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 窓の外、ビルの外壁を、そして階段を、蜘蛛が登っていく。

 それを私とアイは、机の下で息を殺しながら見ていた。

 嶋搗の案。それは、至ってシンプルなもの。

 それが成功するかは、運次第。

 ……それに、嶋搗は――。

 お願い。

 上手くいって……!



 なんて損な役回りだ。

 自分で考えて、しかも自分で選択した役割ではあるが、どうしようもない後悔の念が沸く。っていうか、選んだっても、俺しか適任がいなかったからなんだよな。

 屋上の入り口や外縁から、蜘蛛が上って来る。

 ……俺、死ぬかもなあ。

 まだこの世界が昼で、魔力元素が溢れていればよかった。それなら加速魔術を連発して大抵の状況を切り抜ける自信がある。

 ちなみにあの加速魔術の斬撃、この剣がないと使用出来なかったりする。この剣を媒体に使うからこそ俺は魔力を限定範囲のまま加速できるのであって、もし何の手助けもなしに魔力を加速したら、範囲が広いだけの暴風くらいにしかならない。あくまで俺が出来るのは、魔力の加速だけなのだ。しかも広範囲になる分、魔力の把握に時間がかかってしまうといういいところ完璧ゼロの在り様。

 ……まあ、今はそれを言ってもどうしようもないけど。

 どうせ魔力なんてないし。カートリッジも二本使って、一本はこの明かりに姿を変わってしまった。所詮、ないものねだりだ。

 そろそろ、良い具合に蜘蛛が集まって来たな。

 近づいてくるやつらを斬りながら、頃合いを伺う。

 と、ここで俺は大切なことを思い出した。

 ヴヴヴヴヴヴヴ。

 上から、嫌な音が聞こえる。

 ……そういえば、こんな音をたてるやつらも、いたな。

 見たくもなかったが、それでも俺は自然と顔をあげる。

 巨大な、羽虫のマザー。それ周りを霧のようにも見える子の群れ。

 先ほど割断された怒りを訴えるかのように、羽音は荒々しく、俺を見下ろしていた


「……限界だな」


 まあ、そう恨むな。俺だって生き残るために必死なんだから。

 それに、それを言ったら、俺だってお前らに一つ言いたい。

 いいか、耳の穴があるかどうか知らないが、とにあく耳の穴かっぽじって聞けよ?

 息を大きく吸う。

 そして、


「――テメェらだけで、六千万も散財してんだよ、こっちはぁあああああああああ!」


 声帯を限界まで振動させて、俺は叫びを上げた。



「――テメェらだけで、六千万も散財してんだよ、こっちはぁあああああああああ!」


 ビルの屋上から、その声が二階に隠れていた私達にもはっきりと届いた。

 きた。

 これが……合図!

 って、えー? 合図ってそんなの?

 そんなにショックだったのね、六千万……いや、確かに六千万はSWにとっても十分大金なんだけどさ、今それを合図に叫ぶ必要はあったのかしら。

 嶋搗が骨の髄まで守銭奴なんだと痛感しつつ、私はアイから返してもらったレールガンを腰を低くして構えた。

 狙いは……窓枠!

 ビルの側面をよじ登る蜘蛛を巻き込んで、窓枠がレールガンの一射で破砕される。

 大きく開いた風穴に、私とアイは駆けだした。そして――跳ぶ!


「……っ!」
「っ、ひぅ!」


 内臓がひっくりかえる感覚。

 体中を風が撫でていく。

 地面が眼前に迫るのは、本当に一度瞬くだけの時間もないうちだった。

 二階の高さは、さしたるものではない。どれだけ高くても三メートルほど。

 なら、その程度どうというものか。

 自分を鼓舞して、地面に触れる。身体を回転させるように受け身を取り、すぐさま立ち上がった。

 うん。上手くいった。私ってばさすがね?


「いっ、たたぁ……」


 ……心配だったけど、アイも大丈夫だったみたいだ。少し身体をすりむいたようだが、それは単に軽装――というかもう私服――を着てくるからそういうことになるのよね。

 今度からちゃんとした格好をするように、後できっちりと言っておこう。もし私と同レベルのものを用意することになったら、ジャケットだけで四十八万もするんだけど。

 ――いけないな。なんでも金のことを念頭に置くのは、嶋搗の悪い癖だっていうのに。感染しちゃったかも。


「……さて、と」


 ビルを振り返る。

 なんとも頭の痛くなりそうな光景だった。

 ビルの壁面を囲う、蜘蛛の群れ。灰色の建物が、いまや黒に塗り潰されていた。その代わりというように、道路にはほとんど蜘蛛の姿はない。

 これだけ見れば、嶋搗の案は成功、かしらね。

 彼が囮になって、蜘蛛はほとんどがビルに集結した。

 そこで、ビルの屋上に注意が向いている間に、私達は二階から飛び出して逃げだす。

 二階の私達が隠れた部屋に蜘蛛がやってきたらアウトで、ビルの周辺に蜘蛛が多く残っていてもアウト。なんとも運任せな作戦ではあったが……賭けには勝ったわね。

 あとは、嶋搗――。

 あんた、どうやって逃げるつもりなの?

