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大空の迷い人

作者:県 裕樹
 上を見上げれば青い空、下を向けば紺碧の大海原。
 行けども行けども、同じ景色ばかりが続く。彼はこの景色を、かれこれ5時間は見続けている。
 キョロキョロと、風防の外に目線を送る。時折、自分の目の前にある計器盤にチラリと目をやるが、今この状況でこれらが何の役に立つものか。
「本当に、俺一人だけになってしまったのか……」
 彼は、その事実を否定したい気持ちで一杯だった。見えていないだけで、きっと友軍機は自分と共に飛んでいる……そう願いたかった。
 操縦席に搭載されている無線電話は極めて性能が悪く、上手く通じた例がない。だが彼は、仲間からの応答を期待して必死に送信を続けていた。しかし、応答は全く無かった。

 彼が操縦桿を握る飛行機は、華々しい登場で軍部の大きな期待を担い、航空機技術の先進国である敵軍を震撼させ、奴に出会ったら戦わずに逃げろとまで言わしめた程の名戦闘機である。
 ……しかし、国力で劣る彼の祖国がいつまでも優位に立つ事は許されなかった。圧倒的物量と先進技術によってその優位性は瞬く間に覆され、今では敵機にバタバタと落とされる『七面鳥』と渾名されるまでにその地位を貶めていた。

「攻撃隊も、戦闘機隊も……本当に皆、喰われちゃったのか? 冗談だろう、百戦錬磨の先輩たちが落とされて、どうして俺が生き残っているんだよ!」

 彼は中学を出た後、予科練に入隊して飛行機操縦の手ほどきを受けた。本来ならば未だ実戦に出るような年頃では無いのだが、世情がそれを許さなかった。
 必要最低限の訓練だけを施され、漸く教官が後ろに乗らずとも飛べるようになっただけの状態で戦地に送られて、艦隊勤務の戦闘機乗りとなった彼が、初めて母艦から飛び立った……のが、僅か数時間前の事。つまり、彼にとってこれは初陣だったのだ。

「燃料も心許ない……残弾数も僅かな筈だ。今ここに、敵機が現れたら……」
 先程までは動いていた無線式帰投装置も、シンと静まってピクリとも動かない。大幅に方角を間違えたか、或いは母艦が海底に没したかのどちらかであろう。兎に角、大空に飛び立ったばかりの雛鳥が、親鳥も巣も見付けられずにヨタヨタと飛んでいるのである。

「ああ、翼内タンクも空になった。もう胴体内タンクしか残っていない。浮いていられるのも、あと少しか……」

 彼は、12機の攻撃隊を護衛する直掩戦闘機隊の一員として、6機出撃した中の最後尾に位置していた。
 攻撃目標は敵軍の陸上基地、および待機中の航空機であった。だが、目標に到達する前に、海上に配備されていた艦隊に察知され、友軍機は瞬く間に対空砲に喰われて火だるまになった。
 命からがら逃げ延びた友軍も、いつの間にやら姿が見えなくなっていた。いや、あの空域から無事に脱出できたのは彼一人だけだったのかも知れない。
 何しろ、彼は戦い方を知らない。だから、自分を狙うものがあると分かれば、兎に角逃げる外に手が無かったのだ。
 このまま生きて帰れば、敵前逃亡と見做されてしまうかも知れない。しかし、拾えるものなら拾いたい。それが命と云うものだ。そう彼は認識していた。

 しかし、その漸く拾った命も、あと僅かの後に尽きようとしている。
 敵に捕捉されれば間違いなく撃墜されるであろうし、燃料が尽きるまで飛び続けてもサメの餌になるのが関の山。
 仮に、運よく母艦に辿り着けたとしても、彼は着艦する事が出来ない。その為の訓練を、受けていないからだ。
 どちらにせよ、甲板を蹴って飛び立ったが最後、彼が『無事に帰還出来る可能性はゼロに近い』事はほぼ確定していたのだ。

「17年、か。まだ生き足りねぇよなぁ。大君の為に命を捧ぐ、なんて嘘っぱちだ。死ぬのが怖くない奴なんて、居るものかよ」
 誰も聞く事の無い独白が、虚空に消えていく。やがて青かった空に赤みが差し、太陽が水平線の向こうに消えようとしている。
 死にたくない、もっともっと生きて、やりたい事は沢山ある……然もありなん、彼は弱冠17歳の若者なのだ。これから先、やるべき事は沢山残されている筈である。

「……!! 光が見えた。星が瞬くには、まだ早い筈だ……」
 最悪の事態が、眼前に迫っていた。彼が見たものは、まさしく敵軍の航空機だったのだ。
 哨戒飛行だったのか、はたまた戦闘の帰りなのか。何故か相手も単機だった。

