました。この子――キクちゃんて言うんですけど、普段はいい子なんですけどちょっとやんちゃで喧嘩っぱやくて」
 「キクちゃん、ですか。あれ、男の子かと思ってたけど女の子でしたか?」
 「いえ、男の子です。名前は、ほら、笑点に出ている木久蔵師匠……あ、最近襲名されて木久扇師匠になったあの人からとった名前なんです。この人……私の彼も落語をしていて。あ、そうだ。明日ここで落語会があるんです。良かったらいらっしゃいませんか? これ、チケットなんですけどお礼に代わりに、受け取ってください」
 「熱の湯――ってなんか見たことあるよ、この名前。確か……あ、あった。湯もみ体験で評判のとこだよ」
 観光ガイドをめくり、朔海がチケットに書かれた名前と見比べて言った。
 「そうなんです、そこで夜8時から毎日、草津温泉らくごをやってるんですけど、明日は彼がそれに出るんです。湯畑の近くなんですけど、夜はライトアップされるからすごく綺麗で。昼間見るのとはまた違った雰囲気も味わえるんで、結構オススメなんですよ」
 「へえ、いいんじゃない? 明日は道の駅に買い物に行く予定だったでしょ? 朝ゆっくり出て、買い物して、夕飯食べてそれから……ってのも良さそうだよ」
 朔海が賛同し、葉月も頷いた。
 「寄席ですか。そういえば久しぶりです。では、ありがたくいただく事にして……明日、楽しみに伺わせていただきましょう」
 
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