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猫の子町  作者:出雲隼凱
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渡航(其の2)

 船がカミギン島に着いたのは丁度昼頃だった。乗客はそれぞれのスーツケースや手荷物を持って、先を争うように出口に向かって蟻のような行列を作っていた。山瀬は何気なくそれを観察していた。その蟻の行列に見飽きると、窓を透して見える船外の風景に目を向けた。窓の外には小さな港によくありがちな遠浅の海岸の風景を醸し出していた。着岸できない大きな船は一艘も停泊していなかった。船のエンジンの振動が水面を小刻みに揺らしているのがモザイクを見ているようで印象的だった。船体が作る影の部分を見つめると余計にそれが山瀬の目にはっきりと映し出された。山瀬はその影の部分と大陽の光を跳ね返している鏡のようなぎらぎらした部分とのコントラストに人間の表と裏の存在を見たような気がした。波は飽く迄も山瀬の訪問を受け入れているかのように静かだった。先を急ぐ乗客の話し声も山瀬にとっては心地よいものに聞こえた。かえって山瀬の気に障ったのは、乗ってきた船のエンジンのその騒音だった。約6時間の船旅で、彼の思考能力をまるで使い果たした雑巾のようにずたずたにし、役に立たせなくさせた轟音に憤りよりむしろ吐き気さえ感じていた。島に着いた後もこの轟音は回転数を下げただけで、乗客を直ぐにでも吐き出してしまいたいかのように未だ鳴り響いていた。いつもだったら同乗した乗客たちと先を争ってでも先に地面を踏みたい山瀬だったが、やはり今回の旅の目的がそれを邪魔し座席から立ち上がることでさえも難しくさせていた。
 無精髭をはやし浅黒い顔色の船員がボーっと外を眺めて下船しようとしない山瀬を心配して声をかけてきた。
「大丈夫かい」
気がついてみるとさっきまで先を争うようにして出口に列を成していた乗客はもう数える程しか船内に残っていなかった。
「大丈夫。海が綺麗だったんでちょっと見とれていただけだよ」
座席の下に押し込んであった手荷物を引っ張り出し通路に出た。重い荷物を抱えた乗客はいないものかと一人の老いたポーターが山瀬の前までやってきたが、軽そうな山瀬の手荷物に目をやったかと思うと、つまらなそうに回れ右して出て行った。荷物は軽いのではなく、山瀬が軽々と持っていただけで実際には結構重かった。
 船外に出てみると風は殆どなく、針のように刺さってくる陽の光で熱せられた肌は痛みさえ感じていた。印象的なモザイクを作り出している海面からもその針は飛び出してきているようだった。
「早めに宿を見つけないと」
山瀬はそう自分に言い聞かせると歩調をほんの少しだけ強めて歩き出した。
 港でまず山瀬を迎えたのは、乗客を我先に取ろうとするトライシクルと呼ばれるサイドカー付きのオートバイのドライバー達だった。どこの空港、港でも客引きがいるのは当たり前のことだった。山瀬は気が狂った猿のように金網の向こう側で怒鳴っているドライバー達を横目に港の出口に急いだ。こんなとき山瀬はいつも迎えのある人たちのことを羨ましく思った。
「とにかく港から出て誰かに聞いてみよう」
再び歩く歩調を速め港の出口へと急いだ。
 港を出てからも一人のドライバーが山瀬の後を追ってきた。
「コテージ。ビーチ」
こういうドライバーに捕まると後で高い運賃を請求されることになる。それを十分心得ている山瀬はそのしつこいドライバーに首と手を左右に振って見せた。ドライバーは何やらぶつぶつ文句のようなことを呟いていたが山瀬が客にならないことを悟ると、まだあちらこちらに散乱している外国人旅行者を捕まえて同じような質問をしていた。
 視線を上げてみると小高い山々が山瀬の視界に入ってきた。緑が豊かなことはその色の濃さが物語っていた。その山に向かって走る道をゆっくり歩いていくと左側に食堂のような建物があった。山瀬はそこでコーヒーでも飲みながら宿の情報でも集めようと思った。
 薄暗い食堂の中にはまだ客の食べた食事の匂いが漂っていた。
「コーヒーください」
注文すると同時にお金をカウンターの上に置いた。地方の、取り分け小さな島などに来ると高額紙幣はあまり役に立たない。山瀬はそれを知っているのでいつも小銭を貯めるよう心がけていた。あまり貯め過ぎると財布が重くなる一方なので上手に使わなくてはならない。カウンターに近いテーブルを見つけてそこに腰を下ろした。若いウェイトレスが小さいインスタントコーヒーの小袋とコーヒーカップになみなみ注いだお湯を山瀬の座っているテーブルに何の愛想もなく置いた。この国では殆ど全てと言っていい程ウェイトレスは死んでいるようにやる気がない。この若いウェイトレスも例外ではなかった。
「ちょっと訊いてもいいかな。この近所に安いホテルかコテージって知ってるかい」
ウェイトレスは最初山瀬の流暢なタガログ語に驚いたらしく、死んでいた目をほんの少しだけ大きくして見せた。その後ほんの少し考えている様子だったが何かを思い出したかのように呟いた。
「ありますよ。サミス・インっていうのが」
彼女の話だとサミス・インはそこからあまり遠くはなく歩いていける距離だということだった。レストランも経営しているので食事にも困らなくて済むというのがそのホテルの売り文句らしかった。山瀬はついでに小町の事件ことも聞いてみようと思った。
「つい最近日本人の女の人が自殺したって話聞いたことあるかな」ウェイトレスは山瀬のこの質問にも少し目を大きくして見せた。ただ今回は大きくした目をそのまま斜め上に持ち上げて記憶を辿っているような仕草をした。
「ああ…、そういえばそんなこと噂で聞きました。よく覚えてないけど、確かホワイトビーチの近くじゃなかったかしら…」
自分の言っていることを噛み締めるかのようにウェイトレスはそう答えた。
「そこは遠いのかな」
山瀬がそう聞くのと同時に調理場の方から誰かの怒鳴る声が聞こえた。ウェイトレスは首を縦に振りながらそそくさと調理場の方へ行ってしまった。どうやら調理場から聞こえてきた声は彼女を呼んでいる声だったようだ。
 コーヒーを啜りながら山瀬は島に滞在する間の交通手段を考えていた。まだ島に来て1時間しか経っていないが、車を一台も見ていなかった。
「こりゃ多分レンタカーは無理だ。オートバイでも借りるしかないか」
まだコーヒーは半分以上残っていたがこの暑さでなかなか喉を通らなかった。それをそのまま残して早速サミス・インを探すことにした。
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