「このまま見逃してくれるほど、敵さんも優しくは無いだろう……な。俄然、向こうの方が有利なんだし」
 こうなれば、死なば諸共……と彼が考えたかどうかは、定かではない。しかし、むざむざ標的となって落とされるのを待つよりは、幾分かでも抵抗した方がマシだ。それに、助かる可能性もゼロでは無くなる。一か八かの大博打に、彼は自分の命を張ったのだ。

 敵機の形が、ハッキリと分かる距離にまで接近した。相手も単発の戦闘機のようだ。
「さっきとは違う、今度は相手の姿が見えてるんだ……つまり、向こうからも俺が見えてるって事で……」
 敵影は下方に見える。つまり、セオリー通りならば彼は、自分に有利な条件で戦いに臨んでいる事になる。が、そんなものは、彼を安心させる材料にはなり得なかった。
「……南無三!!」
 先手を打ったのは敵の方だった。が、間合いが遠すぎるのか。曳光弾が矢のように、操縦席の脇を掠めて飛んでいく。

 ずんぐりとした、群青色に塗装された機体がハッキリと見える。そしてそれが目前に迫り、瞬く間に背後へと消えていく。
「追って来るな、そのまま行っちまえ!」
 すれ違った敵機が、反転して来なければ彼はあと幾ばくかは生き延びる事が出来る。が……それを期待する方が、端から間違いであったようだ。
「見逃すつもりは、無いってか……ま、当然だわな!」
 この機体と戦闘をしてはならぬ、この機体を追ってはならぬと敵方が厳命されていたのは、2年ほど前までの事。今では弱点もしっかりと研究し尽くされ、一対一の決闘であっても敵方に分があるのだ。そんなカモを、みすみす見逃す軍人はまず居ないだろう。
「わたたた……こんだけ近いと、狙いも正確だってか!?」
 衝突音が聞こえ、機体が振動し始める。胴体や翼が、次第に穴だらけにされていくのが分かる。だが、彼はまだ飛んでいる。
「曲芸飛行なぞ、教官が手本で見せてくれた事しか無いが……」
 まさに、見様見真似。実際に自分で操作して、その挙動を機体に与えた事などありはしない。しかし、火事場の馬鹿力とでも言おうか。彼の機体は奇麗に宙返りをし、敵機の背後にピタリと位置する事に成功していた。
「アンタから近いって事は、俺からも近いって事なんだよ!!」
 時を置けば、相手は馬力に物を言わせて逃げてしまうだろう。機会は一瞬のみだった。
 彼は、機関砲の発射杷柄を夢中で握った。銃口からは、ありったけの弾丸が一斉に発射された。敵機のビスまでハッキリと見える距離での一斉射、これで外れたら嘘だ! と叫びたい気持ちであったろう。

「……ほんの少しだけ、俺の方に運が向いていた……それだけの事だ」
 火の玉となって落下していく敵機から、パイロットが飛び出した。パッと白い落下傘が開き、恐々と此方を窺っている。
「安心しろよ、もう弾は残っちゃいねぇよ」
 命のやり取りをした、その直後。人間は一体、何を思うのだろうか。
 少なくとも彼は、『まだ生きている』という事をしみじみと実感していた事であろう。

***

 星空の瞬く中で、彼は海上を漂っていた。

 陸まで飛ぶには燃料が足りなかった。
 母艦はとうとう見付からなかった。
 そもそも、機体は穴だらけにされており、長く飛び続ける事は出来なかった。

 どのみち、こうなる事は『独りになった』のを自覚した時から分かっていたのだ。
 しかし、彼はまだ生きている。

「アイツ、ちゃんと助かったのかな?」

 自分が落とした敵機のパイロットも、何の因果か。自分と鉢合わせしなければ、ああはなっていなかっただろう。
 単機で飛んでいたという事は、もしかしたら敵の艦隊が間近に居たのかも知れない。
 今頃、救助されているか、或いは……

「……爆弾抱いて、敵に体当たりさせられる奴も居ると聞くが……それと比べりゃ、俺はまだマシなのかな」

 飛行機は、壊れたらまた作ればいい。
 燃料も弾薬も、尽きたなら補充すればいい。
 それが出来なくなったなら、諦めて負けを認めるべきだろう。
 命を代価にして得た勝利に、何の意味があるのか……そんな物はあろう筈がない。

 なのに何故、我が祖国はそれを認めないのか……

 彼は星空を眺めながら、その事ばかりを考えていた。
 敵軍に救助され、捕虜収容所で過ごす事になった後も、ずっと……

<了>

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