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 ったく。人使いが荒れーな。シーマンは。

 だいたいなんだよ、あれ。

 魔術?

 なんでシーマンが魔術なんて使えるんだ。

 だが、今はそれを気にしている場合ではなかった。

 目の前に、蛇のマザー。

 長い舌が、鞭のようにオレに振り落とされた。

 刀を振るう。

 舌を切断して、しかしその衝撃に雷を纏う刀身が真ん中から折れちまった。

 ま、刀なんてそんな丈夫に造られてるもんでもないしなあ。

 その為に常に予備を用意してるわけだ。オレってば準備のいい男。

 折れた刀を捨てて、新しい刀を抜く。

 蛇の腹を裂くと、お返しといわんばかりに尾が振るわれた。それを刀でガードする……が、刀はあっさりと折れ、さらにオレの腕の骨が砕け、肋骨も何本かイカれた。

 口の端から血が零れる。

 咄嗟に身体を浮かせたのに、このダメージかよ……。

 さーて。

 あと四十秒……。

 オレは、ぺしゃんこにならないで生きてられるかね。



 空気砲は、悠希に返した。

 今の私にはあれは必要ないものだったから。

 魔力が、肌を撫でる。そのことに、深い安堵を得た。

 無魔力世界にやってきたのは――魔術が使えなくなったのは、初めてだった。

 それがどれほどに恐ろしいものだったか。

 まるで身体の一部が喪われたかのような感覚。

 けれど、今はそれが満たされている。

 蜘蛛のマザーを見上げながら、数時間ぶりの魔術を行使する。

 ……本当は、私はガイドとか、そういう雑用向きの魔術師じゃない。

 どちらかといえば、戦闘向きなのだ。

 希望していた警務魔術師の給料が家族を養うには不足だからという理由だけで、私は政務魔術師になった。

 だから、やれるはずだ。

 自分に言い聞かせる。これは、本来の私なのだと。私は、戦う魔術師なのだと。

 手の中に、炎が生まれた。

 その炎は空気を呑みこんで肥大化し、マザーの足を包み込む。火力は十分。

 焼けたマザーの肢が切り落とされ、新しい肢に生え換わる。

 その肢が私に突き出された。まるで大質量の槍だ。

 身体の周りの魔力の流れを操作して、身体を横に滑らせる。頬を掠めて、マザーの肢は地面を砕く。砕かれ飛び散った瓦礫が私の背中を打った。

 あと二十秒……。

 臣護から強大な魔力の流れを感じながら、私はマザーを睨みつけた。



 嶋搗が一分を私達に求めた。

 なら、私達はそれがどれほど理不尽な要求でも、応えなくてはならない。

 彼が、私達を救ってくれる。

 それだけは、何よりも確かなことだった。

 はっきりとした理由なんてない。

 ただ嶋搗は諦めていないから、私達は彼を信じる。それだけだ。

 そんな理由に命をかける私達を、誰かが笑うかもしれない。

 なら、笑い返してやろう。

 お前達は嶋搗のことを知っているのか、と。

 捻くれていて、守銭奴で、それでいて彼は誰よりも身内に甘い人間だ。全身血だらけになっても味方を先に逃がすような大馬鹿だ。

 そんな彼を、どうして疑える。

 一年の間ずっと隣にいた彼を、どうして疑えるものか。

 信じてあげるわよ、嶋搗。

 だから、ちゃんと私達を帰してね。

 風が吹いた。

 その風を生み出すのは、羽虫のマザーの羽。

