おまけ S・S 「あの日あの時」3
「もしもし? 海渡君? 花子もうそろそろだから」
電話の声はお義母さん。
おおお、つ、ついに! おおおお、落ち着け俺。
ちょうど俺はお客様の仕上げを終えたところで。
いつも俺を指名する、梶原ちなさん、86歳。
「あの、いよいよ生まれそうなんで……あと、店頼むね」
スタッフに告げると、みんなの顔もパッと明るくなった。
「行ってらっしゃい店長!」
「はやー、はずめてのコッコがあ、まんず急げ!」
スタッフばかりじゃなく、ちなさんにまで励まされてしまった。
「あ、はい、行ってきます」
すぐに車に乗り込み病院へ。
俺と花子の初めての子供で、昨夜、真夜中に破水した。
しかしちょうどいいタイミングだったからよかった。偉いぞ、チビ助。
なんか落ちつかねえ……。
ちょっとハンドルを持つ手が震えてる。
とにかく間に合えば立会いたいって希望は出してたんだけど。
病室に着くと、花ちゃんはうんうん唸ってた。
「あ、旦那さん、腰、さすってあげてください」
「は、はい」
看護師さんに言われたとおり、俺は腰をさすり始める。
「花子、だいじょうぶ?」
「ううう、おおおおお、だ、だいじょ……いでででええ」
歯を食いしばってて、顔には汗が浮き出ている。
「ダ! イダ! イダダ!」
おおお、ど、どうすればばば……。
「旦那さん、声かけてあげてくださいねー」
「花子ー、頑張れよー」
な、なんかマヌケな感じだな、俺。
現場を目の前にしたら完全にテンパってしまった。
あんなにシミュレーションしてたのに……いざとなったらもうどっかへ吹っ飛んだ。
「ひ、左!」
え? あ、左ね。
慌てて左側をさする。
花子はぐうと唸って、喘ぎ始めた。
痛いって叫んでたときより、痛そうに見える。
お、俺まで痛くなってきた。こんなときまで仲良ししてる場合じゃねえぞ。
「に、にぎ!」
は? にぎ? み、右のことか?
意味不明だが感覚的に捉え、右をさする。
「うおおお……」
苦しいんだな。
俺こそ落ち着かないと……し、しかし、看護師さんになにやら処置されてるのを見るともう、頭が真っ白になってくる。
花子、頑張れよ……。
手を差し出してきた。それを強く握ると恐ろしい力で握り返してくる。
「山下さん、ヒッ、ヒッ、フー、ヒッ、ヒッ、フーですよー」
俺も花子と一緒に呼吸を合わせて……。
ヒッヒッフー……ヒッヒッ……。
あ、あれ? な、なんか変だぞ……お、俺どうしたんだ?
「あ! 旦那さん、過呼吸になってます! ちょっと!」
目の前がクラクラしてきた。
「ほれ! 紙袋、かぶって!」
は? 言われてることがわかんねえぞ。
いきなり息が苦しくなって……目の前が暗くなった。
◇◇
目を開けると病院の天井が。何してたんだ、俺……。
はっ! 花子! こ、子供は!
がばっと跳ね起きると、お義母さんが……。
「あら、お父さん起きた?」
クスクス笑ってる。
「おめでとう、パパさん。すごいいいタイミングよ」
え? ええ〜?!
過呼吸で気を失ってる間にペロっと生まれちゃったらしい。
お義母さん曰く、びっくりするほどの安産だそうで。
「あ、あの……」
後頭部がズキズキする。たんこぶができていた。
「早く、顔見てあげて?」
俺は急いで花子のところへ。
うわ……。
花子の隣に何かいる。
俺は自分が気絶したことも、いきなり目の前に現れた光景にもショックを受けて仁王立ち。
花子の顔はすごく安らいでて……なんていうか今まで見たことない顔で、笑ってる。
隣の赤ちゃんを見つめながら。
「あ、ほら、パパが来たよー」
俺を見てにっこりしてくれた。
「ごめん、俺、倒れた時に頭をぶつけたみたいで……気絶してた」
なんてマヌケな報告なんだ。がっかりだ。
「ううん、早く顔、見てあげてください?」
ベッドに近づいて、覗き込んでみる。
すっごい……しわしわの……俺のお客様の梶原さんよりしわしわの我が子。
おおう……梅干ににてるぞ。
正直実感が無くて、夢を見てるみたいだ。気絶していたからかな。
でもそのしわしわの梅干がすげえ可愛く見えるのが不思議でしょうがない。
ポカンとしてる俺を見て花子が言った。
「……二人で頑張って人間にしていきましょうね、この梅干」
俺は吹き出してしまった。
その途端、花子とその隣で眠っている梅干に愛しさがこみ上げてきて。
フニャフニャしてる梅干のほうへ指を差し出し、ほっぺを突っついてみる。
ぎゅ。
な、なんだ?
いきなり梅干が……偶然俺の指を掴んだ。
その瞬間、胸がきゅんとして……。
「えへへ……」
それを見て、花子が笑いながらポロっと涙をこぼしたんだ。
やばい、なんだこの気持ち。
鼻の奥がツンとする。
「わかるんだね。パパが好きなのかな?」
花子のなんでもない一言が、妙に胸に迫る。
この柔らかくてふわふわしたものはなんだろう?
そこにいるだけでいいって思った。
上手く言えないけど……ただそこにいてくれるだけでいいって。
俺は梅干に恋をしてしまった。
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