 こちらに迫って来る蜘蛛にレールガンを構え、私は視線を屋上へと向けた。



 さて、どうやって逃げるかな。

 左右には、隣のビルの壁。とてもじゃないが上れそうではない。

 前後には、何もない空間。この屋上の高さは、だいたい十五メートル強っていったところか。落ちたら、いくら身体を強化されてるとはいえ、骨の二本か三本は覚悟することになるだろう。下手すれば死ぬことだって十分ありうる。それは最後の手段だな。

 となると……ああ、そうか。


 飛び降りるっきゃねえな。


 本当にそれでいいのか、と冷静な理性の部分が頭の中で尋ねてきたが、今それを熟考するだけの余裕はなかった。

 周囲からは、蜘蛛。

 上方からは、羽虫。しかもマザーつき。

 こんな状況で考え事なんて出来るほど俺の危機意識はぶっ壊れてない。

 本能の命令に、俺は忠実に従った。

 蜘蛛を斬り、上から降りかかって来た羽虫を腕で弾きながら、屋上の縁に足をかける。

 下から、金属の臭いが濃く混じった風が吹き上げて来た。

 見下ろす壁面から、蜘蛛のありもしない複眼が俺を見つめていた。まるで粘りつく、蜘蛛の糸のような視線。

 それはまるで、獲物を捕らえる直前のようだ。

 気に入らないな。俺がどうしてこんな連中にこんな風に見られなくちゃいけないんだ。

 ……は。そうだ。いいことを思いついた。

 自分の素晴らしい考えに、背筋が凍る。

 俺は――跳んだ。

 一歩を踏み出して、空中に身体を差し出す。重力は、俺の身体を地面に引っ張った。

 ……だが、ただこのまま落ちてやるものか。

 俺は、壁面をよじ登る蜘蛛の丸い胴体を踏みつけた。

 その衝撃で、蜘蛛は肢が壁からはずれ、落下を開始する。その直前に既に俺は再度跳躍していた。

 また、蜘蛛を踏みつける。また跳ぶ。また踏みつける。

 それを繰り返していくと、徐々に俺の視線は低くなっていった。

 安堵感と共に、言い知れぬものが染み出て来た。

 なんだよ、これ。俺ってやつは、まったくとんでもないな。

 普通こんなこと、考え付いても実践したりしないぞ。

 現実味のない自分自身の行動に、なにかのホルモンバランスでも崩れたかのような感情の高揚。


「くっ、くく……ざまあ見やがれ!」


 いつになく軽い声で連中を罵倒しつつ、俺は最後の跳躍をした。近くに停まっていた車の上に落ちる。


「っ……く!」


 背中から腹に衝撃が抜けた。


「嶋搗!」
「臣護!」


 そこに駆け寄って来たのは、天利とアイの二人だった。


「だ、大丈夫?」
「ん、あー」


 天利の問いに言葉で返す気力もなくて、手を力なく振って無事をアピールする。と、手の甲から僅かに血が出ていることに気付いた。

 ああ……羽虫を腕で払った時に、少し溶かされたのか。

 そうなると、落ちてくる時に蜘蛛をふんずけてきたから、靴の裏は酷いことになっているだろう。帰ったら買い替えだな。


「あんた、とんでもない無茶するわね」
「自分でもそう思う」


 身体を起こして、窪んだ車の上から下りる。


「臣護、怪我してない!?」
「お前の擦り傷とどっこいってとこだな」


 見ると、アイの肘や膝から血が出ている。おおかた、飛び降りた時にやったんだろう。こいつって受け身とれそうもないし。


「それより、さっさと逃げるぞ」


 天利の背後から迫っていた蜘蛛を裂いて、返す刃で上から落ちて来た蜘蛛を斬る。


「ええ、そうね」


 三人で駆けだす。

 結局は、また最初の逃亡劇に逆戻りかよ……。

 後ろのビルを振り返ると、早くも蜘蛛が降下を始め、羽虫は一足先に俺達に迫ってきていた。

 とりあえず、蜘蛛の方は一旦は安心していいか。あんだけビルに密集してちゃ、動き出すのにも時間がかかるだろう。目下問題は羽虫だな。

 ……いや待て。密集?

 不意に、俺はまたもいいことを思いついてしまった。


「天利」


 脚を止めて天利を呼ぶ。


「なに?」
「ちょっとあそこらへんに何発か連続で撃ちこめ」


 ビルの右端のあたりを指さす。


「……なんで?」
「いいから」
「今はそんな時間――」
「いいから」
「……」


 怪訝に、しかし天利は言われたとおりにレールガンを発射した。

 一射、二射。三射。

 目に見える変化は起こらない。

 ……あてが外れたか?

