「あら、もうこんな時間。坂野、お茶を淹れてきてちょうだい」
「かしこまりました」
古いアンティーク家具が並んだ部屋で、彼女は本を読んでいた。
彼女の美しくて長い金髪がサラサラと風になびき、輝く。それが眩しくて、私は目を細めた。
「お茶の種類はいかがいたしましょう?」
「そうね……アップルでいいわ。熱いお茶がいい。ああそれと、窓を閉めてちょうだい。寒いわ」
彼女は本に目を落としたまま、私にそう告げる。確かに風に彼女の髪はなびいている。キラキラと、美しく。ゆっくりと首を動かし、私は窓のある方を見やる。
しかし……。
「失礼ですが、お嬢様。窓は開いておりません」
「そんなわけないでしょう。風が私に向かって吹いているわ。坂野、私に無駄な言葉を発せさせないで。窓を閉めろと言ったら、閉めるのよ」
彼女が声を荒げる。が、本から目を放す様子はなかった。狂ったように本に釘付けになり、私に次々と命令を下す。私は、渋々もう一度窓を見やった。
いつもと変わらぬ、完全に閉まった窓。それだけが私の目にうつる。試しに、窓に近づいて触れてみた。ひやりと冷たい。思った通りの感触が私の腕を走り、脳へ届いた。
風は、そんな窓から吹いている。
「坂野、何をしているの? 全く……。じゃあ、いいわ。お茶を淹れてきて」
「はい、申し訳ございません」
彼女の不機嫌な声が聞こえ、私は窓から離れた。私よりも四歳年下の彼女に、ぺこりと頭を下げる。相変わらず、彼女の目は本に落とされていた。
台所に行き、アップルの茶の葉が入った缶を手に取る。カラン、と音をたてて缶の蓋を開けると、香ばしくも甘い林檎の香りが鼻をついた。アップルなんて洒落た紅茶を飲まない私は、香りを楽しむだけでうっとりとなった。きっと美味しいんだろうな、と心の中で呟き、同時にお嬢様のことを考える。
お嬢様は、アップルがお気に入りだ。きっと、毎日のようにアップルの香りや味を楽しんでいたのだろう。そう、たった今私が味わっているような、この感じを。
ハッと我に帰り、紅茶を淹れ始める。ティーポットにティーメジャーで量った正確な量の茶葉を入れ、お湯を静かに注ぐ。それから蓋を閉めて蒸らし、小さな白いカップに出来上がった紅茶を注いだ。それを皿に乗せ、ミルクと砂糖を添える。お嬢様の喜ぶ顔を想像しながら、それを持って部屋へと戻った。
「お嬢様、アップルです」
「ありがとう。テーブルに置いてちょうだい」
お嬢様は、まだ本から目を離していなかった。私は、お嬢様の傍らに置かれた小さなアンティークのテーブルの上に、紅茶を置いた。
「……どうぞ、召し上がってください」
「ええ」
お嬢様は本から目を離さずにティーカップを手にとり、静かに口につけた。ゆっくりと、カップを傾ける。やがて、彼女の喉がコクン、と小さな音をたてた。
「……坂野」
「なんでございましょうか」
「温度が低くないかしら。あなた、ティーポットを温めてからお茶の葉を入れたの?」
私は、ハッと思い出す。そうだ、温めていない。
「申し訳ありません、淹れ直してまいります」
「もういいわ! 全く、あなたのような使えない使用人は初めてよ。このメアリの使用人となったことを誇りに思い、覚悟を決めて行動して欲しいわね」
彼女は怒る。しかし、本から目を離さない。私は、もう一度深々と頭を下げながら謝る。そのまま、つい頭に浮かんだ言葉を発してしまった。
「お嬢様も、覚悟をお決めになってはいかがですか?」
言ってしまった後に、後悔する。そっと顔を上げると、彼女はお茶を持ったまま静止していた。少々震えているのがわかる。
「何が、言いたいのかしら」
「言っても良いのですか?」
「……言ってちょうだい。何を覚悟するの?」
彼女は、依然本から目を離さなかった。私は、ゆっくりと口を開く。
「おわかりでしょう。わからないのなら、本から目を離して風の吹いてくる方を見てください。そこに、使者がいます。私には見えませんが、いるのです」
私は、少し声を荒げる。もう止まらない、全て話してしまおう。そう思った。
「あなたは、亡くなったんです。二十年前の夜中にね。あなたの本当の体は、もうここには無いのですよ。さあ、顔を上げて。窓から飛び出せば、使者が導いてくれますから」
必死に訴えると、お嬢様は急激に震えだした。
「い、いや……! いやよ……! 私はここにいたいの。ここで、アップルが飲みたいの!」
「あちらでも、アップルは飲めますよ」
「飲めないわ! あなたの淹れた不十分なアップルは、あっちじゃ飲めない!」
その言葉に、私はハッとなる。そして、自分の目から一筋の涙が流れているのに気づいた。
「あなたの……あなたの淹れたアップルが飲みたい」
お嬢様は必死だった。彼女の膝の上の本に、ぽたぽたと涙が降る。彼女も泣いていた。
「……わかりました。私も後を追います。だから、顔を上げましょう。あなたの美しい顔が見たい」
私は優しく語りかける。何か柔らかいものを抱きしめるような口調で、ふわりふわりと。
お嬢様は、顔を下げたまますっかり冷めたアップルを口に含み、飲み下した。
そして……。
ああ、愛しいお嬢様。
私はあなたを愛していた。
だからこそ、はやく死んで欲しかった。
あなたが命を失ったときの美しい顔を、早く見たかった。
あなたは、私の淹れた死のアップルを躊躇い無く飲んだ。
それから、あなたは死んでからも私のアップルを欲しがった。
あなたは辛そうだった。
私も辛かった。
私はあなたを愛している。本当に愛している。
だから、約束は守ります。安心してください。ね?
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