 この先には行かせない。

 こちらに向かって飛んでくるマザーに――跳びかかる。

 衝突に身体じゅうの痛覚が再燃し、さらにマザーに触れる手のひらや膝が溶かされる嫌悪的な痛みが突き刺さる。

 だが、そのくらいどうということはない。

 私はそのままマザーの背中を駆け上って、羽の根元に空気砲を放った。

 羽が千切れたせいでマザーがバランスを崩し、私は振り落とされる。

 危うく地面に着地すると、靴の底がマザーに溶かされていて、土の感触が直に肢の裏に触れた。

 ……これ、もう邪魔だな。

 手早く靴を脱ぎ捨てて、私は双銃を構える。

 翼を生え直したマザーに相対して、私は時を待つ。

 あと何秒だろう……。

 私は考えながら、地面を蹴った。



 見事。

 そうとしか形容できない。

 三人のマザーを相手取った戦いは、人間には分不相応な、神話に出てこようとも見劣りすることのない、超越的な戦いだった。

 その光景を視界に収めながら、俺の意識の大部分は、しっかり別の所で動いていた。

 魔力を加速する。それだけが、俺が行使出来る唯一の魔術だ。

 魔導水銀剣のような媒体がなければ、大した威力も得ることのできない、他の魔術の前段階などに用いられる基礎の、さらにその基礎にある魔術。

 ――本来、それだけのものだ。

 しかし俺は、その常識を覆す。

 魔力を加速した。加速方向はある程度は操ることが出来る。前後上下左右、その程度の選択肢。それだけで十分。

 右側の魔力を左に加速し、左側の魔力を右に加速する。同じように上を下に、下を上に、前を後ろに、後ろを前に……ただ一点へと魔力を加速させる。

 ぶつかりあう魔力が、強力な反発をもって俺の制御を離れようと暴れ出す。それを、俺は許さない。

 暴れる魔力をさらに縛り付ける。全方向から押し付けられて、次第にその一点に、高密度の魔力が極めて不安定な状況で収束し始める。

 本来なら、これは加速魔術で行えることではない。もっと高等の魔術によってのみ発生する現象だ。

 それを無理矢理に加速魔術で発現させるのだから、求められる能力は高い。 平凡な魔術師なら、あっさりと制御が外れて魔力が暴発してしまうところだろう。

 だが俺は……魔術師なんてものではない俺は、それを強制的に行使した。

 そして、そのさらに先へ――俺の加速魔術は、ここで終わらない。

 高密度魔力が、さらなる過負荷によって空間を歪ませる。

 歪み、歪み、また歪み、いつしかそこから色が消えた。消えた色は、奈落を覗く穴を開けた。

 黒が、歪みを塗り固めていく。一粒の光すら望めない漆黒。見つめるだけで魂を喰い尽されそうな暗黒。

 それを見つめて、俺は思い出す。

 この魔術を俺に教えてくれた、あのくそじじいのことを。


「……三年前、中学二年のころだった」


 声が三人に届いているかは、分からない。

 届かない、とも思うし、きっと届いている、とも思えた。


「ある日、両親が交通事故で死んだ。二人は同じ仕事をしていて、その帰宅途中のことだったらしい」


 夜。雨が降っていたことだけは、覚えている。

 俺はいつも通り、一人で適当な晩飯を作って、それを食べて適当に寝るまでの時間を潰していた。両親は朝早くに仕事に出て夜遅くに帰ってきていたから、俺の生活は小さなころからそんな感じだった。かといって、親子の仲が悪かったというわけではない。

