第1章 - 1 闇夜の襲撃者
カーテンの隙間から、清々しい朝の光が差し込み、それが眠っている翼の顔に当たっていた。
そんな刺激もあり、少年は重たい瞼を開かせた。霧がかった意識を覚醒させようとするものの、寝不足なのか、翼は大あくびをひとつする。
日付は四月二日、時刻は六時半を回っている。翼の年齢は十六歳、高校二年、そして平日ということもあり今日は学校がある。
翼としては二度寝したい気分だったが、すれば遅刻決定なので、しぶしぶと布団の中からいもむしのように這い出ることにした。
――◆――◆――
住宅街から東に向かったところに山があるのだが、そこに翼の自宅はある。
大小でいうのなら、真道宅は誰に聞いても満場一致で大のほうを選ぶだろう。それほどまでに大きい……というか広いのだ。
家を囲う壁は人の背丈よりも高く、二メートルほどあり、よじ登ろうとすることを躊躇ってしまうほどの無言の威圧感があった。
それに見合うだけの大きな門からは、家は見えず、ただ鬱蒼とした緑豊かな木々が茂っており、初めて見た人は、本当に人が住んでいるのか、とすら思わせてしまうことだろう。
玄関から家まで続いているのは獣道。それに従って進んでいくと、真道宅を拝見することができる。
真道宅は、一言で言えば古風な家だ。
二階はなく、長い棟が連なっており、それらを縁側で行き来する。ちょっとしたアパートになりそうなほどに、部屋数もあり、大半の部屋は手付かずの状態だ。
さらに池付きの中庭があり、広大な裏庭があるのだが、裏庭は全く手入れされていない。広さのためであろうか、手入れされているのは主な住み場である民家とその周辺のみだ。
翼の部屋と、家族の団欒場所である居間とはそれぞれ棟の端と端に位置しており、行き来するだけで苦労する。
おはよう、と朝の挨拶をしながら翼は居間の引き戸をガラガラと開けると、
「あらぁ〜、ツバサちゃん。おはようございます〜」
のんびりとした女性の挨拶が返ってきた。
緋色がかった黒髪を腰まで自然に下ろし、優しげな母性溢れる雰囲気を漂わせている女性の名は、真道雅。翼の母親である。
二十歳です、といえば十分に通じそうなほどに若さを保っており、翼も母親の年齢がはっきりとわからないことがある。というのも、雅が歳を訊く度にコロコロと変えるためである。見た目でわからない以上、本人に訊くしかないのだが、これでは意味がないというものだった。
「母さん。そういえば歳いくつなの?」
「ピッチピチの二十歳よ〜」
これである。実際にそれで通じるかもしれないが、翼の歳を考えるとあり得ない年齢である。真道家の不思議のひとつであった。
父親は知っているのだろうが、尋ねても母親と同様に誤魔化されて終わりになっている。どうも二人つるんで楽しんでいるとしか思えない。
真道家は、父親が魔術師で母親が一般人であり、そんな二人のもとで翼と緋睡は生まれていた。
そのため父親には幼いころから魔術師に関連する事柄を教えられ、翼の剣術や緋睡の弓術といったものも父親譲りだ。
ちなみにその父親は海外で働いており、帰ってくるのは年に数えるほどしかなく、現在、家にはいなかった。
真相を聞くのを止め、翼は食卓の席につき、あらかじめ朝食として用意されていた食パンをかじり、牛乳を飲む。その隣には緋睡が着席していた。あいかわらず巫女服である。
「そういえば〜、昨日のソーサリー・クリスタル探しは、うまくいったの〜?」
思い出したように、雅が翼と緋睡に尋ねると、緋睡がいいえ、と首を左右に振り、
「駄目でした。兄上があまりにもふがいないがために」
「ちょ……! なに僕ひとりのせいにしてるのさ! 危うくやられそうだったくせにッ!」
ピクリと緋睡の眉が歪む。もともと表情の変化が緋睡は微々たるものなので、その変化を読み取ることは難しく、翼は気づかないまま発言を続ける。
「だいたい、あれは途中で先輩がやってきて横取りしたんじゃないか。責めるなら先輩にしてよ、緋睡」
一通り言葉を並べ終えた翼は、ふぅと一息つき、食パンを食べるのを再開した。
「……そうですね。ですが、やられそうになったのはお互い様ではありませんか? 兄上。的に吹っ飛ばされて気絶していた真道翼殿」
プチッと何かが頭の中で切れたような気がした翼。
明らかに嫌味が入った緋睡の発言。さらに追い打ちをかけてくる。
「あのままわたくしが何も手を打っていなければ、兄上は今頃お星様だったでしょうね」
「……悪かったよ」
失言があったことを詫びる翼だったが、緋睡は態度を崩さない。
「でしたら、言うべき言葉があるでしょう?」
「……ごめんなさい」
翼にしてはぶっきらぼう気味な口調だった。
「感謝の意味が込められていません。もう一度」
それをおまえが言うか、と翼は食ってかかりたい気分になる。自分のことを省みて言え、と反論のひとつを言いたくなるが、ここで言葉にしてしまうと火に油を注ぐのと同意だろう。無意味に体力気力ともに減少させる行為は、極力控えたいのだ。
「……すみません」
沸騰せんとする気持ちを抑え、翼はそう口にした。
それで満足したのか、緋睡は、まあよろしいでしょう、と一言。翼は、食べかけのジャム付きの食パンを、そのむっつり顔に叩きつけてやりたい衝動に駆られていたが、理性で抑制する。
もっとも、そんな事をした日には、その日が命日となるだろうが……。
――◆――◆――
朝食を食べ終え、歯を磨き、制服に着替えると、翼は緋睡と一緒に家を出た。
なお、翼は高校指定の制服なのだが、緋睡は例のごとく巫女服だった。
