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第1章 - 8 闇夜の襲撃者
 絶界の壁が紫色をしているため、月は白光ではなく、紫光を高校の裏山に注がせていた。
 その山頂。樹齢百年を裕に越しているであろう大樹が一本、緑の絨毯に植えられている中、黒髪の少年と灰金色の髪の青年が向かい合っていた。
 二人の間に和やかな空気はない。あるのは、触れれば切れてしまうような、鋭さをもった雰囲気だ。
 翼は銀灰髪の青年――ヴァルファムルクを睥睨(へいげい)し、機を窺う。身体の正中線にピタリと構えられた刀身は揺らぐことはなく、ただ毅然と敵に威を放っていた。
 ヴァルファムルクは剣を構え、同様に翼を睨んでいる。冷たい、だがその奥に強い信念を秘めた目……。
 剣は片手で握られていた。腕一本で十分だ、と言わんばかりに。
 翼の背後には、天真が木に背を預け、瞼を閉じている。動く気配は、相変わらずない。
 ――先輩の仇を取ってみせる。
 もっとも、今敵対している相手は直接的な仇ではないのだが、アルフォートと何らかの繋がりがあるのは確かなため、無関係というわけではない。
 夜風が吹く。
 春もまだ始まったばかりということもあり、肌を伝うのは冷えた風だ。
 芝生が波立ち、木々の梢がざわざわと揺れる。
 緋睡は先ほど、森へと駆けて行ったアルフォートを追いかけて、ここにはいない。ゆえに援護は期待できないと考えたほうがいいだろう。

「真道翼。お前はなぜソーサリー・クリスタルを収集している?」

 突然、ヴァルファムルクがそのようなことを質問してきた。

「なぜって……それは……水晶が悪用されるのを防ぐためだ」
「なぜそのような真似をする? お前がそこまでする意味が、わたしにはわからない」

 指摘され、翼はそういえばそうだ、と思う。
 自分はいったいなぜ水晶を探しているのだろう、と。
 命の危機に苛まれながらも。
 だけど今はそれを深くは考えないようにした。
 今は、これから起こる戦いに意識を集中しておくべきだ。

「それは僕も同じだ。貴方がなぜ、ここまでして水晶を取ろうとするのか、僕にはわからない」

 確かに、とヴァルファムルクは納得の様を見せた。

「だが、人は他人を理解することはできない生き物だ。そう考えると、わからないのも頷けるだろう」
「……僕はそうは思わない」

 そうか、と頷くヴァルファムルク。
 その後に続いたのは逆説だ。

「だが、お前の抱いているその思念は幻想に過ぎん。他人が理解できた、と思うのなら、それは理解できた気になっているだけだ。人と人との間には、常に深淵が存在している」
「……だけど、何度も会って、交流したら、その溝を埋めていくことができるはずだ」

 甘いな、とヴァルファムルクは翼の意見を一刀両断した。

「この世には、決して埋まることのない溝があることを知れ」

 その後、風が止み、それが戦闘開始の合図となった。
 先に動いたのはヴァルファムルク。
 神速をもって、十メートルほどあった翼との距離を瞬きをする間にゼロにした。
 その後、繰り出されるのは上段からの振り下ろし。
 大気の圧力が感じていないかのように、その一撃は素早い。
 ――速いッ!
 全身に氷水が血液の代わりに流れているような錯覚を感じながらも、翼はその剣撃を受け止めた。
 火花が散り、刃が軋み合う。
 ジリ、と踏ん張っていた土を滑らせる。
 重い。
 巨石を棒一本で受け止めた所業を成し遂げたように感じられた。

「初撃は防いだか……」

 吐く息とともに出された言葉。口調は淡々としていて人間味に欠けている。
 しばらく鍔迫り合いを行っていたが、青年は突然、大股一歩分程の間合いを取った。
 刹那、ヴァルファムルクは下段に得物を構え、再び迫り来た。
 下段からの逆袈裟斬り。
 攻撃は左脇腹からだ。
 もともとそれほど距離が離れていなかったので、攻撃にかかった時間は三秒も経っていない。
 翼はその二撃目も受け止めた。
 ふ、とヴァルファムルクは息を吐く。まるで余興はこれくらいにしておこう、とばかりに。