 もしかしたら、悪くなるほど互いを知らなかっただけかもしれないな。

 電話で病院から両親の死が伝えられた時も、涙は出なかった。


「両親の死体を見て、思ったよ」


 二人の人間が欠落して、けれどれは、社会にとっては新聞紙面の一文字にも劣る出来事だった。


「仕事をどれだけしても、経歴も功績も名誉も、なにもかもが死んだら無駄なんだな、ってさ」


 両親が会社で座っていた椅子には、数日後には他の誰かが腰を下ろしている。

 その数日間。それだけが、両親の死が現実に残した影響だ。

 怖いと思った。

 死ぬのが、ではない。

 そんな風に、死んで、それきりなのが怖かった。

 どれほど努力しても報われないのが怖い。どこまでも怖い。

 一生懸命に社会に尽くすことになんの意味があるのかと何度も自分に問いかけて、結局その答えは一つだって見つからなかった。

 だったら、いいじゃないか。

 社会の為でも、誰の為でもなく……そうやってなににも縛られることもなく、自分のやりたいようにしたい。


「俺は、自由に生きたいと願った」


 その願いは、両親の葬式の日……一人の魔術師によって叶えられる。

 灰一色のローブの上に、さらに飾り布のされた灰色のマントを羽織った老人が葬式を終えた家のインターホンを押した。

 扉を開けた俺に、魔術師が告げる。


「突然俺の家に押しかけた老人は、王宮魔術師の第一元帥なんて、当時の俺にはまったく理解できない役職名を開口一番に名乗ってきた」


 そして困惑する俺に、あのじじいは尋ねたんだ。


「命がけで人生を楽しんでみないか。その問いかけに、俺は即座に頷いた」


 そこからは、怒涛のような時間がおしかけてくるばかりだった。


「あのじじいは、初っ端から俺を異次元世界に転移させやがった。そこは草原がどこまでも広がる世界で……それを見た時、俺の自由はここにあるんだって直感したよ」


 俺は、じじいにそれから何度も異次元世界に転移させてもらった。

 許可も貰わないで異次元世界へ転移するのはもちろん違法だ。だが俺もじじいも、それを気には留めなかった。それよりももっと大切なものが、俺達の生き方だったから。


「じじいに魔術を、剣を、戦い方を教わった二年間は、命を落としかけたことだって一度や二度じゃなかったが、それでもそれは、だからこそ充実した日々だった」


 その生活を続けようと思ったのは、当然のことだと言える。

 中学を卒業すればSWのライセンス取得が可能になる。公式に異次元世界に行くことが可能になるのだ。


「俺は後見人の叔父を、それこそ拳をぶつけあうほどの無茶苦茶をして納得させて、SWのライセンスを取得した」


 その直後のことだ。


「じじいはSWになった俺に言った。これから、自分の限界を知るまで魔術を使うな、自分の限界を知ることは重要だから、と。以来、俺はじじいとは二度と会ってない」


 結局は、魔術を使ってしまった以上、この世界が俺の限界ということになる。

 なかなか悪くない限界だと自負してもいいだろう。魔術なしでここまでこれるなら、十分とは言わずとも不足はない。


「それからのことは天利もよく知っているだろう。俺とじじいが分かれたのは、お前と出会う三日前のことだからな」


 黒が、握りこぶし大の球体を形成する。

 語るのは、ここでお終いだな。

 何故こんな話をしたのか、自分でも分からない。

 ただ、話しておかなくてはならない。そう感じたんだ。

 実際に話してみて、腹の底が楽になったようにも思える。


「待たせたな!」


 一分。

 三人は、よくも俺の要求を満たしてくれた。

 どいつもこいつも満身創痍だが、死んではいない。

 大した連中だよ。


「もう退いていいぞ!」


 三人がマザーから離れていく。すかさず、三体のマザーは俺に殺到した。

 じじいから教わった魔術は、一つ。加速魔術だけだ。

 もともと、俺にはそれだけの才能しかなかった。

 だが――……ただの加速には、俺の才能は留まらない。

 加速の、その先にある極地。

 じいいと同じ場所。

 魔術が至るべき業の一つ。

 どこまでも、密度を超えて、魔力が魔力という枠組みから乖離するほどに収束させることで生み出される、特異概念。

 俺はそれを、三体のマザーに開放した。

 世界を、黒が喰らい尽す。

 放たれた特異概念は、三体の巨体を呑みこみ、さらにそのまま一直線に道路も、建物も、ありとあらゆる物質を自らの腹の内へと叩きこんだ。

 破壊ではない。

 この黒は、在るはずのない……言わば存在外の概念。それによって全ては存在から虚無へと反転させられる。

 ――消滅だ。

 その質量はどこからも喪われ、二度と還ることはない。

 エウリュディケ(二度と戻れない闇)。

 じじいはこの魔術を、そう呼んでいた。

 特異概念は、黒の粒子となって空に溶ける。

 残されたのは、地の果てまで抉られた街と、俺達四人。

 ゆっくりと。

 身体が後ろに倒れた。

一章最終話の直前なのに短いとかどうよ……


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