なぜここまでその服装にこだわるのか、翼はよく知らない。本人が言うには、いつ敵がやってきても即座に対応できるようにするため、というのが理由らしい。が、どうにもおかしいというものだ。
当然、高校でそんな格好はご法度なのだが、緋睡が教師たちに暗示をかけて、それを免れている。もっとも、生徒たちには暗示がかかっていないため、緋睡の格好を不思議に思う人もいるのだが、教師が口を出していないからという理由で黙認されていた。
舗装されている坂を下り進むと、住宅地が広がる。
時刻は七時半ということもあり、人影はそんなにない。せいぜい、ペットの散歩をしている人や、翼たちと同じ学生の姿が点々と見えるだけだ。
住宅地を進んでいくと、昨日戦闘があった公園へとたどり着く。戦いが起きた場所とは思えないほどに、今はとても閑散としていた。
「……兄上がドジを踏んだから……」
そんな妹のしぶとい愚痴が鼓膜を響かせるが、翼は無視した。あまり根に持ちすぎるというのは問題がある。
翼たちが昨日、公園に来て、あの化け物と戦っていた理由は、あるものを手に入れるためだった。
名をソーサリー・クリスタルと言うそれは、どこから現れ、どれだけあるのか全く謎の代物だ。
大きさは小石程度のものからテニスボールほどの大きさ……探せばもっと大きなものもあるのかもしれないが、翼が見てきたのはせいぜいそれくらいが限界だった。
その水晶には不思議な力が備わっており、それを手にして悪巧みを考えようとしている輩もそう少なくない……ということを、翼と緋睡は父親から教えられていた。
そして父親が、そんな輩にソーサリー・クリスタルを渡さないようにしてくれ、と頼んだために、翼と緋睡は夜な夜な水晶探しをしているのだ。
……もっとも、そんなものは大義名分であり、実際は興味があり、見た目としても綺麗だからという理由で翼たちは探しているのだが。
しかし、ソーサリークリスタルは何らかの衝撃が原因で発動することがあり、それが昨日の一件というわけだ。
どのように発動するのかは全く不明で、未知のブラックボックスといったところである。
発動した場合は当然、それを止める必要があり、幸い翼たちにはその止めるための力や術を備え持っていた。
翼と緋睡は魔術師である。森羅万象の力である魔力を自由に操る術をもった者たちのことを、総称してそう言う。
魔術師の存在は今の時代、ただのファンタジーの材料にしかなっておらず、存在を信じている者は皆無に等しい。信じている者はせいぜい、自分が魔術師だという人間くらいである。
そしてその魔術師こそが、ソーサリー・クリスタルの力の暴発を力づくで制止できる存在のひとつだ。ひとつだ、というのも世の中には、魔力とは違う気と呼ばれる自身の内に蓄えられている『気』と呼ばれる力を扱う輩もおり、その者たちもソーサリー・クリスタルを制止できる力を持っているからだ。
傍目からは全く同じに見えるかもしれないが、魔術は自然の力を体内に取り込み、それを自分なりに扱いやすい力に変えて扱うのに対し、気術は体内の力を引き出し、それを自分なり扱いやすい力に変化させて扱う。……要は、外からの力か、内からの力か、という違いがあり、そのために別々のものとされている。
「人って、分けることが好きだよね」
独り言を呟く翼。
隣にいた緋睡が怪訝そうに表情を曇らせていた。大丈夫でしょうか、色々な意味で、とでも言いたげだ。余計な御世話だと言いたい。
住宅地を西へ突き進むと、中心街にたどり着くことができる。登校には、ここを直進していかなければならないのだ。
魔来町の中心ということもあり、時刻が早朝にもかかわらず人が混雑していた。
時には人の流れに逆らいながら、また時には人の流れに乗りながら進むさまは、さしずめ波に乗るサーファーのようだ。
人混みは前に進みにくいから、翼は苦手だった。
それでも、前進しようと足を動かしていると、
「――こんなところに魔術師がいるとはね」
すれ違いざまに、そんな言葉が聞こえた。
即座に翼は、ふと立ち止まって振り返ろうとする。
だが、人の波に押され、立ち止まることは許されず、後ろに振り返ったのは一瞬だけに終わった。
たったの一瞬。
だがその一瞬に、知らない少年と目が合ったような気がした。
気がした、というだけで偶然という可能性も捨て切れない……否、むしろ偶然である可能性が高いだろう。
今更追うわけにもいかない。追うにしてもこの人混みだ、見つからないだろうし、何より他人だ。今さっき、ただすれ違っただけの赤の他人。重大なことではないし、そこまで気にかける必要はないだろう。
「どうしました?」
「え? ああ……いや……」
言葉を濁らせる翼。正直、はっきりとしないものを口にするのは性分ではなかった。空耳、ということもあるわけだし。
しかし、緋睡の瞳は徐々に冷たくなっていく。もともと感情があまり宿っていない眼差しは、今では氷のように冷え切ったものとなっていた。完全に疑惑のそれである。
翼は、自分の信念に従って、緋睡の温度のこもっていない眼差しを無視することを決め込んだ。
そのせいで、高校に着くまでの間、会話が全くなくなってしまった。普段から寡黙な緋睡だが、それでもわずかなりとも話してくれるので気分的に楽なのだが、その彼女が全くしゃべらなくなると、えも言われぬプレッシャーが翼を襲い、少年はその間、決して気分がよいとは思えなかった。
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