エルーダの迷宮2
街の名はエルーダ。迷宮の入口にできた冒険者の村である。山間の小さな村の人口は入れ替わり立ち替わりで常時二百人ほど。そのほとんどが迷宮目的の冒険者たちである。他は店の店員と人足とその家族。物乞いはほとんどいない。この村では子供でも迷宮探査の荷物持ちをして小遣いを稼いでいるくらいだから、身体が動けば食いっぱぐれることはない。
冒険者たちは大抵のことを自分たちでこなす。ゆえに村にある施設はギルドと修理主体の武具道具屋と食堂兼宿屋、それとお子様お断りのお店が何軒かだけだ。大きな街は馬車で半日行ったところにあるので、特に困らないらしい。
「初級クラスのクエストは麓のアルガスのギルドまで行かないとないと言われただろ?」
そんなこと言われたかな? 記憶にないんだけれど……
僕は指を口に添えて考えるそぶりをした。
言われてない気がするんだけど……
窓口を見てもお姉さんはもういない。
「ギルドに登録すると一ヶ月はその場所に留まり、そこのクエストを一定数こなさなければならない。これは聞いたな?」
職員は僕に確認の視線を送った。
それは聞いた。
「はい。安易な登録を防ぐためだと」
「ギルドの登録証は身分証代わりにもなるからな。不正使用を防ぐためにも、新人を擁護、育成するためにも必要な処置だ」
違法に使われるときは何やっても使われるんだろうけど、確かにそう聞いた。
職員の男がわざとらしく大きな溜息をついた。
「君は自分の状況がわかっているのかね?」
僕は小首を傾げた。
「君はこのギルドで登録をした。つまり一ヶ月はこの村に滞在しなければならない。さらに一定数、具体的には最低五件だが依頼をこなさなければならない。それができないと正式なギルド証は発行されないんだ。今君が持っているのはあくまで仮免だ」
「だから……」
僕は依頼書の張ってある掲示板に向き直った。
「このギルドには中上級依頼しかないと言ってるじゃないか」
僕はこの男の言わんとすることをようやく理解した。
「それって…… つまり、詰んだってこと?」
「ようやく理解したか。受付も言ったろ? 『本当にいいんですか?』と」
いや、聞いてないけど……
「『ご愁傷様』とは言われましたけど……」
「くっ…… マリアのやつ余計なことを」
男が無人の窓口をにらんだ。
「とにかく! このままだと君は冒険者になれない。しかも初回キャンセルとなると、身元が怪しいんじゃないかと勘繰られて、以降登録が難しくなるかもしれない。絶体絶命だよ、エルネスト君!」
一応、山向こうの貴族の出だし、身元ははっきりしてると思うんだけど……
自分の性格がマイペースなせいか、お兄さんの方が焦っているように見える。何を隠してるのかな? 妖しい雰囲気がぷんぷん漂ってくる。あの窓口のお姉さんも必要な情報をわざと隠匿してくれたみたいだし。このギルド、まさかブラック企業?
「とはいえ、救済処置がないわけではない」
一刻も早く冒険者になりたくて、麓の街まで行く半日をケチったばっかりに面倒なことになってしまった。
「新人は希望者に限り、擁護の観点から、一人前の冒険者になるための手解きを受けることができるんだ。このギルドのプログラムは多少難度は高いが、大丈夫。新人でもクリアできるようにできている。嫌なら受ける必要はないが、受けておいて損はないぞ、無料だしな」
にっこり笑って脅されてる感じだ。悪人には見えないけれど、この後の話はほとんど押し売りのそれだった。
「まずこれから始めよう」
掲示板から依頼書を一枚引っぺがす。
「『依頼レベル、C。依頼品、水の魔石(中ランク)。数、五。期日、水前月の十三日まで。場所、エルーダ迷宮洞窟。報酬依頼料、金貨五枚、全額後払い。依頼報告先、冒険者ギルドエルーダ出張所』」
新人教育担当を自称する男は依頼内容をすらすらと読み上げた。
金貨五枚ということは、五十万ルプリ。宿屋が一泊三千ルプリぐらいだから、すごい、約半年分だ!
「水の魔石は迷宮で一番弱い魔物から回収できる。地下蟹という蟹の魔物だ。攻撃は大きな鋏のみ。ただし全長は四メルテ。両手を広げた長さの倍だ。一メルテは成人男性の腕の長さだと覚えておくといい。依頼書で使われる万国共通の単位だ。地下蟹最大の特徴はその甲羅の硬さだ。物理攻撃にめっぽう強いので、熟練冒険者でもスキルがないと長期戦を余儀なくされる相手だ。ゆえに敬遠されやすい魔物でもあるが、君にはこいつを殺ってもらう。理由は、初心者でもかわせるほど動きが遅く、攻撃手段も鋏のみという単純なものだからだ」
新人教育担当の男は一気に捲し立てた。
「でも熟練者でも攻撃が通らないんじゃ、無理なんじゃ」
「そこでこれだ」
取り出したるは一振りの剣。
「こちらへ」
部屋の隅に案内された。一枚板の頑丈なテーブルの上に石のまな板のような秤がいくつも置かれていた。職員は剣をまな板の上に置いた。すると剣のステータスが僕の頭のなかに飛び込んできた。
「これは『認識』スキルの代りをする魔道具だ。『認識計』という」
僕は剣のステータスは見た。
『嫌がらせの剣』、なんてネーミングだ。『魔法付与、毒、麻痺、混乱、疫病、石化、即死』状態異常がランダムで発動するらしい。一方、攻撃力はたったの一だった。
「呆れたかね?」
僕の笑顔は引きつった。
「この剣を君に貸し与えよう。石化、即死が出れば、一発だ」
「いいんですか? 魔法剣って高いんじゃ?」
「魔法剣の面倒なところは魔力の補充が欠かせないという点だ。そのため補充用の魔石が必要になる。剣を無料にする代わりに補充用の魔石を購入してもらうことになる。この剣の場合、一撃ごとに魔力が五消費される。貯蔵される魔力は六十。つまり一度の補給で十二回発動できるわけだ。魔力残量百相当の魔石を銀貨十枚、一万ルプリで販売しよう。報酬に比べれば微々たるものだが、決して安くはない。うまく使うことだ」
剣を仮に折ったとしても代金は請求しないとご丁寧に念書を渡された。こうも用意周到だとなおさら警戒してしまう。
とはいえ、他にすがる術もなく、視神経に影響してこちらを捕捉できなくする『目くらまし香』と、万が一のための『脱出用ルーン』を同じ値段で購入した。
地下蟹には『目くらまし香』がよく効くらしく、レベルの低いうちは保険として必ずかけておくようにと教えられた。『脱出用ルーン』は迷宮入口まで戻るための位置情報を刻んだ転移結晶のことである。歩けなくなったとき、迷子になったときの保険だ。魔法が使えなくても砕くことで発動する冒険者の必需品だ。
回復薬と解毒薬、いくつかのストックは実家から持参したので購入しなかった。
僕は冒険初日にして、持参した金を使い果たし、尚且つ当座の資金として、前借りで金貨二枚分の借金をした。この手のものにお金払ったことがないから物価はよくわからないけど、人生って物入りだと実感した。