「耐え切れるか? わたしの攻撃に」

 その発言と同時、小手試しは終わった。ただの二撃をもって。
 再び、ヴァルファムルクが距離を取る。だが今度は、先ほどのような小距離ではない。大きくバックステップして、距離が初期の状態に戻った。
 そのとき翼は気づいた。
 ヴァルファムルクが、片手で剣の柄を握っていることに。
 戦う前から全く変わっていないことに。
 だとすると、先ほどの一撃二撃は片手で繰り出していたことになる。
 額に汗が浮かぶ。
 嫌な汗だ。本能が危険を察知しているというシグナルだった。
 しかし、それ以上は弱気を見せない。翼の眼光は絶えず敵を射抜いており、闘気に満ちていた。
 ヴァルファムルクはゆっくりとした動作で、剣を両手で持ち直した。
 割れたガラス片のように鋭い瞳が、翼を視界に捉えている。

「――行くぞ」

 刹那、ヴァルファムルクは動いた。
 疾走。
 それはまさに、一陣の風。
 距離が詰まるのはごく一瞬。瞬きをする時間だ。
 ヴァルファムルクはまず、下段からの振り上げを行ってきた。
 とっさに後ろにステップを踏み、翼は回避する。
 視界に銀の弧が映り、自身の前髪が数本持っていかれたことを知る。
 その仕返しとばかりに、翼は下段からの一旋を繰り出した。
 ――当たるか?

「甘い」

 翼の思いは、その一言とともにやってきた一撃によって粉砕された。
 上段まで振り上げた剣をヴァルファムルクはとっさに持ち直し、一気に振り下ろすことで翼の旋刃(せんじん)を叩き落としたのだ。
 結果、翼の刀身は本来行くはずだった軌道を逸れ、地面に先端を埋もらせる。
 すぐに体勢を立ち直そうとする翼だったが、ヴァルファムルクはすかさず横一文字に振りにかかった。
 危険を察知し、翼がバックステップすることによって剣を抜いたのと、ヴァルファムルクの一閃が翼の身体に走るのは同時。
 腹に漢字の一を斬りつけられた翼は、紅を流星の尻尾のようにしながら、ヴァルファムルクと距離を取った。
 激痛。
 腹が熱せられた鉄板で焼かれているように疼き、翼は苦悶に顔を歪めた。
 傷を押さえて、少しでも止血をしたい、と思う翼だが、敵はそれを許すはずがない。
 開いていた距離も一瞬とも取れる時間で詰められ、再び攻撃が襲ってきた。
 斬と貫の猛撃。
 それは、速くて重い。
 ヴァルファムルクの剣の種類は翼のものと全く同じロングソードだ。ゆえに武器の性能には左右されていない。
 だとしたら結論はただひとつ。
 純粋に実力差が出ているのだ。速さも、太刀筋も、放たれる闘気も、すべて相手のほうが格上だと、翼は悟った。
 ――それでも……負けるわけには……。
 いかない、と翼は思った。
 思う間にも、頬、肩、腕、胸、脇……と裂傷が走る。
 幸いというべきか、腹の痛みのほうが優っているようで、傷つけられた際に痛みは感じていなかった。
 ――なんとかしないと……。
 その思いに反して、翼の身体は鈍重になっていた。真綿で首を絞められているように、徐々に徐々にと。
 ――なんとかしないと……。
 思った時、脇腹に傷が入った。
 ヴァルファムルクが突きをし、翼が紙一重で避けようとした結果だ。
 傷は思ったより深く入ったようで、翼は苦痛に口と眉を歪ませる。
 身体からは絶えず血が衣服を伝って、地面に滴を垂らしていた。
 それは緑の地面に、ところどころ紅の斑点が付けている。それは死を臭わせ、決して気のいいものではない。
 ――なんとかしないと……。
 視界がグラついて来た。
 血を流し過ぎたのだ。魔力での新陳代謝促進の効果よりも、傷つけられる速さが凌駕しているために。
 なんとかしないといけない、と思う一方、敵はそれを叶えまいと剣撃を繰り出す。
 その剣撃で傷つき、身体が鈍くなり、より一層攻撃を受けやすくなる。
 ――なんとかしないと……。
 何度も、翼は思う。
 刹那、ヴァルファムルクから横殴りの一撃がやってきた。
 とっさに翼は護りを取る。が、踏ん張りの足が利かなかったため、刀身と刀身がぶつかると、翼は吹っ飛ばされてしまった。
 十メートル近く地面を転がり、地面に両膝を着く翼。
 息は乱れ、右手で剣を握り、左手で傷口を押え、立ち上がる。
 止めの絶好の機会だというのに、ヴァルファムルクは向かってこない。
 油断か、それとも余裕か。
 おそらく後者だろう。
 こちらは傷だらけだというのに、ヴァルファムルクは掠り傷ひとつついていないのだから。
 ヴァルファムルクは顔色ひとつ変えていない。鉄の仮面を被っているように、表情は無だ。