 もう羽虫もすぐ近くにきてるし、諦めるしかないだろうか。

 そう考えた、四射目。


「え……?」


 天利の驚きに満ちた声。

 一方で俺は拳を握り締めた。

 視線の先では、ビルの一部に、幾筋ものひびが入っていた。それはどんどんと根を伸ばし、ついには三階のあたりまで溝を刻む。

 大きな軋みがビルを包んだ。

 そしてその音に続く――決壊。

 ひびが沈み、ビルが右側に大きく傾いた。隣のビルにぶつかり、衝撃で隣のビルまでもが崩れ落ちる。そのコンクリートの瀑布に、蜘蛛が巻き込まれていく。


「え……ええ?」
「悠希……なにしたの?」


 愕然とした顔でアイが天利に尋ねる。


「わ、私だって分からないわよ……嶋搗!」
「なんだ?」
「なによあれ!」
「倒壊だな」
「そんなのは見ればわかるのよ!」
「とりあえず話は走りながらでいいか?」


 粉塵が周囲を包み込む。その中には、こちらに向かって飛んでくる羽虫のマザーの影が ぼんやりと浮かび上がっていた。


「っ、空を飛ぶってのは厄介よね……!」


 その影にレールガンを一発見舞ってから、俺達は逃げだした。


「それで、どういうことなの!」
「なにが?」
「だからあれだって、何度言わせる気!?」


 天利が背後で崩れ切ったビルを指し示す。


「金属生命体は重い。それは分かるな?」
「ええ。それが?」
「そして、ビルっていうのはそれほど重い物を上に載せる構造にはなっていない。あくまでそこで仕事なりをする人間とそれに付随する道具を置くだけの為のものなんだ」
「……」
「加え、この世界の建物は長い年月を放置されてかなり老朽化していると見ても間違いない。さて、そんなビルの一点を狙って壊しまくったらどうなるか、分かるか?」
「……そういうこと」
「そういうことだ」
「え……え?」


 一人だけ、アイは分かっていない様子だった。鈍すぎる。


「つまり……あの建物は壊れかけなのに、重いものを大量に載せていたの。そこで私のレールガンで最後の後押しをして、倒壊させたってわけ」
「そう、なんだ……」


 アイは感心するように俺を見た。


「でも、よく思いついたね?」
「人間、恨みがあればいくらでも復讐の策は浮かぶもんなんだな」
「……あんた、まさか六千万の……?」
「さて」
「私……あんたとは金の諍いを一生起こさないことにするわ」
「賢い選択だよ」


 まず人間関係で大切なのは、金に誠実なことだ。その辺りしっかりしないと、人間関係は悲しいくらいに脆く崩れるぞ。

 ほんと、人間ってのはなんだかんだ言いながらも現金な動物だよ。

 はぐれもののSWだってそれは変わらない。金があれば装備が潤う、装備が潤えば生存確率があがる。やっぱり金は大事だな。


「で、次はどうするの?」
「次?」


 おかしなことを訊くやつだな。

 それは、次の行動はなにか、俺に尋ねているのか?

 だったら俺の返答はこれだ。


「だから、俺に訊けばいつでも答えが返って来るなんて思ってるんじゃない」


 強いて言うのなら、


「ひたすらに逃げる!」
「結局それか!」
「もう、すぐ後ろまで来てるよっ!?」


 脚を休まずに動かせながら、俺は状況を整理した。

 武器――俺が魔導水銀剣のみ。天利がレールガンと空気砲二丁、あと二本くらいナイフを持ってたはず。アイがなにもなし。

 備考――この街の明かりはあと一時間もしないうちに消える予定。救出までは最悪その二倍の時間が必要。

 状況――敵多数。羽虫のマザーと子には距離四メートルでちょっとずつ縮められている。蜘蛛とは大分離れたが、この先どうなるかは不明。ついでにそのマザーの位置もいつの間にか見失ってる。

 総合――最悪だな。


「いっそ笑いが出てきそうだ。どうしろっていうんだよ、これ」


 絶対的に詰んでるぞ。チェックメイトだ。

 こっちはキングにクイーンにポーンの三駒なのに対して、あっちはキングとクイーンにポーンが無限だぞ。

 理不尽な戦力差だ。

 せめて魔力があればアイも魔術が使えるし、やりようはあった。

 ……この世界の夜って何時間だろうか。もしかしたらそろそろ魔力が戻ってくるかもしれないな、と期待してみたいが、生憎とそういう気配はない。


「……天利」
「なに!」


 呼びかけると、返って来たのは余裕なんてこれっぽっちもない怒声。


「一つ言っておく」


 ――仕方がない。

 三人で逃げるのは、もう限界だ。


「帰ったら、二千万くらいは期待してる」



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