海から吹く風は強く、潮の匂いはむせ返るようだった。
古くから有る灯台の元に立ち、海を見詰める少女。
「美海、そろそろ行こうか」
父親に声を掛けられ振り向く少女。
父親の向こうには優しそうな母親が微笑みを浮べている。
灯台から駐車場へと続く階段を登りながら美海はもう一度、海を振り返った。
「美海、気分はどうだ?」
頷く少女。彼女は声を出す事が出来ない。
数年前、彼女が中学生だった時、
下校途中の彼女は数人の暴漢に襲われ乱暴され掛かった。
その時、声を出すと殺す、とナイフを突きつけられて脅された。
辛うじて駆けつけた警察官に救い出された為に未遂に終ったが、
それ以来彼女の可愛らしい声と感情は奪われたままだ。
今は夏休み。
彼女は両親に連れられて四国へと旅行に来ている。
メロディーラインと呼ばれる海に挟まれた道を街へと戻る。
夕日が瀬戸内海を美しく染め上げていた。
その時、一台のバイクが美海の乗る車を抜いて行った。
車の前に出ながら、左手を上げて挨拶するライダー。
「うん、バイク乗りってのは危険な走り方をするヤツばかりじゃないな。
ああ言うマナーの良いライダーばかりなら良いのだけどな」
父親が感心したように呟く。
「そうね、ずっと後ろに居たけれど、
ちゃんと安全な所まで抜くのを待ってたみたいだし」
リアシートから母親も同調する。
「今のバイクは国産じゃないよ。ウチの車と同じドイツのメーカーだ」
美海の目にも、今乗っている車のボンネットに付いているのと同じ、
美しい白と空色のエンブレムがバイクの横とライダーの肩に付いていたのが見えた。
今夜は日本最古の温泉と呼ばれ、かつて名作の舞台にもなった
道後温泉の直ぐ傍に宿を取って有る。
駐車場に車を停め、チェックインした後に両親に連れられて
美海は道後温泉本館に入浴に来た。
有名観光地だけあって、流石に込んでいる。
入浴料を払う列に並んだ美海達。
しばらく待ち、ようやく順番が廻ってきた時、
美海の前に派手な女性を連れた茶髪の中年男が割り込んできた。
突き飛ばされるようによろけて座り込む美海。
「なにをするんだ!ちゃんと並びなさい!」
父親が怒鳴る。
「ああ?うるせえよジジイ」
その手には丼の様なヘルメットが握られている。
彼らが乗ってきたオートバイは商店街のアーケードのど真ん中に停められている。
怯む父親の襟首を掴み、凄む茶髪中年。おろおろする母親。
ざわめき、遠巻きにすれど何も出来ない、しない群集。
美海の脳裏に悪夢が甦り掛けた時。
「止めろ。いい歳こいて見苦しい」
父親の襟首を掴んだ中年の手を捻り上げ静かに睨む男が居た。
手にはクチバシの様なモノが付いた大きなヘルメット。
そして、その肩には、あの白と空色のエンブレム。
強い力で捻り上げられ、父親の襟から手を離した中年男は
そのまま道路に投げ倒された。
「てめえ!舐めてんじゃねえぞ!」
立ち上がり凄むが、無言の迫力を持った男に気圧され怯む茶髪中年。
「ケッ!覚えてろ!」
陳腐な捨て台詞を吐き、女と共にバイクに跨り耳障りな爆音を立て去って行く。
「大丈夫かい?」
男は美海を抱き起こし、膝に付いた砂を払ってくれた。
「ありがとうございました。助かりました…」
涙ぐみながら礼を言う母親。
「いえ、とんでもない。お父さんは大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとうございました。とんでもないヤツだったな」
「バイク乗りがあんなヤツばかりだと思わないで下さいね」
そう言ってお辞儀すると、列の最後尾に並ぶ男。
止まっていた時間が再び動き出した。
温泉から出た時、父親はあのライダーとすっかり仲良くなっていた。
宿も近い事が解り、是非とも一緒に食事でも、と父親が誘い
彼も快く諒承し、宿で教わった旨い店へと出向く。
メロディラインで自分達を抜いて行ったライダーだと解ると
両親は彼を褒めちぎった。
「美海ちゃんっていうんだ。良い名前だね」
彼が美海の目を見詰めながら話し掛けてきた。
思わず俯いてしまう美海。
「ありゃ、嫌われちゃったかな?」
「!」
ばっと顔を上げ、ぶんぶんと首を振る。
両親は驚いた様に美海を見詰めた。
「美海がそんなに激しく感情を見せるなんて…!」
両親は美海が過去の出来事で声と感情を失った事を掻い摘んで話した。
「…そうですか、でも、大丈夫。きっと美海ちゃんは回復しますよ。
何が有ったのかは聞きませんが、きっと美海ちゃんを心から愛し、
素敵な笑顔と可愛い声を取り戻してくれるヤツが現れて」
美海はそう語る男の顔を、じっと見詰め続けていた。
「それじゃあ、ご馳走様でした。いつかまた、ご縁が有ればお会いしましょう!」
男は手を振りながら雑踏の中へと消えて行った。
「あ…!」
突如、美海の中に堪らないほど切ない感情が溢れ出した。
「う…さ、ん…!」
美海の口から数年ぶりの声が絞り出された。
「美海!今、なんて…!」
母親が美海にすがりつく。
「あ…り…がと…う…」
美海の瞳から涙が溢れ出している。
「おお…!美海…お前…」
父親が目を見開いている。
雑踏の中、声と涙を取り戻した美海は
去っていった男の背中を瞳に焼き付けていた。
いつか、また、きっとあの男に逢える事を信じて…
Fin
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