「諦めたらどうだ」

 淡々とした口調で、ヴァルファムルクは言葉を放った。
 翼は首を左右に振る。口の中に血の味が充満していて気持ち悪く、極力言葉を発したくなかったために取ったリアクションだった。

「……なぜ……お前は諦めない」

 静かに放たれた問いかけ。
 口の中が気持ち悪く、極力言葉を紡ぎたくない翼だったが、

「諦めたら……全てが終わるからだよ……」

 不思議と、そのような言葉を発していた。
 相手が答えを待っていたような気がしたからかもしれない。

「諦めたら全てが終わる、か……」

 ヴァルファムルクは翼の言葉を反復し、しばらくの間を置いてから、そうか、と頷いた。
 やがて、ヴァルファムルクは剣を構えた。どうやら、会話はこれで終わりのようだ。
 翼は先ほどの会話の間、傷を癒すのに専念していたが、掠り傷程度を直すだけで手一杯だった。腹の傷は少しだけ塞ぐことができているが、塞いでいない部分からは今もなお血が流れている。
 翼は今や、立つのが手一杯だった。防御はかろうじてできるかもしれないが、自ら攻撃を仕掛ける体力は残っていない。

「ここまで立つことができた褒美だ。一瞬で楽にしてやろう」

 ヴァルファムルクは宣告した。
 翼の敗北宣言を。
 翼の死の宣告を。
 ――なんとかしないと……。
 これで何度目だろうか、そう思うのは。翼は数えていないのでわかる由もない。
 だが、思ったところでどうすることもできないことは、翼自身が知っていた。
 これから来るであろう敵の攻撃を、ただ忌まわしく見据えているしかないだろう。
 ヴァルファムルクは剣先を翼に向け、

「終わりだ」

 驀進(ばくしん)してきた。
 苦渋の面容をし、翼は見てくれだけの剣の構えを取ったまま、敵の姿を睨みつけていた。
 鋭利な、刃先が、心臓を、穿とうとする……。
 そのとき、

「――ッ!」

 不意にヴァルファムルクは進路を変えた。
 翼に急速接近していた彼は、直角に跳び退いたのだ。翼から見れば右側に跳んだことになる。
 なに? と翼が思う暇はない。
 左側から影が飛び出し、それがヴァルファムルクのもといた場所で銀の弧を描いたからだ。
 銀の弧は、見れば大剣から繰り出されたもの。
 その大剣の持ち主は、少女だった。
 身長はおよそ百六十センチ……否、それ以下と思われる。
 少女は、腰より下に伸びた長い金髪を二つのリボンで括り、ツインテールをしていた。
 丸くて大きい碧眼と、細い輪郭から顔立ちはやや幼い印象を受けるが、少女から発せられている凛然とした空気が幼さを帳消しにしている。さらに、月光に照らされている肌は白く、北国の雪を連想させた。
 体格はとにかく小柄だった。
 華奢とも言い換えられるその体格からは想像がつかないほど巨大な剣を、彼女は平然と構えている。
 誰だろう? と疑問符が浮かぶ翼だったが、高校で天真に言われたことを思い出した。
 『金髪のツインテールの女に気をつけたほうがいいぞ』
 先輩は確かに、そう言っていた。
 ――ということは、この子が先輩からソーサリー・クリスタルを奪ったのか。
 最悪だ、と背骨が氷柱になったような感覚を受ける。
 もし目の前の彼女が先輩の言っていた人だとしたら、自分の身もただでは済まない。
 ましてや翼は今、傷だらけで攻撃する体力が残っていないのだ。彼女と戦いになってしまえば最後、確実に自分は殺されてしまう。
 危機感を募らせる翼。
 だが見ると、少女の狙いは自分ではないことに、翼は気づいた。
 ツインテールの少女の視線は、ヴァルファムルクに向けられている。それに準じて少女の得物の切っ先も彼に向けられていた。
 どういうことだ? と翼は疑問に思ったが、考えられる節はひとつしかない。
 ――あの二人は敵同士なのか?
 語尾が疑問だが、目の前の光景を見れば、ほとんど断定的なものだとわかる。
 そこまで推測したところで、視界の薄れが一層ひどくなり始めた。血を流し過ぎたのだ。
 気合で意識を現世に維持させようとするが、それに反して闇が濃くなっていく。
 霧のように思考も霞み、翼はやがて気を失った。
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